第三話 紅茶占い師とメイドの秘密(4)
レスリーは白いレースのエプロンを胸の前でぎゅっと握り締めながら叫んだ。
「黙っててすみません!」
シャーロットも後から屋根裏部屋へやって来たエニオン夫人も、驚きのあまり何も言葉を返せなかった。レスリーの瞳は罪悪感によって少しばかり潤んでいたが、これまで以上に真摯な態度で彼らと向き合った。
「私、体は男性そのものなのに、物心ついたときからずっと女の子になりたかったんです。自分の心を偽ることが出来なくて、スコットランドの実家を離れてからは誰も知らないイングランドの地で、女として生きていくことに決めたんです。性別詐称と言われたら確かにそのとおりなんですけど、でも、心は女なので、自分としては決して嘘をついていたわけではなくて……」
そこまで話すと急に後が続かなくなったのか、メイドは沈んだ表情で押し黙り、のろのろとした動作で新たな服に着替え、それから荷物をまとめ始めた。
「何してるのよ?」
「荷造りです。もうここにはいられませんから」
「もしかして、前のお屋敷を辞めたのも同じ理由なの?」
シャーロットの問いにレスリーは頷いた。「同室だったメイドのソフィーに、男だと気がつかれてしまったんです」
「表にいる彼女のことね。ロンドンまで追いかけてくるなんて、まさか、あなたあの子に強請られているの?」
「いいえ、違うんです。ソフィーはいい子なんです。彼女は誰にも私の秘密を話したりはしませんでした。ただ、困ったことに――彼女は私のことを好きになってしまったんです。でも、私は同性だと思っている彼女のことを愛してあげることが出来なくて……。いっそ嫌いになってもらえたらと思い、つらく当たって一方的に絶交したんですけど、それでも彼女が私を慕い続けるので、行き先を告げずにハロゲイトのお屋敷を辞めてロンドンに姿をくらませたんです」
「なるほど、そういう経緯だったのね」
レスリーは少ない荷物をすべて鞄に詰め込み終えると、雇い主に向かって精一杯の笑顔を向けた。
「ミス・フォーチュン、それからエニオン夫人も、ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。短い間でしたが、お世話になりました」
メイドからの唐突な挨拶に、シャーロットとエニオン夫人は黙って顔を見合わせた。互いの意志を確認するように目を合わせてから、二人を代表してシャーロットが言う。
「ここを出て行く必要なんてないのよ。私もエニオン夫人もあなたが来てくれてとても助かってるんだから」
「でも、私、男なんですよ?」
レスリーは面食らったように二人を見つめた。「男のくせに、メイド服着て働いてるんですよ?」
「それがなんだっていうの? 心は女の子なんでしょう? あなたはあなたよ、レスリー」
シャーロットのその言葉に、レスリーの瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。ありのままの自分を認めてもらえた事実が嬉しかったのだ。
エニオン夫人はレスリーのこれまでの苦難を気の毒に思い、彼を優しく抱きしめてやった。「好きなだけお泣きなさい。ロンドンの降水量はちょっとやそっと増えたところで誰も気にやしませんからね」
女主人のとぼけた慰めに、レスリーは思わず泣きながら笑ってしまった。そのとき、ふいに窓を打ち付ける雨足が強くなり、シャーロットはソフィーの様子が気になって窓辺から外を覗いた。少女は濡れ鼠のような姿になって未だに表通りに立っていた。
「あの子、まだいるわよ」
レスリーはしばらく迷っていたが、やがて意を決したように階段を下りて行くと、玄関扉を開けてソフィーに自分の雨傘を突きつけた。
「こんなどしゃぶりの中で馬鹿みたいに突っ立って、風邪を引いたらどうするのよ? あなたが病気になったらお屋敷のみんなに迷惑がかかるでしょ」
「レスリー……」
ソフィーは何度も彼の名を呼んだ。「レスリー! レスリー! レスリー!」
彼女はそのまま泣きながらレスリーの体に腕を回して抱きついた。
