第六話 紅茶占い師とアリスを探して(1)
幼い頃のシャーロットとアーサーは、ヨークシャーにあるエルシンガム伯爵家のカントリーハウスで姉弟のように遊んだものだ。大好きな幼馴染と過ごした黄金に輝く子供時代の思い出は、成長して大人になったアーサーにとって永遠に忘れることの出来ない大切な宝物となった。特にお気に入りなのはナーサリー・ルームで催されるシャーロットのお茶会だ。
子供用とはいえ精巧な造りのボーン・チャイナのティーセットを丁重に扱いながら、幼いシャーロットは気取った様子でいつもアーサーにこう言うのだ。「アート、お茶のおかわりはいかが?」
幼いアーサーは真剣にお茶会に招かれた紳士の役を演じ、シャーロットがスコーンの乗っている皿に手を沿えて今度は一番のお気に入りである人形のアリスに向かって「スコーンをもうひとついかが、アリス?」と尋ねれば、彼は隣りに座らせていたアリスの両手を動かしながら、まるで人形が喋っているようなかわいい声を出してこう答える。「ありがたくいただきますわ」
アリスの役はいつからかアーサーが務めるようになり、いつもこうして一人二役を器用に演じ分けるのだった。
やがて、シャーロットはお茶の時間に母親がする紅茶占いの真似事をするようになった。最初は見よう見真似でやっていたが、占いの結果が当たるので使用人たちの間でも評判になった。
「アート、今日は何を占ってあげましょうか?」
「明日のお天気について」
「また天気? 昨日も今日の天気を占ったじゃないの。おとといは昨日の天気を占ったわ」
「でも、天気は毎日違うからねえ」
「お天気占いにはもう飽き飽きよ。なにか他に占って欲しいことはないの?」
「そうだなあ」
アーサーは少し考えてから言う。「じゃあ、僕の未来について占ってよ」
シャーロットは母親の真似をして、「いいわよ」と大人びた仕草で上品にカップの中を覗き込む。
「お別れのサインが見えるわ。あなたは近いうちに、大切な人と離れ離れになるわよ」
アーサーは内心少し動揺したが、子供じみた反応を見せまいと冷静さを装った。
「もっとなにか良いことを言ってよ」
「そうねえ。あなたはお金に恵まれるわね。将来、ものすごい大金持ちになるわよ」
「本当に?」
「本当よ。私の紅茶占い、『当たる』ってみんな言ってるもの」
将来、もし自分が大金持ちになったら、シャーロットはお嫁さんになってくれるだろうか――?
アーサーはいつの頃からかシャーロットと結婚したいという気持ちを胸に秘めていたが、賢い彼はこの頃にはすでに自分の立場を理解していたので決して口には出さなかった。
上級貴族の令嬢であるシャーロットに、下級貴族である自分の家柄が釣り合わないことも、両親が身分違いの結婚をしたことも知っていた。貴賎結婚によって両親は家族から見放され社交界からも閉め出されて、今は亡き親戚のエルシンガム伯爵――シャーロットの父親だ――だけが彼らを気の毒に思い、親身に支えてくれていた。
両親や自身の存在が使用人たちの蔑みの対象になっていることを幼いながらに感じていたアーサーは、次第に幼少期の子供らしさを失い、大人のアーサーに似てあまり笑わなくなった。
それでも、いつも心の中で思っていた。シャーロットとつりあえるような、立派な紳士になりたい――と。それが幼い頃のアーサーの夢だった。
「ねえ、ロティ……ロティは将来、その……将来、僕の……」
「私は将来、自立した立派なレディになるのよ」
幼馴染の突飛な言葉に、消え入りそうなほどに小さいアーサーの声がかき消された。
「自立した立派なレディ?」
「そう」
「自立の意味がなんだかわかって言ってるの?」
「よくわからないけど、あなたのお母様が仰ってたわ。いずれ時代が変わるときが来るのですって」
「君は貴族の令嬢なんだから、自立なんか出来っこないよ」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃないの!」
こんな幼い頃のやりとりがあったことを、大人になったアーサーはすっかり忘れてしまっていたが、幼馴染が顔を火照らせて反論してくる姿が可愛かったことだけはなぜだかしっかり覚えていた。
会うたびにどんどん美しくなっていくシャーロット。この幸せなお茶会が永遠に続けばいいのに――とアーサーは願ったが、別れのときは唐突にやって来た。両親が自動車事故で亡くなってしまい、アーサーはスチュワート家の跡継ぎとしてアンバートン子爵に迎えられたのだ。
幼いアーサーが馬車に乗る寸前、シャーロットが挨拶をしに駆けつける。
「立派な紳士になって、また必ず会いに来てね」
そう言って、彼女は一番大切にしていた人形のアリスを彼に託した。
ロティのこの顔は泣きたいのを我慢しているときの表情だ――と大人のアーサーならすぐに気がつくことが出来たけれども、両親の突然の死に幼いアーサーはひどく混乱していたし、自分の目から涙がこぼれないように我慢することで精一杯だったので、このとき彼女の心情を思いやってあげられる余裕など無かった。
大好きなシャーロットとこんな形で急に離れ離れになるだなんて。
「さようなら、アート! さようなら!」
アーサーを乗せた馬車は幼子たちの別れの挨拶を遮るように、無情にも霧の中を走り出す。ヨークシャーから遠く離れた、アンバートン子爵家のカントリーハウスに向かって――。
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