第3話

「よう、おかえり」

 朝には静まり返っている商店通りも下校時にはどこも開店しているので歩いていると店先からよく声をかけられる。

 いずれも家族でやっている古い個人商店ばかりで、一番若い酒屋の主人がそれでも四十代だ。

「ただいま」

 顔見知りばかりなのでこういう親しげな挨拶にも抵抗がない。モミジも俺に隠れながら頭を下げている。

「そうだモミジちゃん、お土産持っていかないかい」

「ああ、う、善良な地球人として、寄り道をするわけには、あ~」

 モミジはおどおどしながら手招きに従い近付いていく。

 店主は甘味処〝至福庵〟の主人で齢八十を越す商店通りの長老格だ。皺だらけの指が作り出す和洋を問わない見目鮮やかな菓子の数々は甘党のモミジを魅了してやまない。

「でもでもご近所づきあいは大切だよね」

 かくして今日もモミジは警戒心と欲望がせめぎ合う果てに、軽率な行動へと踏み切った。

 恐怖心がスイーツの魔力に誤魔化されているのを利用して、少し離れた所から様子を見守った。

 モミジは至福庵店主からやたらめったら膨らんだ紙袋を受け取り、そのまま立ち話に何か話している。モミジは地域の人々からもとても可愛がられている。減少一途にある地域の子供というだけでなく見た目のせいもあるのだろう。現に俺とは明らかな扱いの差を感じることが多々あった。

 気がつくと緊張で強張っていた表情が変化していた。引け越しも伸び、勢い込んで肩が前出て前傾になっている。余程興味深い話を聞かされているらしい。

「タカくん、ニュース!」

 貰い物の袋を提げてモミジが戻ってきた。ほんの短い距離だというのに慌てた駆け足で、喜色ばんだ顔色は石畳のわずかな凹凸に蹴躓いてバランスを崩し見えなくなる。

「何やってんだ馬鹿!」

 つい大声を上げ、放り出されたビニール袋を空中で受け止め転んだモミジに駆け寄る。手をついて顔面から落ちずにすんだモミジは手と膝、ぶつけた部分を確認していた。一転、顔色は蒼白だ。

 転ぶ。モミジの場合それは些細なことでは済まされない重大な意味を持つ。けがをして血が出れば正体を知られる危険に直結するからだ。

「ごめんタカくん」

 膝に擦り傷ができて出血し白く光っていた。モミジも今の状態がどれほど危ういかはよくわかっているので周囲から見えないよう傷口を手で囲っている。もし正体を知られたらどうなるか。妄想もそこまでは安心させてくれない。

「まったく、運動神経良いくせに転ぶなよ」

 通学用のセカンドバッグからウェストポーチを取り出す。中身は救急セットだ。モミジがけがをした場合に備えていつも携行するようにしている。消毒等応急処置よりもまず傷口を塞いで血を隠さなくてはならない。

 周りの店舗から人が集まってきた。こうなるから人気があるのも考え物だ。手早くガーゼを当てたおかげで血を見られることはなく、商店通りの面々はごく普通に心配している。モミジの引きつった笑顔を上目に見ながらテープで固定していく。

「でも破傷風にでもなったら大切ですんで」

 転んだくらいで大げさだと言う声に返事をする。軽い擦り傷に大げさな手当てを施すからには過保護の心配性だと思われていたほうが都合がいい。

「ごめんなさい」

 商店通りの面々から離れまた帰り道を歩き出してからしばらくすると、モミジが頭を下げた。しゅんとしている。

 健康診断くらいなら問題はなくとも病院で精密検査となれば隠し通せるはずがなく、大けがをしてしまえばどうしようもないので本人も病気や事故には気をつけている。そのおかげか、そもそも宇宙人とはそういうものなのか、モミジはこれまで医者の世話になったことがない。さっき転んだのははしゃいでいたせいだが、はしゃがずに生きろというのも無茶な話だ。

 そう言えばはしゃいでいた理由を聞いていなかった。

「それより至福庵で何聞いたんだ。ニュースがあったんだろ?」

「そうそう! また出たんだって」

 一気に表情が輝き声が弾んで、「また出た」という部分に嫌な予感が働く。

「赤仮面が田んぼにはまった尾松さんの車を動かして助けてくれたんだって」

 案の定な内容だった。

「相変わらず目的わかんないけど、こんな生活の細かい部分まで見てるんだから当局はもう警戒を始めてるはずだよ」

 モミジの最近の趣味。正体不明のヒーローの足跡を追い、活動を記録すること。町中が戸惑うばかりの場違いな宇宙ヒーローという存在にモミジだけが興味を示していた。

 宇宙人の中で赤仮面は特別な存在。モミジはそう認識している。理由は地球人として地球に馴染んで生活している宇宙人社会にあってただ一人地球人では不可能な活動をしているからだ。つまり俺と同じで体制に不満のある反乱分子。

「今度も凄く近いよ。ひょっとしたら今もその辺にいるのかも」

 出現地点と時間を記録し続け活動パターンを把握していつか直接会えたらと思っているようだ。その日が来ないことを切に願うが、モミジが奇妙なタイツ男に興味を示していることは割と知られているので協力してくれる人物も多く、赤仮面の活動は顔見知りだらけのこの町内に限定されているので逃げ切れそうにない。これまでの分はほとんど漏らさず把握されているのでもしかすると赤仮面としてモミジと接触する機会も近いうちに訪れるのかもしれない。

 その時俺は一体どうすればいいのか。

「タカくん……またそんな顔する」

 例によって爆死してしまうので誤解を訂正することもできず赤仮面の話題が出ると決まって苦い顔をするようになっていた。俺のそうした反応はモミジにとって妄想を育てる餌だ。

「よっぽど赤仮面のこと嫌いなんだね」

 記録している以上赤仮面の活動時間は俺が急にいなくなった時間と丁度重なることにはモミジも気がついていた。しかしそれは敵対しているせいだと思われている。宇宙人政府、俺のいる組織、赤仮面という架空の三竦みが妄想上で形成されている。

「敵対せずに協力し合ってくれたら、地球人解放もずっと早まるのになあ」

 少しふてくされたような言い様に、今度は俺が頭を下げる番だった。

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