第四話 紅茶占い師と聖なるオリゾンタル(2)
シャーロットとアーサーは、カドガン・ガーデンズにある瀟洒なタウンハウスの応接間で女主人が現れるのを待っていた。白い大理石の暖炉に指を滑らせながら、シャーロットは室内の豪華絢爛さに溜息をつく。
「フルール・ド・ピヴォワンヌは随分お金持ちなのね。あなたの話だと熟年の独り身なんでしょう? 未だに貢いでくれる愛人でもいるのかしら」
「外国の貴族やどこだかの地主と結婚していた時期もあったようだから、そのときに財産を手にしたようだよ。でも、それとは別に彼女は若い頃に投資した株のおかげで一生遊んで暮らせる貯蓄があるらしい」
「そんなことまでよく知ってるわね」
「本人から直接聞いたのさ」
二人が知り合いであることにシャーロットがあからさまに驚いた顔をしたので、アーサーは人形のアリスを動かして一段高い声色で言う。
「誤解しないで、ミス・フォーチュン。エルシンガム伯爵はご婦人と火遊びなどしない真面目な紳士ですからね。やきもちなんて妬く必要なくってよ」
「別にやきもちなんて妬いてないし、あなたが誰と関係してようが私の知ったことじゃないわ」
「まあ、可愛くない言い草ね」
そのとき、執事が小間使いを伴って二人の前に姿を現した。女主人は体調が優れないので直接寝室に来て欲しいとのことだった。シャーロットとアーサーが承諾すると、小間使いが彼らを寝室まで案内した。
豪華絢爛なベッドに横たわっていたのは妙齢の婦人で、シャーロットは彼女を一目見た瞬間に不思議と好感を抱いた。
「ようこそお越し下さいましたフォーチュンさん。エルシンガム伯爵もいらしてくださって光栄ですわ。このような姿でお迎えすることをお許し下さいね」
ベッドから上半身を起こしたフルール・ド・ピヴォワンヌは、二人が自分の元を訪れてくれたことに対して感謝を述べ、それからひどく咳き込んだ。気管支炎を患って療養しているということだったが、その衰弱ぶりから容態が芳しくないことはシャーロットもアーサーもすぐにわかった。
「今はこんなにみすぼらしい有様ですけど、かつては一世を風靡した輝かしい時代もありましたのよ。でも、よる年波には適いませんわね。最近はどこへ顔を出しても壁の花ですもの。エルシンガム伯爵とはどちらのパーティーでお会いしたんだったかしら――年寄りの相手をしてくださって、本当にお優しい方ですわ」
「いえ、助かっていたのは僕の方ですよ。踊りは苦手だし、退屈な時間に投資のことなど色々と貴重なお話を伺えて幸運でした」
シャーロットはベッドヘッドの上に飾られている十字架に目を留め、次いでサイドテーブルに置かれている聖書の存在に気がついた。元々信仰に篤いのか、それとも病身ゆえに信仰にすがるようになったのか――。
「このような類の女でも、神を信じますのよ」
頭の中で考えていたことを相手に見抜かれてしまい、シャーロットは驚いて頬を染めた。フルールは別段皮肉めいたわけではなく、親しげに言葉を続けた。
「あたしは特に信心深い性質なんです。きっと母親がそうだったからね」
「お母様が?」
「ええ。あたしは片田舎の海辺の町で、狂信的な母親に女手ひとつで育てられたんです。母は保守的でとても厳格な人でした。唯一の身内だった母を亡くしてすぐに憧れていたパリに飛び出したのも、きっと抑圧されて育った反動ね」
「パリに憧れていたんですか? ロンドンではなく?」
「フランスへ行き来する船がいつも家から見えていたから、きっとその影響ね。でも、パリへは行くべきじゃなかったわ。それで人生が狂ってしまったんだもの。外国人の田舎娘は愚かにも都会の斡旋業者に簡単に騙されて、娼館で働くことになってしまったのよ。そこから逃れるために男の人を利用したり、汚いこともたくさんしたわ。生きるためには仕方ないって思ってね。でも、人間って一度堕落してしまうとなかなか元には戻れないもので……いいえ、単にあたしが弱い人間なだけだわね。楽な生き方を身につけてしまったら、すっかり抜け出せなくなってしまったの。神はこんなあたしをお赦しになってくださらないかもしれないわね」
高級娼婦として名を馳せていた頃は、きっとそれなりの美貌の持ち主だったに違いない。年を重ねて色褪せてしまっても、年齢とは無縁に備わっている魅力的な愛嬌がある。年の頃は、もしママが生きていたら同じくらいかもしれない――。
シャーロットは早くに他界した自身の母親の面影を心の中で思い出した。フルールの目尻に刻まれているチャーミングな皺や、信心深い女性の部屋の独特な雰囲気が過去の記憶を蘇らせる。
『まあ、すごいわシャーロット。紅茶占いが出来るようになったのね?』
母親の真似事をして紅茶占いを披露するたびに、彼女が喜んでくれたことが嬉しくて、幼いシャーロットは夢中になって占いを勉強した。
そう。シャーロット・フォーチュンが紅茶占い師になったきっかけは、彼女の母親だったのだ。
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