第四話 紅茶占い師と聖なるオリゾンタル(4)

 下宿先までの道程を馬車に揺られながら、シャーロットは思いつめた様子で窓に額を押し付けていた。彼女が黙ったままだったので、向かいに腰を掛けていたアーサーもアリスを膝の上に乗せたまま何も言わずにいた。

 すると、やがてシャーロットの方から口を開いた。

「フルールのティーカップに何を見たのか尋ねたわよね?」

「……何か、よくない暗示でも見えたのかい?」

 女占い師は小さく首を横に振った。

「何も、見えなかったの。茶殻の模様から何の未来も読み取ることが出来なかったのよ」

 彼女は少しばかり声を震わせて言葉を続ける。「あの時と同じなの。ママが死ぬ直前の……最後の紅茶占いの時と同じように、何も見えなかったのよ。だから私、どうしたらいいのかわからなくて、頭の中が真っ白になってしまって……。どうしよう、アート。あの人は……フルールは死んでしまうのかしら。ママが死んでしまったみたいに……」

 シャーロットは瞳を潤ませた。アーサーはアリスの腕を動かすと、その小さな人形の手で、幼馴染の頬に流れた一筋の涙を拭ってやった。

「紅茶占い師である君が、何も見ないうちから依頼人の運勢を決め付けてはいけないよ」

 シャーロットはアーサーの言葉に強く頷くと、まるで自分自身に言い聞かせるようにして彼の語を継いだ。「そうよね。ティーカップに死の前兆は見られなかった。災いのシンボルが現れたわけじゃなかったんだもの、フルールはきっと大丈夫よね。……きっと……」



『ママ、お加減はいかが? 紅茶占いをしてあげる。私の占いでママはきっと元気になれるわ』


 シャーロットが母親の枕元でティーカップに紅茶を注ぐ。香りたつ湯気の向こう、死の影が忍び寄る貴婦人は青白い顔に微笑を浮かべた。そんな彼らの様子を少し離れたところから、幼いアーサーとお付きメイドが眺めている。

 その日は何も見えなかった。ティーカップが教えてくれる神秘のサインを、シャーロットは何も詠みとることが出来なかった。


 私がママを元気にしてあげなくちゃ――。


 母親の容態が思わしくないことは子供ながらに悟っていた。重圧感から生じた焦りが視界を一層ぼやけさせる。焦れば焦るほど頭ががんがんして何も見えない――。


『どうしたの、シャーロット。なぜ泣いているの?』


 母親の運勢が見えないことを口にするわけにはいかなかった。不安にさせてはいけない――。でも、彼女の役に立つことが出来ない悔しさから、涙が溢れて止まらなかった。


『ねえ、シャーロット。ママのために紅茶占いをしてくれてありがとう。誰かのために寄り添うことは簡単じゃないけれど、でも、それをしようと思うことは、とても素敵なことなのよ……』



 フルールの館を訪問して以来、シャーロットは浮かない気持ちのまま数日を過ごした。胸の内に蘇るのは病気だった母親の枕元で占いをする幼い頃の思い出ばかりだ。あの日を境に、紅茶占いをするのはもうやめにしようと思ったけれど、同時にそんな気持ちを押しのけるほどに強い想いも心に生まれた。母親が大好きだった紅茶占いを、これからも誰かのために続けていきたいと強く感じたのだ――。

 物思いに沈んでいると、メイドのレスリーがエルシンガム卿の来訪を告げにやって来た。間もなくして現れたアーサーは、幼馴染の元気がない様子に気がつき、肘掛け椅子に腰を下ろすや否や、開口一番「フルール・ド・ピヴォワンヌのことだけど――」と本題に入った。

「彼女、信仰の道に入るそうだよ。これまでのすべてを捨てて、神に遣える決心をしたそうだ」

「まあ、僧院へ行かれるの? 体の具合は良くなられたの?」

「ひとまず療養所へ入るそうだが、ここのところは調子が良いみたいだよ。どうやら、君に紅茶占いを頼むよりずっと前から、改悛して神の御許に帰る心積もりだったようだ。彼女はこれまでの罪深い行いを恥じていて、きっと君に運勢を占ってもらうことで、背中を押してもらいたかったんだろうね」

「でも、私は彼女のために何も見ることが出来なかったわ」

 シャーロットのその言葉を、アーサーはアリスを動かしながら一段高い声色でフォローした。

「ミス・フォーチュン、あなたの占いはあながち間違ってはいなかったんじゃないかしら? だって、オリゾンタルのフルール・ド・ピヴォワンヌを占っても、彼女の未来は見えなかったに違いないもの。源氏名も財産も過去のなにもかも、すべてを捨ててシスターとして新たな人生を切り開いたのですからね」

 こじつけのような話ではあるが、アーサーの気遣いに触れてシャーロットは張り詰めていた気持ちが少しだけ楽になったような気がした。そして、この幼馴染はいつも自分の心に寄り添ってくれることに改めて気がついた。母親が死んだときもそうだった。幼いアーサーの言葉があったからこそ、シャーロットはより強い決心をすることが出来たのだ。


『ねえ、ロティ。僕も君のママと同じように、君が紅茶占いをする姿を見るのが大好きだよ』



 後日、フルールが療養所へ移る前に、シャーロットとアーサーは一緒に見舞いに伺うことにした。

 二人の乗った馬車がカドガン・ガーデンズに差しかかった頃、少し離れた場所に隠れるようにして停まっていた一台の馬車から、大きな芍薬の花束を抱えた従者が降りて来て、フルールの館へ入っていくのが見えた。

 芍薬の贈り主が一体何者なのか気になったシャーロットは、馬車の横をすれ違ったとき、ドアの外側に描かれていた紋章を見て目を疑った。

「……あの紋章って、まさか」

 あまりの驚きから言葉が続かない彼女の向かいでは、アーサーが相も変わらず涼しい顔のまま思い出したように言う。

「そういえば、フルール・ド・ピヴォワンヌはかつてフランスで名を馳せていた頃、当時遊学中であった皇太子と恋仲だったという噂を聞いたことがある」

「ええ!? じゃあ、彼女が言っていた生涯でただ一度きりの恋の相手って、もしかして……いえ、もしかしなくとも、我らが大英帝国の――」

 可愛い人形のアリスの手によって、興奮気味なシャーロットの口が塞がれる。

「お喋りはこれまでよ、ミス・フォーチュン。さあ、私たちも行きましょう」

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