●リヴオンを歌う唄。
30分くらいの距離を、ぽつぽつ話しながら歩いた。背の高い風坂先生は脚が長い。もっと速く歩けるはずだけど、あたしに合わせてくれた。
風坂先生は大学時代から響告市に住んでるらしい。響告大を出たんだって聞いて、ちょっとビックリ。全国でも5本の指に入る難関校なんだ。
「響告大工学部って、それなら大きい会社にも就職できたんじゃないですか? なのに、ヘルパーになったんですね」
「うん。収入や肩書きより大事なものがあったから」
「大事なもの?」
迷うみたいな、言葉を探すみたいな、沈黙。風坂先生は、そっと続けた。
「親友が生きるのを手伝いたかったんだ」
「前も、そうおっしゃってましたね」
「あいつがいたから、今のぼくがある。大学時代からずっと、そういう関係なんだ。ああ、怪しい意味合いじゃないんだけどね」
わかる気がする。大事な存在ってあるんだ。身内とか他人とか、男とか女とか、そういうのを超えて、守りたくて支えたくて見つめていたい存在。
「親友さん、介助が必要な体なんですね」
「必要な体だった。過去形だよ。今は眠ってる。症状が進み切ってしまった。彼の病気もALSと同じように、体が動かなくなっていく疾患でね」
体が動かなくなって、最後には死んでしまう病気。
「悲しい、ですよね?」
「覚悟の上だよ。ちょっと昔話をしようか。ぼくは小さいころから、親や学校の先生に『人と直に接する仕事に就くのが向いている』と言われてた。介護な保育が天職だろう、って」
「あたしもそう思います。それで本当にヘルパーになったんですね」
「うん。ヘルパーっていう仕事は、人さまの体に触れて生活のお手伝いをする。保育士の仕事に似ている部分もある。でも、決定的に違うんだ。どこが違うか、わかる?」
「お世話をする相手の年齢ですか?」
「年齢にも関わるけど、保育士は『できるようになる』人間を見守る仕事だ。ぼくたちは『できなくなっていく』人間を見守る。獲得じゃなく喪失を目の当たりにする」
「喪失……」
「最初から、ぼくには覚悟があった。ぼくに覚悟させるくらい、あいつはとんでもないやつだった。とんでもなく楽しいやつだったんだ」
風坂先生が自分の心を語る。「あいつ」のことを思い出す声は柔らかくて優しくて、微笑んですらいて、ずっと聞いていたい気もした。耳をふさいでしまいたい気もした。
あたしはあたし自身に戸惑ってる。胸が痛い。よじれるみたいに痛い。鼓動が高鳴って苦しい。泣き出しそうで苦しい。
パパの病気へのやるせなさ、親友のために覚悟を決めた風坂先生へのシンパシー、そして、そんな風坂先生に恋する気持ち。何もかもが、ぐちゃぐちゃになってる。
ぐちゃぐちゃがあふれ出しそうだ。叫びたがるのどを押さえる。
大丈夫。もうすぐ病院に着くから。
響告市の街並みはレトロで、背の高い建物が少ない。おかげで、白くて巨大な5階建ての病院は目立つ。病院の向こう側には、響告大学のキャンパス。雨に
突然、アップテンポの音楽が流れ出した。あたしもよく知ってる曲だ。風坂先生がジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「妹から電話だ。話すけど、いいかな?」
「は、はい」
むしろ、あたしが聞いちゃっていいんですか? 風坂先生はワイヤレスイヤフォンを耳に押し込んだ。
「もしもし? ……うん、今、帰りだよ。一旦家に戻ってから、そっちに行く。え? ああ、わかった。それを持っていけばいいんだね?」
妹さんと話すときも、声と口調の柔らかさは変わらない。風坂先生はやっぱり裏表がない人だ。妹さんもきっと、この声を聞いて、ほっとするんだろうな。
通話時間は短かった。風坂先生はイヤフォンを耳から引き抜いて、苦笑いした。
「ごめんね、急に。世話の焼ける妹なんだ。研究所勤めで、なかなか家に帰ってこなくてね」
「そんなにお忙しいんですか?」
「そうだね。純粋に忙しいっていうのもあるけど、現場を離れたくないっていうのがいちばんじゃないかな。研究職とはいえ、患者ありきの仕事だから」
瞬一もそんなふうになっちゃいそうだな。体、壊さなきゃいいけど。
「あの、全然違う質問、していいですか?」
「ん?」
「風坂先生も『PEERS' STORIES』をやるんですね?」
だって、さっきの着メロ、ピアズのテーマソングだった。
「うん。ぼくはけっこうゲーマーだからね。大学時代にゲームを創作するサークルに入ってたくらいだし。この話は、前にもしたかな」
「はい。あたしもピアズのアカウント持ってるんです」
「やり込んでるほうなんだろ? この曲に気付いてくれたのは笑音さんが初めてだよ。イントロだけだったのにわかるとは、さすがだ」
「だって、あの曲、好きですもん。曲も歌詞もステキで」
『PEERS' STORIES』のテーマソング、『リヴオン』は、4年前にリリースされた。オープニング画面からリンクが貼られてるボーナストラック。ユーザになったら、無料で聴けるんだ。
テーマソングっていっても影が薄い。ゲーム本編で流れるわけじゃないし、リンク自体を知らないユーザも多い。
アップテンポで明るいメロディに、切なくて繊細な歌詞。曲調は、21世紀初頭風のレトロなロック。
歌ってるのは「ヨワムシ
「笑音さんは、この曲が生まれた由来を知ってる?」
「え? 知りません」
「ヨワムシ
「じゃあ、リヴオンってメッセージは……」
間奏に、女の人がつぶやくセリフが入っている。「リヴオン」は「live on」だ。「生き続けて」という意味だ。
パパの病気を目の当たりにするあたしは、そのセリフを含めた歌詞に惹き付けられた。
ピアズの開発者さんもパパと同じなのかな? 普通に生き続けることができない体なのかな?
風坂先生はハッキリした答えを出さず、優しい笑顔で『リヴオン』の裏話を続けた。
「ヨワムシ
風坂先生の好きなものを、また1つ知った。あたしの好きなものと同じで嬉しかった。パパの影響だけど、あたしもレトロなロックは好きなんだ。
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