●風坂先生のすがお。
「家まで送ろうか?」
風坂先生に訊かれた。学校からの帰り道と同じ言葉だ。あたしの状況も、やっぱり学校帰りと同じ。
「家には帰れません。瞬一と顔を合わせたくなくて」
「ケンカしたの?」
「はい。あたし、瞬一のことを傷付けすぎました……」
瞬一の怒りと苛立ちの涙が、あたしの胸に刺さってる。瞬一が吐き捨てた口調は、聞いたことないほど荒かった。暴力の衝動を抑え込んだ腕が、わなわな震えてた。瞬一が怖かった。
「姉弟同然で育ってきた。ひとつ屋根の下で、同じ飯を食って。従姉弟で生まれたけど、今は、戸籍上も姉弟だ。おれの感情は、倫理的にも社会的にも認められない。わかってるのに、どうしようもねぇんだよ!」
瞬一があたしに対してクールなのは、自分の感情をコントロールするためで。
「ガキのころはまだよかった。今は違う。こんな気持ち、さっさと葬り去らなきゃマズい。間違いを犯したくない。この家ん中は怖い。風呂に入るときも寝るときも、壁1枚あるだけだ。おれが笑音に何を想像してるか、わかるだろ?」
瞬一にそこまで言われたのが昨日の夜。瞬一は、制服に着替えてカバンを持って、家を出て行った。たぶん誰かの家に泊まったんだと思う。
泊めてくれる友達が瞬一にもいるんだって知って、場違いだけど、よかったと思った。心配してたんだ。無愛想だから、クラスで孤立してるんじゃないかって。
瞬一が出て行った後、いつの間にか涙が出てるのに気付いて、悲しい思いをしてる自分に気が付いた。瞬一に傷付けられたんだってわかって、苦しくなった。
「家には、帰れません」
あたしは繰り返した。風坂先生がメガネのブリッジを押し上げた。大きな手で口元が隠れて、表情が見えない。
麗さんがザッと髪を払った。
「無理に帰らなくてもいいでしょ。わたしの仮眠室を使えばいいわ。今夜は、わたしは朝綺の病室に泊まるし」
風坂先生が、パッと顔から手を離した。
「ちょ、ちょっと待て、麗。仮眠室は、ぼくが使わせてもらうはずじゃあ……」
「問題ないでしょ? 簡易ベッドとソファがあるから、2人、泊まれるわ」
「いや、で、でも……」
「おにいちゃん、慌てすぎ。やましいことがあるわけ?」
「あ、あるわけないっ!」
麗さんは風坂先生に向けて、ピシッと指を突き付けた。
「あくまで仮眠を取るだけよ。2時起床、即刻ピアズにログイン。いいわね? 今度こそオゴデイのAIから朝綺の意識を分離させる。絶対に」
ピアズの連続ログイン時間は4時間まで。再ログインには4時間以上、空けなきゃいけない。さっきログアウトしたのが22時だったから、4時間後は午前2時だ。
「でも、麗さん。あたし、インできなくなるかも」
「どうして?」
「風坂先生に居場所を教えちゃったから。規約違反ですよね? ログイン制限のペナルティ、受けますよ」
「そんなことだったら、問題ないわ。わたしたちは、ピアズにとって特別だから」
「特別、ですか?」
「とにかく、おにいちゃんも笑音も、うだうだ言わないでちょうだい。さっさと仮眠を取って、次のログインに備えて」
腕組みした麗さんににらまれた。美人が怒ると怖いですよぉ。あたしと風坂先生は朝綺さんの病室から追い出される。
最後にチラッと、朝綺さんの寝顔を見た。胸が静かに上下して、自力で呼吸してるのがわかる。最低限の機械につながれてるだけの姿。いつでも目覚めてくれそうなのに、まぶたは開かない。
廊下に出ると、病室のドアはピタッと閉ざされた。風坂先生は盛大にため息をついた。あたしのせいだよね。
「あの、風坂先生。いろいろ、すみません」
「いや、こちらこそ。何から何まで巻き込んでしまって、ごめんね。とりあえず、こっちだよ」
風坂先生は廊下を歩き出した。
来たときには気付かなかったけど、ここ、病棟じゃないみたい。明かりのついてる部屋がけっこうあって、その全部に研究室や実験室って表札が出ている。つまり、ここは研究所の中なんだ。朝綺さんの病室も、ほんとは病室じゃなくて、実験室の1つなのかな。
麗さんの仮眠室は、1つ下のフロアにあった。簡易ベッドとソファと小さなテーブルがあるだけ。スーツケースが半開きになってて、服がのぞいてる。
風坂先生はスーツケースを閉じてソファに座った。長い脚を組んでそっぽを向いて、しかもうつむきがちなせいで、癖っぽい前髪がメガネにかかってる。
なんというか。
普段の風坂先生とは様子が違う。いつもはまっすぐ顔を上げて、メガネの奥から優しい目で相手を見る。なのに今は表情を見せてくれなくて。
とはいえ、あたしたって普段のままじゃいられない。狭い仮眠室に風坂先生と2人きり。心臓の音、聞こえちゃうんじゃない?
風坂先生が髪をくしゃくしゃに掻き回した。ああぁぁっ、と、うめくような声を上げて、メガネを外してテーブルの上に投げ出した。
「ごめん、笑音さん。ぼく、年甲斐もなくうろたえてる」
「は、はい?」
うろたえる? 何で?
