第4話
暗い部屋で、正面の背中を見る。通気の悪そうなエナメル質の服が微かな光沢を放っている。
「ところで」
話が長くなりそうな気配をなんとなく感じて気鬱になり、視線を横へやって壁のあちこちでぼんやりと光るパネルの一つを見た。
ここは赤仮面秘密司令室。出動中通信機能を使って指示を送るのがここらしいが、実際見たわけではないのでこの部屋が具体的にどういう機能を持っているのかは知らない。
「君が赤仮面となってからもう二年が経つかな」
照山久士。モミジの父親で、俺を改造した正真正銘の宇宙人だ。ここ赤仮面秘密司令室では彼が最高責任者にして唯一のスタッフで赤仮面にとっては上司に当たる。と言っても何もかも彼が用意したごっこ遊びの題材だ。
彼がどうしてこの土地に住むようになったのかは知らない。一族として古くからいるのか、それともモミジが言うような乗っ取りがあったのかさえも。モミジに隠し事をしているつもりでいるが、実を言うとその隠している中身については俺自身本当のところをほとんど知らないでいる。
「君はよくやっていると思う。しかし現時点での成果に私が不満を持っていることも事実として知っておいてくれ。そう、私はとても不満だ」
振り返り息を吐いただけでは足りないらしく、短く揃った顎鬚を撫で、七三分けをかきむしりと様々に苛立ちを表している。
「いや成果って言われても。ちゃんとやってますよ。死にたくないですし」
「そんな目先のことじゃあないんだよ。赤仮面が広く認知されることが肝心なんだ。正義の存在が強くあればこそ、平和は実現するのだから」
彼が正義の味方を作り出したのは無償で己を犠牲にし弱きを助ける正義があることを社会に知らしめる為らしい。平和な町に必要もない過剰な文明技術を持ち込んでのヒーローごっこ。職もなく時間を持て余した彼のライフワークといえる。照山家は駅前に土地を持っているおかげで働かなくとも生活には困らないらしい。そういうことになっているが、何しろ宇宙人なので実際どうかはわからない。他の方法は幾らでもありそうだ。
「しかしまあどうすればいいのか。活動範囲を広げても効果的だとは思えないしなあ」
そんなことをされては身が持たない。時間を取られすぎて生活できなくなってしまう。
「そんなに有名にしたいならおじさんもやったらいいじゃないですか。その方が効率いいですよ。どうせおじさん暇でしょ」
「何度も言っているだろう。僕はヒーローをやりたいわけじゃないんだ。派手な表舞台の裏で指揮を取る司令官や主役を支える喫茶店のおやっさんがやりたいんだよ。だからこの格好の時には〝司令〟と呼ぶよう言ってあるんじゃないか。おじさんはよしなさい」
襟を引っ張ってテカテカと光るブレザーを強調する。ヒーロー物の特撮番組で見るような恰好だが、表に出ないのなら衣裳になんの意味があるのだろうか。不毛なやり取りになりそうなので追求したことはない。
「ところで司令。提案があります」
「何かね」
窮屈なくらいにきっちりと気をつけの姿勢を取り軍人が上官に申し述べるように改まった口調で話す。おじさんも厳しい顔つきで答えた。ごっこ遊びならこうした型にはまったやりとりが嬉しいに違いない。
「参上の時に名乗るのはやめませんか? 知れ渡ってくると動きが取り辛くて仕方がないんです」
「君は馬鹿かね。今赤仮面の認知度を上げることについて話していたんじゃないか。知れ渡って結構、歓迎すべき展開じゃないか。何を勘違いしてるんだ」
「でもモミジがですね、赤仮面について調べてるんですよ」
「ほほう」
おじさんの目が怪しく輝く。これは余計なことを言ったかもしれない。
「それは正義に興味を持っているということかね。素晴らしい。あの子には是非とも正義と平和を愛する心を持ってほしい」
体から力を抜いて息を吐く。これでは何を言っても通じそうにない。この宇宙人は何を考えているのかさっぱりだ。そもそもこの不誠実な父親では、始めからあてにできないのかもしれない。
