○彼は疑惑の忌み子?
グラフィックがクリアになると、アタシたちは上空にいた。
足下に町がある。城壁に囲まれた町だ。微妙にかすんでいるのは、夢の中や回想シーンの演出だ。ここはジョチさんの精神世界なんだろう。
「あれ? この町、様子が……」
おかしい。あちこちから上がる煙。静まりかえった大通り。人がいない。日干し煉瓦の建物が全部、倒壊している。
すぅっと高度が下がる。広場にジョチさんがいる。剣を提げてたたずんでいる。その剣に、アタシはギョッとする。
剣は血に染まっている。
兵士が広場を横切ってきて、ジョチさんの前にひざまずいた。色の薄い目で、ジョチさんは兵士を見下ろす。銀色の毛並みも血で汚れてる。
『死体はすべて集めたか?』
『はい。発見できたものはすべて、墓地に積み上げております』
『死体が疫病を生まぬうちに、焼き捨てよ』
『心得ました』
『使えそうな物資を奪ったら、この町にも火を掛ける。作業を急げ』
『はっ』
兵士が駆けていく。ジョチさんの顔には何の表情も浮かんでない。切れ長の目は、ただ冷たく光ってる。
シャリンさんが震える声でつぶやいた。
「何なのよ、これは……」
この光景が悪夢の病の正体?
「これはスィグナクの町。ジョチにいさんが攻め滅ぼした町の記憶です」
オゴデイくんの言葉に、アタシは耳を疑った。
「攻め滅ぼした? でも、ジョチさんは、できるだけ戦いたくないって言ってた」
「だからこそ、ジョチにいさんは、記憶に
「どうして皆殺しなんてことになったの?」
答えたのは、ジョチさんだった。うっすらと透けた姿をしたジョチさんは、いつの間にかアタシの隣にいて、血塗れた過去の自分を見下ろしている。
「騙されたのだ」
「騙されたって、誰にですか?」
「スィグナクの町の連中に」
ジョチさんが、ふわりと飛び下りる。過去のジョチさんがそれを見つめて、淡々と語る。
『降伏すると彼らは言った。オレは腹心の部下たちを
無表情な過去のジョチさんと裏腹に、現在のジョチさんは苦しげに眉をひそめた。
「約束を
過去のジョチさんが剣をまっすぐに上げる。血が付いたままの切っ先が、現在のジョチさんの喉元にある。
『今さら何を後悔している? オレは蒼狼族の戦士だ。戦うさだめを背負って生きている。たかが数千人の町を滅ぼすだけで心を揺らしてどうする?』
「確かにオレは戦士だ。だが、彼らは戦士ではなかった。欺くことでしか身を守れぬ、もろくて弱い民だった。武力を持たぬ彼らを、オレは殺し尽くした」
剣を突き付けながら、過去のジョチさんが冷たく笑う。
『ならば、部下を殺されたまま、おめおめと引き下がればよかったのか? 誇り高き蒼狼族が?』
「それは……できない」
『オマエはオレを憎んでいるか?』
現在のジョチさんが、喉元を狙う剣をつかんだ。嘲笑う過去の自分をにらむ。剣をつかむこぶしから、血のしずくが落ちた。
「憎い。オレは、オレが憎い」
『そうだよな、忌み子ジョチ。オマエは、オレは、何者だ?』
すとん、と風景が変わる。
立ち尽くすジョチさんの前に、銀色の毛並みの、狼の耳を持つ男の子がいる。子どものころのジョチさんだ。ふっくらしたほっぺたに、えくぼはない。ひどく冷たい目で、大人のジョチさんを見上げている。
シャリンさんが「動けない」とささやいた。アタシはハッとして、コントローラをいじる。ほんとだ。動けない。このムービーが一段落するまで、ジョチさんに近寄れない。
「見たくないのよ、こんなの……」
「シャリンさん?」
「例えゲームの中でも、人のトラウマになんか触れたくない」
