第六話 紅茶占い師とアリスを探して(4)

(※時代考証的に設定を変更する必要があり、アーサーの母親は使用人ではなく下級貴族の出身に変えました。それに伴い本文第五話(1)~(3)を全体的に修正しています。11/18 20:00以前にお読みいただいていた方で変更点が気になる方はご足労をおかけしますが再読頂けましたら幸いです)


 アリスの行方がわからなくなってからあっという間に数日が経った。大切な人形をなくしてしまったアーサーはすっかり意気消沈し、食事も摂らずに部屋に閉じ篭っていた。鍵はしっかり閉められて、メイドも従者も執事ですら入ることが出来なかった。

 カートライトは何度か部屋を訪れて扉をノックしたが、主人から返事はなかった。

 このような落ち込み方は未だかつてないことだった。カートライトは両親を亡くしたばかりの頃のアーサーの姿を思い出す。誰一人味方のいないアンバートン子爵家の屋敷で少年は新たな人生を学ばなければならなかった。愛する両親との別れは彼をひどく落ち込ませたに違いない。だが、そうした悲しみや苛立ちを表には一切出さず、アーサーは上流階級の人間の仲間入りを果たそうとする気概を見せた。

 この方は高貴な者の血を引いている――。

 カートライトはアーサーが偉大な資質を備えていると確信したが、確かにある意味ではそうだった。アーサーはイートンへ、そしてオックスフォードへ行き、成人して夜会服と軍服の似合う立派な青年となった。やがて、ビスク・ドールを連れ歩き腹話術を嗜む奇人の貴族として国王陛下のお気に入りとなり、ロンドン中のお目付け役や令嬢たちを魅了したのだから。

 カートライトは再び扉をノックしてアーサーに声をかけた。

「ご主人様、せめてお食事はお召し上がり頂いた方がよろしいかと」

 しかし、相変わらずあるじからの反応はない。

 もしや、彼の身に何かあったのではあるまいか――? そんな不安が脳裏をよぎり、カートライトはひやりとした焦りを感じた。人形を失った悲しみから自ら命を絶つ主人の姿を頭に思い浮かべ、鼓動が早鐘を打つように早まった。まさか、そんな馬鹿なことはいくらなんでも起こるはずがない。だが、しかし――。

 焦りに駆られて手が震える。彼が再び扉を叩こうとしたまさにその時、玄関の呼び鈴が鳴った。やって来たのはシャーロットだった。いつも暇さえあればお茶の時間に顔を出してくるアーサーの姿が見られず、心配になってエルシンガム・ハウスに足を向けたのだった。

「アート、私よ! 中にいるんでしょう?」

 シャーロットは部屋の扉を幾度か叩いたが、ベッドにうつ伏せになっていたアーサーはすっかり殻に閉じこもってしまっていたので彼女にすら返事をしなかった。

「アート! いい加減に扉を開けなさい! たかが人形をなくしたくらいで大の大人がみっともないわよ」

 シャーロットはわざと幼馴染を焚きつけるような言い方をしたのだが、アーサーはまんまと彼女の意図したとおり、「『たかが人形』なんかじゃない!」と叫んでベッドから飛び起きて、勢いよく扉を開けた。

「アリスは僕の心の拠り所だったんだ。両親の死後、アンバートンの屋敷で僕は一人ぼっちだった。だけど、アリスはずっと一緒にいてくれた。いつも僕の味方だった。君がくれたあの人形は、僕にとって何にも変えられない特別な存在だったんだよ!」

 シャーロットは何もかも承知している様子で微笑んだ。「わかってるわよ。あなたがどれだけあの子を大切に想っているか」

 彼女の優しい微笑みがアリスの面影と重なって、アーサーは胸が苦しくなった。

 僕はいつもアリスに君を重ねて見ていたんだ。君のことを思っていたんだ。君と釣り合う紳士になろうと必死だったんだ――。

 誰にも言えない内なる思いがこみ上げてきて、彼はそれを押しとどめようと自らの口を片手で覆った。彼にとって、アリスを失うということはシャーロットを失うということに等しかった。

