第5話
「天知る地知る……呼ばれて飛び出て……」
「タカくん、何してるの?」
隣の席のモミジに話しかけられ書き込んでいたプリントをくしゃくしゃにして隠す。
「なんでもない、なんでもない」
とっさに隠しはしたが落ち着いて考えてみればそれを見られたからといってどうなるものでもないような気もする。
今は朝のホームルーム中。出動中おじさんに言われたことを考えてぼんやりとしてしまっていた。かっこいい必要性がないとはいえ、かっこ悪いと言われ続けるのも癪だ。
「ふーん……でもそれ、提出物だよ。そんなにしちゃっていいの?」
モミジの視線が冷たい。プリントは伸ばして見ると進路意識調査と書かれていた。いつ受け取ったのかさえ記憶にない。
「タカくん、あんまり寝てない?」
暴走族が片付いたあとも恐喝が一件と酔っ払いが一件。おかげで酷い寝不足だ。
「十時くらいに寝るのが成長ホルモンの分泌がどうとかって言ってたのに」
そんなことは重々わかっていても思うようにいかない現実がある。
「なにしてたのかなーとか気になるけど、聞いちゃいけないんだよね」
申し訳ない気持ちでモミジの顔を見てますますいたたまれなくなった。隠しごとをされてむくれているのではなく心配顔だったから。
「すまん」
口先で謝ることしかできない。モミジは寂しそうに小さく首を振った。
「ん、いいの。無理しないでほしいだけ」
ふと、教室内のざわつきが気になった。普段ならもっと行儀が良いというわけでもないが、なにやらクラスメイトたちにそわそわと妙な緊張が見てとれる。それを諌める立場の教師の姿もない。
「ほんとにぼおっとしてたんだね。転校生が来るんだって、女の子らしいよ。鍋山くんが見たらしいけど、すっごい美人なんだって。気になる?」
鍋山というのは中学に入ってから知り合ったチョコバーが似合う飽食系男子だ。学校内では噂好きの情報通で通っている。目を遣ると視線が合った。笑顔は親愛の証なのだろうが、持ち上がる頬の過剰な肉付きのせいでどうしても作為的なものを感じてしまう。簡単に言うと笑顔がいやらしい。
モミジには曖昧に鼻で返事をしておいた。それどころではないというのもあってあまり気にならない。その転校生が町内の平和を乱す存在なら話は違ってくるが。
「おいお前ら、騒ぐなよ」
教室の戸を開け担任教師が入ってくるなりそう注意し、後を見知らぬ女子が続いた。転校生だろう。わっと、そこかしこから声が上がる。
転校生は恐ろしく整った顔立ちをしていた。鼻筋も通っていて中学生離れした大人の雰囲気を持っている。特徴的なのは髪の長さで、腰まで届く黒髪は歩を進める度に波を打って艶を放ちここが晴天の日差しの下であるように錯覚させた。
「だから騒ぐなって!」
担任の怒声も聞かず身を乗り出した男子が歓声を上げる。女子すら小さいながらほうと感嘆の声を上げて驚くほどの、そうはいない美人だ。そして何より、女性的な、と表現するにはいささか過剰なほどの胸の膨らみを有している。
「朝露キラキです。これからよろしくお願いします」
切れ長の目元が弛み小さく引き締められたピンク色の唇が控えめに微笑む。
その笑みを一目見て胸がざわつくような奇妙な感覚があり、無意識に頬に手を当てて犬歯を確かめていた。
疼きはない。当たり前だ。一体何を確かめようとしたのか自分でもわからなかった。
一人首を傾げている間に男子たちが頼まれもしないのに各々勝手に自己紹介を始め、担任に一喝されてどうにか静まった。そのあと転校生は前の方に用意された席に座り教室は一応の落ち着きを取り戻す。
気がつけば隣のモミジにじっと見られていた。それがわからないほど見入っていた、と言うべきかもしれない。
「タカくん、ああいうおしとやかそうな子がタイプなんだ」
未だ興奮を隠し切れない連中と混同してみられ、慌てる。
「なんでそんな話になってんだよ」
「だって、じーっと見てるから」
「髪、長いなあって思っただけだ」
「私だって、下ろせば結構長いんだよ」
モミジは確かに普段から髪を結ってはいるが、持ち上げているわけでもないので解いたとしても肩を越した辺りで長さはあまり変わらない。
「私の髪はそんなに見ないのに」
「お前のことは知ってるからな。転校生紹介で見ないほうが不自然だろ。なにが不満なんだよ」
返事は貰えずそっぽを向かれた。転校生は町内の平和を乱さなくとも俺の平和には早速影響を及ぼしているらしい。
(俺がモミジ以外の女に興味? ないない)
周囲がどれほど盛り上がろうと蚊帳の外。関係がない。そう思って転校生を見た時に感じた不思議な感覚については深く考えないことにした。
昼休みに突入しても転校生フィーバーは冷めやらず、教室は学年を越え集まった男子生徒に占拠された。変声期のガラガラ声もあって相当に喧しく、俺とモミジはたまらず教室を逃げ出した。
