第2話

 学校までは十五分程度。途中石畳の商店通りを抜ける。この辺りは古くからの住人が多く暮らす地域で、住宅の密集地ではない為朝には人通りも少なく地域から子供が減っているということもありしばらく歩かなければ同じく通学中の生徒と顔を合わすことはない。商店はどこも個人経営で、子供が都会へ出て行って跡継ぎを失っている。社会的に様々な問題はあるらしいが、子供の感覚から見ればとても平和だ。

 雀の鳴き声を聞きながら、散歩をする老人たちと挨拶を交わす。ただしモミジはその度俺の後ろに隠れる。

 一先ずは穏やかな登校風景と言っていいだろう。人口約千五百人、ここ歓喜郡喝采町は宇宙人の存在を内包しながら緩やかに時間が流れている。山岳に囲まれた緑多い田舎だ。

 血の色以外は地球人と変わらないこともあって、宇宙人はこの町でつつがなく成長し今年の春中学生になった。だがしかし、その間俺の方は平和に恵まれていない。成長もさほどだ。

(ん――!)

 急に右の犬歯が痛み、内心でため息をついて足を止める。穏やかな登校風景を少々、離脱しなくてはならない。

「すまん。ちょっと用事ができた」

 隣で同じく立ち止まったモミジは表情を硬くした。うつむき加減になって丁度、俺とは見詰め合う形だ。遺憾ながら。

「また……宇宙人関係のお仕事?」

 血の白い自分こそ地球人で血の赤い俺が宇宙人。モミジは七年前にそう勘違いしたまま、以来妄想とも言える思い込みを膨らませ続けている。

 俺以外に赤い血を見る機会は今日までに何度もあったが、モミジは真実に気付くどころかその度勘違いを加速させた。ここにも宇宙人がいる、と。

 詳細はこうだ。

 宇宙からやってきて人類をどうにかしてしまうくらいだから宇宙人は当然優れた文明を持っている。ではなぜ現在の地球にはこれといって飛躍した技術が見当たらないのか。答えは簡単。宇宙人は地球が好きなのである。

 宇宙を放浪していた宇宙人はたまたま見つけた地球を気に入り、そこの暮らしに同化する為先住民と入れ替わることで少しずつ地球を乗っ取った。歴史を振り返れば技術の発展に不自然な点がないことからもそれはわかる。もし歴史からして用意されたものだとしたら、わざわざ劣った文明世界を作る意味がわからない。

以上のことから宇宙人は地球人を模倣して暮らすことを望んでいるとわかる。ならば自分も地球人らしく生きることが彼らに溶け込む方法であり、身を守る手段でもある。

自分が地球人であるという前提は崩されることなく、モミジの妄想はそんな風に完成をみていた。自分を正体不明にしない為に働いた自己防衛だとしたら、無理もないことなのかもしれない。

「悪いな。鞄持って先に行っといてくれ」

「タカくん……頑張って」

 モミジは握った拳を揺すって珍しく気合のこもった顔でエールを残し、時々振り返りつつ小走りに駆けて行った。

 俺はモミジに特殊な立場の宇宙人と思われている。地球人解放戦線、つまり現宇宙人政府に抵抗するレジスタンスだ。そういう妄想が膨らんだ理由はモミジを地球人と知りながら匿っているからと、もう一つは時々こうして〝出動〟するからだった。

 隣人の正体を知ったあの日俺が失ったのは生え変わりで元から抜けかかっていた右の犬歯とほんの少しの血と常識。だが失うばかりではなく手に入れたものもあった。同時に人権を失うことにも繋がったが。

 モミジの血の色に気を取られているうちに何故か気を失い、次に目を覚ました俺は仰向けに寝かされ体を固定されていた。眼前にはモミジの父親、照山久士の顔があり、彼も宇宙人だということには思い当たらずよく遊んでくれる隣のおじさんが真面目な顔をしていることがひどく恐ろしかった。

