○未来をつかめるか?
ニコルさんの足下から、暴風みたいな魔力が吹き上がった。すごい勢いでスキルがコマンドされる。逆立つ銀髪。帽子が吹き飛んだ。ローブがはためく。
「手を緩めろ! 朝綺を解放しろ!」
“
光の刃はマーリドの胸に突き立った。マーリドが動きを止める。でも、オゴデイくんをつかんだ手は緩まない。
「くそっ……!」
ニコルさんが再び詠唱に入る。魔力の噴出が、まるで竜巻だ。こんなの何度も使ってたら、あっという間にスタミナが尽きちゃう。
「落ち着いてください、ニコルさんっ」
「ルラの言うとおりよ。ワタシに考えがある」
低く押し殺したシャリンさんの声に、ニコルさんが呪文の詠唱を止める。
「考え? シャリン、何をするつもりだ?」
「シンプルなことよ。マーリドのプログラムを破壊して
アタシとニコルさんは同時に、悲鳴みたいな声を上げた。
マーリドを
シャリンさんは本気だ。凛として言い放った。
「破壊と同時に、オゴデイのプログラムを解析して、朝綺の意識を分離する。時間がないわ。手伝いなさい」
ヒット判定でフリーズしてたマーリドが、動きを再開する。オゴデイくんのスタミナが、また、じわじわ減り始める。
ニコルさんがうなずいた。
「了解だよ。ボクは何をすればいい?」
うん、そうだよね。そう来なくちゃね。ルール違反なのはわかってる。ピアズに2度とログインできなくなるかもしれない。それでもいい。だって、朝綺さんの命が懸かってるんだから!
「アタシも協力します!」
「当然でしょ。最初から頭数に入れてるわよ」
あ、なんかそのセリフ、嬉しいぞ。信用してもらってる感じ、ひしひし伝わってくるぞ。
「そんじゃ、作戦開始ってことで!」
「ええ。ワタシは今からピアズの裏側に入り込むわ。表層で動くアバターのシャリンはその間、動かせない。ダメージを受けて強制的にログアウトさせられないように、2人でかばっておいて」
「了解です!」
「ワタシがマーリドのプログラムを解析する間、ニコルはマーリドを束縛して。束縛魔法の出力が足りないぶんは、ルラが補って」
わかった、とニコルさんが言って、シャリンさんを背中にかばう位置に立った。アタシはニコルさんの隣だ。杖を持つニコルさんの右手に、アタシは左手を重ねる。
「BPM、いくつですか?」
「いつもと同じ240で行こう」
「威力、もうちょっと上げられますよ?」
「こういうときは、慣れたリズムがいい。譜面はさほど難しくない。右で動いたら次は左、っていうふうに規則性があるし、16分音符も入ってないから」
「わかりました」
「じゃあ、いくよ」
見たことのない譜面がアタシのスキルウィンドウに表示される。なるほど確かに、規則的な8分音符がずっと続くタイプの譜面だ。リズムキープさえミスらなければ、初見でも怖くない。
アタシはニコルさんに魔力を送り込む。同じリズム、同じ譜面、同じタイミング。シンクロすればするほどに、ニコルさんの魔法の最大出力を上げられる。
ニコルさんの杖の先端のキラキラする緑色の珠から、輝きがあふれ出す。泉が湧き出るみたいに、こんこんと。鮮やかに輝く緑色がマーリドを包んでいく。
“
真綿で締めるような束縛が始まる。譜面が1巡した。ここでフリーハンドにしても束縛は続くけど、ニコルさんは間髪入れず、2巡目の詠唱に入る。束縛魔法の重ねがけで、マーリドの自由を確実に奪う。
マーリドがうなる。
「生意、気、な……!」
束縛できてる。巨大な体がわなわなしてるのは、魔力がちょうど拮抗してるんだと思う。アタシもニコルさんも身動きすら捨てて、スタミナもヒットポイントも全部注ぎ込んで、魔力に替えている。2人ぶんのフルの魔力で、マーリド1体ぶんってわけ。
魔力が尽きたら、おしまい。延々と続く譜面をミスっても、おしまい。
怖い。緊張してる。なのに、アタシは冷静だ。だって、自分の役割がわかってるから。役割を与えてもらえたことが嬉しいから。
届け、アタシの願い。ルラの魔力と一緒に、ニコルさんに届け。風坂先生の心に届け。あたしは風坂先生と同じ気持ちです。大切な人が生きるのを、精いっぱい手伝いたい。
朝綺さんの魂、こんなところで消滅させたりなんかしない!