「どこを探しても見つからない。アリスは僕の前から消えてしまった」

 そう、まるで社交界から姿を消した君のように――。

 シャーロットはアーサーの失意を長引かせまいとして、出来るだけ早く彼に事実を伝えることにした。

「アリスならここにいるわよ」

「そう、アリスはここに――って、え? なんだって?」

 そのとき、シャーロットの背後からカートライトが大切そうにビスク・ドールを抱えて現れた。「アリス!」

 アーサーはアリスを両腕で抱きしめると、だらしなく伸びてしまった髭面を彼女の顔に埋めて再会の喜びを噛み締めた。「アリス! アリス! 無事だったのか! ああアリス!」

 カートライトが神妙な面持ちで「すべては私の不徳の致すところでございます」と謝罪してきたので、アーサーは驚いて顔を上げる。

「どういうことだ、カートライト? まさか、おまえがアリスを隠していたのか?」

 責めるような言葉を遮り、シャーロットが二人の間に割って入った。

「彼を怒らないであげて。あなたのことを心配してのことだったのよ」

「心配? 一体僕の何を心配していたって言うんだい?」

「人形を抱えて社交界に出入りするあなたが、人々から陰口を叩かれるのではないかと怖れたの。彼はあなたに立派な貴族であってほしいと、ただそう願っていただけなのよ」

 そう言ってから、彼女は補足した。「ねえアート、あなたは一人ぼっちなんかじゃなかったわよ。だって彼はずっとあなたの味方だったんだもの」

 幼馴染のその言葉を受けて、アーサーの脳裏に幼い頃の日々が蘇る。祖父につらく当たられたとき、いつも何も言わずに手品を見せてくれたのは誰だった? あのときは子供ながらにおかしなやつだと思ったが、今ならわかる。あれはカートライト流の慰めであったのだ。

 立派な貴族であって欲しい――。もしかしたら、それはカートライト自身の地位のためではないだろうか? 偉大な主人に遣える執事でありたいだけなのでは? そんな思いがよぎったが、すぐに消えた。真っ赤に染まった目の前の真摯な眼差しを見れば、この男に対してそのような懐疑心など不要であるとすぐにわかった。

「本当に、申し訳ございませんでした」

「もういいよ。アリスの無事がわかったからね。だが、カートライト、おまえは僕を見くびりすぎだ。社交界でちょっとやそっと陰口を叩かれたって僕の地位は揺るぎやしないよ。だから、余計な心配は無用さ」

 おどけるようにそう告げたアーサーの言葉を、シャーロットが引き継いだ。「そうよ。奇人の貴族なんですもの、これ以上名声が落ちることなんてないわ」

 小憎たらしい物言いを嗜めようとアーサーがシャーロットに視線を向けると、彼女はアリスにそっくりの可愛らしい顔を向けてにっこりと微笑んだ。

 たとえ社交界から消えてしまったとしても、ロティはここにいる。今、僕の目の前に――。

 アーサーはアリスをぎゅっと抱きしめ、いつものように一段高い声を出して一人二役を演じる。

「また会えて嬉しいわ、エルシンガム伯爵」

「僕もだよ、アリス」

「それにしても、私を隠していた犯人はヘイゼルだと思っていたのに、まさかカートライトだったなんて驚いたわね」

 その会話を聞いて、カートライトがお言葉ですが、と口を挟んだ。

「ヘイゼル様は、そのようなことをなさる方ではございません。あの方は心根の優しいお嬢様なのです。いつもあなた様のことを気にかけておられるのですよ」

「ヘイゼルが? まさか」

「ロンドンにお越しになられたのも、お子様方に観光をさせたいというのは口実であなた様のご様子を見にいらしたのです」

 階段の踊り場でこれまでの一部始終を聞いていたヘイゼルは、執事の思いがけない擁護に不意を突かれ、おまけに自分の行動を見透かされていることに頬を赤くした。

 義理の弟に対する嫉妬はいつだって彼女の胸に渦巻いていて、激しい気性からそうした態度をあからさまにぶつけてしまうこともあったが、カートライトの言うとおり、実は彼女は心根の優しい人だった。今も弟のことを心配して、様子を見に部屋から降りて来たところだったのだ。

 アーサーの知らぬところで、彼の味方はもう一人存在していたのである。

 ヘイゼルは慌てふためいてドレスの裾を翻すと、誰にも気がつかれないようにそそくさとその場から立ち去った。

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