 自分が宇宙人であることを自覚している彼は自分たちの秘密を守る為、俺に改造手術を施した。抜け落ちた右の犬歯が元通りになっていたのがその証だ。

 埋め込まれた犬歯は感知式の爆弾で、誰かに彼ら宇宙人の秘密を漏らすと爆発する。そういう風にして命を脅された。

 また、モミジに自分は宇宙人だと気づかれてもいけない。なので俺はその後モミジに様々な疑問をぶつけられても意味ありげに笑うことしかできず、結果的に妄想を育てる手伝いをしてしまった。

 娘が地球人として不自由ない生活を送る。隣に住む宇宙人の無茶な望みを叶える為にモミジからさえ秘密を守る。それが当初の俺の役割だった。

 しかし今やそれだけではなくなっている。だからこそ、こうして登校を中断する羽目になったのだ。

 商店通りの路地に飛び込み、シャツの内側に隠したペンダントを取り出し赤い星型の飾りを握る。犬歯の他にもう一つ与えられた物がこれだ。

(変身――)

 自棄気味に胸中で呟きながら手に取った星型を額に当てると音もなく変形して大きく薄く伸び、全身へ広がった。

 顔まで覆う全身タイツ。宇宙の技術が詰まった変身スーツだ。これを与えられた目的は町の平和を守る正義のヒーロー〝赤仮面〟を演じること。改造され否応なく働かされているので実感としてはヒーローというより怪人に近い。名前の通り真っ赤な全身タイツを鏡に映して初めて見た時は泣きそうになった。

 喝采町内の平和が乱れると犬歯が疼き、普段はペンダントとして携行しているスーツを装着して現場へ急行し問題を解決する。それが二年前から新しく課せられている義務だ。問題を無視し疼きを放っておくと犬歯が爆発して死ぬ。

 今日も今日とて、爆死を避ける為の活動が始まる。

 膝のばねを溜めて垂直飛びで商店通りの屋根を越えて空中へ飛び出した。改造人間としてだけでなくスーツの性能も加わり運動能力は常識外れの域に飛躍する。

 緩やかに落下しながら遠く万歳岳に囲まれた盆地に広がる喝采町を見渡し、首を巡らせて現場を探す。犬歯の作用らしく事件・事故の発生場所は直感が働くようになっている。硬貨大に収縮するスーツといい、宇宙のテクノロジーは神秘だ。

 家並みを抜けた田畑の縁に脱輪して立ち往生している軽トラックを見つけた。あれが今回の救援対象のようだ。

 ここ喝采町内に限定して酔っ払いから夫婦喧嘩の仲裁まで、正義の味方赤仮面はあらゆる平和の乱れに対応する。無理矢理活躍の場を探したところでこの町に宇宙の技術を必要とするような悪など存在するはずはなく、華々しさは望むべくもない。いや、俺には一つ心当たりがあるが残念なことに上司なので退治するわけにもいかない

 跳躍を繰り返しあっという間に現場に到着した。麦藁帽子に作業着の老人、顔見知りの尾松さんが唖然とする前で腕を振り回してポーズを取る。参上のポーズと口上も義務であり、怠ればやはり犬歯が爆発して死ぬ。最初の頃は戸惑ったが、二年も続けていればいい加減に慣れた。主に冷ややかな視線に。

「弱者の呼び声拾って救う。宇宙ヒーロー赤仮面。えーと、車を持ち上げにただいま参上」

 口上は状況に合わせて自前で考えることになっている。ので、悲惨なことになってしまう場合も多々ある。後々一人になった時に悶える種だ。

「……助けてくれるんか?」

 弱者の疑問にぐっとガッツポーズで応える。学校の始業時間を考えるとゆっくりはしていられない。

 早速尾松さんを下がらせ田んぼの泥に足を突っ込んで傾いた車に手を沿えた。軽く持ち上げてバランスを取り、押し込んで浮いていた車輪を道に復帰させる。

「すまんかったの……赤仮面?」

 二本指で空を切ってポーズを決め、あんぐりと口を開け最後まで戸惑い通しだった尾松さんを置いて飛び去る。犬歯の痛みはもうない。正義の味方としての役目を全うし、爆死を回避したことになる。