「シャリンさん、どれくらいかかりますか?」
「今……ああ、読めた。マーリドを構成してる言語、アルゴリズムはたいしたことないわ。さほどかからない……パスを解読。別のデータ群と接触。これがオゴデイね。解析を……邪魔、マーリドが邪魔。やっぱり、分離より破壊が先」
シャリンさんは複雑なことを口ずさみ続ける。
「何よ、これ? 意外とパターンが……いくつあるのよ? ……変数、多すぎ……あぁ」
イライラと尖った声。このネットワークの向こう側で、シャリンさんである麗さんは、どんな戦いを展開しているんだろう? 想像もつかない。
固唾を呑むアタシを、不意にシャリンさんが呼んだ。
「ルラ! それとニコルも。サブスキル使う余裕ある?」
「あ、はい、一応」
「ボクもどうにかなる」
「2人とも、弱い攻撃でいいから、一定のリズムでマーリドにぶつけて。アイツの反応パターンが一定化されたら助かる」
「わかりました!」
「了解」
右手でニコルさんへの魔力注入をこなす。左手でサブスキルのウィンドウを開く。単調で低級なサブスキルの譜面を、メインの魔力注入の譜面に重ねる。
最初に覚えたスキルは、ほんとにシンプルな呪文だった。威力もヨワヨワで、野宿の薪の着火用にしか使ってなかったけど。
“チロチロ火の粉!”
クリティカルなタイミング、メトロノームみたいに正確なリズムで、ちっちゃい火の粉を飛ばす。すぽすぽすぽすぽ、気の抜けた効果音。これ以上ないくらいのPFCは、ニコルさんの葉っぱの手裏剣と、完璧なコンビネーションを作り上げる。
「いいわ、その調子よ。パルスが一定になった……いける。変数の値がわかった。ただの四次関数……解けた! 見える。これなら問題ない……読めた、次のパス……」
不思議。
アタシ、今、本気でゲームの中にいる。意識全部でログインしてる。アタシの感覚は丸ごと完全にルラになってる。
ニコルさんが、ときどき、ひゅっと息をつく。シャリンさんが低くつぶやき続ける。
朝綺さん、という人。どんな人なんだろう? 眠っている顔を見ただけだから、アタシはまだ会ったともいえないけど。
話してみたいって思う。友達になりたい。だって、風坂先生を風坂先生にした人だから。アタシの好きな人の、とても大事な親友さんだから。
朝綺さんと話すことができたら、アタシ、風坂先生みたいに強くなれる気がする。パパの病気と本気で向き合えるようになる。
だからお願い、朝綺さん。風坂先生と麗さんのもとに帰ってきて。
「いけた!」
シャリンさんの声が弾んだ。
グラフィックに変化が起こった。緑色の輝きに拘束されたマーリドの姿から、滑らかさが失われていく。画質が急激に下がっていく。
マーリドがざらざらした声を上げた。何かしゃべったんだろうけど、聞き取れない。
「ニコル、ルラ、魔法を止めていいわ」
「了解」
「はい」
マーリドは今、まるでモザイクだ。細かいブロック片の集まりが絵を描いてる。ずーっと昔のゲーム画面のドット絵ってやつより、もっと粗い。
シャリンさんが命令するみたいにささやいた。
「
ざーっ、と水が流れる音に似たノイズが、スピーカから聞こえた。
ほどけていく。マーリドだったモザイクが下のほうから、ざらざらとほどけて消えていく。背景のグラフィックに痕跡すら残さずに。
アタシはニコルさんの杖から手を引っ込めた。あちゃー、スタミナがレッドゾーンだ。立ってられない。ぺたん、と座り込みそうになった。
「おっと、危ない」
はい? 視界には、緑色のローブの腕と胸。カメラアイを上に向けると、切れ長な目が微笑んでいた。
「えっと、これ、あの」
ニコルさんに抱き留められてる。
「お疲れさま」
