第三話 紅茶占い師とメイドの秘密(1)
ご婦人方のお茶会で紅茶占いをしてから下宿先に戻って来たシャーロットは、居間の肘掛け椅子ですっかり寛いでいるアーサーを目にしてがくりと肩を落とした。
「女性の部屋に勝手に入るとは、一体どういうご了見ですのエルシンガム伯爵?」
よそゆきの
「勝手に入ってなどいませんよ、ミス・フォーチュン。エニオン夫人が快く招き入れてくれたのです。まあ、僕は君のパトロンなのだから当然のことでしょう」
シャーロットは羽飾りのついた大きな帽子を隣りの寝室に向かって投げ、幼馴染を軽く睨みつけながら手袋を外した。
「その件に関してだけど――アート、私はあなたの庇護を受けたつもりは一切ありません。先日のように依頼人の前で自称パトロンを名乗られては不愉快だわ」
すると、アーサーはさも驚いた素振りで隣りに座らせていた人形のアリスに話しかけた。
「今の言葉を聞いたかい、アリス? 伯爵様がパトロンになってやるって言ってるのに、ロティったら断るそうだよ。守銭奴のくせにこんなにおいしい話に食いついてこないなんて、意地でも張っているのかな?」
「誰が守銭奴ですって?」
シャーロットはアーサーをますます強く睨みつけたが、そのとき、ふと彼の頭上を飛び越えた先にある暖炉棚が視界に入り目を疑った。そこにはいつの間にやら見覚えの無いシルバーの写真立てが飾られていて、正装したアーサーがアリスと共にビシリとポーズを決めた写真が収まっていた。
「これは一体何なのよ?」
「見てのとおり、僕の肖像写真だよ。先日オックスフォード・ストリートの写真館で撮ってきた最新のお気に入りで――ああ、待ちたまえ! なぜ床に投げつけようとしているんだい!?」
「どうして私があなたの写真を飾らなければならないのよ?」
「防犯のためさ。こうして男の影があることをアピールしておけば、浮かれた男性客に言い寄られる機会も減るだろう?」
「依頼人は占いが目的で来るのよ?」
「そうじゃないやつもいたじゃないか。君のように若くて、それなりに可愛い女性が給仕もつけずに部屋にひとりでいるとわかったら、男は一体何をしでかすことか――」
「『それなりに』って言葉は余計よ。でもまあ、確かに客の取次ぎをしてくれる人間は必要ね。これからすぐにでも求人を出して、新たに雇った給仕に今後あなたをこの部屋に入れないよう充分言い聞かせることにするわ」
「それはあんまりじゃないか、ロティ!」
「さあアリス、お茶の時間はおしまいよ。さっさとご主人様とイートン・スクエアにお帰んなさい」
シャーロットが勝手にアリスを部屋から連れ出そうとしたものだから、アーサーはそれをやめさせようとして幼馴染の手首をぐいと引っ張った――が、勢いあまって力を出しすぎたのか、彼女は驚くほど簡単にアーサーの胸に顔を埋めるように倒れてしまった。
「何するのよ!」
ドレスの長い裾が纏わりついてうまく体制を立て直せずに、シャーロットはアーサーの胸にしがみついた。彼がもう片方の腕を彼女の体にまわして支えてやっていたので、二人はまるで抱き合っているかのように見える。
幼い頃にはよく二人で手を繋いだり、抱き合ったりしたものだったが、大人になってからこんなに近い距離で触れ合うのは社交界にデヴューしたとき以来のことだった。あのとき、シャーロットは初めてアーサーとダンスをしたのだ。しかし、今のこの状況はあのときの近さとは全く別なように感じられて、シャーロットはひどく奇妙な気持ちにとらわれた。
昔は小さくて弱々しい少年だったのに、いつの間にこんなに力が強くなったのだろう? 背丈だって、今は見上げるほどに差がついてしまっている……。
そのとき、下宿人のために紅茶を運んできたエニオン夫人が、開きっぱなしになっていたドアの向こうから自分たちを見ていることに気がついて、二人は大慌てで互いに距離を置いた。
「お邪魔してしまってごめんなさいね、ミス・フォーチュン」
やましいことなどなにひとつしていないはずなのに、シャーロットは自分がはしたない女だと誤解されたような気がして火のように顔を赤くした。
「邪魔だなんて、そんなことありませんわエニオン夫人。エルシンガム卿はたった今お帰りになられるところでしたの」
勝手に帰らされることになってしまったアーサーは、反論しようと口を開きかけたが、それよりもわずかに早くシャーロットの言葉の続きに遮られた。
「エルシンガム伯爵、あなたとは絶交です! もうこちらへは金輪際足を運ばないでください」
恥ずかしさと憤りによって、うっかり『絶交』だなんて子供じみた言葉を口に出してしまってから、後に引けなくなってしまったシャーロットは、彼女の少女時代を髣髴とさせるような仕草でそのままツンと顔をそらした。
アーサーはひどくショックを受けたが、皮肉な冷笑以外は貴族らしい上っ面ばかりの対面の良さが身についていたので、エニオン夫人から見れば特に何事もないまま階段を下りていったように見えたに違いない。それでも、夫人は思慮深い人だったから、二階の窓からアーサーの乗った馬車が走り去ってゆくのを見届けながら、彼の心境を思い気の毒そうに呟いた。
「本当にエルシンガム卿と絶交なさるの? 礼儀正しいし、とても良い方なのに」
「いいんです。今後伯爵はこちらに立ち入り禁止の扱いでお願いしますわ。それと、毎回夫人のお手をわずらわせるのも申し訳ないので、依頼人の取次ぎやお茶出しをしてくれる給仕を雇おうかと思うのですが」
「あら、それは奇遇だわ。実は私もちょうど新たにメイドを雇いたいと考えていたんですよ。通いのメイドだけでは手が足りないから求人広告を出そうと思っていたところなの。屋根裏部屋が空いているし、以前のように住み込みの雑役メイドを雇って、彼女に紅茶占い師の給仕の役割も引き受けてもらうというのはどうかしら」
「まあ、それは名案ですわ。では、さっそく職業斡旋所へ足を運ぶことにしましょう」
女二人が意気投合してはしゃいでいる様子を、ご主人様に忘れられたアリスが椅子の上から眺めているのだった。
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