第25話

 凄まじい量のエネルギーが体から吸い上げられているのがわかる。生み出した力場を足がかりに空中を駆け上がっていく茨の薔薇仮面にぶら下がったまま空を見上げた。花弁の薔薇仮面の安否が、ブンブンの命がかかっているからだろう。かなりのスピードで上昇している。

「見えたわ。スーツの視覚補助を使って!」

「なんだそりゃ」

「意識すればできる! 見えないものを見たいって願え!」

 半信半疑ながら従うと途端に何も無かった空がぼろぼろと剥がれ落ちそこに宇宙船が現れた。スーツの力で敵のカモフラージュを暴いたらしい。町を覆わんばかりに巨大な円盤が、何か細工があるのか日光は遮らずに浮かんでいる。

「資料で見たことある。星喰いの船よ」

 キラキの声を聞きながら覚悟を固める。

 進んだ文明を持った種族が浄鬼源を携えて攻め込んできた。狙いはおじさんで、戦意のないおじさんを引きずり出す為にモミジが連れて行かれた。

 あの中でモミジがどんな目に遭わされているか。それを考えると身体が熱く煮え滾る。その想いが赤仮面スーツに力を与えているようでエネルギーを吸われているにも関わらず何ともない。

「あの絶仮面も強いのか? 原初浄鬼源って奴か?」

「強いのはあんたも見たでしょ? ブンブンがあんなにあっさりやられるなんて、研修生時代からずっとなかったことなのに!」

 行く先にその花弁の薔薇仮面が見えてきた。無数の浮遊兵器を前に大立ち回り、分の悪い戦いを強いられている。その一撃がどれだけ強力かは俺も知っている。だというのに浮遊兵器は数が減らない。

「キラキ、なぜ来た! 待機するよう言ったはずだ!」

「だって私たちは――」

「俺が連れてけって言ったんだ! モミジが待ってんだ! 敵が強かろうが逃げるわけにいくか!」

「その通りだ。ヒーローが進む先は常に前へと決まっている。ならば一緒に来い」

 ブンブンの息が上がっている。そう長くは戦えそうにない。

「玄関先でごちゃごちゃやってんじゃねえ、さっさとあがり込んで家主ぶっ飛ばすぞ」

「しかし船の装甲は頑強だ。私では破壊できなかった」

「今は三人もいるだろうが」

 足元に力場を作って踏みつける。力場の生成は二度目でうまくいった。茨の薔薇仮面を巻き込んで高く上へと上昇する。

「ちょわっ、いきなり何!」

 エネルギー供給の為体に巻きついた蔓を掴んで振り回し、先端の茨の薔薇仮面を花弁の薔薇仮面にぶつける。ブンブンには意図が伝わったようだ。茨の薔薇仮面を抱いた両腕を伸ばし、その先で掌を合わせている。すぐに槍への変形が始まった。

 二人分の質量プラス遠心力プラス薔薇仮面の必殺技。これが今実現でき得る最大の破壊力だ。

「うっかりやり過ぎてお前らが死んじまっても、仇はすぐ取ってやるからな!」

「案ずるな、屍拾う者なしと覚悟は昔!」

「私は嫌だ!」

「いってこおおおい!!」

 全力を込めて回転させた二人の薔薇仮面を、浮遊兵器を巻き込みながら宇宙船の外装に叩きつける。食い込んだ槍は茨がまとわりついていた。コンビらしく合体攻撃があったようだ。

 轟音と共に傾いた宇宙船に大穴が開いた。外装が大きく抉られ露になった空洞はどうやら倉庫のようでコンテナらしきものがいくつも見える。

 力場を蹴って船内に着地する。蔓は解かれもう体は自由だ。

 花弁の薔薇仮面が床へ膝を付き、腕に変身を解いたキラキを抱いていた。

「こんなとこでラブシーンかよ、場所考えろ場所を」

 キラキは口の端を持ち上げて少し笑っただけだった。悪態を返す気力も残っていないようだ。ひどく汗をかいていて顔色も悪い。

「宇宙正義が貴様を認めたようだ」

 ブンブンに言われてなんのことかと疑問に思っていると、首元で風にはためくマフラーに気がついた。赤いスーツに映える純白のマフラー。

「これからは貴様の行動全てが正義だ。赤色彗星の浄鬼源がそれを証明する。行け、赤仮面。少し休んだら我々も必ずあとから行く」

 言われるまでもなく奥へと駆け出しながら、初めてブンブンに赤仮面と呼ばれたことに気がついた。だからといって足は緩めない。振り返らない。きっとヒーローとはそういうものだろうから。