地球上にモミジと唯一同じ生物であるおじさん。本当ならモミジの妄想をどうにかして安心させるのは彼の役目のはずだが、彼はそれを放棄してしまっている。全てはモミジに対する身勝手な愛情の為だ。
あの日俺を改造したあと、あろうことかおじさんは髭剃りに失敗した振りをしてモミジに赤い血を流しているように見せかけた。率先して嘘をついた。
本当のことを知れば娘が苦しむから、騙していたとばれたら嫌われてしまうかもしれないから。そう言って俺に妄想の膨らませ役を丸投げし結局はモミジを孤独にしている。
一緒に暮らす父親すら別の生き物と思い込んでいるにも拘らずモミジが精神を平常に保っていられるのは当人の性格が命綱になっているに過ぎない。地球を愛し父に成り代わったのであれば、地球人と知られることさえなければ変わらず父として振る舞ってくれるはず。そんな風に父親という存在そのものを信じて接している。他の場合と同じようになかなかうまくいかないが、おじさんは全て事情を把握しているので俺としては端で見ていてもハラハラしない。
父親が宇宙人。誤解と嘘が重なり合い、間違いだらけのモミジの妄想が偶然正解を生み出した瞬間だった。
「とにかく、さっきの提案は認めない。今後も赤仮面として町内に正義のあることを周知徹底していくように。不満があろうと君は従うより他はない」
言ってから頬を指先で叩く。右の犬歯の辺りだ。
「わかっているね? 君は運命を選べない」
逆らうな、ということだろう。彼の気分次第で犬歯は爆発する。
せめて皮肉の一つはぶつけてやろうと口を開きかけた時、部屋の入口がノックで震えた。
「パパ? タカくん……来てる?」
モミジの声。驚いておじさんを見れば俺以上に慌てた様子でさっと腕時計をいじる。すると壁や天井が音もなく回転して本棚や白熱灯の、ごく普通の部屋へと姿を変えた。赤仮面司令室の仮の姿、おじさんの書斎だ。司令室は彼の家、それもモミジの部屋の隣にある。
今はモミジが風呂場へ膝を洗いに行った隙を見て報告に来ていた。
「入っていいよ」
エナメルから和装へ服を変えたおじさんが促すとごく普通の木製の扉が開き、隙間からモミジが顔を覗かせた。首から下を出さないのはけがをした膝がおじさんから見えないようにする為でもあるが、単純に怖気づいているせいでもある。本当は唯一の同胞をモミジはこうして異種の生き物として恐れている。
「タカくん、部屋で待っててって言ったのに」
「ちょっとおじさんに相手してもらってたんだ」
司令室として展開している間は扉が開かない仕組みになってはいるが、外から呼ぶ声を聞き取れずに寂しい思いをさせては忍びないという親心から、壁は防音加工機能すら備わっていない。もしモミジが扉の裏で聞き耳を立てたらそれでおしまいだというのに、おじさんは「あの子はそんな行儀の悪い真似はしない」と跳ね除ける。親ばかだ。
父親が信じる通り、普段のモミジは法律や社会的なマナーを重要視している。妄想の中では宇宙人は地球の習慣を気に入っているわけで、溶け込んで暮らすには自分もそれに従うべきと考えているからだ。また宇宙人征服以前から伝わる文化的遺産という理由でも尊重する。
「ありがと、パパ。タカくん、私の部屋行こう」
「ああ。おじさん、さっきの話もう一度考えてください」
首を引っ込めたモミジを追い小さく礼をして書斎を出る。要望が叶えられる見込みがないにしても言うだけは言っておきたい。不満をこぼせる相手は他にないのだから。
照山家はこの地域に多く見られる木造の平屋で、ただし小さい頃にほとんどを改修してあり床が全面フローリングになっているなど内部は日本家屋的な雰囲気を失っている。おじさんとモミジの他にはいない家なのでとても静かだ。祖父・祖母はおじさんが若い頃に亡くなっている。
前で揺れるモミジの髪は洗う時に邪魔になったのかまとめられいつもより高い位置にある。歩く度左右に揺れる毛先を見上げながら隣の部屋に入った。
