第11話

 二人の間に割って入ることができず、脇の非常口から体育館内に入った。モミジと朝露もすぐに戻ってきたので幸いあれ以上にはもめなかったのだと、そう思いたい。

「タカくん、私ランキング出るから。朝露さんには絶対負けたくない」

 鍋山に貰った辞退届けをくしゃくしゃに丸めて捨ててしまう。

 スポーツを通じて親交が深まってもいいはずが、体育からあと二人の距離感はむしろ広がったまま狭まることなく給食の時間を迎えた。クラスメイトにもぴりぴりと張り詰めたものが伝わるらしく教室内は妙に静かだ。

 時折あちらこちらから忌々しげに向けられる視線を感じる。全ての原因が俺にあるという風に思われているようだ。俺自身問題から逃げているので完全に誤解でもないような気がする。

「おい。空気重いからお前どうにかしろって」

「俺なんにも悪いことしてないんだけどなあ。どうにかしろって言うならどうしたらいいか教えてくれよ」

 配膳の列に並ぶクラスメイトから外れて机に残り、前屈みに顔を突合せ鍋山とひそひそ話し合う。

「とにかくどうにかして照山の機嫌取れよ。これじゃまた囲まれるぞ」

「その時はまた頼むな。機嫌直すったって、放課後にならないと無理だ」

 モミジはずっとすました顔をしていたが、機嫌が悪い時くらいしかそんな顔をしないのですぐにわかる。打開策としてまず思いつく至福庵の甘味も二日続けてでは効果は薄いかもしれない。カロリーを気にしていたこともある。

「食い物で釣るしかないってか。もっとツボ心得とけよ付き合い長いのによ」

「ほっとけ」

 いかに付き合いが長くとも本当に異性と意識してからはまだそれほど月日が経っていない。俺にとって昔からよく知るモミジと今のモミジは同一人物でありまったくの別人とも言える。年を追うごとに段々と女らしくなっていくモミジにときめく以上に戸惑っているのが実情だ。

 そうした青春らしい悩みだけに想い苦しんでいられたらよかったと、ため息をつく。

「誰が今一番心を痛めてるかって言ったら俺だろうが。何でその俺が加害者みたいになってんだ」

「つべこべ言うな、なんとかしろ。今回一番体を痛めたのは俺だ。どうしてくれる」

「それも俺のせいじゃない」

 鍋山と話していても暗礁から脱出できないことはわかっている。結局は自分でなんとかするしかないのだ。

「ねえ、食べないの?」

 見上げたところにモミジの顔があった。給食のトレイを持っている。機嫌が悪いのでてっきり今日は女子同士のグループに混じってしまうものとばかり思っていたが、いつも通り一緒に食べてくれるらしい。

「ああ、悪い悪い! すぐ準備するから」

 それほど怒っていないのかと安心していいのかどうか。表情を見る限りはまだよくわからない。横目で視線を合わせないようにしている。

「おう、カレシ取っちゃってて悪かったな」

 去り際の鍋山にきっと睨まれる。なんとかしろよという念押しだろう。

 なんにしても給食だ。自分の分を受け取って来ようと立ち上がると、モミジに持っていたトレイを無言で渡され、モミジはまた配膳の列へと戻っていった。つっけんどんな態度だが世話を焼いてくれるところはいつも通りだ。

 机を動かして隣のモミジの席に繋げていると、朝露がやって来た。手には給食のトレイ。嫌な予感にどっと冷や汗が出た。

「一緒――」

「あのな、朝露」

「待って」

 穏便に断るべく前へ出した手を手首で掴まれねじり挙げられる。突然の襲撃はモミジだ。かなり怒っているようで洒落にならないくらい痛い。

「タカくん、ちょっと来て」

 親指で廊下を指す仕草と血走った目の有無を言わせない迫力に気圧された。

 給食を置き去りにし大人しくモミジの後ろをついて廊下を歩きながら、少しずつ腹が立ってきた。

的外れかもしれないがあれこれ苦労しているというのにこの仕打ちはなんなのか。今のことも丁度断るところで、俺たちは他の女が近付いたぐらいで揺らぐような関係ではないはずだ。

 二人でよくいる渡り廊下へ着いて、早速抗議しようとしたところ、出鼻をくじかれた。襟首を掴まれて引き寄せられる。モミジの頭は垂れ、俺の顎へ額がついた。体育のあとだというのに髪から漂う甘い香りに心が和らいだ。