『この期に及んでまがい物を寄越すか』

 通信が聞こえた。おじさんの声とは違う。星喰い、絶仮面だ。

『いいだろう。貴様を八つ裂きにして奴を待つ』

「てめえ! モミジに何かしやがったらただじゃおかねえからな!」

 応答が続かない。もしかすると通信は一方的なものなのだろうか。

『タカシくん。取り込んでいるとは思うが聞いてくれないか』

 ところが今度はおじさんの声が聞こえた。こちらは通じそうな気がしたが、素直に返事をする気にはなれない。

『モミジの母親について打ち明けたい。彼女は宇宙開拓屋と呼ばれ、未知の宙域を旅する言わば冒険家だった。全天平和維持機構の依頼で赤色彗星の浄鬼源を移送中に宇宙船が故障を起こして、僕に見つかった』

「あとでゆっくり聞きますよ。そんな大事なこと、この状況でするような話じゃないでしょうが!」

 力場を作って扉を破壊する手は休めずに抗議した。段々思うようにできるようになってきた。抗議は無視されおじさんの話は続く。

『まあそう言わずに聞きたまえ。上京したものの都会に馴染めなくてね、よく一人で山へ出かけては星を見ていた。そこへ彼女の乗った船が不時着してきたというわけさ。一目惚れだったよ』

「そんな話はモミジにしてやってください。血の色が変わってからでもいいから」

『そうか……あの二人に聞いたんだね』

「おじさん?」

 寂しげな呟きのあと、それきりおじさんの声は聞こえなくなった。が、次の瞬間それどころではなくなる。

『私、あなたなんか恐くないよ』

「モミジ!」

 通信で聞こえた声は確かにモミジのものだった。こちらの呼びかけには反応がなく聞こえていないらしい。間違いないのはこれが絶仮面からの通信だということだ。モミジは奴と一緒にいる。

 急がなければ。穴の開いた壁を引き裂いて向こう側へ入り込む。闇雲に、船の中心を目指すくらいしかあてがない。犬歯は疼かないが心が疼いて進路を示した。

『私みたいな普通の……地球人をさらったりして、いけないんだよ。赤仮面っていう強いヒーローがいるんだからね』

『奴のことはようく知っている』

『やっつけられる前にやめた方がいいよ。そしたら私』

『黙れ』

 肉を叩く音が聞こえた。扉らしい切れ目の入った壁に当てた腕に、全身に力が漲る。

『奴を呼べ、ふざけた放送が我に届いたのが運の尽きだ。潔く現れねば一党を滅ぼされた恨み益々深くなるぞ!』

 怨念の篭った声の向こうですすり泣きが聞こえる。

『恐いよ……助けて……』

『そうだ、助けを求めろ! その役目を果たせなければ貴様を連れてきた意味は無い!』

『やめ、やめてっ――ケホっ……助けて』

 最早これ以上怒れというほうが無理だ。

『助けて……タカくん』

 望んだ以上に強い力場が生まれ、目の前の壁が粉々に吹き飛んだ。

 その先に現れたのは大広間。部屋の中心に絶仮面。すぐ横にモミジが柱に張り付けにされていた。意識を失ったのかうな垂れて、口元で血が白く光っている。

「来たか、まがい者。今度は貴様を締め上げて奴を待つ」

 全身に力が満ちた。固めた拳を構えて絶仮面へ向けて一直線に飛ぶ。

「間に合ったようだな!」

 横に花弁と茨の薔薇仮面が追いついてきた。二人は蔓で繋がっている。バッテリー役はブンブンが引き継いだようだ。

「あんたはあの子を」

「わかった!」

 絶仮面を飛び越しモミジが張り付けられている柱をへし折って壁へと運ぶ。拘束していた輪を砕いて自由にすると腕がだらりと下がって思わずうろたえてしまうが、どうやら気を失っているだけのようだった。出血も大したことはない。だからといって許せるものか。