 高く登る朝日に近づく夏を感じながら、新しく始まったこの一日もまた宇宙人の手先として過ごさなければならないことに改めてため息をついた。


 赤仮面五則。

 一つ、赤仮面は正義のヒーローである。悪や平和の乱れを感じ取ったなら直ちに急行すべし。もし無視した場合、たちどころに犬歯は爆発する。

 一つ、赤仮面は正体不明の覆面ヒーローである。誰にも正体を知られてはいけない。もし他者に正体を知られた場合、たちどころに犬歯は爆発する。

 一つ、赤仮面スーツは一つきりである。もし他者に奪われる事態に陥った場合、たちどころに犬歯は爆発する。

 一つ、赤仮面スーツは必要時(犬歯が疼いた時)にのみ着用すべし。私用で着用した場合、たちどころに犬歯は爆発する。

 一つ、赤仮面の担当区域は喝采町内のみである。担当区域外で赤仮面スーツを着用した場合、たちどころに犬歯は爆発する。

 二重生活の片面、正義の味方としてはこの五つの掟に縛られている。

 もう片面の普段、八十八宗としてはぐっと少なく、モミジに真実を話すことと、モミジの正体が誰かに知られた時にのみ犬歯は爆発する。

(つっても、そっちのほうが遥かにキビしーんだよなあ)

 昼休み、校舎を繋ぐ渡り廊下の手すりにもたれ中庭でボールを追いかける生徒たちを見下ろしながらまたため息をつく。今年の春中学に上がって二ヶ月。思春期まっさかりだというのに、一般的な理由で心を揺らす余裕のない生活が続いている。また、いつ終わるとも知れないことを思えば不安は深まった。

 突然重みを感じたかと思うと肩を揉まれ始めた。後ろにモミジがいる。

「タカくん、疲れてる?」

「うひひ、やめろ、くすぐったいから」

 疲れは精神的なもので肉体的にはとても充実している。改造されて以来病気やけがをしたことはなく、もちろん肩凝りとも無縁だ。

「私のせい……なんだよね」

 声音が沈んだので振り返るとモミジは涙目になっていた。

 俺は現宇宙人政府に対し抵抗活動をしていることになっているのでつまりは妄想上の地球人であるモミジの為にも尽くしていることになる。

「違うことだよ。極秘事項だけど、お前のせいなんかじゃない」

確かに俺はモミジのことで色々な負担を強いられている。だがそのせいで余計なプレッシャーを与えたくはない。それだけのつもりだった。

「極秘事項?」

 気を逸らす為だけに言ったでまかせがモミジの瞳を輝かせた。しまったと思っても取り下げるにはもう遅い。

「あのな、今のはだな――」

「何も言わないで! 私わかってる。計画は着々と進んでるんだね」

 何をわかっているのだろうか。またしても妄想が加速した。というより決定的な後押しをしてしまった。

「それじゃあこれは、いつも頑張ってくれているタカくんへのちょっとしたお礼です。食器返しに配送口言ったら余ってたから貰ってきた」

 モミジが差し出す手には給食で出される牛乳パックが掌に乗っている。おかげで嫌なことを思い出した。

 1、2、3。頭に浮かぶ三つの数字。宇宙人に関わる複雑な立場でもまったく一般的な悩みがないかと言ったらそうでもない。

 身長が伸びない。二年前、丁度赤仮面になる為の二度目の改造手術を受けた頃から。

 俺の表情に何かしらの変化があったようで、モミジは血相を変え取り乱して慌てふためいた。

「落ち込んでるのってこれもあるのかなって思って。ほら今日、アレがあったからてっきり……」

 午前中は一部授業を取り止めて健康診断と身体測定があった。触診やちょっとした検査などでは俺が改造人間であることもモミジが宇宙人であることも発覚する心配は無い。

「てっきりなんだよ」

「大丈夫! 誰にも言わないから。タカくんの身長が今年もすごく憶えやすいまま変わってなかったって。これも極秘事項だね」

「知れ渡ってるじゃねえか。もう極秘でもなんでもねえよ」

 引っ込みかけていた手から牛乳パックを奪い取る。どのみち宇宙人関係の悩みを口外するわけにはいかない。勘違いで納得できるならなるように任せていい。今までずっとそうしてきた。

