第二話 紅茶占い師とピクニック(3)

 青紫色だけにとどまらず、白や淡いピンクのブルーベルが群生している場所で三人はピクニックをすることにした。ロンドンの喧騒から離れ、こうして豊かな自然の美しさに身を委ねるのはシャーロットにとってもアーサーにとっても随分久しぶりのことだった。

 子供の頃にはよく二人でヨークシャーの屋敷の敷地内で仲良くピクニックをしたものだ――そんな過去の思い出にアーサーが浸っていると、肉とゼリーがぎっしりと詰まったポークパイが目の前を横切った。

 パイの乗った皿を手渡されたシャーロットは、肉の重みであわや皿を落としそうになったが、彼女の手を支えるようにしてフィリップの男らしい手が重ねられた。

「大丈夫ですか? おや、冷たい手をされていますね。風が少しお寒いようだ」

 手の甲を握りしめられたまま親指でさすられて、さわさわとした感覚がシャーロットの体を駆け巡る。驚きから顔を赤らめて彼女が握られた手を引き抜くと、フィリップは「これは失礼」と(実際には故意であったが)そういうつもりではなかったと言わんばかりの態度で詫びた。

 アーサーは炭酸の林檎酒を飲みながら相変わらず無表情でその様子を眺めていたが、彼の膝の上に座っていたアリスはひどく憤っていた。

「思わせぶりな紳士ねえ。こういう男は危ないから気をつけなさい、ミス・フォーチュン! まったく不品行甚だしい。女王陛下がご存命であったらお嘆きあそばされたに違いないわ」

「ナイトリーさんは親切にしてくださっただけじゃない。失礼よ、エルシンガム伯爵」

「僕は何も言っちゃいないよ。アリスが勝手に怒っているだけで――」

「おだまんなさい。次に余計なことを言ったら、本当に帰ってもらうわよ?」

 アーサーはサンドイッチに挟まれた胡瓜を取り出してフィリップの顔に投げつけたい心境だったが、幼馴染の苛立ちに触れ、仕方なくおとなしくすることにした。

 昼食後、マナーハウスを管理しているという例の農家の奥方が、紅茶占いのために紅茶の入ったティーポットを運んできてくれた。

「では、占いを始めましょう。占いたい内容を心に思い浮かべながら紅茶を飲んでください」

 女占い師から湯気の立つティーカップを渡されて、フィリップは面食らったような顔をした。

「私を占うんですか? いや、私は結構ですよ。運命は自分で切り開くものだと思っていましてね、占いなんかに人生を左右されるなんて真っ平ごめんだ」

「紅茶占いに興味がおありだと仰っていたじゃありませんか」

 シャーロットにそう言われ、フィリップは一瞬しまったという表情を浮かべたが、次の瞬間には消えていた。「いえ、いえ、興味がないわけじゃないんです。決してそういうわけでは。そうだ、あなた自身を占ってみてください。私はその様子を拝見するだけで充分ですから」

 取り繕う紳士の姿を横目で観察していたアーサーは、相手の本性がうっかり表に出たことに苦笑した。

 シャーロットは紅茶を飲み終えると、占いの一連の動作をしてカップの中を覗き込み、彼女自身を占った。

「砂時計、それから、ピストルが見えるわ……すぐ間近に危険のサインが表れている。これは、目のようにも見えるわね。誠実な友が私のことを見守っている。そして好ましくない人物が近づいてきて私をトラブルに巻き込もうとしている……?」

 シャーロットはアーサーと一緒になって思わずフィリップの顔を見やる。それに気づいたフィリップは心外だと言わんばかりに顔を顰めた。

「もしかしなくとも、私はその好ましくない人物として疑われているんですか? 何も起こっていないのに悪者にするのはよしてくださいよ」

「あら、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……ええと、ほかにも茶葉の描いたメッセージがありますわ。射抜かれたハートのサイン……本物のロマンス」

「なるほど、危険を乗り越えた先にロマンスが待っているということですね。そのお相手が私であればよいのだが」

 フィリップが甘い笑みを浮かべてシャーロットを見つめると、アーサーが彼らの間に割り込んでアリスの声で騒ぎ出した。

「ミス・フォーチュン、こんなありきたりで軽薄な言葉に騙されてはだめよ! この手の輩はみんなに同じことを言うんですからね。ああ、不埒だわ! なんて破廉恥なのかしら!」

「アート!」

 アーサーの度重なる無礼な言動に、とうとうシャーロットはその場に立ち上がって幼い頃と同じような命令口調でこう言った。「あなたはアリスと一緒に先にロンドンにお帰んなさい」

 しかし、アーサーはアリスを盾にして食い下がる。「まあ、ひどいわミス・フォーチュン! エルシンガム伯爵はあなたのことを心配しているのに!」

「行きましょう、ナイトリーさん。こんな失礼な人は放っておいてお屋敷を案内してくださらない?」

「もちろんですとも。では、さようならエルシンガム伯爵。管理人であるミセス・プルハムの旦那さんがあなたを最寄りの駅まで送ってくれるでしょう。汽車でロンドンまでお帰りください。プルハムさんのファームハウスはこの森を抜けた先にありますよ」

 こうして、アーサーはアリスを抱きかかえたままその場に立ち尽くし、シャーロットとフィリップがマナーハウスの方角へ姿を消すのを言葉もなく見守るのだった。

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