 壊して入ってきた扉の外側にモミジを運んで寝かせるとすぐに意識を切り替える。薔薇仮面二人で絶仮面を相手に希望が大きいとは思えない。加勢がいる。

 本当ならこのままモミジを連れて逃げ出したかった。しかし敵は接触した文明を残さず滅ぼす凶悪な宇宙人。逃げ出すだけでは助からない。モミジを痛めつけた復讐もまだだ。

「モミジ、悪いけどちょっとだけ待っててくれよ」

 寝顔に言い残して広間へ戻ると想像以上の絶望があった。

 薔薇の二人ともが床に転がっている。どちらもスーツを脱いだ生身だ。自分で脱ぐはずがないのでブンブンの方もキラキと同じ状況に追い込まれたらしい。彼らはヒーローとしての力を失った。

 息を吸い込んで、吐く。当たり前のことを意識する。

 緊張に呑まれるな。もう俺しかいないんだ。俺が負ければ何もかもが終わる。

 緊張も一緒に胃で溶かしてしまえるように唾を飲み込むと、不意に肩をぽんと叩かれた。

「大丈夫、君は一人じゃない」

 俺の横をすり抜けすたすたと軽い足取りで進んでいく赤い大きな背中。赤仮面と同じデザインのヒーロースーツだ。成人サイズで、モミジが窓辺に飾ったフィギュアと同じ勇姿。

「君がヒーローである限り、宇宙正義が味方する。もちろん私もね」

「え、おじさん? おじさんがなんで!」

 声は間違いなく聞き慣れた、これまで散々無理難題を口にしてきたあの声だった。

「過去の因縁を片付けに来た。奴を相手にするなら僕が出て行くのが筋だからね。かなり遅れてしまったが。ブランクがあるから大目に見てほしい」

 言いながら、少し先で立ち止まってポーズを取る。場慣れした身のこなしはかつての姿を想像させた。このヒーローに地球が守られたことも、もしかするとあったのかもしれない。

「絶対無敵! 正義の具現! 瞬間最大正義力ランカー! 宇宙ヒーロー赤仮面参上」

「無茶はやめてください! それ、演習用の劣式浄鬼源じゃないですか! ――うぶっ」

 半身を起こしたキラキを撥ね、絶仮面がおじさんに踊りかかった。一蹴りで吹き飛ばされたおじさんは壁に激突して更に床で弾む。力場を使ったような様子はなかった。まともに受けている。

「やれやれ……まいったな。見た目だけ似せても同じようにはいかないね」

「無様だな。しかし待ちわびたぞこの時を」

 ようやくおじさんに出会えた絶仮面は歓喜に打ち震えている。仮面の下の顔は醜く歪んでいることだろう。

「貴様であればもう赤色彗星でなくても構わん。自ら死にたいと懇願するようになるまで苦しめてやる。六万の同朋の仇だ。そう簡単に死なせはせんぞ!」

「六万? 水増しはよしてくれたまえ。あの規模なら三分の一がいいところだ」

「残りは我が殺した。復讐などどうでもよいという死んで当然のくだらん連中だ」

「死んで当然の仇なのかい? やれやれ、めちゃくちゃを言ってるね。それで一人なんだな。星喰いなら当然だけど、話し合いの余地はなさそうだ。さて、準備はいいかなタカシくん」