「教えて。朝露さんってタカくんの味方なの? 敵なの? なんでタカくんに近づこうとするの? 私に言えない二人の秘密があるの? 私は邪魔しちゃいけないの?」

 胸の内にたまっていた苦しみが表へ出るごとにモミジを取り乱させている怒気は落ち着き、声は震えていった。

「邪魔するなって言うんなら、悪いけど私嫌だよ。絶対無理。なんで他の女がタカくんと仲良くしてるの見てなきゃなんないの。それくらいだったら私いつまでも今のままだって構わない」

「別に仲良くしてるわけじゃないだろ」

「だって話してくれないじゃん! これから先どうなるかなんて、私全然わかんないんだからね。タカくんのこと信じられなくなったら、私――」

 しゃくりあげるモミジを前に、俺が困惑している理由は別のところにあった。

 そもそも何故俺はモミジに好かれているのか。背は低い。成績も良くはない。運動神経は最悪だ。こんな風評では生きる為に仕方なくということでもなければそばにいようとしないのが普通ではないだろうか。幼馴染というだけでこれほどの爆発を引き起こすとは不可解でしかない。

 もしかするとモミジの俺に対する想いというのは全て演技なのかもしれない。地球を宇宙人から取り返す為の足がかり。安全を確保するうえでの協力者。その為に已む無く、そういうことなのかもしれない。体育館の入口で朝露と話しているのを聞いてからそんな邪推が消えなかった。

 絶対に考えてはいけない疑問は急速に膨らみ、とうとう、脂汗と共に外へ流れ出てしまった。

「なあひょっとして、助かりたいから……俺のこと好きな振りしてたりするのか?」

 一瞬、世界が停止したかのように感じた。

「なにそれ」

 顔を上げたモミジの返事は涙に濡れた顔とは対照的に乾き切り、砕けそうな危うい刺々しさを持っていた。自分が何を言ったのか、今更自覚させられる。

「いやすまん! 今の無しだ。忘れてくれ!」

「わかった。じゃあ証明する」

 指先で涙を拭ったモミジは決意のこもった顔で手すりから身を乗り出し、そこから飛び立とうとするかのように体を反らした。

「おい、なにやってんだ危ないって」

大きく息を吸って肺に空気を溜め込んでいる。何をしようとしているのかわからずハラハラした。

「私は地球人です! 血が白くて――」

いっぱいに開いた口、伸ばした喉から飛び出した内容に驚いて飛びつき、手すりから引き摺り下ろして押さえ込む。一年と二年の校舎を繋ぐ渡り廊下からはいくつも教室が並んで見え、今は塀に隠れているが一体何人に聞かれたかわからない。早めに止めたので肝心な部分は聞こえなかった。そう願いたい。

 私は地球人です。その部分だけなら余りにも馬鹿馬鹿しい告白だ。真面目に取り合う奴はいないだろう。しかし犬歯が爆発する危険はあるかもしれない。ただ、それで散る自分の身よりもこんな行動に出たモミジの心境が心配だった。

「馬鹿! 何やってんだお前!」

 モミジは暴れ、激しく体を振って口を押さえる手を振り解いた。

「こうでもしなきゃタカくんに伝わらないもん! 私はタカくんが好きなの! 宇宙人とか地球人とか関係ないのに、なんでわかってくれないの!」

 他の誰かに知らせて、守ってもらっているという弱みを消そうとした。そういうことなのだろう。モミジの立場からすれば自殺行為だ。

「タカくんと会えたんだから、地球が征服されてよかったって思ってるくらいなのに」

 柔らかい拳で叩かれる胸が痛い。抉られる想いだ。

「伝わってよ、わかってよぉ」

「すまんモミジ。馬鹿なこと言って悪かった」

「悪いとかじゃなくてえ」

 嗚咽の中に洟をすする音が混じる。手首に隠れる度涙がこぼれるのを見ているのが辛く、ポケットからハンカチを出そうとしてふと気がついた。解いた拘束の手はモミジの背中に残り、身を隠した塀を背にしなだれかかるモミジを抱き寄せている状態だ。かなり、密着している。

