第六話 紅茶占い師とアリスを探して(2)
執事がブラインドを上げた物音に目を覚ましたアーサーは、懐かしい夢を見ていた余韻にしばらく浸っていたが、やがて身を起こすと、こめかみの辺りにひどい痛みを感じて顔を顰めた。すぐに昨晩アルコールを飲みすぎたせいだと気がつき、自身の失態に溜息をつく。随分眠ったように感じるが、窓の外にはどんよりとした灰色の雲が立ち込めていて時刻がさっぱりわからなかった。
「お休みのところ申し訳ございません、マイ・ロード。そろそろお伝えせねばならないと思いましたので」
昨晩部屋を尋ねてきたときから、執事のカートライトは何か用があるようだったことをアーサーはうっすらと思い出す。
「メレディン伯爵夫人がお子様方を連れて、スコットランドからご到着なさいました」
その言葉にアーサーは一気に憂鬱になった。同時にメレディン伯爵夫人――年の離れた義理姉のヘイゼルのことだ――から先日手紙を受け取っていたことを思い出した。子供たちにロンドンを見せたいので数日滞在するとのことだった。
「
「わたくしにはわかりかねますが、ロンドン観光であれば一週間ほどあれば充分かと」
一週間もあの高慢で高飛車な義理姉と同じ屋根の下で過ごさなければならないのかと思うと、アーサーはひどく気持ちが沈んだ。
「僕はあの人が苦手だ」
「存じております」
口ではそう返したものの、主人の率直な言葉に同情の余地を見せることなく、執事は事務的な様子で窓を開けた。
執事のカートライトはアンバートン子爵家で元はフットマンをしていた男だった。使用人たちがアーサーの両親に関して噂話に花を咲かせる中、この男は皆の輪には入らず、アーサーに蔑みの目を向けることも、おべっかを使うこともなかった。いつも自分の仕事に真摯に向き合う彼のプロフェッショナルな姿勢は成長したアーサーの記憶に留まり続け、ロンドンのタウンハウスで執事をするよう頼んで今に至る。
あの頃はまさか自分がロンドンで社交期を過ごせるようになるだなんて想像もしえなかった――。つい先程まで見ていた夢の断片を思い返しながら、アーサーは昔の出来事に思いを馳せた。
両親が他界した数年後に祖父のアンバートン子爵もこの世を去り、アーサーはスチュワート家の跡継ぎとして新たなアンバートン子爵となったのだ。やがて、後見人のエルシンガム伯爵も亡くなって、ただひとりの男子の身内であったアーサーが伯爵の爵位と財産のすべてを相続して今に至る。
稀に見る品格と機知と美しさ、そして莫大な財産と地位を手にした若き貴族に対して、閉ざされていた社交界の扉は開かれた。両親の醜聞は一時の流行のように忘れられ、彼は上流社会の一員として受け入れられたのだ。
水兵服を着ていた子供時代からずっと、アーサーはシャーロットと釣り合えるような立派な紳士になることが夢だった。だが、彼がたどり着いた先に幼馴染はいなかった。彼女はアーサーと入れ代わるようにして社交界から姿を消したのである。
過去の思い出に捉われていたアーサーは小さな溜息をつくと、一晩眠りこけてしまったソファから物憂げに立ち上がった。そこで、はたと気がついた。
いつもそばにいるはずの人形のアリスが、部屋のどこにもいないということに――。
落雷が差し迫る暗灰色の空の下、エルシンガム伯爵家の馬車に迎えられてベルグレイヴィアにやって来たシャーロットを、黒い燕尾服に身を包んだ執事のカートライトが出迎えた。
案内された応接室のソファにシャーロットが腰を下ろすや否や、すぐさま姿を現したアーサーは開口一番こう言った。
「お願いだよロティ! 今すぐ君の紅茶占いでアリスの行方を占ってくれないか?」
普段は冷静なアーサーだが、可愛いアリスの所在がわからず、めずらしく取り乱している。
「使用人たちには尋ねてみたの?」
「もちろんだよ。昨夜は確かにアリスを抱いて眠りに落ちたんだ。でも、カートライトが起こしにきたときにはいなくなっていた」
「昨晩最後にあなたの部屋を訪れたのは誰?」
「カートライトとフットマンのクラウチだ。でも、寝室に鍵はかけていないから、入ろうと思えば誰でも入れる。例えば、甥っ子のヘイミッシュと姪っ子のメアリーが忍び込んだりすることだって可能だよ」
「例の双子の? ということは、あなたの義理のお姉様がいらしてるの?」
「実はそうなんだ。まだ顔を合わせていないけど」
そのとき、腰掛けていたソファの後ろに隠れていた子供たちが、向かい合わせで座っていた二人の両側から「わ!」っと大きな声を出して現れた。突然の悪戯に驚いた様子も見せず、アーサーは逃げようとする二人の首根っこを即座に捕まえた。
「二人とも、久しぶりに会ったのに挨拶もないのかい?」
すると、男の子と女の子の双子は瓜二つな笑顔を浮かべ、「お久しぶりです、叔父様」と言って慎ましやかに一礼した。
アーサーは二人をシャーロットに引き合わせた。「ロティ、君に子供たちを紹介しよう。こっちが甥のヘイミッシュ。そして姪のメアリーだ」
無邪気な双子は揃ってはしゃいだ声を上げる。「あなたが幼馴染のシャーロットさん? 紅茶占い師の?」
「そうよ。よく知ってるわね」
「お母様が教えてくれたんだ。前は貴族の令嬢だったけど今は平民だって」
子供たちの失礼な言い草に、アーサーは二人を叱りつけようと口を開きかけたが、それよりも早く笑顔でシャーロットが言った。「これから紅茶占いをするけれど、二人とも興味はあるかしら?」
子供たちの顔が好奇心いっぱいに輝いた。そのとき、ちょうどカートライトがティーセットの乗ったトレーを運んできた。
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