「けどな、身長を伸ばすには骨の端っこが成長する必要があるから単に骨そのものを作るカルシウムを摂ったからって必ずしも身長に影響があるわけじゃないんだぞ。摂れば伸びるってわけじゃないんだ」

「タカくんすごい詳しい」

「そりゃ色々と調べたから――」

 話しながら、横に並んだモミジが同じようにストローをくわえ牛乳を飲んでいることに気がついて驚愕する。爪先立ちでももう追いつかないというのに、これ以上差を広げるつもりでいるのか。

 俺の視線に気がつきモミジは一瞬ぎょっとして、小さく手を振ってはにかみながら説明した。

「違うの。えっとね、これはタカくんと違うのが目的で……男の子はおっきいほうが好きって聞いたから。キャベツもいっぱい食べてるんだよ」

「何言ってるんだ。俺がでかいほうが好きなわけないだろ」

「でも、もうちょっとあったほうが……」

 身長に対する牛乳の貢献は信憑性が大いに疑われるところではあるが、可能性0%でない限り見過ごすことはできない。ただちに牛乳を飲むのをやめさせなくては、このままでは危険だ。伸びてしまう。これ以上見上げるようになれば首も痛めるだろう。俺は焦った。

「お前はそのままでいいんだ。だから何の努力もするな。ていうか今のままでいろ。大きくなったからって俺は別に喜ばないからな。わかるか、絶対に喜ばないからな」

 つい必死になってしまい、我に返るとモミジは何故か涙ぐんでいた。かといって悲しい風ではなくつまりは感涙というやつだ。打ち震えている。

「ふぇぐっ、嬉しい」

「俺は俺の希望を通そうとしただけで、別にモミジが喜ぶようなことじゃないだろ」

 この涙は無遠慮に直視してはいけないように思えて他所へ視点を転じると、気がつくとすぐそばにクラスの女子がいてこっちを見ていた。何かと世話好きで生まれながらに委員長だったと噂の委員長だ。名前は、ええと、あとで確認しておこう。

「お邪魔そうだからあとにしようかなー……って思ってたとこだったんだけど、ごめんね」

 見ると確かに忍び足でかかとが上がっている。退散しようとしていたところだったのだろう。

「いやほんとごめん。せっかく雰囲気良かったのに」

 どうやら俺とモミジが恋人同士に見えたらしい。

 モミジとは物心つく前から一緒にいて、想い合う感情が今では家族に対するものとは違っていることは互いにわかっている。だが昔からずっと一緒にいるだけに、特別告白だとかいった儀式を通過することがなかった。そもそも恋人同士として発展するには生命としての種の壁が気がかりだ。

 宇宙人に対し果たして地球式の手段で通じるのか。明確な違いは血の色しかわかっていなくとも、やはり別の生き物なのだから何かしら不都合があっても不思議はない。その辺りの詳しいところをまさか父親に聞くわけにもいかないので、単純に照れ臭いというのもあって問題は放置したままになっている。何かの弾みで手が触れ合うのがせいぜいだ。

「いや、それより何か用?」

「そう? 邪魔しといて申し訳ないけど実を言うと大した用事じゃないんだ」

 委員長はにっこりと微笑んだ。優しげな印象を受けるが、モミジはさっと身を翻して俺の後ろに隠れた。手摺りの柵の間に無理やり入り込まれて押されバランスを崩す。

「あのね照山さん、話があるんだけど」

「うう、わっ、わう」

 委員長は右へ回り左へ周り目を合わせようとするが、その度にモミジは逆へ逆へと逃れた。

 対人恐怖症。モミジからしてみれば対宇宙人恐怖症ということになる。特別何かされたわけでなくともやはり怖いらしい。妄想により善良な地球人として溶け込んでいれば心配はないというルールが設けられているが、常に気をつけていなくてはならない為行動は逃げ腰で落ち着きがなく言動はろれつが回らない。常に追い詰められた究極のマイノリティとしては無理のないことなのだろう。

