13.「社会の荒波みたいなの」

「三友銀行」の「藤沢支店」は、駅前のロータリーに面して、お客様用の出入り口がある。


 この支店に配属されてまだ一月ひとつきも経たないんだけど、なんとなく支店内の雰囲気が分かってきた。支店長の公原きみはらさんは可もなく不可もなく——って感じの事なかれ主義な人で、大きく目立つような実績はないけど、逆にマイナス点も少ないような人だった。僕は、街の銀行の支店長と言えば、樋口支店長さんみたいな熱血漢なバンカーしか知らなかったので、ちょっぴりだけどガッカリしてたりしている。


 で、僕の直属の上司は加藤課長——。

 加藤課長は、はっきり言って僕が一番苦手なタイプの人だった。まだ一月ひとつきの付き合いだから断言はできないんだけど、きっとこの人はあと三年もしないうちにどこかの店の支店長におさまっている人だろうなと思う。


 とにかく、出世第一主義みたいなとこがあって、本店のお覚えが高くなることは何だってやるみたいなとこがあるので、相手する顧客も大手優良企業しか目に入ってないようで、地元の小さな企業や商店さんには明からさまに冷たい態度をとるし、部下にもノルマを厳しく課して実績をあげようとしていた。

 先輩の八坂さんなんか「投資信託」の販売額が先月芳しくなかったんで、今月は三割アップの販売ノルマみたいなのを命じられてた。


 今朝、僕は加藤課長に小会議室に呼び出された。


 ——今週から、地元の中小さん廻ってみろ。小口預金でも新規融資の話でもなんでもいいから取ってこい

 ——はい、わかりました


 僕は刷りあがったばかりの新しい名刺を箱ごと持ち歩いて、とにかく名刺をばら撒く個別飛び込み営業に出ることになったんだ。

 東大阪の実家の工場を手伝っていた頃、どこかの銀行の行員さんが分厚いヘルメット被ってスーパーカブに跨ってやって来るのを何度か見たことがあったけど、僕もまったくそれと同じ格好してアテのない新規顧客開拓に出ることになったんだ。


 大学の同期のヤツらは、僕が「三友銀行」から内定を貰って、もう就活を終わらせるって言ったら、他の業種も一応廻って二つ、三つほど内定もらってからゆっくり考えたほうが得策だぞ、みたいなことを言ってたのを思い出した。


 ——確かにメガバンク三行は新卒学生の人気企業ランキングでもトップ10の常連だけどさ、本店勤務以外だと結構キツイみたいだぜ。ノルマは厳しいは、人間関係もギスギスしててストレス満載らしいよ。四十代の先輩の話聞いたんだけどさ、いつまで自分の席があるかって毎日ビクビクもんらしいよ……


 僕は、正直言って「三友銀行」に入るために京大に入学したってとこがあるんで、他の業種とか銀行の仕事内容とかぜんぜん気にしてなくって、ただただ内定もらって嬉しかったんで、そんな外野の声は聞き流してたんだけど、実際にこうして現場に出てみると、いろんなしがらみとか、ノルマの厳しさとかの一端を垣間見ると、本当にこれでよかったのか、って少し最近になって思うこともあるんだ。

 でも、あの樋口支店長さんみたいに、どんなに小さな会社でも有望な何かを持っているなら、ちゃんとそれを見出して必要な資金バックアップをさせて頂くという、バンカーとしての矜持っていうかプライドみたいなもんを持って仕事したいっていう思いは今も萎えることなくしっかり持っているし、早く新規の融資案件が取れるような一人前のバンカーになりたいという思いも膨らんでいる。


 ただ、今朝も八坂先輩は加藤課長の机の前で見せしめのように叱られているのを見ていると、いずれ半年も経たないうちに僕もあんな風にみんなの前で晒されるのかと思うと、外回り用の大きな黒カバンに金融商品のパンフレットやPR用の手作りファイルとかを詰めながら、さっさと裏口から出て行きたくなっていた。


 初めての飛び込み営業の戦績は、一軒もまともに面談もできず体良く断られるという結果に終わって、僕は疲れ切った体を引きずって銀行に戻り、営業日報を書き終えるとすぐに退勤した。まだ加藤課長はもちろん、多くの先輩行員は机に張り付いて事務処理や残務整理をしていて、背中に冷たい視線が集中しているのが分かったけど、振り払うようにして裏口の重い金属ドアを押して出てきた。


 僕は駅前の本屋さんに立ち寄って、FXに関する本を三冊ほど選んで買って帰った。

 江ノ電の中で読もうと思ったけど疲れた体はそれを許してくれなくて、二頁目を捲ることなく、うとうとと眠ってしまった。


 アパートに帰ったら、モモコが先に帰ってたみたいで、夕飯を作って待ってくれたいた。


 ——おかえりッ! 

 ——ただいまーっ


 モモコの顔を見たら、急に元気が出てきちゃって、やっぱりモモコって凄いなーとか思って見てたら、モモコが僕に訊くんだ


 ——ご飯にする? それともお風呂? それとも……ワ・タ・シ?

 ——きゃはーっ、モモコを食べたいっ!


 べしッ!!——、ケツに食い込むキック。


 ——アホか、とっととメシ食って、FXの講習だろがッ!!

 ——てへへ、だよね、だよねー


 僕は、モモコがまた一緒に住んでくれることになって、なんかよかったなーって、思った。

 あ、そうそう、言い忘れたけどさ、モモコってこう見えても料理上手いんだよ、どこで習ったんだろうねーってくらい玄人っぽい料理を作ってくれるんだ。


 ほんと、モモコってスーパーモモコだわ——。




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