○ルラにできること?

 煙を上げる町は、ほとんど廃墟と化している。石畳の大通りは、あちこちに流血の痕。壊れた武器が、そこここに転がってる。


 ジョチさんをあざむいて、ジョチさんに攻め滅ぼされた、スィグナクの町だ。


『皆殺しにせよ。女も子どもも病人も、皆だ。武器を持っていようがいまいが、関係ない。人も家畜も、命ある者はすべて殺せ』


 赤色を宿したジョチさんの目がアタシを見る。冷静なように見えて、本当は違う。


「泣きそうな目、してますね。苦しいんでしょ? 軍のトップなんかじゃなかったら。ジョチさんは、殺せなんて言わなかったはず」


『殺さねばならない。見逃すことはできない。蒼狼族は勝たねばならない。誇りをくじかれたままではいられない』


「頑張りましたね。自分の心を殺してまで、蒼狼族の誇りを守るために。ジョチさんは、独りで全部、抱え込んだんですね。苦しかったですね」


 正しい言葉なんてわからない。アタシはとても平和な時代に生まれて、人の命の重みを十分に知らないのかもしれない。


 戦争の責任を1人で背負う? それが一族の王子さまとしての役目? 一体どれだけの苦しみなんだろう? 想像もできない。


『オレは強くなければならない』

「うん、そうですね。話してもらえませんか? アタシにも、その荷物、少しだけ持たせてください」


 血に汚れたジョチさんの体が、するすると縮んでいく。返り血を浴びたまま、幼い姿になったジョチさんが、淡い赤色が揺らぐ目でアタシを見上げる。


『オレ、戦って殺したよ。蒼狼族の誇りをけがす敵を倒したよ。父上は、戦士としてのオレを認めてくれるよね?』

「おとうさんのこと、好きなんだね? だから頑張るんだ」


『こうやって戦い続ければいいんだよね? そしたら、いつか、父上はオレを見てくれるよね? 息子としてのオレを認めてくれるよね?』

「戦士としてじゃなくて、息子として。少しわかるよ。アタシの弟もそうなの。1人の人間としてパパに認められたくて、息子としても愛されたいと思ってる」

『息子としても、愛されたい……?』


 アタシはジョチさんに近寄った。バトルからノーマルへ、動作モードを切り替える。気に入ってるアクションがあるんだ。


 アタシは、寂しい目をした男の子をギュッとハグした。


「えらかったね。頑張ったね。でも、ときどき休憩していいよ」

『休憩……』

「頑張り続けなくていいの。たまには弱音を吐いてもいい。大丈夫だよ。アナタは誇り高い。その誇りは、ちゃんとみんなわかってる。おとうさんも、弟さんたちも、みんな」


 幼い声が涙に震えた。


『嘘だ、みんなオレのことなんて嫌いなはずだ』

「嫌いなはずないよ。みんな、アナタのことを信頼してるよ。アナタが悩み抜いて生きてること、知ってる。みんな見てるんだよ。アナタが背負ってる運命なんかじゃなくて、アナタ自身を」

『オレ自身を?』


 アタシは、ジョチさんの顔をのぞき込む。大きな目には涙が盛り上がって、赤い色の呪いが薄らぎつつある。


「アタシは蒼狼族のことをあんまり知らない。外の世界から来た、ただのお節介なよそものだけどさ、わかることもあるよ。ジョチさんは信頼されてるよ。心配もされてるよ」

『信頼……心配……でも、みんなは、オレを……』


「ジョチさんが何者かを決めつけるなんて、誰にもできないの。何者になるかを選ぶのは、ジョチさん自身だよ」


 するすると言葉を紡ぐことができるのは、アタシ自身が求めてる言葉だからだ。


 誉められたいって思う。いつでも笑顔でいようと頑張ってる。パパのために看護師になろうと決めた。いい子にしてるから、誰か誉めて。


 でも、誉めてくれなくていいとも思う。アタシがここでこうして生きてることを、ただそれだけを、誰か認めて喜んで。アタシのこと丸ごと好きって言って。


 アタシは言葉を重ねる。


「ジョチさんがどんな道を選んでも、きっと大丈夫。反対する人がいるとしても、応援してくれる人もいる、絶対にいる」

『でも、オレは忌み子で、嫌われていて……』


「そんなことない。アタシは、アタシたちは、ジョチさんのこと好きだよ」


 たぶん、それがキーワードだった。「好き」っていう、その温かい響きが魔法を解く鍵だった。


 ジョチさんの両目から涙があふれた。血みたいに赤い涙が流れ去って、透き通った色が冴え冴えとよみがえる。かすかに蒼みがかった銀色だ。


 まばたきを、1つ。


 銀色の尻尾をひるがえして振り返ったジョチさんは、大人の姿に戻っている。ジョチさんはイフリートを見上げた。


「よくもオレの心の闇に付け入ってくれたな!」


 にらまれたイフリートが情けない悲鳴をあげる。


 ジョチさんが両手を掲げた。両手の間に輝きが生まれて、それが弓矢の形になる。ジョチさんは弓に矢を番えて引き絞った。


「消え去れ、外道!」


 一閃。光の矢が飛ぶ。イフリートの両目の間に刺さる。

 ばしゅっ! と青い光が弾けた。イフリートの巨体が消滅した。


「やったー、倒した!」


 アタシは跳び上がった。ジョチさんがアタシに微笑んだ。


「ありがとう、ルラ」


 きゃぁっ! 今この瞬間、スクリーンショットっ! ピアズは声を録れないのが残念すぎる!