 おかげでモミジとスムーズなコミニケーションを計れるのは幼馴染の俺とうちの母くらいしかいない。数年前まで一緒に暮らし、モミジのことを我が子我が孫以上にとても可愛がっているうちの父や祖父母すら弾かれる。

 幸いなことに学校の面々からは病的、いや極度の照れ屋として扱われ、時折からかわれるくらいで大体は暖かく見守ってくれている。俺と二人でいる時を知っていれば根が明るいことは伝わるだろう。

「ねっ、怖くないから。こっち向いて」

「嘘だよ。きっと取って食うつもりなんだ。解剖して秘宝館に――むぐぅ」

 妄想があふれ出し始めたのでモミジの口を塞ぐ。こういう時は珍獣扱いも良いように左右する。言動を真剣に取り合ってもらえない。

「すまん委員長、とりあえず十歩下がって貰えるか」

 要求に答え、委員長は首を傾げ数を数えながら遠ざかっていった。くるりと回れ右してこちらを向く頃にはモミジの体から少し力が抜ける。

「いいかモミジ、今から委員長が近付いてくるからな。目の前まで来て話をするだけだ。心配はない。あいつはお前を完璧に宇宙人だと思い込んでいる」

 耳打ちに頷きを確認して手で合図して委員長を呼び寄せる。目論見が伝わったらしくゆっくりとした足取りで近付いてきた。

 モミジを普段見ている上で、廊下をすれ違う時にはある程度接近してもそれほどうろたえないことに気がついての思い付きだ。遠くから早く姿を認識させておけば心の準備ができるらしい。逆に言えば俺や母でも曲がり角で急に顔を合わせると逃げ出される。

 この方法で父と祖父母はモミジととりあえず会話ができるようになっている。

「何もしないからね、照山さんと話をしたいだけなの」

 その姿はさながら犯人とやり取りをする交渉人の如く、両手を挙げた委員長が近付く度モミジの緊張が高まっていくのがわかった。運動でもしてきたかのように顔色が上気して桃色に染まりふうふうと息を短く繰り返す。

「じゃあそこ、二歩手前で立ち止まるからね。いい?」

「あうあう、あわわ」

 モミジはけっして彼らを嫌っているわけではない。怖がっているのも恐怖からではなくもし正体がばれたらという不安からだ。

 今も真剣な顔で一生懸命に耳を傾け、逃げ出すまいと頑張っているのが俺の腕を掴む握力に感じる。その努力に俺も付き合ってやりたい。爪が食い込んでいるとしても。

 改造されて体は頑丈になっているが神経が鈍くなっているわけではないので痛いものは痛い。

「はい、おしまい。……やっぱりもう一歩行こうかな、ごめんね」

 裏切りの委員長が想定より接近するとモミジはショックを受けたらしく自転車から補助輪を外す時の練習で見たような顔をした。爪はどんどん食い込む。モミジも頑張っているのだろうが、俺も頑張っている。悲鳴は空気だけにして喉から出しその場で足踏みを繰り返して耐えた。