 絶仮面へ注意は残しつつ、おじさんが俺に呼びかける。

「未熟なままこんな難敵に挑ませてしまって申し訳ない。まさか浄鬼源が、それもよりにもよって隔世黒点が出てくるとは思わなかった。僕のミスだ」

 喫茶店のおやっさんになりたいと言っていたおじさんが前線に出てきた。つまりはそれほど余裕のない状況ということらしい。

「おじさんは引っ込んでてください。スーツは三級品で、心の力も年取ったおじさんじゃ俺たちほど力出せないんでしょ」

「確かに僕は君たちほどには心の動きも激しくはできない。でもね、年を重ねるごとに積み重なる感情というのもあるんだよ」

「愛情ってやつですか。やめてくださいよ恥ずかしい」

「そんな綺麗であるもんか……無念と後悔だよ」

 何のことかと、聞き直す余裕はなかった。絶仮面が突進をしかけてくる。

「それなら我には憎悪がある!」

 おじさんと左右に分かれてかわし体勢を立て直す。

「応援の宇宙ヒーローが到着するまで時間を稼げるかどうかが私たちの勝負だ! いいね、勝とうと思っちゃいけない。時間を稼ぐんだ!」

 おじさんは弱気なことを言いながら好戦的に踊りかかった。かと思うと空中で急角度に方向転換して一気に距離を取った。絶仮面は完全に翻弄されてバランスを崩す。さすが経験があるだけあって状況判断と力場の使い方が卓越している。

「今だ!」

 合図されるまでもなく体が動いた。蹴り足に最大の力を込め背後から絶仮面を狙う。

 が、寸前で力場に弾かれてしまった。乱回転して天地の感覚を失う。おじさんに受け止めて助けられるのが情けない。

「自分を稲妻や大嵐だと思いたまえ。敵を貫くつもりで攻め、振り回すつもりで動くんだ」

「おじさんがアドバイスなんて、珍しいですね」

「今まで元ヒーローだなんて言えなかったからね。説得力ないだろ? 現場に出ない奴の助言なんてさ」

「そりゃそうだ」

「ぶつかり合いでは勝てない。一瞬の隙を探すんだ」

 おじさんが力場で自在に動き回り翻弄するも、それも次第に追いつかれるようになった。何しろパワーとスピードで圧倒されている。捕まる度に俺とおじさんは何度も何度も壁や床へ叩きつけられ、その度に立ち上がった。

「どうだいタカシくん。いけそうかい」

 近付く足はふらつき敵の姿は霞む。

「あとちょっとってとこですかね」

「その意気だ。膝をついてからが本当のヒーローだよ」

 そう見えなくとも、ゾンビのようでも構わない。何度だって、勝つまでは。

 渾身の攻撃が通じない。あの薔薇の二人でも駄目だった。おじさんとの即興の連携は今ひとつ機能していない。

 だが逆転に必要な段違いの攻撃力なら、一つ心当たりがある。

「おじさん、引退前の戦いで使った最後の手段ってやつを教えてください。俺がやります」

「〝落星〟は代償が大きい。浄鬼源に奪われ感情を失ってもいいのか。元通りになるまで私も五年以上かかったのに、君を同じ目に遭わせるわけにはいかないよ」

 モミジを連れ帰ってしばらくおじさんの様子はおかしかったと父が言っていた。笑わなかったと。その話と繋がる。それでもいい。助かるのなら、助けられるのなら。

「このままじゃ死んじまうでしょうが!」

「あの時私は五桁に届く命を奪った。敵とは言えあれはヒーローのやることではない」

「俺はモミジを守る為ならなんでもやる! 悪だってやってやるつもりでいるんです!」

 その結果、また強力な敵がやってくるとしても、今はここを飛び越える力が必要だ。

 突進をかわし床を蹴って上へ飛ぶ。絶仮面のマスクがこっちを見て、全身を這い回る寒気を振り払うように気合を込めて思い切り膝を構えた。

「イナヅマぁっ!」

 力場を蹴って、上昇してきた絶仮面とすれ違い、もう一段力場で転換して動きの止まった絶仮面に目標を定める。貫く勢いは絶仮面を終点に炸裂した。

 おじさんの真似事だが、うまくできた。そう思った。しかし反撃は着地よりも早く届く。

 無造作に振り下ろした拳に打たれ、壁に激突するまで吹っ飛ばされた。防御に使った両腕が痺れる。

「でかしたぞタカシくん!」

 叫ぶおじさんは、どこから取り出したのか大砲らしきものを構えていた。既に打ち出された砲弾は無理に反撃したことで大きく体勢を崩している絶仮面に命中する。

 砲弾は薄く広がって絶仮面を包み込んだ。ヒーロースーツ装着の様子に似ている。ところが、全身を包んだだけでは終わらずに膨らんで球体の形を成す。どうやら、絶仮面を閉じ込めたらしい。

