第1章:笑音 - Emine -

●恋に恋するお年頃!

「る~ららる~ら~、るららる~ら~♪」


 歌いながら歩いてくのはいつものこと。朝の通学路。あたしは上機嫌で、てきとーな歌を口ずさんでる。


 10月に入って、朝の空気は一段と爽やかだ。1年でいちばんちょうどいい季節。街路樹の木漏れ日が、涼しい風にサラサラ鳴っている。


 あたし、えみは17歳。看護師を目指してる、花の高校2年生。キラキラ青春真っ只中! と言うにはビミョーに何か足りない今日このごろ。彼氏いない歴イコール年齢、モテたためしはゼロで、勉強ばっかり多忙な毎日ですもの。ふぅ。


 今年から、ナースの専門授業が3種類入ってきた。栄養学基礎の授業も難しくなった。覚えることだらけで大変。でも、数学とか英語とかやってるより性に合うかな。実習で体を動かすと、充実感あるし。


 くる高校前っていうバス停が、親友のとおとの毎朝の待ち合わせ場所。


「おっはよー、初生!」


 あたしが声を掛けると、初生は読みかけの本から顔を上げた。ちっちゃくて華奢な美少女。初生の色白な顔に、ぱぁっと笑みが咲いた。


「おはよう、えみちゃん」

「待たせた?」

「大丈夫。行こう?」

「うん。ねえねえ、あたし昨日、すっごくいいことあったんだ!」


 初生は、あたしの隣を学校のほうへ歩き出しながら、ほっぺたにえくぼをつくってうなずいた。


「何があったの?」

「すっごいカッコいい人と仲間ピアになっちゃった! 超イケメンなんだよー! 銀色の髪でね、緑の目で、スゴ腕の魔術師で、背が高くて物腰が優しくて、しかも声までステキなの!」


 初生が、きょとんと首をかしげた。


「イケメンって、ゲームのCGでしょ? だいたいみんなカッコいいと思うけど」


 あたしは人差し指を左右に振ってみせた。


「わかってないなぁ、初生は。ピアズのアバターはね、ユーザの顔がベースなの。3Dスキャナで顔の画像を取り込んで、それをピアズのキャラっぽくデフォルメするのね。だから、元がイケメンだったら、やっぱわかるんだよ!」


 西暦2050年、オンラインRPG『PEERS' STORIES』は公開された。今から8年前のことだ。


 2058年の今、インターネットの世界は規制や管理が厳しくて、利用するには、現実の戸籍と同じくらいキッチリしたIDが必要だ。40年くらい前までは、全然そんなんじゃなかったらしいけど。


「2年前だったかな、ピアズで『姿を自在に変えられること』が問題になったのね。匿名性か透明性かで揉めたらしいんだけど、結局、ユーザは自分ベースのアバターを使うことがルールになったの。声も、コンピュータ合成のやつは使用不可になったし」


 ネットの世界で、自分じゃない誰かの仮面をかぶる。それって演劇みたいで、あたしはけっこうワクワクするんだけど、行き過ぎると怖いかなとも思う。ネットの自分と現実の自分がバラバラになりそう。


 実際、昔は、自分がバラバラになった人たちがいた。彼らがネットを使って大きな犯罪を起こした。「人を売る」ことが平気でおこなわれたんだ。個人情報はもちろん、戸籍や臓器、あるいは人間まるごと全部を売る闇サイトがばっしたらしい。


 世界的に蔓延したその大犯罪をきっかけに、ネットの世界は徹底管理されることになった。


 当然ながら、オンラインゲームなんて、何十年もの間、存在しなかった。今は、ピアズだけが政府の指導の下で公認されている。1日のプレイ時間は4時間までとか、プライバシー公開は厳罰にて対処とか、うっとうしいルールもいっぱいくっついてるけどね。


「とにかくね、ニコルさんって、ほんっとカッコいいんだから!」


 雪山のボス戦フィールドで、あたしが操るルラのセーブデータとニコルさんたちのが混ざった。正確には「ボス戦終了後のニコルさんたちのデータにルラが混入」って形だ。


 簡単な自己紹介の後、ニコルさんはあたしに握手を求めた。もちろん、ニコルさんと握手したのはルラで、あたしの手はコントローラを握ったままだったけど。


 うっとりしちゃいました。いや、うっとりなんてかわいいレベルを通り越して、溶けるかと思った。にやけまくり、デレまくり。リアルだったらドン引きされてたかも。


 ディスプレイに映ったニコルさんの優しい笑顔がほんとヤバかった。丁寧な話しぶりと親切な物腰も理想的だし。しかも、プロの声優さん並みのイケボ。めっちゃ好みのステキボイス。柔らかくて透明感があって伸びやかで。


