第二話 紅茶占い師とピクニック(4)

 マナーハウスの内部は埃っぽく薄暗かった。すべての家具には白い布がかけられ、まるで幽霊が部屋中に集っているかのように見える。

「古びた屋敷の割に貴重な物もたいしてないし、あまり面白くもないでしょう?」

 フィリップは鷹揚な笑みを浮かべると、「ご覧になってわかるようにこちらは図書室兼書斎です。仕事が出来るようにこの部屋だけは使えるようにしてあります」とシャーロットに話しかけたが、彼女は上の空でマホガニーの書き物机に目を留めていた。

「エルシンガム伯爵のことを考えているのですか?」

 唐突にそう問われ、シャーロットは少しばかり動揺した。

「伯爵のことなんてこれっぽっちも考えていませんわ。鬱陶しいくらい過保護な人がいなくなって清々してますわよ」

「本当かな? あなたのご様子はどことなく沈んでいらっしゃる」

「そんなことありませんわ」

「私はやっとあなたと二人きりになれて嬉しいのです、ミス・フォーチュン」

 フィリップはシャーロットの顔に手を添えてキスをしようとした。驚いたシャーロットはその手から逃れるようにして書架の方に移動した。

「ナイトリーさん、いけませんわ。結婚前の男女がそのような……」

「ヴィクトリア時代の道徳観念はもう古いですよ、ミス・フォーチュン。結婚前の男女だなんて、まるで生娘のような言い草だ。本当は占い師だなんて建前で、やって来た依頼人に体を売って金を稼いでいるんでしょう?」

「なんですって?」

「よく知らない男にのこのこついてくるなんてあばずれのすることですよ。伯爵様の言うことを聞いて私のような男にはもう少し危機感を持つべきだったんだ。いや、人形相手に会話するあんな奇妙な男が伯爵のはずもないか。さしあたりジプシー仲間の道化師というところかな」

「言葉をお慎みください、ナイトリーさん」

「その上品ぶった口調はもうやめろ。占い師を気取った娼婦のくせに」

「今すぐ改心して非礼なふるまいを詫びてください。そうしたら、警察に通報することはしませんから」

「は! 笑わせてくれるな。たかが娼婦の戯言を警察が真に受けるとでも思ってるのか?」

 本性をあらわにした野獣のような男から書架を背面に迫られて、シャーロットはここで初めて貞操の危機を感じた。

「こんな不品行なことが許されると思っているの?」

 フィリップはシャーロットの両手首を掴み上げて、ドレスの裾を捲り上げる。

「いや、離して! アート! アート! そこにいるんでしょう? 早く私を助けてちょうだい!」

 すると、その声に反応してアーサーの蹴り飛ばした扉が大きな音を立てて開いた。

「エルシンガム伯爵? ロンドンにお帰りにならなかったのですか?」

 フィリップは即座にシャーロットと距離を置いて何事もなかったような振りをしたが手遅れだった。おまけに、アーサーの後ろには管理人夫妻と共に村の巡査が控えていて、彼らもすべてを見聞きしていた。

 フィリップは強姦未遂で逮捕され、シャーロットは自身の安全にほっと胸を撫で下ろした。

「ああ驚いた。あなたを呼ぶのがもう少し遅かったら何をされていたか」

「それはこっちのセリフだよ。君がいつまで経っても僕のことを呼ばないから寿命が縮む思いだったよ。ねえ、ロティ。こんな危険なことをして、僕がどんな気持ちでいたかわかるかい?」

「心配かけて悪かったわ。でも、あなたが協力してくれたおかげでミス・クラウチは自由の身よ」

 そう言いながら、シャーロットはマホガニーの書き物机の引き出しから写真の束を取り出した。

「ミス・クラウチというのは、ナイトリーに裸の写真を撮られて脅迫されていたという例の依頼人だね?」

「ええそうよ。かわいそうに、真っ青な顔で将来のことを占って欲しいとやって来たので話を聞けば、ブルジョワ紳士に騙されて写真をネタに体の関係を強要されているというんだもの。警察に相談することをすすめたけど、結婚式が迫っているミス・クラウチは大ごとにはしたくないというし、かといって、写真の在りかだってわかっているのに黙って見過ごすわけにいかなかったわ」

「だからって、君がひとりでこんな危険なことに首をつっこむのは関心しないな」

「あら、ひとりじゃなかったでしょう? ちゃんと前もってあなたに相談したのだから。ナイトリーさんの本性を暴いて警察沙汰にしたうえで、ミス・クラウチのために密やかに写真を確保する。シナリオ通りよ」

「それはそうだけど、まさかこんな危険な展開になるとは思っていなかった。君だってそうだろう? これじゃあまるでシャーロック・ホームズの世界だ。心臓がいくつあってももたないよ」

 二人は話しながら窓辺から巡査に連行されてゆくフィリップの姿を眺めていた。やがて、アーサーはシャーロットの横顔を盗み見ながら考える。この世間知らずで無鉄砲な可愛い紅茶占い師の幼馴染を、これからも見守っていかねばなるまいと――。

 そんなアーサーの心境など気づきもせず、シャーロットはあっけらかんとした笑顔を向けた。

「でも、殺人事件は起きなかったわね。ホームズの物語で殺人事件が起きないケースってあったかしら」

「さあね。今度作者のコナン・ドイルに聞いておくよ」

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