「私、もう一度あなたに会って、どうしてもあやまりたかったの。お屋敷を辞めさせてしまって、ごめんなさい。追いかけてきて、ごめんなさい。迷惑かけて……ごめんなさい……」
レスリーはソフィーを抱きしめ返した。
「あやまらなければならないのは、私の方だわ。あなたにひどい仕打ちをしてしまったこと、ずっと後悔していたの。ごめんね、ソフィー。こんな私のことを好きになってくれて、本当にありがとう」
翌日、レスリーは玄関の敷石を掃除しながらシャーロットの紅茶占いのことを考えていた。占いは自分とソフィーが仲直りするということをあらかじめ暗示していたのだ。
未来を予知できるなんて、占い師ってまるで魔法使いみたいだわ――。そんなことを考えているときだった。レスリーはふいに表通りに停まっている馬車の中から女占い師の部屋をじっと見上げる紳士の存在に気がついた。その端麗な容姿はメイドの心をあっという間に虜にした。
『近々誰かに恋をする暗示が出てるわよ』
紅茶占いがさらに当たっていたことに感動しつつ、レスリーはうっとりとした表情でシャーロットの元へと報告に向かった。
「とってもハンサムな殿方が、ずっとこちらのお部屋を見てるんですよ。今もまだ馬車の中から二階を覗いて――あ、出て来たわ!」
実況中継しながら、レスリーは紳士の顔が暖炉棚の上に飾られている写真の青年と同一人物であることに気がついた。
「まあ! 私ったらとんだ失礼を! ミス・フォーチュンの恋人でしたのね」
「ち、違うわよ! ただの幼馴染よ!」
その直後、玄関のベルが鳴らされた。
シャーロットは人形のアリスをテーブル席に座らせながら、レスリーに来訪者を部屋へ通すよう告げた。それから、三人分のお茶を用意するよう頼んだ。三人分という指示に小首を傾げながらも、レスリーはウキウキした足取りで客人を迎えにいった。
まもなくして、女占い師の部屋を訪れたアーサーは、所在無さ気に言い訳がましく口を開いた。
「別にあなたに会いに来たわけではありませんよ、ミス・フォーチュン。先日あなたの部屋に置き去りにしてしまった可愛いアリスを迎えに来ただけで――」
「随分と遅いお迎えですこと。毎日下までいらしていたようでご苦労様ですわね、エルシンガム伯爵」
連日通い続けていた事実を知られていたので、アーサーは決まりの悪い顔をして言葉をつぐんだ。シャーロットは小さく微笑んでから火掻き棒を手に取り、暖炉の燃えかすを突き崩しながら言った。
「今、メイドが紅茶を準備していますから、どうぞそちらにおかけになって」
彼女の言葉にアーサーはほっとした。シャーロットからお茶に招待してもらえることは、遠まわしな仲直りの合図なのだ。
椅子に腰を下ろしたアーサーは、幼馴染の細い手首にうっすら痣のような痕があることに気がついて、即座にそれが先日自分のせいでついてしまったものだという事実を悟った。
「ごめん、ロティ。君を傷つけるつもりはなかったんだ。痛むかい?」
「ああ、これ、まだ痕が残っていたのね。大丈夫よ。私の方こそ、絶交だなんて子供じみたことを言ってごめんなさい」
素直にシャーロットにあやまられ、アーサーは驚いて顔を上げた。子供の頃にはよく喧嘩したものだが、たとえ自分に非があったとしても、強情な彼女の方からあやまることは決してなかったからだ。
そのとき、ふいにアーサーは彼女の肩越しに見える暖炉棚に、新たな写真立てが加わっていることに気がついた。それは、古き良き時代の写真だった。笑顔でアリスを抱きしめる幼いシャーロットの隣に、今と変わらず不機嫌そうな顔をした少年のアーサーが立っている。
あれから一体、どれほどの季節が巡ったのだろう――? 今も昔も変わらぬ想いを心の内に感じながら、アーサーは目の前にいる幼馴染を見つめた。
「なによ?」
「いや、なんでもない」
そう言って目を逸らしたアーサーの姿を、今度はシャーロットがこっそりと盗み見た。彼女は自分の中にこれまでと少し違った新たな感情が芽生えていることに気がついていた。その正体がなんであるのかまではわからぬままにも……。
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