繊細な人なんだって、改めて思った。シャリンさんは、たぶん、ほんとはすごく優しい。
小さなジョチさんが、大人のジョチさんに言った。
『生まれてきて、ごめんなさい。生きていて、ごめんなさい。お詫びに、頑張るから。誰よりも賢くなるから。誰よりも強くなるから』
どこからともなく、残酷な声が聞こえてくる。
『誰の子なのか、わからない』
『ボルテさまもお気の毒に』
『見ろ、あの蒼くない毛並みを』
『チンギスさまには似ておらぬ色だ』
『蒼狼族らしくない、あの銀色は何だ?』
ジョチさんが、いやいやをするみたいに首を振る。数歩、後ずさって、自分を
「オレは……だが、父上は……」
小さなジョチさんが大人のジョチさんの前に回り込んだ。
『父上はね、オレの目を見てくれないの。どうしてだか知ってる? オレを見ると、弱かった自分を思い出すから』
「やめろ」
『父上は弱くて、母上を守れなくて、そしてオレが生まれたんだ。父上がオレのことを嫌いでも仕方ないよね』
小さなジョチさんが弓に矢を番えて引き絞る。矢尻は、大人のジョチさんに向けられている。
『まだわかってないの? 大人になったのに? 父上と同じくらい、力が強くなったのに? 兵隊をいっぱい連れて、戦争にも行ってるのに? まだ、自分が誰なのか、わかってないの?』
「わからない」
『弱いね。自分が誰かわからなくて、迷ったり悔やんだりしてばっかりで、情けないね』
「言うな……もう十分だ。思い知っている」
『思い知っている? 何を? 忌み子の自分に価値がないことを?』
「ああ」
『生きてる意味、ないんじゃない?』
大人のジョチさんが
「殺してくれ」
小さなジョチさんが、ニヤリと笑った。
その瞬間、パラメータボックスがけたたましいアラームを鳴らした。バトルモードが発動する。
「ジョチさん、ダメ!」
アタシたちはバトルフィールドに降り立った。小さなジョチさんが不気味な笑顔をアタシたちに向けた。
「殺されに来たの? アンタたち、邪魔なんだけど。オレ、ジョチを殺すように命じられててさ。引っ込んでてくれる?」
かわいい顔のはずなのにソイツの笑みはどす黒い。アタシはゾッとした。ソイツはいきなり、アタシに矢を放った。
「危ないっ……!」
オゴデイくんがアタシの前に飛び出した。手にした弓で矢を打ち払う。
「助かったよ!」
「アナタに傷付いてほしくない」
「はい?」
「いえ、何でもありません」
ニコルさんが呪文を唱え始めてる。コンボ用のスキルは、安定のBPM240。アタシが詠唱に入った瞬間、ニコルさんの魔法が完成した。杖の先端の珠がまばゆい緑色に輝く。
「正体を見せてもらおうか!」
ニコルさんが杖を振るった。光と風が、小さなジョチさんのふりをしたソイツに襲いかかる。
“
幻覚系の効果を全部リセットする魔法だ。ソイツがかぶった仮面が、フィールドの背景もろとも吹っ飛んだ。
シャリンさんが毒舌を放った。
「またランプの魔人なの? ワンパターンなステージね」
巨大でムキムキな魔人はニヤリと笑った。
「前のシャイターンと一緒にしないでくれる? オレの名はイフリート。煙の立たない炎から生まれた魔人。シャイターンなんかより、はるかに高等な存在だ。むろん、オマエたちよりもね」
「しゃべり方、ムカつくわ」
「同感ですっ!」
ニコルさんがシャリンさんの剣に魔法をかける。シャリンさんの剣が緑色に発光した。
「ルラ、援護して!」
「はい!」
ちょうど魔法が完成したもんね。デカいヤツには、これがいちばん。
“ピコピコはんまーっ!”