「えーみーちゃん?」

「え?」

「ぼーっとしてたよ?」

「ごめんごめん」


 でもね、ほんとにもう、これ以上ないってくらい大きな予感があるんだもん。すっごくステキな冒険ができる予感。あ、ヤバい、顔がにやける。


 初生が笑顔をつくった。


「えみちゃんはいつも楽しそうだね。うらやましい」


 出ました、初生のふんわりスマイル。かわいいんだな、これが。小柄で細くて、髪はさらさらロング。うらやましいはこっちのセリフだー、って感じ。初生は正真正銘、正統派の美少女だ。


 ちなみに、あたしのルックスは至って地味。まぶたは奥二重だし、鼻はだんごだし。唯一のチャームポイントは、閉じてても自然と笑った形をした唇かな。ん? 誰も気にしてないって? しつれーいたしました。


 まあ、美少女に生まれつかなかったのを嘆いても仕方ないしね。あたしは初生の肩をポンと叩いた。


「あたしはいつも楽しいよー。人生、楽しんだもん勝ちでしょ!」

「そうだね」

「あたし、今は特に張り切ってるんだ。絶対、ニコルさんのお役に立つの!」


 抱え込んだ厄介な事情については、まだきちんと話してもらってない。昨日はログアウトまでの残り時間が少なかったし。


「ねえ、えみちゃん。訊きにくいんだけど……訊いていい?」

「ん?」

「ニコルさんのこと、好きになっちゃったの?」

「てへへ、そうかも」


「じゃあ、かぜさか先生は?」

「好きだよ~」

「ふ、2人とも好きなの?」

「ダメ?」

「普通は、1人だけだと思う……」


 うっ。やっぱそう?


 風坂かい先生は、ナースの授業のうち、介護実技を担当している。


 今年の4月、最初の授業で、あたしは風坂先生に一目惚れした。正確には「一耳惚れ」。風坂先生も、声が超カッコいいんだもん。少年系の役をする声優さんみたいなの。声に惹かれて姿を見たら、ルックスもナイスでした。恋に落ちないわけがない。


 でもさ、ほんとのこと言うと。


 あたしはすぐに「カッコいい!」って騒いだりするから惚れっぽいって思われがちなんだけど、実は恋愛初心者だ。ほんとに胸がときめいたのは、風坂先生が初めてだった。


 アニメやゲームのキャラを「カッコいい!」って言うときと、全然違った。ぎゅーっと胸が絞られる感じ。狭まった胸の中で、心臓がトクトクトクトク走ってる。喉元まで広がるくすぐったさに、声を上げてしまいそうになった。


 ああ、これが恋なんだなって、初めてなのにわかった。風坂先生のことを好きになったって確信した。だから今、ちょっと複雑かも。


「どっちも本物なんだよー」


 風坂先生のときと同じ胸の高鳴りを、昨日も感じちゃったんです。ニコルさんの声を聞いたとき。その姿を見たとき。これってどういう状況? あたし、浮気性?


 初生は、長いまつげをぱちぱちさせると、息をつくように淡く微笑んだ。


「えみちゃんはハッキリしてて、いいなぁ」

「ハッキリしてるって? 好きなタイプのこと?」


 背が高くて優しくて声がステキなおにいさん系イケメンが、あたしの好きなタイプ。それを見抜いて分析したのは、初生だったりする。好きなアニメキャラの傾向もこんなんだし、風坂先生もバッチリ当てはまる。


「好きなタイプもそうだけど、いろいろ。えみちゃんはハッキリしてて元気で、いいなって思う」

「あたしは初生のかわいらしさがうらやましいよ?」

「かわいくなんて……」


「ほらほら、謙遜しない!」

「け、謙遜じゃないよ」

「あたしが男だったら、初生のこと、ほっとかないけど」

「えみちゃんってば……」


 来水高校前ってバス停は名前詐欺だ。バス停は高校の前じゃなくて、裏手にある。裏門がないんだよね、うちの高校。バス停から正門まで、ぐるっと歩かなきゃいけない。その徒歩タイムが、あたしと初生のおしゃべりタイムになるわけ。