「緊急避難及び捕獲用のカプセルだ。内側から解除する方法はなく、ヒーローの戦いに巻き込まれても大丈夫なように非常に頑丈に作られているからまあ、多少はもつだろう」

「ヒーローに小手先の道具は必要ないんじゃなかったんですか?」

「私はもうヒーローじゃないからね。さあ今の内に、君は逃げるんだ」

 さあ今の内に。そうなれば当然攻撃の準備を始めるはずだった。それをおじさんは逃げろと言う。

「もうよくわかった。僕たちが力を合わせても絶仮面には抵抗できない。時間は僕が稼ぐから君はあの二人とモミジを連れて地上へ行くんだ」

 おじさんは死ぬつもりだ。言葉には迷いも畏れもなく、元々その覚悟があったことを感じさせた。

「させねえ。あんたが死んだらモミジが悲しむんだ。偽者の父親だと思ってても、それでもあいつにはあんたが父親なんだ」

「私は本当に偽者だ。モミジと血は繋がっていない」

「何言って……」

 話しながらおじさんは何かの部品を大量に床へ広げそれらを組み合わせ何かを作り始めた。

 作業の間動き回る度に体から落ちる滴りが床を濡らす。血だ。演習用のスーツでは絶仮面の攻撃は荷が重かったらしい。しかし問題はその色、見慣れた赤さに驚愕する。

「なんで、その……血?」

 おじさんは昔、モミジに赤い血を流しているように見せかけた。でもそれは俺が先入観でそう思っただけで、おじさんは本当に自分の血を流しただけではなかっただろうか。

「僕は正真正銘地球人だ。四年間宇宙でヒーローとして過ごし幾つかの宇宙技術を持ち帰ったに過ぎない。その間ずっと移動が激しくてね。血が特定の宙域に染まるということはなかった」

 全てに納得がいく結論。照山久士が宇宙人でないなんて考えもしなかった。

「モミジの母親、サラサさんは僕が一目惚れをした相手だ。しかし一緒に過ごせたのはその一度きりでね。次に再会した時が最期でそれが十二年前。僕の最後の戦い、奴ら星喰いとの戦いだ。救難信号を出していた船にサラサさんが乗っていたんだよ。しかも妊娠していて、産気づいてた」

 赤仮面スーツの着用条件は〝違う星に生まれた誰かを愛していること〟なのだから、おじさんのショックは相当なものだったろう。

 理解が追いつかないまま全てをただ聞く。目の前ではおじさんが組み立てている物がなんであるか、全容が見えつつあった。武器だ。巨大な固定砲台。

「モミジの父親は僕も知らない。聞く暇もなかったからね。産まれた赤ん坊を僕に任せて、サラサさんは囮になってすぐに死んじゃったから」

 モミジの母親は本当に亡くなっている。残念な事実だ。おじさんもそこだけはモミジに嘘をつけなかったのかもしれない。

「それで僕は理性を失ってしまって、気がついた時には産まれたばかりのモミジが入ったカプセルを抱いて宇宙を漂っていたよ。極限を超えて浄鬼源の力を引き出したから本当なら全ての感情を喪失しているはずだったんだけど、一つだけ残ってた。復讐心だ」

 愛する人を失えば、たとえスーツに心を吸い取られなくともそうなってしまうかもしれない。俺もそうだ。モミジを失えばどうなるかわからない。

「そこで僕は思いついた。心を失って戦えなくなった自分の代わりに誰かを赤仮面に仕立て上げ、見逃した生き残りが仲間を連れてやって来るのを待とうってね。君にその浄鬼源を与え活動を宇宙に放送したのもその為さ。相手は星喰いだ。そんなことをしてただで済まないことはわかっている。僕は君を、この町を、この星を犠牲にしてでも自分の復讐を果たそうとしたんだ。非公式だけれど、星喰いの勢力を弱らせる名目で全天平和維持機構の協力も得てね」