「おい、ちょっと離れようぜ」

「やだ」

「いやいやいやいや」

 早い奴ならそろそろ給食を食べ終えて教室を出る頃だ。今の状態を見られて平気でいられるほど俺はまだ思春期に慣れていない。

「そんなに嫌なの? ならいい!」

「あ、おい! そういう嫌じゃなくて……」

 背中に投げかける言葉も最後まで言わせて貰えず、モミジは走り去ってしまった。どうしてこう思い込みが激しいのか。弁解すらさせてもらえない。そうでなくては妄想が育ち心の平穏を手に入れることはなかったかもしれないが、こうも振り回されるのはモミジが宇宙人だからなのか、それとも単に女だからなのか。判断するには経験が足りない。

 ため息をついて立ち上がり教室へ戻ると、俺とモミジの給食が鍋山の手にかかろうとしていた。滑り込んで掴んだ手を鍋山自身の口に突っ込んで阻止する。

「やめろ。何人分食う気だこの妖怪め」

「ああ、俺は一体なにを? お前たちが戻ってこないかもしれないと思ったら頭が真っ白になって体が勝手に……。それよりどうよ。許してやったか?」

 途中から鍋山の注意が俺の後ろにいったので首を回してみればモミジがいた。

 返事はせず、むすっとした不満顔で席について給食を食べ始める。俺も邪魔者を追い払ってから向かいに座った。

 黙々と食べていて口を利かない。いつもならモミジの方から話題を持ち出すことが多いので、こうなると気まずい。

「あー……冷めちまってるな、残念」

「タカくんと同じだね」

 言いようが刺々しく辛い。

「何をお前……そういうこと言ってるんじゃねえだろ。なあ、今日も至福庵行くか?」

「いい、太るもん」

「そんなこと気にしなくていいだろ」

 俺は別に太っていようが痩せていようが構わないのだが。そう言おうと思っては見ても気恥ずかしく口は動いても声が出ない。

 俺の気持ちがばっちりモミジに向いていることを伝えて尚且つモミジの心をがっちり掴むにはどうすればいいのかと考えあぐねていると、鍋山がにやにやしながら近づいてきた。

「なんだよ、邪魔するなよ」

「気にするなって。ほらこれ、残りはお前だけなんだ。さっさと済ませてくれ」

 鍋山が差し出したバインダーに閉じられたプリント。第三回女子ランキング集計と書いてある。

「フン、馬鹿みたい」

 モミジから冷たい言葉を浴びせられた。この企画に俺が関わっていないことはわかっているはずなので反論しても無意味だろう。火に油を注ぐかもしれない。

 正解の見えない状況に疲れてきた。もういっそ流されてしまいたい。

「それで、俺にどうしろってんだ」

「投票してくれってだけの話。男子全員参加でないと正確なデータとは言えないからな」

 どうでもよくなって鍋山から用紙を受け取った。表題から説明が気と妙によくできている。切り取り線の下には名前を書く欄が二つ、応援候補者と投票者氏名とある。

「投票は学校関係の女子なら誰でも――」

 説明が済む前にモミジと俺の名前を書き込んで押し付ける。雑な字になったがそんなことに気を配っている気力がない。

 給食に復帰して春雨を掻き込んでいると、用紙を受け取った鍋山が鼻を鳴らした。

「なんだよ。めんどくさいから切り取らねえぞ。お前が主催なら別にいいだろ」

「それは構わないって。ん? 気になるか照山。ほれ、見せてやるぞ匿名性なんてクソ喰らえだ」

 投票用紙がモミジの手に渡る。モミジは紙面を眺め、涙ぐんだ。

「私この一票があれば、ランキングなんてどうでもいい……でもタカくんが応援してくれるんだから、私頑張るからね」

「いや応援って……そういうわけじゃ」

 他の男子がモミジに注目していると考えるとヤキモキするので、できれば参加してほしくないくらいだ。しかしモミジが朝露への対抗心から参加する意思を持っている以上そこに口出しすると薮蛇になりそうだ。

「出る以上は、お前が優勝するに決まってるしなあ」

 注目を浴びるなというほうが無茶だ。妙な騒ぎになりそうな気がしてため息をつくと、モミジにじっと見られていた。一瞬どきっとしたが、怒っているわけではなさそうだ。

「男子のランキングもあればいいのに」

「散々なことになりそうだからいいよ」

「そんなことないよ。私、タカくんに投票するもん」

「だったら俺もその一票でいいや」

 モミジもとうとう笑顔になった。転校生が現れて以来のごたごたはもう解決したと見てよさそうだ。

 胸のつかえが取れたようで体が軽くなるのを感じて、これから先何事もうまくいくような気になった。鍋山が俺の分の給食を食べているのもきっと気のせいだろう。

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