モミジの部屋は色合いの派手さこそないが女子らしい柔らかさがある。一方、小型の冷蔵庫や電気ポットと物が充実している点におじさんの甘やかしぶりも窺える
モミジが正面の窓際に寄りさっとカーテンを閉めた。明るく照らされていた部屋は夕暮れの日を遮られて暗く落ちる。
「ね……見たいでしょ?」
振り返ったモミジの口の端がゆっくりと持ち上がるのを見ながら唾を飲み込んで喉を鳴らし、後ろ手に扉を閉める。密かに楽しみにしていた、誰にも言えない楽しみの始まりだ。
椅子に座ったモミジが前へ投げ出した足。けが自体そう大したものではなかったので既に出血は止まっていた。凝固しかかった血液は部屋の薄暗がりの中ぼんやりと光を灯らせている。時計の文字盤によくあるような蛍光塗料よりももっと弱々しい光だ。そっと手を伸ばして何者からも守ってやりたくなるほど儚い。
「うーん……やっぱり変態っぽい。地球人的感覚から言わせてもらうと、こういう趣味はどうかと思うよ」
座り込み見惚れていると頭の上から非難が降って来た。傷口を眺めて悦に浸る。変態趣味と石を投げられたとしても不思議はない。
どんな間抜け面をしているかわからないので顔をこすって顔の筋肉をほぐした。
「すまん、さっさと片づけよう」
改めて消毒液・軟膏・ガーゼで手当をしていく。血と同じくかさぶたも白くなるので完全に治るまでは隠しておかなければならない。
傷口に大げさな包帯を巻きつけ、治療兼目隠しが済むとカーテンを開いて窓を開けた。鼻腔を塞いでいた消毒液の臭いが攪拌され薄れていく。
「ねえ、赤仮面ってさあ。一体何を目的としてるの?」
モミジは机に向かい、パソコンの電源を入れた。ぶいんと音がしてブラウン管に電気が巡る。始終気になっているはずなので唐突とも言えない話題だ。
「さあな」
これに関してはとぼけているのではなく本当によくわからない。おじさんの酔狂、手間と技術のかかったごっこ遊び。ほんの多少の地域貢献。それ以上の目的がないのなら、余りにも馬鹿馬鹿し過ぎはしないか。
俺に答えられる質問であろうとなかろうと、爆死に関わる情報は受け付けられないせいでモミジは毎度むくれる。今回もいつもと同じようにそうなるはずだった。ところが今日は企みでもあるかのように、にやにやしている。
「……? どうした」
「むっふー、ちょっとこれ見てこれ」
交代に椅子に座らされる。目の前には丸っこいデザインのパソコンの画面。肩の上から腕を通しパソコンを操作するモミジの顔が横に来た。風呂場に行ったからといって体を洗ったわけでもないのに甘い香りを感じて心臓が高鳴る。
画面に〝赤仮面〟の文字が映し出されたことで脈は更に強くなった。
「おいちょっと待てなんだこれ」
詳しくないのでよくはわからないがインターネットのサイトだ。タイトルは〝宇宙ヒーローナビ〟となっている。これまでとは違う、今度とは仮想空間でまたわけのわからないことが起きている。ぞわぞわと全身の毛が騒いだ。
「私が作ったサイト。私が聞き込みして回れる範囲には限界があるけど、これなら世界中の情報を集められるでしょ? 他の地域ではどんなことをしているのか。広く観察してれば目的も見えてくるかもしれない。
ううん、他の地域にもそれぞれ他のヒーローがいて、赤仮面じゃあないかも。それともそもそも〝赤仮面〟っていうのは単なる記号なのかも」
ごく近い距離から顔色を窺われる。こちらは脇の下を冷たい汗が流れるのを感じて呼吸の乱れを抑えるのに必死だ。答える余裕も返せる言葉もない。
「それにもう、私だけじゃないんだ」
画面が切り替わる。電子掲示板、いわゆるBBSだ。驚いたことに、こんなおかしなサイトにも訪問者はあった。〝赤仮面〟を名乗る謎のタイツ男に救われたという喜び、というより戸惑いの声が幾つか書き込まれている。
これは恐喝されていた塾通いの高校生。こっちは積み荷を崩した運送業者。助けられた状況を黙読しながら思い出していく。ほとんど毎日出動はあるので一つ一つに深い印象があるわけではないが、どれも覚えがある。
