第四話 紅茶占い師と聖なるオリゾンタル(1)
ハイド・パークのケンジントン・ガーデンズを散歩していたアーサーは、慈善事業で付き合いのあるご婦人方と木陰のベンチで社交界の噂話に花を咲かせていた。いや、正確に言えば尽きない会話を繰り広げていたのは女たちだけであり、アーサーは腕に抱えている人形のアリスを撫でながら、池を泳ぐ鴨の親子を退屈しのぎに眺めているだけだった。
「紅茶占い師のシャーロット・フォーチュンさんをご存知?」
会話に突如幼馴染の話題が登場したものだから、アーサーは少しばかり驚いたが、顔色ひとつ変えずに注意深く耳をそばだてた。
「あの方の占い、本当によく当たりますわよね」
「フォーチュンさんと言えば、最近とても美しい殿方とご一緒でしたわよ。仲睦まじい様子で腕を組まれて歩いていたところを馬車からお見かけしましたわ。恋人かしら?」
『恋人』という言葉に、アーサーはアリスを腕から落としそうになる。
「まあ、エルシンガム伯爵、どうかなさいまして?」
「いえ、なんでもありません。……それで、ミス・フォーチュンのお相手はどのような方でしたか?」
「まだうら若い青年で、道行く人々が振り返るほどの美貌の持ち主でしたわ」
「ほお、それは実に興味深い。ところで急用を思い出しましたので、申し訳ありませんが失礼させて頂きます」
アーサーはご婦人方に別れの挨拶を述べると、幼馴染の下宿先に向かうべく物凄い速さでその場から立ち去った。
社交期のため公園内はシルクハットと色とりどりのドレスでごった返している。道行く人々が一組の若い男女の姿に足を止めて男の美しい容貌に見惚れる中、馬車に乗るためゲートに向かおうとしていたアーサーは、男の隣りで肩を並べているのがシャーロットだと気がつくや否や不機嫌になったが、そうした表情は表には出さず、歩みを速めて二人の元へと駆けつけた。
「ご機嫌よう、ミス・フォーチュン」
「アート!」
思いがけない幼馴染の登場に、思わず愛称を口走ってしまったシャーロットは、軽く咳払いをしながら言葉を続ける。「――じゃなくて、エルシンガム伯爵……こんなところでお会いするなんて奇遇ですわね」
アーサーはまるで品定めでもするように、不躾な視線でシャーロットの隣りに立っている男を上から下までじろじろ眺めた。
確かに美しい青年だ。顔はまるでギリシア彫刻のように整っている。でも、赤毛だし、身長は自分の方がずっと高い。身なりから察するにたぶん階級だって雲泥の差があるに違いない――。
そんなことを考えつつ、アーサーはいつまで経ってもシャーロットが青年を紹介してくる気配がないのでやきもきした。
青年の方はといえば、ほんのり頬を赤く染め、きらきら輝く小鹿のような眼差しでうっとりとアーサーを見つめていたが、ふいに何かを思い出したように慌ててシャーロットに言った。
「あの、ミス・フォーチュン、私はそろそろ行かないと――」
「あら、もうそんな時間なの? エニオン夫人から頼まれた買い物があるんだったわね、気にせず行っていいわよ。あなたのおかげで今日は助かったわ。ご苦労様、レスリー」
「お役に立てて光栄です」
そう言って、青年は慣れない手つきでシルクハットを軽く持ち上げ、アーサーに「さようなら、エルシンガム卿」と別れの挨拶をしてその場から立ち去った。
アーサーは飲み込めない状況に呆然とし、アリスを抱きしめたまま棒のように突っ立っていた。「レスリー……? つい最近どこかで聞いた名だが」
「あなたも何度か会ってるけど気がつかなかった? うちの新しいメイドのレスリーよ。男性同伴でないと伺えないガーデン・パーティーに付き合ってもらったの」
シャーロットの謎の恋人の正体が下宿先のメイドの扮装であったとわかり、アーサーは内心ひどくほっとした。
「僕の知り合いのご夫人が、つい最近君が男と歩いているのを見かけたそうだが、もしかしてそれもレスリーだったのかい?」
「ああ、きっと貸衣装屋へ紳士服を借りにいった帰り道ね。あの日、エニオン夫人を驚かせたくて、レスリーに試着した衣装を着たまま帰ってもらったから」
「なるほど、そういうことか。しかし、なにもわざわざメイドを男装させなくとも、僕に声をかけてくれればいつだって協力するのに」
レスリーが実は男であるということを知らないアーサーは、すっかりメイドが男装しているものだと思い込んでいた。シャーロットは真実を告げるべきか迷ったが、男のメイドが自分のそばにいるとわかったら、お目付け役のようなこの幼馴染は何をしでかすかわかったものじゃないと思い、ひとまず黙っておくことにした。
「今日伺ったガーデン・パーティーに豪華な顔ぶれが一同に介すると耳にしていたから、どうしても足を運びたかったの。おかげで紅茶占いを披露出来たし、名前を売るのにまずまず成功したわ。まあ、営業なんかしなくても仕事はそれなりに順調だけど。今日もこのあとカドガン・ガーデンズにお住まいの貴婦人を占うために彼女を訪問する予定なのよ。確かフルール・ド・ピヴォワンヌと言ったかしら。きっとフランス人ね。名前に『ド』が入っているから貴族でしょう」
「いや、フルール・ド・ピヴォワンヌはフランス帰りのイギリス人だよ。そして貴族ではなく、フランスで名を轟かせたオリゾンタルさ」
「オリゾンタル?」
「水平――つまり、横になった女性の意味で、高級娼婦のことだよ」
「まあ!」
高級娼婦と聞いて、シャーロットは頬を赤らめた。
「我らが大英帝国の社交界でも少なからずスキャンダルを巻き起こしていたようだが――ロティ、君は高級娼婦を相手に占うのかい?」
「もちろんよ。仕事ですもの」
「では、僕も君と一緒に彼女を訪ねることにしよう」
「どうしてそうなるのよ? あなたは彼女にお招きされていないんだから、突然伺うなんて失礼よ。それに、あなたのように身分のある人間が高級娼婦に会いに行くだなんて、社交界の噂の的にされるわよ」
「余計な心配は無用さ。君のパトロンとして一緒について来たと言えば会ってもらえるだろう。――さあ、行きましょうか、ミス・フォーチュン」
「失礼ながらエルシンガム伯爵、あなたは私のパトロンなんかじゃありませんことよ。ちょっと――ねえ、聞いてるの? 耳を塞がないでちゃんと人の話を聞きなさいよ! アート!」
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