37.「実践トレードはじまる」

 その日の夕方、僕は家路を急いでいた。

 今日あったことを一刻も早くモモコに聞いて欲しかったんだ。


——そっかー、なんかその支店長さんカッコよくね? みたいな?

——そそ、そうなんよ。いつも加藤課長の言いなりみたいだったからさ、今日はあの”大岡越前守“さまに見えたよ


——っていうかさ、その件は頭取の耳にも入ってたみたいで、先週の金曜の朝だったか、親父が動いたみたいだよ。

——親父さんが?

——うん。ほら、今煩いじゃん、パワハラとかセクハラ、それにブラック企業とかさ一度世間にその汚名を晒されたら下手したら倒産しちゃうだろ? あれにビビったんじゃねーの、親父


——いやでも、頭取自らそうやって動くのは大したもんだと思うよ。なかなかできることじゃないよ、うん

——なんだよ、テツヤは親父贔屓なんかよッ

——いや、僕はいいことはいい、わるいことは、わるい、って言いたいだけだよ

——ふぅーん


 モモコはニヤニヤして僕の顔を覘きこんできた。だから、ブチュってキスしてやったんだ


——な、なんだよッ!

——いや、今日は嬉しいんだよ。なんかさ、やっぱ「正義」は勝つ! みたいな?

——ふっ、テツヤは単純だな

——いいの、いいの、僕はこれで

——さっ、今日は実践の初トレードの日だぞッ!


 そうだった、今日から十二月まで半年もないんだった。あと四十万円稼がなきゃいけないんだ。


——よぉーし、やっろかいっ!


 僕はPCを立ち上げ、「トレード画面」を出した。そして画面を半分に割って、右側に「チャート図」を出して、トレードのタイミングを計る。


——さて、今の状況をどう思う?

——なんか、あんまり値動きがないね 


 僕は「ドル/円」のチャートを見ながらそう思った。それは相場用語で言う「ボックス相場」と言われる状況で、上も下も同じようなとこを行ったり来たりしてるようで今日の昼間あたりからずっとそんな感じだということを「チャート図」から読み取れた。


——うむぅー、今日は「ドル/円」は使えないな

——どうすんの?

——「ポンド/円」見てみるか


 モモコは通過ペアを「ポンド/円」に切り変えてその「チャート図」を出した。


——おお、いい感じに振れてんじゃんッ


「ポンド/円」のチャートは上に下にと激しく動いているけど、「移動平均線」の傾きは右下がりになっていて「下げ=売り」を示していた。


——「売り」っぽいな、流れは

——うん、けどまだ、わからん。「ポンド/円」の怖さは急にトレンドが変わるのよ。全体の方向性は「下げ」だけど局部的に急に「上げ」に転じる時があるんだ

——そっか、それも「殺人通貨」って言われる所以か

——もうちょっと様子を見てみよう。ここの辺りまで


 そう言ってモモコは「チャート図」の左のほうを指差していった。


——ココ、ってなんか特別な意味っていうか、特別なポイントなの?

——うん、直近の安値がココだ。もし、これを抜いてさらに下げるなら、少なくとも今日は「下げ=売り」だ


 僕はモモコの顔がプロのトレーダーになっているのを見て頼もしくもあり、男前に見えてなんかゾクゾクしちゃったんだ。

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