渡り廊下から見える教室の様子は極端に人口密度が高まり、転校生が隠れてしまっている。
入学時にはモミジがああだったなと、当時はイライラし通しだったが今では懐かしく感じる。隣のモミジが教室へ投げかけている視線が物悲しいのはそういう経験があるからだろう。
「慣れない環境だから冷たくもできない、んだと思う。私はそれ以前の問題だったけど」
それはそれはひどいものだった。おかげでモミジの激しい人見知りはその頃のトラウマと思っている教師もいるほどだ。逆に言えばあの頃があったから今前向きに立ち向かおうという意欲が湧いてきているのかもしれない。
「朝露さんは転校生だから知ってる人がいないわけだし」
モミジの場合髪の色から誤解して近寄りがたいと思われていたので遠巻きの視線が多かった。詰め寄られなかったから楽だったとは決して言えない。
呟きは続く。
「朝露さんのこと、面白く思ってない子も多いみたい」
「へえ、女子は大変だな。そういう意味では俺も色々あるけどな」
なんだかんだでモミジは学校の男子から人気があるので、常に一緒にいる俺はやっかみの対象になっている。
「善良な地球人として、私が友達になってあげたいな――って思ってるよ」
注目を集めているのが見目形のせいならば本人に罪があるはずもない。転校といえば大概は大人の事情だ。転校生という孤立した状況に、もしかするとモミジは自分を重ねたのかもしれない。例え同情がないとしても根が優しいのできっと同じ結論へたどり着いただろう。
「ま、いいんじゃないか?」
特に関わることもないだろうからといい加減な気持ちで頷く。どのみち転校生を取り囲む環境が落ち着くまでにはしばらくかかる。それまでモミジは手出しできない。
ふと、モミジに見られていることに気が付いた。二人柵に掴まって教室を眺めているつもりでいたので驚いた。
「タカくん、朝露さんに興味ある?」
「いや、特にないけど。なんでだ?」
「好きなんじゃないの?」
「なにを、馬鹿を言うんじゃあありませんよモミジさん」
疑いに動悸を隠し平静を装う。図星を突かれたからではない。モミジの無表情に気圧されたからだ。珍しく感情を伺わせない顔つきでいつも以上に瞳の色を黒く感じる。
転校生を見た時に妙な感覚があったのは確かだ。そわそわと落ち着きを失わせる胸騒ぎ。恋の予感でないと言い切れるのはモミジがいるからだが、こうして指摘されるとうろたえてしまう。
「あるの? ないの?」
口調も普段より少し力強い気がする。返答を迫る凄みがあった。
「んなわけないだろ、今日あったばっかりの奴に」
「そう……よかったあ、変なこと聞いちゃったね。でも、二人でいる時に朝露さんの話するの、嫌だな」
モミジは笑った。自然な笑みでいつもとなんら変わらない。こうなると今見たものが夢だったようにすら思える。
なんだかよくわからないが魅力的な転校生の登場にヤキモチを焼いている。そういうことなのだろう。普通に振舞っていればそのうちに誤解は解けるだろうが、モミジの心が平静でないのならなんとかしてやりたい。ただでさえストレスの大きい生活を送っているのだから。
さて、何をしてやればいいのだろう。
ぼんやり考えていると、教室の窓辺に転校生が立っていてこちらを見ていた。若干距離が空いているので正確にどこを見ているかはわからないが、目が合っているような気がする。薄く開いた口元は微笑んでいるような、呆けているような。日差しを照り返す頬の白さに現実感を感じない。まるでよくできた彫像のようだ。
「タカくん?」
ぐっと髪を引っ張られ首の向きを変えられる。モミジが怒っていた。横に広がった唇は明らかに作り笑いで、眼は油断のならない光が宿っている。
「目と目でお喋り? テレパシーは使えないって言ってたけど、ほんとは使えるんじゃないの? 何話してたの?」
「おいおい決め付けるなよ。使えたとしても使わないさ、俺たちは地球人なんだから」
宇宙人は地球人として暮らしている。だから宇宙人がテレパシー能力を持っていたとしても使うことはない。
それはモミジが信じている絶対的なルールのはずだが、モミジは尚も納得できない様子で俺を真剣な眼で見つめてから教室へ眼をやった。転校生の姿はもう見えない。
「頭にアンテナとか付けたら、私だって」
面白くなさそうな顔をしている。誤解を解く前に機嫌を直す必要がありそうだ。しかしその辺りは全く問題ない。
モミジとは産まれてからずっとの付き合いだ。転校生とは違う。こうすればこう反応するという壷は完全に掌握しているのだから、モミジの機嫌を直すことなど俺にとっては造作もないことだ。
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