 シャリンさんがディスプレイに割り込んできた。


「ルラ、そこどいて!」


 アタシは押しのけられる。そうだった。今回の最大の目的、こっちだよ。シャリンさんがジョチさんに接触すること。アタシは慌てて飛びのく。


 シャリンさんがジョチさんに手を伸ばした。胸のあたりに触れた。


「ロック解除。解析スタート」


 シャリンさんがつぶやいた。


   ――ピシッ――


 シャリンさんとジョチさんが、2人が立ってる空間ごとフリーズした。音声機能は生きてるみたい。スピーカからシャリンさんの一人言が聞こえてくる。


「どこなのよ……何、これ……?」


 ジョチさんのAIのプログラムを解析してるんだと思う。どこにラフさんの魂が憑依してるのか、探してるんだ。


 ――パリッ――


 グラフィックが、かすかにひずんだ。「え?」と漏らしたアタシの声が、ニコルさんと重なった。


     ――ザッ、ザザッ――


 ノイズが交じる。見間違いや聞き間違いじゃない。


  ――ビシッ――


「ちょっ……シャリンさんっ、なんかおかしいっ!」


    ――ザリザリッ――

――バリッ、ビシッ――


「ラフっ! ああ、まただ……!」


 ――ザッ、ザッ――


 ラフさんが震えてる。今回のバトルでは1度もアクションを起こしてなかった。ただ立ってるだけの人形状態だったラフさんが今、ガタガタ、ガタガタ、激しく震えてる。


  ――バリッ、ビシッ、ザザッ――

――ザザザザッ――


 ラフさんの全身がノイズをまとってる。姿を構成するCGが粒子になって、ザラザラに荒れる。


 シャリンさんの焦った声が聞こえた。


「どうして!? ラフの魂は、AIのプログラムごと固定してるはずなのに!」


 だけど、画面はひずみ続ける。シャリンさんの声にもBGMにも雑音が重なる。


――バリッ、ビシッ、ZZZZZZZZZZZVVVVV――


 ディスプレイ全体が暗転した。白い稲光が飛び交う。


    ――shhhhhhhhhhhhhhBBBBBBRrrrrrrrrrr――


 逆転したモノクロの世界で、無表情のラフさんがガクガクと震える。


――vvvvvvv00000000000000101zzzvvvvv――


 怖い。逃げたい。コントローラを叩く。アタシの体が動かない。


  ――xxx0101010101010yyyyyZZ0000ZZZZZ――


 ニコルさんが叫んだ。


「とりあえずログアウトして! 全員、ここを離れて!」


 アタシが真っ先に逃げ出したと思う。


 ふっ、と。

 ディスプレイに平穏が戻った。ピアズのスタート画面。


「どうして、あんなことに……?」


 コントローラを握りしめてた手は汗びっしょりだった。


 ぴろ~ん♪ と、間の抜けた効果音が鳴った。ピアズを介したメッセージの受信音だ。


 あたしは、ポップアップされた便箋マークをタップした。メッセージはシャリンさんからだった。


〈みんな、無事? 読みを外してたわ。ジョチは、ラフじゃなかった。思い出してみれば当然ね。最初のボス、ジャオと戦ったとき、ジョチはいなかった〉


 あたしは急いで返信した。


〈ルラは大丈夫っぽいです! でも、ジョチさんじゃなかったって、どういうことですか?〉


 ニコルさんの返信と、ほとんど同じタイミングだった。


〈ニコルのデータも問題ない。「ジョチの帳幕ゲル」っていうフィールド名にミスリードされたんだ。実際のところ、オゴデイのほうだったわけだ〉


 え? オゴデイくん?


 少し間があった。シャリンさんが何か発言しようとしてるのがわかって、あたしは待った。すぐにシャリンさんからメッセージが届いた。


〈ジョチのAIプログラムを解析するために容量を割いていたの。そのぶん、同フィールド内のその他のデータは相対的に容量が下がって、ラフは無防備な状態になっていた〉


 一旦、メッセージが途切れる。リアクションするより早く、続きが飛んできた。


〈守りの薄くなったラフのそばにオゴデイがいた。オゴデイに憑依しているラフの魂は肉体と引き合って、プログラムを掻き乱した。あのままだったら、フィールドを破壊していた〉


 ニコルさんからの返信が来た。


〈シャリン、了解。今、チラッとログインしてきた。セーブデータも無事だったよ。イフリートを倒した状態に保存されてた。次はジョチのゲルから再スタートだ〉


 アタシは確認のメッセージを送った。


〈じゃあ、次はオゴデイくんをつかまえればいいんですね? 今回みたいに、シャリンさんが直接オゴデイくんに触れる感じで?〉

〈そうね。協力してちょうだい。解析プログラムを修復しておくわ〉


〈まあ、オゴデイが最大のキーマンというのは、史実を鑑みれば納得だ〉

〈どういう意味ですか?〉


〈たぶん、次回のストーリーで説明されるよ〉

〈何にしても、今度は絶対に失敗しないわ〉


 アタシたちは明日の待ち合わせの時刻を決めた。それから、おやすみなさいを言い合って、メッセージの画面を閉じた。

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