 正門到着の直前だった。並木道の大きなイチョウの木の下に、見知った人影がある。


「あ、しゅんいちだ」


 同い年のいとこの、甲斐瞬一。初生がビクッと足を止めた。もしかして初生、瞬一のこと怖がってる? 仕方ないかな。瞬一って愛想ないから。


 瞬一に声を掛けようかと思った。でも、瞬一が1人じゃないのに気付いて、あたしも立ち止まる。


 木の陰に隠れて、話をしてたんだ。瞬一と、誰か知らないけどうちの高校の女の子。


 瞬一を見上げた女の子の笑顔が、くしゃりと泣き顔になる。頭を下げて、そのまま顔を伏せて駆け出す。取り残された瞬一が肩で息をする。


 何が起こったのか、なんとなくわかっちゃった。瞬一、告白されてたんだ。で、断って相手を泣かせた。


 あたしと瞬一はいとこ同士なんだけど、全然似てない。


 瞬一は頭がいい。理系特進クラスでトップの成績だ。顔もいい。両親の顔のイイトコ取りをした。声は普通。性格は、どっちかというと悪い。いや、性格そのものが悪いんじゃなくて、付き合いが悪くて愛想が悪い。一本気すぎて、まわりが目に入らないタイプ。


 でも、瞬一はモテる。愛想の悪さも「クール」ってことになってる。


 瞬一の整った横顔が朝日に照らされている。昔はもっと、ほっぺたが丸かったんだけどな。あのころの瞬一、ほんっとにかわいかった。


 あたしは、抑えていた声を解放した。


「こらー、瞬一! また女の子を泣かせて!」

「え、笑音」


 瞬一が振り返った。わーぉ、怖い顔。初生があたしの後ろに隠れた。あたしは笑って言った。


「朝っぱらから、にらまないの! 眉間のしわ、どーにかしなさいよ」

「うるさい。学校では話しかけるなって言ってるだろ」


 いつの間にか低くなってた瞬一の声は、亡くなった叔父さんの声にそっくりだ。


「まだ学校に到着してないよー?」

「話しかけるなってば」

「テンション低いなー、もう」

「笑音はうるさすぎる。馴れ馴れしくするなって」


 捨てゼリフを残して、瞬一は走っていってしまった。あたしは笑っちゃいながら、初生に謝った。


「あいつが無愛想で、ごめんね」


 初生は下を向いて、ぶんぶんと首を左右に振った。人見知りをする初生にとって、瞬一は苦手なタイプだろうね。瞬一の将来の目標はお医者さんなのに、今のまんまじゃ威圧感ありすぎ。困ったやつだ。もっと優しい顔ができるようにならなきゃマズい。


 瞬一はちょっと難しいところがある。小学4年生のとき、両親を交通事故で亡くした。それ以来、我が家の養子として、うちに住んでる。最初は、ほんとにしゃべってくれなかった。おびえてた。いつから変わったんだっけ?


 今では、瞬一は強くなった。目標を持って勉強に打ち込んでる。まあ、だから告白も断っちゃうんだよね。自分の目標を誰にも邪魔されたくないんだって。


 ガンガンに頑張りすぎな瞬一は痛々しい。笑顔を分け合える相手がいればいいのにって、あたしは思うんだけど。


 だって、あたしは風坂先生としゃべってると嬉しい。幸せだし、やる気が出てくる。あたしも風坂先生みたいに、人の役に立つ仕事をしたい。


 ニコルさんの件もそうだ。抱えた事情が何なのか知らないけど、お手伝いできること、何でもしてあげたい。あの笑顔を見つめてたら、頑張ろうって気持ちになれる。


「これが恋だよね~。恋のパワーって無限だよね~」


 思わずにまにますると、小柄な初生があたしを見上げて、ため息を1つ。


「わたしも『これが恋』って、堂々と言えたらいいのに」

「えっ? 初生、好きな人いるの?」


 初生は、みるみるうちに、かぁっと赤くなった。色白だから、耳も首筋も赤い。


「い、いる、よ」

「誰っ!?」

「今は、言えない」

「あたしの知ってる人?」


 こっくりとうなずく初生。


「で、でも、風坂先生ではないから」

「よかったぁ」


 初生がライバルじゃ、絶対、勝ち目ないもん。初生はかわいすぎるから。あたしが初生のこと嫁にしたいわ。

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