第6話
「じゃあ至福庵スペシャル」
開いた口がまたへの字に閉じるのを待たずに何度も頷き、満足して椅子に座り込む。甘味処〝至福庵〟でおごると約束をして、やっと口を聞いてもらえた。
「見たか、ざっとこんなもんよ」
「がっちり放課後までかかって、挙句食べ物で吊っておいてなに偉そうにしてんだ」
前の席に座る鍋山の肉厚な瞼の内側の眼は冷ややかだ。
「第一今のところうまくいってもない」
必死でモミジを追い掛け回し、女子トイレの前で待機までしてホームルームが終わる今の今まで説得を続けたので俺とモミジの状況がどうなっているかはそこら中に知れ渡っている。この噂好きも一役買っているに決まっている。
「うるせえな。モミジは甘い物食べればハッピーなんだから至福庵にさえ連れて行けばあとは大丈夫なんだよ。言っとくけど甘い物食ってるモミジはムチャクチャかわいいからな」
「タカくん……聞こえてる」
モミジに横目で見られた。照れを怒りで封じ込めようと複雑な表情をしている。劣勢だ。
「よかったな、照山。八十八がずうっと自分のことだけ追っかけてくれて」
「それじゃ、私が……計算してるみたい」
よほど不満なのか、モミジが鞄で顔を隠しながら反論する。
「計算しない女なんていないって、対人恐怖症だろうとなんだろうとな」
「してないのに……」
二人が何について話しているのかわからずにぽかんとしていると急に転校生が近づいてきた。移動すれば人もついて来るような人気ぶりの朝露キラキが人波を置き去りにすぐそこへ立つ。妙なのはこの場に三人いるにも関わらず、その目が俺だけを見ていることだ。
「ちょっといいかしら? あなたとはまだ、お話ししてなかったから」
それはそうだ。人ごみを避けて移動て移動していたので常にその中心にあった転校生とは接触していない。
「わ、私もまだ、朝露さんと話してないなー」
モミジが顔を伏せたまま、しかしいつもより強い口調で話す。なにやら怪しい雲行きだ。鍋山が期待と脂で輝く顔をいやらしく弛ませてそろそろと離れていったので間違いない。
「あらそうだった? じゃあ二人で、私のことを案内してくれないかしら。校内でも町内でもいいから。越してきたばかりで何もわからなくて」
顔を上げたモミジと見下ろす転校生の視線が重なる。
「喜んでやってくれる人、他にいるよ。私たち、用があるから」
「よければその用事、ご一緒してもいいかしら?」
「なんで私たちが、貴方みたいなお姫様気取り――」
言葉を発する毎、耳にする毎、泣きそうだったモミジの表情が変貌していく。単純に怒りというよりも根深い憎しみめいたものを感じた。危うい。
「すまん! 今日はちょっと急ぐから!」
荷物を腕に引っかけ後ろから羽交い絞めにモミジを連れて教室から連れ出す。
「あいつ、なんなの! 馴れ馴れしくしてさ。大体タカくんに隙があるから、あんな女に近付かれるんだよ」
「あのな、ただのクラスメイトなんだからいいだろ」
せっかく直りかかっていたモミジの機嫌がすっかり元に戻ってしまった。髪を振り乱して騒ぐ様はほとんどヒステリーだ。転校生を恨むのは後回しにするとして、乱心状態のモミジをどうにかするにはまず逆らわないようにして少しずつ気を逸らすしかないと経験が告げている。妄想が問題を片付けてくれるまで。
「地球人社会を取り戻したあとで、あの女だけは絶対冷遇してやる」
「そうだね。立派な専制君主社会を作ろうね」
憤慨するモミジをなだめすかしながら下校途中の至福庵に立ち寄り店内の長椅子へ座らせる。裏メニュー至福庵スペシャルをひとさじすくって口に入れることでどうにか、嵐は終息した。店主後藤さんの迅速な対応に感謝しながら出されたお茶をすする。吐き出す息は温かいものになった。
「とにかく朝露さんおかしいよ。タカくんのこと絶対特別な目で見てる」