 絶仮面を閉じ込めた球体が揺れ、表面にひびが走る。限界が近い。一方おじさんの組み上げた巨大な砲台は完成し砲身は顕微鏡がサンプルを覗くようにして球体を捉えた。

「自分が怨念の固まりとなったことで、敵方にも同じ恨みがあると気付いた僕の目論見通り奴は来た。宇宙ヒーローの防衛線を飛び越えてこの星にね。さあ、君が知りたかったことは全て話したぞ。もう行くんだ。今までありがとう、娘を頼む」

 随分とふざけたことを言う。

「聞きたいことならまだある」

「通信で聞くから逃げながら言いなさい。答えがほしかったら簡単な質問にするんだよ」

 俺たちは、そんな早口の別れの挨拶で縁を切られるほどすっきりした気持ちのいい関係ではなかったはずだ。

「ウェディングドレスと文金高島田じゃどっちがいい? 教会と神前ならどっち? ちなみに俺は全部やるつもりでいるから、どっちを多くするかって話だ。何かにつけちゃあ何度も何度も挙式する。まずは六年後。つきましてはその際資金援助をお願いします」

「タカシくん?」

「あんたはモミジとヴァージンロードを歩かなきゃいけないんだ。いなくなったらモミジが泣く。そんなの許さん。泣くのはあんただ。会場で感謝の手紙を読むモミジの前でボロボロ泣き崩れろ。送り出す感慨と本当は父親じゃない複雑さと俺に奪われる悔しさをちゃんと全部味わえ。あんたが何者でもあいつを娘と呼ぶ限り、あいつには必要なんだよお義父さん」

 避難用カプセルのヒビが大きくなった。その瞬間おじさんが引き金を引き、固定砲台から凄まじい量の光が砕け散るカプセルへと降り注いだ。

 轟音と揺れが収まるまでの間全てがスローモーションのようだった。しかし、これも無意味に終わる。

 時間をかけて細くなり途切れた光は何事もなかったかのように佇む隔世黒点の闇色に全て吸い込まれたように見えた。

 光線によって溶けた床は崖となり射線上から絶仮面を越えた部分だけを無事に残し、横から見るとまるで宙に浮いているようにして絶仮面は平然と立っている。

「小細工を弄し生にすがりつくがいい。より濃き絶望でなければ溜飲が下がらぬ」

 斜めに残った床は絶仮面の跳躍で崩れ落ちる。

「そうかい、お言葉に甘えさせてもらうぜ!」

 追いかけて飛び、空中で方向転換して絶仮面を蹴り落とし砲台へ叩き込んだ。砲台は轟音を上げて崩壊する。残骸の大半は床の穴へと流れ込んで雪崩の様相を呈し、その流れに紛れて絶仮面を掴んで穴の深くへと投げ落とす。

 強い恨みがあるからこそ、絶仮面は俺とおじさんが並べば俺を標的に選ぶようだ。中身が入れ違っていることがわかっていても、赤仮面の姿から目が離せない。そこに付け入る隙がある。

「小細工しようじゃねえか、生にすがりつこうじゃねえか。俺は赤仮面、ご存知天下無敵の大ヒーローだ。あんたがいくら死にたがったって俺にはもうSOSが聞こえてんだ! あんた、本当は生きたいんだろう」

 モミジは俺に助けてと言った。お前は助けたけどおじさんのことは駄目だったよ。それじゃあモミジは喜ばない。いちいち指示されるまでもなく喝采町丸ごと救う、そういう痒いところに手が届くヒーローでなければ。

「もう身動きすら許さん」

 床の大穴から飛び出した絶仮面が掌をこちらへ突き出した。力場の一撃が来る。同じく両手を広げ、正面からそれを受け止めた。力場と力場のぶつけ合いだ。

「力比べは無茶だ!」

 ほとんど触れているような掌の間で火花が爆ぜる。こうして前面へ集中させ、手薄になった他の部分を攻撃する。狙うならこれしかない。

(大嵐っ――)