「照山さんってお菓子とか好き?」

 そんなことかよ、と思いはしたが内容は重要ではない。モミジがクラスメイトと会話をすること自体が重要だ。

「う、おおう」

 対してモミジが起こしたリアクションは重々しい頷き一つだった。

 結局会話としては成立していない。まあいい。家族しか試していなかった『遠くから話しかけて近付く』手法がとりあえず通用することがわかったのだから収穫はあった。

「話してくれてありがとう。照山さんのことが少しわかったわ。それじゃごめんね」

 笑顔に少し疲れを滲ませた委員長は足早に去っていった。これに懲りずまたチャレンジしてほしい。

「また、うまくできなかった……」

 モミジは泣きそうな顔で悔しがっている。溶け込むことが生きる道だと思っているモミジだが、あまりうまくいっていないというのが本当のところだ。

「ちゃんと進歩してるじゃないか」

 小学校までは俺の周りをちょろちょろするだけで、それこそ家族以外とは関わりを持とうとすらしなかった。それがきちんと向き合おうとし始めたのはつい最近だ。

 俺も赤仮面という役割を押し着せられたことでモミジのそばにいられない時間ができた。あまり長い時間でないとはいえその間ほったらかしになるので独り立ちは必要だ。

「私もっとちゃんとしなきゃいけないのに、タカくんに迷惑かけてばっかりだね」

 モミジはモミジなりに自分が作り上げた妄想の中で懸命に生きている。こういう純粋で健気な姿勢が、時々俺にはとても痛い。

 推測の果てに作り上げられた妄想の中で最もひどい思い違いを選ぶなら俺がモミジを助けているという点かもしれなかった。爆死と、その他の問題を回避するためモミジの正体が知られることのないよう努力はしている。しかしそれでも騙している部分のほうが大きい。

 だから、辛い。

「私、頑張る。頑張るからね」

 モミジが手すりを置いた手に力がこもっていくのを見て、後ろに回って肩を揉んだ。

「うひひ、え、なに? こそばいよ」

 謝ることすらできない今は、モミジを笑顔にしようと思ってもこういう手段を取るしかない。

「さっき言ったろ。お前はそのままでいいんだ。無理な努力なんかすることないんだよ。困ることがあったら全部俺に任せとけ」

 どれだけ苦労したところでモミジの血は白い。それは覆せないのだから、本当に安心して暮らせる日はやってこない。それは本人の努力では叶わないことだ。モミジのせいじゃない。

 だったら俺がやるしかない。事情を知る唯一の地球人として。

「タカくん……」

 感極まった様子で、モミジは涙を溢れさせた。

「私、タカくんに見つかってよかった」

 この涙を、真正面から受け止められるように早くなりたい。


 モミジの生活が様々な不安に満ちているように、俺には罪悪感がある。それはモミジを多少喜ばせたからといって解決するものではない。

「タカくん、落ち込んでる?」

 放課後、通学路を家へと歩いているとモミジに心配そうにして顔を覗き込まれた。わざわざ気を使わせていては誰の為の苦労かわからないと自省する。

「身長、私は気にしないよ。みんなは色々言うけど私背低いとこ可愛いと思うもん」

 フォローしてくれているつもりなのだろうが、かえって落ち込まされた。みんなに色々言われているらしい。

「あのなあ、俺もそんな四六時中身長のことで悩んでるわけじゃないって。ていうか可愛いっていうのも正直どうなんだ俺」

 十二歳で今の身長というのは深刻なことらしく、今日学校へ来た医師には一目見て眉をひそめられた。今日はそこには触れられず一本残っている乳歯を指摘されただけだったが。

 七年前抜けたはずの右の犬歯。地球の検査技術で不審に見られることはなく、健康に害を与えることもないらしい宇宙のテクノロジー。成長が止まったのが赤仮面として活動を始めて以来なので本当に害がないかどうかは大いに疑っている。回答が恐いのでまだ問い質せていない。

「えっと、じゃあこれ……いらない?」

 モミジがまた牛乳を取り出したのですかさずひったくってストローを差し込む。どうしても飲みたいわけではないが、放っておいてモミジが飲んでは堪らない。

「タカくんだって、そのままでいいと思うよ。かっこいいもん。私たち地球人の為に頑張ってくれてるんだし」

 うっとりと頬を染めるモミジの顔から目を逸らした。俺は現宇宙人政府と戦う反抗勢力どころか宇宙人の手先に過ぎない。遣りようのない憤懣で勢いよく吸い込むと、空になった牛乳パックはぺこっと音をたてて潰れた。


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