「いかがわしいことはしないよ。絶対に。誓っていい」
「ま、まあ、そりゃそうでしょうけど」
「麗以外の女の子と接する機会、ないんだ。彼女がいたのも学生時代で、だからつまり10年前。同じ空間の中に女の子がいるっていう状況……いや、ぼくみたいなのが同じ空間にいて、ごめん。2メートル向こうに男が寝てるって気持ち悪いよね? ほんと、申し訳ない」
「気持ち悪いなんて全然そんなことはないので、はい」
あたしはまじまじと風坂先生を見た。メガネかけてない顔は初めてだ。でも、そっか。メガネをかけてなかったら、完全にニコルさんだ。
風坂先生がかけてるのは度の強い近眼用のメガネだから、目が奥に引っ込んで見える。おかげで緩やかな雰囲気になるんだけど、風坂先生の目は、本当はキッパリ大きくて、鋭いくらいの切れ長な形だ。鼻筋のラインもシャープで、すごくキレイ。
ごめんなさい、やっぱ見惚れます。メガネかけてないから、気付かないよね? 思う存分、見惚れちゃっていいですか?
カッコいいし声もステキすぎるのに、彼女いないって信じられない。あたしなんかに遠慮しまくるくらい女の子に慣れてないなんて、どれだけギャップ萌えさせる気ですか?
「先生、あたしは平気なんで、気に病まないでください。無理言って泊めてもらって、すみません。ありがとうございます」
あたしはベッドに腰掛けた。風坂先生は床に視線を落として、ひっそり笑った。
「麗がピリピリしてて、ごめんね。勘弁してやってほしい。朝綺が健康な体で目覚める日だけを夢見て、この6年間、突っ走ってきたんだ。ゴールが目の前に見えてる。緊張が高まるのも仕方ない」
「麗さんは朝綺さんのことが大好きなんですね」
「朝綺もね。麗のことを心から信用して、麗に命を預けてるんだ。ぼくは麗の兄として、あいつの信用に応えたい。2人の幸せを見届けたい」
「あたしも協力します。といっても、大したことはできないかもしれないけど」
「そんなことないよ? 麗がぼくと朝綺以外のユーザと
ふっと、また不安が胸に差した。
「あたし、ほんとにペナルティ食らわずにすみますか? マズい気がするんですけど」
「ああ、その件は大丈夫。特例扱いしてもらうように、ピアズの運営サイドに直接頼んだから」
「頼んだらOK出るんですか?」
「普通は無理かもね。でも、ぼくたちは特別なんだ」
「さっきも麗さんがそう言ってましたね」
風坂先生はようやく顔を上げて、にっこりした。メガネなしのにっこりは、すっごく危険だった。昇天するかと思った。心臓バックバク。
「朝綺とぼくは大学時代から、2人でゲームを作ってた。ヒット作もそれなりにあるんだよ。中最大のヒットは『PEERS' STORIES』でね」
……はい?
ピアズ・ストーリーズ?
「つつつ創ったんですかっ!? ピアズを、風坂先生がっ!?」
「ぼくひとりじゃなくて、朝綺と2人でね。オンラインRPGの原形となった最初の物語を創ったのが、飛路朝綺と風坂界人。オープニングを最後まで観たらクレジットされてるよ」
うそぉ。いや、ほんとなんだろうけど。ええぇぇ。
「じゃあ、シャリンさん特製の解析装置とかも、特別?」
「うん。ぼくたちが特別だから、許可してもらった」
「えー……」
「でも、いくら特別といっても、例えば『ログインが1日4時間』みたいな基盤設定は崩せない。不自由してるよ」
「うわぁ、もう……予想してた以上の話というか、特別のレベルが想像を超えてました」
「まあ、あくまで、最初の開発者ってだけだよ。オンラインRPGの運営には関わってなかった。朝綺の体調があんなふうだったからね」
頭がくらくらする。今日、いろいろ一気に起こりすぎでしょ? 学校でも家でも居たたまれないのが苦しくて、ニコルさんが風坂先生だったことに驚いて、朝綺さんの意識が戻らない話が切なくて、そこに加えてピアズの開発者が風坂先生と朝綺さんってわかって。
「あ、そっか。ほかでもないピアズだから、朝綺さんはその中に迷い込んだんですね」
「たぶん、そういうことだと思う」
もう1つ、あたしは気付いた。ピアズのテーマソング『リヴオン』は、ピアズの開発者のたむに恋人がメッセージを込めたって聞いた。
「Live on... 生き続けて 信じてるから」
あの切ない歌詞は、麗さんの想いなんだ。
その強い想いを、あたしは助けたい。必ず、朝綺さんの魂を取り戻してあげたい。
「笑音さん、眠れそう?」
「へ? あ、はい、寝ますっ。だって、全力で集中してログインしたいですから!」
あたしは胸の前でこぶしを握った。風坂先生は切れ長な目を細めて微笑んだ。
うぁー、やっぱニコルさんだ! 先生バージョンの風坂先生のときは気付かなかったけど、やっぱ、大人の男の色気って感じ? 笑顔がせくしー!
風坂先生はスニーカーを脱いでソファに寝そべった。足下に畳んであった毛布を、体に掛ける。
「先に寝るよ。おやすみ。ライト、適当に消してもらえる?」
風坂先生は、ちょっと気だるげに言って目を閉じた。無防備。超無防備。何これ、刺激的すぎるでしょ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます