第一話 紅茶占い師と午後のお茶を(2)

 そのとき、ノックされたドアから玉葱のような形に白髪を結った初老の婦人が姿を現し、シャーロットに来客の旨を告げた。

「ミス・フォーチュン、シニントン男爵がお見えになりましたよ」

「では、こちらへいらっしゃるようにお伝え下さい」

 白いエプロンを翻して階段を下りてゆく小柄な婦人に向かって、シャーロットは思い出したように言葉を継いだ。「エニオン夫人、客人に紅茶の用意をしていただけますか? 占い用ですので内側に模様のない白いカップでお願いします」

「心得ておりますわ」

 エニオン夫人はシャーロットの下宿先の女主人だ。彼女にとってシャーロットは一風変わったミステリアスな下宿人だが、家賃はきちんと前払いで支払われたし、部屋もきれいに使ってくれるので、喜んでこの若い娘の世話をした。

 夫人が階段を下りていくと、間もなくして二階にやって来たジョージ・シニントン卿は、挨拶もそこそこに驚いた様子で言った。

「失礼ながら、お年を召した老婆の占い師を想像していたものですから、まさかこのように若く美しいご婦人に占っていただけるとは思ってもいませんでしたよ」

 シニントン卿のお世辞にシャーロットは気を良くしたが、アーサーは面白くなさそうな顔をしてアリスを椅子から抱き上げた。そこで第三者の存在に初めて気がついたシニントン卿は、戸惑いの表情を浮かべてアーサーを見た。

「もしや、エルシンガム伯爵ではありませんか? このような場所でお目にかかるとは、これまた予想外の出来事ですな」

「ほお、僕のことを知っておられるのですか。巷ではすでに物書きとしての名声が轟いているようですね」

 アーサーは自分が新聞に寄稿した幾編かの作品に、シニントン卿が目を通したものと思い喜びの色を浮かべたが、それは大いなる誤解であり、シャーロットによってやんわりと否定された。

「いつも人形を連れ歩いている変わり者を知らぬ者などいませんわよ。それはそうと、ご安心くださいシニントン卿、伯爵は今ちょうどお帰りになられるところでして――」

 不機嫌になったアーサーはシャーロットの話を遮ると、シニントン卿に向かってアリスを動かしながら、さも人形が喋っている風を装い一段高い声で言った。「エルシンガム伯爵はミス・フォーチュンのパトロンですから、ご同席しても構いませんわね? さあ、ご用件を伺いましょう。本日はどのような占いをご希望ですの?」

 シャーロットは雪のように白い肌を少しばかり上気させ、壁際までアーサーを引っ張ってくると押し殺したような声で詰め寄った。

「あなた一体なんのつもりよ?」

「君にあやまちが起こらないように見張ってやると言ったじゃないか」

「いいからさっさと帰りなさいよ」

 ちょうどそのとき、エニオン夫人がティーセットの用意された盆を運んできた。

 アーサーは端正な顔を窓辺の方に向けたまま、人形を動かしながらアリスの声色で再び飄々と語り始める。「ミス・フォーチュン、お客様の紅茶が入ったようよ。冷めないうちに占いを始めた方がいいんじゃない?」

 シャーロットは忌々しげな様子で夫人から盆を受け取り、気を取り直して依頼人に椅子を勧めた。

「ではシニントン卿、お話を伺いますわ。本日はどのようなことを占ってしんぜましょう?」

 エニオン夫人がその場から立ち去ったのを見届けると、シニントン卿は手から外したキッドの手袋を堅く握り締め、ひどく深刻な顔つきになった。

「実は……」

 言葉の後にしばらく間が空いたので、辺りに重い沈黙が訪れた。

「実は、髪の行く末について占ってほしいのです」

「神ですか?」

「髪です」

 シニントン卿がシルクハットを取ってわずかばかり残っている頭髪を披露すると、アーサーは卿の肩に手を添えて共に扉まで歩いて行き、「どうぞお引き取り下さい」と追い払って戸を閉めた。

 シニントン卿は扉の向こう側から必死な声で二人に訴えかける。

「これは大英帝国を揺るがす一大事なのですよ!?」

「貴殿の若干薄い頭髪の行く末の何が一大事なのですか」

「口をお慎みなさい! 間違っても私をハゲだのツルピカだのと呼んだりしてはなりません!」

「あんたが言ってるんじゃないか!」

 扉をこじ開けようとするシニントン卿と、決して開けまいとするアーサーのあいだに入って、シャーロットは女神のような慈愛の表情で戸を開いた。

「ご安心下さいシニントン卿、占いはもちろんお引き受けしますわ。ご依頼の動機は人それぞれでございますからね。しかし、私からしてみますと、年の頃もまだ四十代半ばのご様子、そのような髪型の方は多くおられますし、お気に病むほどではないと思われますけれど」

「私はまだ二十代です」

 シャーロットは自らの失言を無かったことにして、「では、占いを始めましょう」とそそくさと盆をテーブルの上に置いた。

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