蜂蜜やらコンデンスミルクと驚異の糖分にまみれた果物をほお張る度にモミジの表情は柔らかくなっていくが、根本的な不満はなくならないようで尚もぶつぶつとこぼしている。
「特別な目ってなんだよ」
「それは……タカくんが、私を見る目とか」
どしんと背中を叩かれたように錯覚した。
「そりゃ俺は……その」
俺とモミジはこれといって恋人らしい付き合いには至っていない。進展したいという想いが膨らむことはあっても何しろ二人きりには慣れっこになっているので今のような状況でもなかなか変化を起こせない日々が続いている。
「特別……うん、特別なんだよ」
モミジの声からは怒りが消えていた。さじを口へ運ぶこともせず呟くように小さく繰り返している。
こういう時は男から動くものだ。モミジもきっと待っている、と思う。
「特別、他の人とは違う、たった一人を見る目、なんだよね……」
普段なら二人でいても感じることのない緊張で固まった関節を慎重に動かし湯飲みを盆の上に置く。今まで越えられなかった一線を、超えるのが今だ。
恋人らしい行為。例えばキス。仲を進展させることで俺はモミジしか見ていないという証明にもなるだろう。
というよりただ単にしたい。
意を決して腰をひねりモミジを正面に見る。モミジもこちらを向いて真剣な顔をした。
「もしかして朝露さんってタカくんを取り締まりにきた当局の人間なんじゃないの?」
俺はレジスタンス。潜入捜査官が逆賊を見る眼なら、それはもう特別には違いない。
とんだ肩透かしに全身から力が抜けた。
「えっ、なに? 私心配してるんだけど」
眉間のしわをぱっと消し小声をやめて大きな声を出す。どうやら大真面目なようだ。恋人らしくありたいと望んでいるのは自分だけなのだろうかと不安になった。
「ほら、クラスのみんなとか民間には内緒でさ。こっそり抵抗勢力のことを調べに来たんじゃ。国家公安委員会ってやつ。どう、ビンゴ?」
「そんな心配しなくていい」
吸い込んだ空気を全てため息に変えて吐き出すと、邪な考えが脳裏をよぎった。
このまま朝露を潜入捜査官ということにしておけば、モミジは積極的に朝露へ関わろうとはしないのではないか。新たな誤解が生まれてはいるが色々と面倒は減りそうだ。
だが、モミジにできるだけ嘘をつきたくないという気持ちがある。良心の呵責なんて今更と言われるかもしれないが、これまで俺は進んでモミジをだましたことはない。地球が宇宙人に乗っ取られているという妄想を育て上げたのはモミジの自由な発想と俺のだんまりだ。舵を操って俺に都合の良い風に操作したことはない。それを今ここでするべきなのだろうか。また、今回もだんまりで放っておいて同じ結果になったとしたらそれは操作したことにはならないのだろうか。
悩んでいると、モミジは穏やかな表情で目を閉じ祈るように手を組んだ。
「わかるよ、タカくん難しい顔してるもん。私には話せないことなんだね。私の為にタカくんが苦労してること、わかってるからもう聞かない」
妄想の成長スピードが速い。良心の呵責は急速に巨大化して胸を締め付けた。誤解を言い出したら切りがなく、比べれば朝露をスパイと思い込むことなどほんの些細なことに成り下がる。
知ればかえって混乱するかもしれないので本当のことを黙っているのはまだいい。問題なのは現状を打開する為に俺が何の努力もできていないことだ。モミジの妄想に沿い希望を叶えることはこの先もできそうにない。俺は酔狂な宇宙人の手先に過ぎないのだから。
「顔色悪いよ。よっぽど深刻な問題なんだね……。それなのに今日は騒いでごめん。本当は私、タカくんのことちゃんと信じてるから」
見慣れているはずの陰のない笑顔が今は痛い。
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