第一話 紅茶占い師と午後のお茶を(4)

 紅茶占い師は気を取り直すようにして、真剣な顔つきで茶葉が描き出すメッセージを読み解いた。

「コンパスが見えますわ。これは変化のときが訪れたことを意味します」

 すると、アーサーが横からすかさず口を挟んだ。

「それはシニントン卿の髪型に変化が訪れたということかい? しかし、我々は生きているのだから髪が抜けるのは自然の摂理であって――」

「エルシンガム伯爵、それ以上余計な口を挟んだら本当にここから出て行ってもらいますわよ」

 シャーロットがじろりと睨みつけると、アーサーは飄々とした表情で黙ってアリスの頭を撫でた。

 シニントン卿は占い師の告げた言葉に個人的に思い当たることがあるらしく、椅子の上でもじもじと身じろいだ。シャーロットは尚も言葉を続ける。

「橋が見えますわね。成功への道が開けています。そして蜂の巣……仕事で成功を収めることを暗示します。どちらもハンドルの真上に位置していますから、近い未来に起こることでしょう」

「本当ですか!? 本当に、道が開けているのですか? 成功を収めることが出来るのですか!?」

 椅子からがたりと立ち上がったシニントン卿は、そう叫んでからはっとしたように慌てて「失礼」と詫びて腰を下ろした。落ち着きを取り戻そうとするものの、興奮は冷めやらぬままだ。

「実は、つい最近まで私は庶民院で国会議員をしておりました。しかし、世襲貴族は貴族院に議席を有さねばならず、父の死後、爵位を継いだことにより貴族院へ移らなければならなくなったのです。これまでの私のキャリアは水の泡となり、怒りと空しさで精神的なダメージを受け、ストレスから髪はどんどん抜けてゆく始末……」

 そこで一度言葉を区切ってからシニントン卿は再び口を開いた。

「これまでの私は一体なんだったのだろう。自分ではどうにも変えようがない、決められたルールに属さねばならない境遇を呪い、嘆きました。おまけに髪はこんな有様になってしまって、すっかり自分に自信が持てなくなってしまったのです」

 シャーロットはティーカップの中に描き出された茶葉を見つめながら、「確かに、継承制度は場合によってさまざまな問題を引き起こしますわね」と淡々とした口調で呟いた。自身の言葉を引き金に、女占い師は自らの過去にわずかながらに打ち沈みかけたが、彼女の様子を盗み見ていたアーサーが人形を動かしてアリスの声色で言った。

「しかし、あなたがそこで立ち止まってしまってはいけませんわ」

 すると、シャーロットはその声にはっとしたように顔を上げ、「そうですわよ、シニントン卿!」と再び勢いを取り戻すのだった。

「自分では変えようがないと仰いましたけど、今すぐには無理でも、いずれ変えることだって出来るかもしれません。それには変えようと思った人々の――あなたのような方の声が必要なのではありませんか?」

「私の声が……? そうだ。確かに、まったくもってあなたの言うとおりです。私が……私自身が改革していかなければならないのだ」

 シニントン卿はテーブルの上で合わせていた拳にぎゅっと力を込めた。これまで弱々しげな光を放っていた彼の瞳には、志し高く理想に燃える政治家の眼光が戻ってきているようだった。シャーロットはその表情を見て顔を綻ばせる。

「髪の行方についての占いということでしたが、つまるところ、すべては繋がっているのだと思います。ストレスが解消すれば失われた髪も元に戻るかもしれませんわね」

「そうであればよいのですが」

「自分が他人からどう見えているかを気にすることも必要ですけど、他人の顔色ばかり伺っていたら身動きがとれなくなってしまいますわ。人は人、自分は自分。誰にどう思われようと、どんな場所にいようと、あなたはあなたらしく、ご自分のなさりたいことをつらぬけばよいのです。過去や現状を嘆いているよりも、今やるべきことがあるのではありませんか、シニントン卿」



 占いの結果はもちろんのこと、占い師の言葉によってすっかり覇気を取り戻したシニントン卿は、シャーロットの部屋を後にして階段を下りていく途中、ふと、彼女のかわいい顔を思い浮かべながら不思議な思いにとらわれた。薔薇色のベールがかかったペール・スキンに、あの人形のような美しいブルー・アイズを確かにどこかで見た気がすると思ったのだ。それから、すぐに後方から自分に続いて通りに出てきたエルシンガム伯爵が抱きしめている人形と似ているのだということに気がついた。

「ミス・フォーチュンはとても不思議なご婦人ですな。このような通りに住んでいながら、言葉遣いは上流階級のアクセントで、身のこなしもまるで貴族の令嬢のように品がある」

 シニントン卿が感慨深げに呟くと、アーサーが当然だと言わんばかりに言葉を返した。

「それはそうでしょう。あの人は本物のレディですからね。いや、正確には『だった』と言うべきか。――ミス・シャーロットは、本来ならばレディ・シャーロットと呼ぶべき立場にいた方ですから」

「それは一体どう言う――」

「あなたのように、継承制度というものが彼女にとって不利に働いたのです。貴族の令嬢が財産も土地も爵位も相続出来ずに、遠縁の親戚にすべてを奪われてしまうという、よくある話ですよ」

「そうだったのですか。しかし、だからといって元貴族の令嬢がロマの真似事をして暮らさねばならないとは。家庭教師などもっとほかに出来ることがありましょうに」

「あれは彼女の意思でやっているんです。あの人には後ろ盾になってくれる心優しい親戚もいますから、本来はこんな中流の下宿で自活する必要もない。けれども、彼女自身が自分の歩みたいと思った道を選んだのです」

「そうでしたか」

「とはいえ、紅茶占い師だなんて、本当に突飛過ぎて、まったく何を考えているのだかわからない女性ひとですよ。職業婦人を気取っていますが、一体いつまで続くことやら」

 アーサーの口調には皮肉がたっぷり込められていたものの、二階の窓を見上げるその眼差しには温かみがあるようにシニントン卿には思えた。そして、卿はシャーロット・フォーチュンという元貴族令嬢である女占い師と、彼女のパトロンを自称するエルシンガム伯爵との関係について改めて興味を抱いたが、深く詮索することは不躾であると思い、紳士らしく別れの挨拶を交わすと待たせてあった馬車に乗り込んだ。

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