第二話 紅茶占い師とピクニック(1)

 アーサーが幼馴染の下宿先を訪れると、通りに洒落た赤い車が停まっていた。車の持ち主はシャーロット・フォーチュンの来客で、主人の戻りを待つ運転手が真っ白な布で余念なくフロントグラスを磨いている。

 エニオン夫人の案内でアーサーは扉を入ってすぐ左側にあるダイニングルームに控えさせられた。二階の応接間は紅茶占い師であるシャーロットが依頼人と顔を合わせる場所として使われており、その奥には彼女の寝室が続いている。三階はエニオン夫人の居住で、その上には使用人用の屋根裏部屋があった。

 階下の台所から夫人が紅茶を淹れて戻ってきたとき、アーサーはいつも連れ歩いている人形のアリスをマホガニーの椅子に座らせて、暖炉の上に掛けられた暗い色合いの肖像画をぼんやり眺めているところだった。扉横の壁には男女の横顔を切り取った黒いシルエットが二つばかり、小さな額縁に品良く収まって並んでいる。

 エニオン夫人は流行りの家政書を模範にしているようなご婦人で、中産階級のそれなりに豊かだったかつての暮らしぶりの名残が、彼女の一挙一動から、そしてこの家のあちらこちらから感じられた。

 この初老の婦人に家族はいるのだろうか? 自宅を賃貸物件として他人に貸し出し、家賃収入を得なければならないほど暮らし向きが傾いているのだろうか? 物書きゆえに注意深い眼差しがアーサーから向けられる中、エニオン夫人からも人形を連れ歩くこの風変わりな貴族の青年に対して鋭い観察眼が向けられた。

 ハンサムで身長はすらりと高い。はしばみ色の瞳が光の中では黄色がかった淡い茶色に見える。驕った感じはないが自然に備わっている尊大さがあって、賃借人であるミス・フォーチュン同様に上流階級の美しいアクセントで話す。二人は旧知の仲のようだけど、それだけの関係なのかしら――。

「今日はいいお天気ですわね」

「本当に、気持ちの良い日ですね。明日も晴れるそうですよ」

 当り障りのない会話を遮るようにして、応接間の扉が開き先客が退出した。若い紳士が人差し指で帽子をくるくる回しながら鼻歌交じりに二階から下りてくる。彼と入れ替わるようにしてアーサーがシャーロットを尋ねて行くと、窓辺から通りを見下ろしていた幼馴染は彼を一瞥し、「あら、ご機嫌ようエルシンガム伯爵。またお茶をしにいらしたの?」と皮肉めいた挨拶をして再び視線を通りに向けた。そこでは、主人の戻りを受けて運転手が自動車のエンジンを始動させているところだった。

「素敵ねえ。ローバー社の最新式だそうよ。あなたもいつまでも馬車に乗っていないで車のひとつくらい買えばいいのに」

 そう言ってから、シャーロットはアーサーの両親が自動車事故で亡くなったことを思い出してすぐに自分の言葉を詫びた。「考えなしの発言だったわ。ごめんなさい」

 アーサーは気にしていない素振りで、人形のアリスを使って腹話術でこう答える。「あやまることなんかないわよ、ミス・フォーチュン。エルシンガム伯爵はご両親の死とは関係なく、黒い煙を吐き出す乗り物よりも古典的な馬車がお好みなだけですからね。それにしても、最近のご婦人方は新しい物に飛びつく習性があるようね」

「あら、それは違うわよ。古きと新しきの両方の良さをきちんと理解しているもの」

「ならいいけれど。ところで、先客は紅茶占いの依頼人かしら? あの紳士は一体どなた?」

「ナイトリーさんは実業家よ。先日劇場に傘を置き忘れてしまったのだけど、あの方が追いかけて届けてくださったの。それをきっかけに少しお話をしたところ、紅茶占いに興味を持たれたのでお礼に今日占いをして差し上げることになったのよ。でも、せっかくお尋ね頂いたのにお喋りに夢中になってそんな暇もなかったわ」

「なるほど、ブルジョワが占いを口実にあなたに近づいてきたわけね」

「その言い草は失礼よ」

「成金は実利がなければ興味を示さない連中ですからね。彼の目的は若くてそれなりに可愛らしいあなたよ、ミス・フォーチュン。そんなこともわからないなんてお馬鹿さんねえ」

「単に新しいお友達が出来ただけだわ。明日はもう一台持っている別の車でドライブに連れて行ってくださるそうよ。ロンドン郊外にブルーベルの咲き乱れるお屋敷をお持ちなんですって。そちらで改めてピクニックがてら紅茶占いをする約束なの」

 幼馴染の能天気さにアーサーは思わず腹話術を忘れて真顔になる。「まだよく知らない相手と二人きりで遠出するのは感心しないな」

「資産家のご子息のようだし、家名に泥を塗るようなことを安易にされる方じゃないと思うわ。それに、運転手が一緒でしょうから心配いらないわよ」

「人を信用するのはいいことだが、ロティ、君はもう少し警戒心を持つべきだ」

 以前のように家名や親の肩書が君を守ってくれる世界に身を置いているわけではないのだから――と言おうとして、それはあまりにも酷だと思いアーサーは口をつぐんだ。

「お説教なら結構よ、アート。私はもう十分立派な大人なのよ。職業だって持っているし、自分で稼いだお金で食べているんですからね」

「そのことだけど、君はこの先ずっとこんな暮らしを続けていくつもりなのかい? 叔母様からの援助とわずかとはいえ遺された財産と年金の金利で、それなりの家を買って慎ましく暮らしていけるはずなのに。それをわざわざこんな安宿に身を寄せて働かなくたって……」

「私は自分がしたいことをしているんだから放っておいて。叔母様から何を言われているのか知らないけど、余計な心配はしないでちょうだい」

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