 掌を離して身を翻し、絶仮面の横手へ周り屈みながら足元へ蹴りを放つ。

 だが踏み込みか俺の足の長さが足りなかったのか、寸でのところで阻まれた。衝撃は上からきた。

 凄まじい重圧に潰されて床に這いつくばる。体を支える床面がひび割れながら下へ下へと沈降していく。

 力場を用いた超重力攻撃。反撃どころか、絶仮面が宣言した通り身動きさえできない。それもどんどん重くなっていく。このままでは圧死だ。

 おじさんにも範囲が及んでいるらしくうめき声が聞こえた。首すら動かせないので目視はできない。スーツの性能を考えれば俺よりもおじさんの方が遥かに危機だ。

「てめえ、俺の義理の義理の父に何してくれてんだこらあっ!」

 絶仮面は無言で佇んでいる。見下ろす先には苦しんでいるおじさんがいるのだろう。そのまま新旧赤仮面がぺしゃんこになるのを見届ける腹づもりだろうか。長い復讐の旅の終わりに感じ入っているのかもしれない。

 そんな幕引きはまっぴらだ。モミジに平和な世界をプレゼントしていない。第二次成長期もまだだ。いつか自力でモミジを見下ろして、何かこう、いいセリフでモミジにプロポーズを。これから先待っているはずのそんな楽しみが全部なくなってしまう。

 まずはこの力場をなんとかしなければ。力場、浄鬼源の自動防御。ベクトル、力の向き。

「作用反作用支点力点ああなんかそんなの理科でやったっけなあ!」

 力の向きを変えることができたら。スーツ表面で斜めに受け流し回転しながら抜け出し――いや重力と違い体が下へ引っ張られているわけではなくて直接力場によって上から力で押さえつけられ――。

 ごちゃごちゃとまとまらない考えをひきずりながら膝を、肘を立てる。

 誰かに囁かれているような、不思議な感覚があった。周囲を取り巻いていた力場の力の流れが、今や手中にある。

「貴様……なんだそれは」

 立ち上がると絶仮面が後ずさって数歩引いた。力場を何度か放ったようだが、こちらはなんともない。俺は、それを当然のように感じている。

 体が強烈な力場に包まれていた。空間を歪ませ辺りの景色を揺らめかせている。まるで炎の中にいるかのようだ。

 確信する。これが赤仮面スーツの特性だ。己だけでなく、周囲の大気をも巻き込んで燃え上がる赤色彗星。相手の力場を自分のものにする能力。

「君は本当に凄いな。僕以上に赤仮面に、適応してしまった」

「この土壇場で――貴様を先に――」

 おじさんの無事を確認して安堵し、混乱して叫ぶ絶仮面が闇雲に生み出した力場を掌握する。

 目の前には悪党、俺には力がある。やることは一つだ。固めた拳を振り上げ、突進する。

「お前にも事情はあるんだろうが、正義は勝つってことにしといてくれよ――!」

「浄鬼源を正義の象徴にしたのは貴様らの都合でしかない! 無法者は貴様らの方だ!」

「悪いな、実は正義とか興味ねえんだ! そんな、ヒーローみたいなことにはな!」

 黒い球体が現れ絶仮面の姿がその後ろに隠れた。

「よけなさい! それは――」

 警告を聞くまでもなくこれを突破するのは危険だとわかった。切り札、ヒーローを無力化するという絶仮面の特性に違いない。

 力場も無効化するかもしれないと考えれば避けるしかない。しかし俺の後ろにはおじさんがいる。この攻撃に無力化するだけでない攻撃力があるとしたら避けるわけにはいかなかった。

 つま先を伸ばして立ち止まり両足を踏ん張って構える。当たるわけにはいかない避けるわけにはいかない。死ねない。

「モミジぃ!」

 無我夢中で両拳を突き出しながら吠えた。

 これで駄目なら、俺の人生は最期まで板ばさみだったことになる。

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