イフリートにヒット判定。と同時に、シャリンさんが飛び出す。その速さも目で追えるようになってきた。
「うわ、シャリンさん危ない!」
イフリート目がけて突っ込むシャリンさんを、真横から、ギラッと光る剣が襲う。反り返った刃がシャリンさんに迫る。
キィン、と甲高い音。
ギリギリのところで体勢を切り替えたシャリンさんが、カウンターで攻撃を防いだ。剣と剣がぶつかって火花が散る。
シャリンさんを襲った相手に、アタシは頭が真っ白になる。
「ジョチさん、どうして!?」
何の感情も宿さない目が赤く染まってる。手にした武器は
ニコルさんが索敵魔法を発動させた。
「ジョチの意識はイフリートに
「ほ、ほんとですね。しかもジョチさん、じわじわ弱っていってる」
イフリートがゲラゲラと笑った。
「オマエたちがオレを倒すのが先か、ジョチが弱って死んじまうのが先か。言っとくけどな、ここはジョチの精神世界だ。ジョチがくたばっちまったら、オマエらも
ニコルさんが、ぼそっと苦言を呈する。
「ペルシアやアラブの伝説に登場する魔人が仏教用語を使うとは、設定が甘い」
「どーでもよくないですかー?」
シャリンさんが剣を構え直した。
「ふざけたバトルを仕掛けるんじゃないわよ。何がなんでも、ジョチをつかまえなきゃいけないの!」
シャリンさんのコンボ設定が解除された。スキルのBPMは∞。これ、配信されてる中で最高ランクだ。途中でBPMが変速するやつ。最初が333で、222まで落ちて、ラストは444。
地獄な難易度のスキルをPFCで完成させて、シャリンさんが
「邪魔よ! どいて!」
シャリンさんが進路を変える。スキル発動。凄まじい速さの突きが連続して繰り出される。
“Infernal Izanami”
ヒット判定が出る寸前、イフリートの姿が消失した。シャリンさんの攻撃が炸裂する。ダメージを示す数字が飛び散る。
シャリンさんがつぶやいた。
「しまった……!」
イフリートじゃなかった。そこに立っていたのは、ジョチさんだ。ジョチさんのヒットポイントが激減する。
「ジョチにいさんっ!」
オゴデイくんが走っていって、ジョチさんを助け起こそうとした。その足が、直前で止まる。傷だらけのジョチさんがオゴデイくんに剣を向けている。
すかさず、シャリンさんが素手でジョチさんにつかみかかる。よけられる。ジョチさんが剣を振るう。シャリンさんが飛びのく。
イフリートが再び、ジョチさんの背後に現れた。
「言ったはずだぜ? ここはジョチの精神世界で、オレはジョチを操ってる。つまり、オレはここでは何でもできるってことさ」
ニコルさんがピシリと言った。
「シャリン、今は下がって」
「でも」
「下がって」
「……わかったわ」
シャリンさんが戻ってきた。オゴデイくんが呆然と立ち尽くしてる。
「オゴデイくん、そこにいちゃ危ない! 戻ってきて!」
アタシが呼んだら、オゴデイくんはハッとした様子で走ってきた。
「ジョチにいさんを助けてください。イフリートの魔術は完全ではありません」
「そうなの?」
「イフリートはジョチにいさんを操るのに精いっぱいです。その証拠に、攻撃してこないでしょう?」
確かに、攻撃してるのはジョチさんだけだ。しかも、こっちに向かってくるんじゃなくて、反撃だけ。
「ニコルさん、これって、戦っても倒せなくてループするタイプですよね?」
「うん。キーワードで洗脳を解除していくタイプの、ストーリー型のボス戦だね。ここはルラちゃんに任せるよ」
「アタシですか!?」
ジョチさんは無表情で
でも、アタシひとりでやるの? ニコルさんのほうが知識を持ってるのに? シャリンさんのほうがずっと頭いいのに?
オゴデイくんが切実な表情でアタシを見つめた。
「オレの声は、今のジョチにいさんには届かない。むしろ傷付けるだけです。ルラさん、お願いです。ジョチにいさんを元に戻してあげてください」
繊細な声に、うるうるした目。そんな顔されたら、アタシは弱い。
うん、相手がAIでも、アタシの信条は変わんないもんね。誰かが困ってたら、助けてあげたい。よーし、やってやる!
「ジョチさん、聞いてください! 死にたいなんて思っちゃダメだよ。自分を責めちゃダメだよ」
すとん、と背景が変わる。
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