知らず知らず弛んでいた頬を指先で伸ばす。意義もわからない甲斐なき活動を憶えている人がいる。感謝の言葉も見つかった。嬉しいことだが、モミジに悟られると厄介だ。
「赤仮面はちゃんといるんだよ。でもこの町以外で赤仮面を見たって話は出てこない。情報が規制されてるんだと思う。この町では規制が緩いのか、この町の赤仮面が特別頑張っているのかはわからないけど」
「お前、こんなことして危ないとは思わないのか」
反乱分子赤仮面の情報を集めること、命取りに繋がりそうなものだ。しかしモミジはきょとんとしている。
「だって、個人情報保護法があるでしょ。例えばこのプロバイダーで働いてる人も、お巡りさんや弁護士さんに請求されない限り私の情報は表に出せないし。お巡りさんや弁護士さんの仕事をしてる人は地球人として働いてるわけだからそういうことに構うわけにはいかないし」
そうだった。モミジにとって法律というものは当然守られるべきものだった。
「当局が本気出して、宇宙人ならではのやり方で私のこと調査しようと思うんなら、きっと赤仮面だってもう何か妨害に合ってるはずだよ」
モミジが振りかざす一見強引な理論には時々納得させられるものがある。
「へえ、こんなことができるようになってたんだなあ」
「えへへ、タカくんも入る? 赤仮面コミュ」
「何言ってるのかわからないけどうちインターネットできないからな」
素朴に感心するだけでこれがのちに影響を与える問題とは思えなかった。普段ならともかく、赤仮面に変身した状態であればつけ回されたとして目視を振り切ることは造作もない。個人レベルの目撃情報を集めたところで心配はいらないだろう。
より効率的に情報を収集しようとしていることは危機に感じたが、結局最後は俺自身が気をつけるしかない。あとのことは今まで通り膨らむ妄想に任せておけばいい。そんな風に安易に考えた。
「タカくんちもネット引いたらいいのに。田舎だからプロバイダ選べないけど」
「新しい電化製品の話するとじいちゃんばあちゃんが拗ねるからなあ、わかんなくて」
「炊飯器もマイコンついてないもんね。業務用みたいなの」
「冷蔵庫の氷作る奴みたいな、勝手に動く奴なら平気なんだけど、スイッチがあると駄目だな」
「宇宙にはもっと凄い機械があるのに、よく不便なの我慢できるよね」
「ええと……フッフッフ」
会話が苦しくなってきたのでマウスのボタンをテキトーに叩くとどこかのニュースサイトが表示された。
「ねえ……戦争って一体なんなの?」
モミジの口調が沈んだ。海外の内戦を伝えている記事タイトルが目に入ったせいだろう。たくさんの記事の中に埋もれるような一行分。だがしかし確実にこの地球上で起きている悲劇だ。
「宇宙人はどうしてそんなことまで再現してるんだろう。面白いはずないんだから、それだけなかったことにするとかしてくれたらよかったのに。それも地球の文化だなんて言われたら、私嫌だな」
宇宙人は何を考えているのか、同じ疑問は俺にもある。
赤仮面ならば地球上全ての軍隊からの集中砲火をものともせず戦争を止めることもできるだろう。だが、そんな予定はない。遥かに優れた技術で繰り返される不毛なヒーローごっこに付き合っている身としてはまるで加害者のような気持ちになった。
沈黙を続けるだけ、こんな苦しみを一体いつまで続けていればいいのだろうか。
心を静めて平面を想像する。自分すら存在しない静寂。
『遠くから声が聞こえる。子供の泣き声だ。誰かに虐げられて泣いている。君の足元に花びらが落ちる。誰かに踏みしだかれ、無残に散った花びらだ』
夕食後宿題を片づけながら風呂の順番を待っている間に犬歯が疼いての出動中、宇宙における戦争について質問してみたところ今までにも何度かやらされたイメージトレーニングをさせられた。
己の内の正義を揺り起こす方法だそうだ。今ここで何の意味があるか、教えてはもらえなかった。
『赤仮面スーツの性能を過信するのは構わない。だが自分を過信はするな。地球上の軍隊の集中砲火? 確かに赤仮面スーツは傷一つつかないだろう。しかし中の君はミンチだな』
