18.「初めてのチャート」

 僕は、八坂さんの背中を見送った後、ズシッと重い荷物を背負わされたようで「極楽寺駅」までどうやって帰ったのか覚えてなかった。


 ——ただいまーっ

 ——おかえりッ!


 こんな時、誰かが家で待っていてくれているのはホントありがたかった。


 ——遅かったじゃんッ、スタンバッって待ってたんだよー

 ——ごめんな。八坂先輩に誘われて、飲んでた

 ——そっか、じゃ、メシは要らんなッ?

 ——あ、ごめん。連絡すりゃ良かったね、ごめんっ

 ——いいよ、そういうこともあるよ。次からは連絡してくれッ


 こういうのを大人の対応っていうのか、いつもの調子のモモコだとキレちゃって平謝りもんなとこなのに、僕の顔色とか声音とかいろんなこと感じ取って、今日のとこは勘弁してやっか——みたいなオカン的な心の広さで許してくれたんだろうと思うと、そっと僕は胸のうちで手を合わせたんだ。


 ——どうする? 今日は中止にするか?

 ——いや、やるよ、ウカウカしてられないしっ!


 僕は、まだ少し酔いが残っていたけど、さっとシャワーを浴びてモモコの前に座った。

 それはきっと、八坂さんの疲れ切った顔や、八坂さんが吐く荒んだ言葉、八坂さんの生気のない目、そして八坂さんの苛立った指の動きとか——そんな沢山の生々しい「八坂さん」から解放されたくて、出来るだけ無機質なものに触れてしたかったのかもしれない。


——これが、リアルの「ドル/円」のチャートだ(*1)


 モモコが僕の方にマックの画面を見せて指差している。そこには、緑と赤の棒見たいなのが、左から右に並んでいて、規則正しい波動じゃないけど、山と谷を作り出していた。


——詳しくは、本で勉強してくれ。要するに、このチャートって呼ばれる波形みたいなグラフは、通貨ペア「ドル/円」の値動きを時系列的に表したものなんだ。ほら、この一番右の赤い棒があるだろ? その先っぽがリアルに上下に動いてるだろ? これが今現在の値動きだッ


——うん、つまり、刻々と「ドル/円」相場の値段が変化してるってことだね?

——そう。FXってのは、この先、選んだ「通貨ペア」の値段の行方を予想するゲームなんだと思えばいい。

——予想した動きの方に、投資するってことだね?

——値上がりすると思うなら「買い」。値下がりすると思うなら「売り」だ。


 チャート画面の横には、現在の「ドル/円」の値動きが数字で表示されていて、目紛しく変化して点滅を繰り返していた。そしてその数字の下には【Ask(買)】と【Bid(売)】っていう二つのボタンみたいなのがあった。


——ほら、今の値で買うのか、売るのか判断して、どっちかのボタンをクリックしてみろよ。それが、取引の第一歩だ。さぁー、どっちだ、テツヤッ!


——判断しろって……

——デモだよッ。練習だから、間違っても実際にお金を損するわけじゃないから気楽にいけよッ。投資額(枚数)は予め五枚(*2)にセットしてあるから、あとはクリックするだけだ。ほら!、上か、下か、どっちだッ!!


 僕は、チャート画面に視線を戻し集中した——。




*———————————————*

脚注(*1) 【チャート】為替相場の動きをグラフ化して、表示させる事により、視覚的に日々の値動きを見ることを可能にしたもの。一般的には「ローソク足」と呼ばれる棒状のものがよく使われる。


脚注(*2) 【投資枚数】取引数量のことで、1枚=「1Lot」と表示されることもある。

通常の場合、「1Lot」は10,000通貨を意味する。

米国ドルを売り買いした場合なら、$10,000分を取引したことになり、日本円に換算すると、1$=100円と仮定すれば、1,000,000円分の取引をしたことになる。

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