第七話 紅茶占い師と小さな恋の物語(1)

 シャーロットの下宿先で午後のお茶を頂いてきたアーサーは、帰路につく馬車の中で、膝の上に座らせていた人形のアリスといつものようにお喋りをしていた――。

「今日のスコーンは焼き立てでおいしかったわね」

「そうだね、アリス」

「メイドのレスリーはお菓子作りが上手よね」

「そうだね、アリス」

「このあいだのヴィクトリアサンドイッチも最高だったわ」

「そうだね、アリス」

「なんだか心そこにあらずって感じの返事ねえ。どうせミス・フォーチュンのことでも考えていたんでしょう?」

「驚いたな、どうしてわかったんだい?」

「女の勘というやつよ。それで、彼女のことで何か悩み事でもあるの?」

「実はそうなんだ。ここのところ、ロティの笑顔を見ているとこれまで以上に胸が苦しくなるんだよ」

「それはあなたが以前よりもっとミス・フォーチュンを愛しているからじゃない?」

 アリスがずばり指摘すると、アーサーは大慌てで彼女の小さな唇に人差し指をあてがった。

「ああ、アリス! そんなに大きな声で言ってはいけないよ。そのことは君と僕の二人だけの秘密なんだから!」

 馬車の前方に腰掛けていた御者は、いつものことながら主人が人形相手に一体何を騒いでいるのかと気になったが、背後を振り返りたくなる気持ちを抑えた。街の騒音に紛れて聞こえないのをいいことに、アーサーの一人茶番劇は尚も続く。

「でも、事実でしょう? あなたはミス・フォーチュンのことが好きで、いつか彼女と結婚したいと思ってる」

「それはそうだけど、ロティは僕のことをただの幼馴染としか思ってない」

「そんなのわからないじゃないの。勇気を出して結婚の申し込みをしてみたら?」

「申し込みをする前に断られたじゃないか。君も覚えているだろう、アリス? ロティが紅茶占い師になる前、僕が意を決して彼女に告白しようとしたときのこと。ロティはまるでこれから言われることを察するように、『あなたとは結婚しない』って宣言したんだ」

「そういえばそうだったわね」

 背後が急に葬式のように静かになったものだから、御者はまたしても主人の様子が気になったが、イートン・スクエアの屋敷に馬車が到着した音をききつけて、フットマンのクラウチが血相を変えて飛び出してきたのでそれどころではなくなった。

「お帰りなさいませ、マイ・ロード」

 クラウチの様子からアーサーは屋敷内で何やら厄介な出来事が起こっていることを察した。

「一体何事だい?」

「パメラ・オールドリッチ様がお見えになられております」

 その名を聞いたアーサーは実は内心かなり焦ったが、表情が変わらないタイプの人間だったので相手がその心中を察することは不可能であった。しかし、人形のアリスが「まあ、困ったことになったわね!」と右往左往するのを見て、使用人たちは主人が少なからず動揺していることを知るのだった。

 彼らが作戦会議を繰り広げる間もなく、渦中の婦人――玄関広間で執事のカートライトと話をしていたパメラ・オールドリッチ夫人が、自ら連れて来た侍女を伴ってアーサーを出迎えた。

 小柄な中年のその未亡夫人は、本来は愛嬌のある愛すべきご婦人だった。だが今は、かつてのヴィクトリア女王を髣髴とさせる謹厳な雰囲気を全身から漂わせている。彼女は堅い表情を崩すことなく儀礼的な挨拶を交わす。

「久しぶりね、アーサー」

「お久しぶりです、オールドリッチ夫人。お元気そうで何よりです」

 第六代エルシンガム伯爵の妹君パメラ・オールドリッチ夫人は、アーサーの親戚にあたり、シャーロットにとっては叔母であった。ところが、シャーロットは紅茶占い師としてロンドンで一人暮らしをしていることをパメラには秘密にしていた。古風で保守的なこの叔母に自分の生き方は理解してもらえないだろうと判断し、余計な心配をさせたくなかったこともあって、イートンスクエアのエルシンガム邸で幼馴染の保護のもと都会暮らしを楽しんでいることにしていたのだ。

 そのようなわけで、シャーロットのついた嘘により、アーサーと彼に付き従う使用人たちもおのずと共犯者として巻き込まれてしまっている現状だ。

「随分と急な訪問で驚きましたよ。ヨークからロンドンは長旅でしたでしょう」

 アーサーの気遣いなど耳にも入らぬ様子でパメラは彼の背後を見渡した。 

「シャーロットはどこ? カートライトさんからあなたと一緒に出かけていると聞いたのだけど?」

「ええ? ああ――そうです。ティールームへお茶をしに行っていたんですよ」

 言葉の続きが思いつかず、アーサーは助けを求めて執事に会話を投げる。「カートライト、ロティはお茶の後、どこに出かけると言っていたっけ?」

「午後はお友達をご訪問されているはずですが」

 執事のそつのない演技にアーサーは心の底から関心する。

「ああ、そうだったね。ライムフォード侯爵のご令嬢のところまで送ってあげたんだった。忙しかったものだからすっかり行き先を忘れていたよ」

 うまくはぐらかせたと安堵の溜息をつく間もなく、パメラの口から厄介な言葉が飛び出した。

「では、帰るまでこちらで待たせてもらいますよ。お友達のところに顔を出すくらいだったらそんなに遅くはならないでしょう?」

「いや、ええと――」

 言葉につまるアーサーの代わりに、アリスが話しを引き継いだ。

「確か、クリスタベル嬢とブライトンにある侯爵家の別荘へしばらく避暑に行くと言っていたわよね?」

「ああ、そういえばそうだったね、アリス。よく覚えていたね。というわけでオールドリッチ夫人、ロティは夏中ここには戻りませんよ」

 あくまでしらを貫き通すアーサーを真顔で見つめていたパメラは、ふっと溜息をつくと、「見苦しい演技はもう結構」と眉間に厳しいしわを寄せた。

「先日、あなたのお義理姉様(ねえさま)のヘイゼルと子供たちがロンドンからスコットランドに帰る前に我が家に滞在したの。ヘイミッシュとメアリからシャーロットのことを耳にしました。なんでも『紅茶占い師』をしているのだとか。色々と聞き出してみれば、イートンスクエアのこちらのお屋敷には住んでいないと言うじゃありませんか。わたくしはね、シャーロットがあなたと一緒なら安心だと思って快く我が姪を送り出したのですよ。アーサー、一体どうなっているのかきちんと説明してちょうだい」

 アーサーはアリスを楯にして天井に目を泳がせた。「心配なさらなくても大丈夫よ、オールドリッチ夫人。シャーロット・フォーチュンと言えば今やロンドンでは押しも押されぬ大人気の紅茶占い師ですもの」

 アリスのそのセリフがパメラの怒りに油を注いだことは言うまでもない。

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