第五話 紅茶占い師と令嬢の想い人(4)
自分で占っておきながら、シャーロットは自らが発した言葉に気が動転した。アーサーがこの令嬢のことを好きになり、二人は固い絆で結ばれるのだという考えが頭に浮かんだ途端、心臓がわけのわからぬ鼓動を立てた。
クリスタベルは占いの結果に恍惚とした面持ちでしばし夢想に耽っていたが、やがて、意味ありげな笑みを浮かべてシャーロットを見つめた。
「ミス・フォーチュン……いいえ、第六代エルシンガム伯爵のご息女シャーロット・スチュワート様、わたくし、本当はあなたのことをずっと以前より存じ上げていましたのよ」
表向きには明かしていないプライベートな情報を唐突に告げられて、シャーロットは一瞬ぎくりとした。爵位のある家柄に育ったことを隠していたわけではなかったが、令嬢のその意味深な微笑の意図がわからずに、出自を探り当てられたことに若干居心地の悪さを感じた。同時に、このときシャーロットは自分自身の境遇を令嬢のそれと比較し、引け目を感じていることに気がついたのだった。
「失礼ですけど、私たち以前どこかでお会いしたことがありましたかしら?」
「覚えてないのも無理ないわ。だって、あのとき、あなたは幼馴染のエルシンガム伯爵と踊ることに夢中でいらしたから」
記憶の糸を手繰り寄せるシャーロットを前にして、クリスタベルは高揚した気持ちを抑えきれぬ様子で、もどかしげにその場から立ち上がった。あやうく焼き菓子の乗った三段重ねのマホガニー製の家具を倒しそうになったが、彼女はそんなことには一向に構いもせず、
「ミス・フォーチュン、あたなにお見せしたいものがあるんです。ぜひ、私のお部屋へご一緒していただけませんこと?」
返事も聞かずにシャーロットの手をつかみ取り、小走りで中庭を横切った。
年齢に不相応なひどく可愛らしい令嬢の寝室には、大きなベッドが中央に据えられ、その上には陶器や磁器で出来た人形たちが山のように積まれていた。壁一面を占めるガラス戸のついた戸棚の中にも、様々なドレスを着た愛らしいビスク・ドールが所狭しと飾られている。
「まあ、すごいわ。こんなにたくさんお人形をお持ちだなんて」
アリスにそっくりな金髪碧眼の人形を手に取り、シャーロットが感嘆の声を上げると、クリスタベルはその様子をうっとりとした眼差しで眺めながら言葉を継いだ。
「わたくし、幼い頃から人形が大好きなの。エルシンガム伯爵も同じご趣味をお持ちのようで、先日の舞踏会で伯爵がいつも連れているアリスちゃんとお話が出来てとても楽しかったわ」
その言葉に、シャーロットは胸の奥が締め付けられるのを感じた。
このとき、彼女は初めて気がついたのだった。自分がこの令嬢に嫉妬しているのだということに――。自分がもはや彼女のような貴婦人ではないことに。幼馴染を取られてしまうかもしれないことに。アリスと話が出来るのは自分だけではないことに――。
そんなシャーロットの思いに気がつくこともなく、クリスタベルは無邪気に話を続けた。
「でもおかげで、わたくしとエルシンガム伯爵が楽しげに話しているのを見た父が、勘違いして結婚話を持ち上げてしまったものだから、伯爵には本当に大変なご迷惑をおかけしてしまったわ。だって、わたくし、結婚なんてとても無理。殿方には全く興味がないんですもの」
「そうですか……。殿方には全く興味が……って、え?」
令嬢の言葉に頭が真っ白になったシャーロットは、ひどい混乱を伴ったまま尋ねた。「殿方に興味がないって、でも、じゃあ、恋占いのお相手は一体どなたでしたの?」
すると、クリスタベルはぱっと顔を赤らめてうつむき、愛らしい仕草でドレスの端をいじくりながら答えた。
「エルシンガム伯爵とお近づきになりたかったのは事実なのよ。でも、それは伯爵からあなたについて聞き出すためで……」
「私について?」
「ええ、そうです。ミス・フォーチュン、わたくし、もうずっと長いことあなたのことをお慕いしていましたのよ。あなたは覚えていないようですけど、実はわたくしたち、社交界にデビューした時期が同じだったの。陛下へのご挨拶の順番待ちをしているとき、緊張のあまり気絶しそうになったわたくしをあなたが支えてくれたのよ。お人形のように可愛らしいあなたを一目見たときから、ずっとお友達になりたいと思っていたの。でも、あなたはその後社交界に姿を現すことはなく、どうにかしてお近づきになれないものかと長いこと悩んでいたところ、占い師になられたという噂を最近聞きつけて、それで、エルシンガム伯爵とお近づきになって、それとなくお住まいを伺ったという次第なんです」
あまりにも予想だにしなかった返答に、シャーロットは驚きのあまり何も言葉を返せなかった。そんな相手の反応に、それまで占いの結果に勇気付けられていたクリスタベルの勢いはあっという間に崩れ去り、普段通りの気弱な性格に戻ってしまった。
「どうかわたくしのこと、気持ち悪いとお思いにならないで。ただ、お友達になって頂きたかっただけなのよ」
シャーロットは未だ驚きの渦中にいたが、身を縮こませ泣き出しそうな令嬢の愛らしい姿を前にして、胸を打たれないわけがなかった。嫉妬の感情などあっという間にどこかに吹き飛んでしまった。
「こちらこそ、ぜひ仲良くして頂けたら光栄ですわ」
その言葉を受けて、クリスタベルは満面の笑みで顔を輝かせた。
「嬉しい! 本当に? 夢みたい。わたくしたち、相思相愛だわ。占いは確かに当たったわね、ミス・フォーチュン? いえ、シャーロットと呼んでもいいかしら? わたくしのことは、クリスタベルとお呼びになって」
かくして、二人の若い婦人の友情は、このようにして結ばれたのだった。
その頃、イートン・スクエアの自室に戻ったアーサーは、無造作に首元のタイを緩め、クリスタルのデカンタからブランデーを注いで煽るように喉の奥に流し込んだ。着替えの用意をしていた従者がクローゼットの鏡越しにその様子を盗み見る。執事が何かを伝えに部屋にやって来たが、アーサーは用件も聞かずに追い払う。「悪いけど、今すぐひとりになりたいんだ」
主人のその言葉に、従順な使用人たちは頭を下げて部屋から出ていく。
アーサーはソファに仰向けになって長い足を投げ出すと、アリスを天井に掲げ、その可愛らしい無垢な顔をぼんやりと見つめた。
『あなたとは結婚しないわ。私、紅茶占い師になろうと思ってるの』
目を閉じると、シャーロットの声が何度も何度も頭の中にリフレインする。まるでつい昨日のことのように。
アーサーはアリスをぎゅっと胸に抱きしめると、そのまま蹲るようにして眠りについた。
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