匂いを思い出した。風坂先生が傘の内側でタオルを貸してくれたときの、タオルの匂いと風坂先生自身の肌の匂い。ピアズの世界には匂いがないのに。
ドキドキする。
ニコルさんが視線を上げた。見てごらん、と言われて、アタシも慌ててそっちにカメラアイを向ける。
オゴデイくんが、マーリドにつかまった形のまま、何もない空中に宙吊りになっている。少し苦しそうな表情もそのままだ。
「オゴデイくん、フリーズしてるんですか?」
アタシの質問にシャリンさんが答えた。
「問題ない。一時的に止めてるだけ。オゴデイじゃないデータ群を特定した。この言語は……何よ、スラング? 間違いなくアンタね、朝綺」
バトルモードのウィンドウに赤字でエラーと表示された。自動的に、モードが通常へと切り替わる。
アタシの視界に、ふらっと、黒髪の後ろ姿が割り込んだ。
「ラフさん!?」
夢遊病みたいな足取りで、ラフさんが歩いていく。そして、オゴデイくんを仰いで立ち止まった。
襟足で1つにくくった、粗い黒髪。交差して背負った、2本の大剣。裸の上半身に軽量メイルを着けて、皮膚という皮膚には赤黒い紋様が浮かび上がっている。筋肉質に引き締まった右腕が、オゴデイくんへと差し伸べられる。
シャリンさんが告げた。
「
オゴデイくんの灰色っぽい毛並みがきらめいた。きらめきがふわりと浮き上がって、1つの形を作る。人の形だ。髪の長い男の人、背中に2本の大剣を装備した戦士の姿だ。
「あれが、ラフさんの魂……」
きらめきの双剣戦士は、きょろきょろして、ちょっと首をかしげて、ほっぺたを掻いた。「ここ、どこだっけ?」と言うみたいに。
シャリンさんが駆け付けて、ラフさんの体の隣に立った。腕を掲げるラフさんと同じように、シャリンさんもラフさんの魂へと手を伸ばす。
「こっちに来て! アンタの居場所はここ、ワタシの隣。戻ってきて、朝綺。お姫さまのキスで目を覚まして」
おとぎ話にあるよね。王子さまにかけられた呪いを解くためのキス。お姫さまの愛のキス。それが麗さんと朝綺さんのパスワードなのかもしれない。
きらめくシルエットのラフさんがシャリンさんを見た。ハッキリとうなずく。足を踏み出す。透明な階段が空中に存在するように、1歩ずつ降り始める。
と同時に、オゴデイくんのフリーズが解けた。すとんと着地して、ブルーの目をパチパチさせる。
シャリンさんが飛び出した。神速の異名を持つ身軽さで跳び上がる。きらめきが形作るラフさんの右手を、ギュッと握りしめる。その手を引っ張りながら、くるりと振り向く。
「もとに戻って……!」
シャリンさんは、きらめきを連れて走った。きらめきが手を伸ばした。立ち尽くして待つラフさんの手が、その先にある。
ラフさんの魂と体が触れ合った。
きらめきがほどける。形をなくしながら、ラフさんの体へ染み入っていく。一瞬の出来事だった。ラフさんがまばたきをした。
シャリンさんが、震える声で呼んだ。
「朝綺……?」
ラフさんのアバターは動かない。でも、かすかに、スピーカから聞こえた。
「ぁ……」
吐息みたいな、ほとんどかすれた声。男の人の声だ。
風坂先生がコントローラを投げ出した。
「朝綺、目を覚ましたのか!?」
画面の中のシャリンさんは棒立ちになってる。きっと風坂先生と同じ理由だ。ピアズどころじゃなくなったんだ。スピーカが涙混じりの声を届けてくれる。
「おにいちゃん、すぐこっちに来て! 朝綺が目を開けてる! リップパッチが感知できるほどじゃないけど、唇も頬もちゃんと動いてる! 呼んでくれてるの、『うらら』って……!」
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