スーツ本来の性能を引き出せていないことは普段から耳にたこができるほど聞かされている。だが危機感はない。この町にヒーローが必要とは思わないからだ。脱輪した車はトラクターで牽引してもらえばそれで済む。不良を小突いたところで平和が生まれるとも思えない。
そもそも今の力でも赤仮面は充分人類を圧倒できる。今日の相手、暴走族が相手でも同じことだ。数は問題にならない。
深夜の町外れ、住民の生活圏から一歩引いた二車線道路はこうして中央であぐらをかいていても支障をきたさないほど通行がない。谷間を小川に沿ってうねうねと進む道は昼間は表の混雑を避ける裏道として機能しているが、間営業も無い町で社会機能が休眠した今ここに用があるのはやはりまっとうでない人間だけなのだろう。
立ち上がりながら耳を澄ますと遠くから耳喧しい排気音が聞こえてきた。獣の咆哮にも似て夜の山々に反響している。
『争いに関して言えば宇宙もそう事情は違わない。苛烈な戦いが毎日のように続いている。理由を問われたら、それぞれの主張を通し、それぞれに都合のいい宇宙を作り上げる為かな。根本にあるものは思想だったり利権だったりするから、それも地球と違わない』
道の向こうにヘッドライトの光が見えた。不要なパーツでめったやたらと飾られた複数のバイクが蛇行しながら近づいてくる。元々それほど速くはないが、充分に視認できる距離になってもスピードを緩める様子はない。
片手を伸ばし、横をすり抜けようとした先頭のバイクのフレームに触れ押し留めた。後輪がアスファルトを擦って甲高い嫌な音を立てる。
通り過ぎようとした連中も異変に気付いて止まり、群がるようにして集団に囲まれた。
「あんだぁテメーは!」
ヒーローは問いかけに応えなくてはならない。さっと腕を上げポーズを取る。
「虫も遠慮の静けさ破る、勝手気ままな大騒ぎ。無為なる欲の騒音を、断じてくれよう赤仮面」
案の定、嘲笑の的となった。
十代と思しき若者ばかり三十人くらいだ。この田舎でマイナー趣味の同好の士がこれほど集まるとは考えにくいので他所の土地から来たのだろう。たまに集まっての迷惑な会合を妨害するのが正義の味方の今回の仕事だ。
「ぶっ殺されてーのかクルゥア!」
バイクは止まったものの何人かが空ぶかしを繰り返していて静かになる様子はない。何かしら手を下す必要がある。
この状況で正義のヒーローができることは何か。バイクをスクラップにして道端に転がすことは造作もない。だがそこまでしては恨みを買ってしまう。何か後腐れのないやり方が無いものか。それにどこから来たかもわからないこの連中から移動手段を奪ってしまえば帰り道に新たなトラブルを起こしかねない。
理想的なのは彼らが別の趣味を見つけること。二度とこの町をルートとして選ばないようにすること。説き伏せるような話術はないので脅かして二度とここへ現れないようにすることが上策だろうか。正義のヒーローらしからぬ戦略なので司令室から不満が出るかもわからないが。
考えている間鼻が触れそうなほど接近して凄まれた。空ぶかしの騒音や四方八方から浴びせられる汚い言葉など、精一杯の威嚇は動じる程の脅威にはなりようがない。宇宙の技術が導入された戦闘服に対し、彼らはエンジンに直接跨るというシンプルな作りの機械の操縦者たちだ。むしろどうやり過ぎずにしっぽを巻いて逃げ出してもらうかに留意しなくてはならない。
「聞いてんのかテメー。やっちまうぞ」
「そうだそうだ!」
「ハハハ、落ち着いて話し合おう」
安い挑発は無視し、冷静に状況を見渡す。過ぎるくらいに慎重でなくては無用な破壊を生み出してしまうだろう。圧倒的な力を持つ者として、その奮い方を考える義務がある。
「すっとぼけてんじゃねえぞ」
「そうだそうだ!」
「このチビ」
「ハハ――今なんつったてめえ!」
手近な不良を押しのけ赦されざる暴言の主に指を突きつける。
「謝れ! 普段俺に気を遣ってくれてる連中に謝れ! 思ってても誰も言わないんだからな! 大体成長ホルモンの分泌時間をわかってんのかこら。俺の身長が伸びないのは毎日こんなことやらされてるからでつまりてめえらに責任もあるだろうが――さっきからうるせえんだよ!」
空ぶかしを繰り返していたバイクのやたら長い排気管を引き抜いてぐしゃぐしゃに潰す。前衛アートと化した排気管が路上に転がった。
『あーあ。壊したらかえってうるさくなるのに。確かに彼らはうるさくする為にバイクを改造してるわけだけど、外しちゃえば静かになるってもんでもないんだよ』
通信のため息を聞いて我に返る。少々冷静さを欠いていたようだ。今の行動をただの暴力をするわけにはいかない。
手近にいた不良を押しのけ跨っていたバイクを持ち上げ、元来た方へ向きを変えて置き直す。見せ付ける為にわざとゆっくり、他のバイクも次々に同じようにしていった。
不良たちは相当驚いたらしく固まっている。気がつけば随分静かになった。
「ほら、来た道戻れ。静かにな」
こちらの力は見せたので自分たちの力では敵わないと充分に理解できたはずだ。
しかし残念ながら心を折るまでには至らなかったようで、一人が奇声を発したのをきっかけにそれぞれ武器を取って襲いかかって来た。鉄パイプ、金属バット等々手軽な打撃武器ばかりが相手ではとりたてて何かする必要もない。棒立ちのまま待つ。
接触。激しい衝突音は武器同士がぶつかって鳴るからで、破壊力はまったく通じない。一見してゴム地に似た赤仮面スーツは鳥肌の凹凸を感じ取る繊細な触覚を持ちながらトラックの衝突にびくともしないという頑健さだけでは説明のつかない不思議な防御力を持っている。正しく力を発揮すればミサイルだろうがスペースシャトルだろうが、宇宙船地球号だろうが激突に耐えるらしい。超科学も大自然も地球上に存在する一切のものがこのスーツには通用しない。
徐々に若者たちの顔色が変わり、攻撃を加える手が止まった。自分たちが想像した未来と現実の結果の違いに怖気づいたようだ。ふと見ると脇腹にナイフの刃が当たっていた。刃先が1ミリも沈むことなく突き立っている。
どうせろくなことに使われないなら。そう考えて指先で挟んで軽くへし折った。若者たちはぽかんとしている。リアクションが悪い。
『そうだね、もうちょっと脅かしてみようか』
司令室からの指示に従い、折れた刃を掌で挟んで力を込め圧力をかける。ぱきぱきと音を立て内側で弾ける感触があり、掌を離すと薄い金属の破片がアスファルトに落ちた。
「お前らの心のささくれも同じようにしてやろうか」
そこでようやくわっと声が上がり若者たちは四散した。それぞれバイクに跨りエンジンをかけ走り出していく。
「夜は明日に備えて寝るもんだ! することがないなら寝ろ! 夜十時辺りからの眠りが最も――」
正義の呼びかけは爆音にかき消された。音が小さくなればもう声は届かない距離にある。とりあえず撃退に成功したと満足していると司令室からのため息が聞こえた。
『君は今赤仮面なんだからさ、もうちょっとセリフには気を使ってもらわないと困るよ』
「具体的にどう困るってんですか。イメージとかそんなに気を使わなくてもいいんじゃないですかね。正体不明の覆面ヒーローなんで」
『あのね、ヒーローがかっこ悪くちゃしょうがないだろう?』
そんなに酷かっただろうか。思い返してみるとやはり納得がいかない。セリフの出来ではなく、そんなところまで意識しなくてはいけないことにだ。
『もういいから帰って休みなさい。今の連中に関しては来る度に追い払うしかないだろう。復讐なんて考えるはずないけど、そうなったらなったで赤仮面を広く知ってもらうチャンスだからね。次こそは、期待してるよ』
おじさんの弾んだ声を聞きながら肩を落とす。こんなことをいつまで続けなくてはならないのだろうか。改造人間の身が悲しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます