第10話
鍋山の不可解な発言は同時に解決した。バスケットボールの試合中、ボールは床よりも俺にぶつかる回数の方が多かったからだ。
要は男子の嫉妬を買っているらしい。俺がモミジに続いて朝露にまで手を出していると思われているらしい。チーム分けのあとコートに立った途端、攻撃的な雰囲気に包まれて袋叩きにあった。改造人間でも痛いものは痛い。特に改造されていない心が酷く痛む。
「ちくしょう、なんだってんだ。いつの間にかドッヂボールに変わってたのか? それとも全員俺がゴールリングに見える不思議な幻に包まれてるってのか」
ただの酔狂とはいえ、実際には宇宙人の手先とはいえ、一応はこの町を守っているヒーローだというのに。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。そう鬱屈すると暗黒面に落ちたくもなる。
「だから休めっつったのによ。この調子なら授業休むだけじゃ駄目だったろうけどな。つーか寄って来るなよ危ないだろ」
ぼやく鍋山が壁を背に座っている。拒絶は聞こえない振りをして隣に腰をおろすと早速ラインを超えてボールが飛んできた。次の試合が始まったばかりでこちら側へボールが飛んでくるようなタイミングではなかったはずだが、まあいい。犠牲になったのも鍋山だ。
「で、どうすりゃいいんだ」
持ちかけると、肉厚でダメージを無効化した鍋山の眉がくっと持ち上がりおどけた顔つきになった。噂好きで口が軽く相談相手に適切とは思えないが生憎俺には他に当てがない。
「お前にとってもそうだろうけどな、大事なのは照山だ。お前が朝露に乗り換えようとしてると周囲に誤解されてる一番の原因は、お前と照山がうまくいってないように見えるからなんだな」
ケンカをしているわけではなくとも朝露の出現以来ぎこちなさはある。それが伝わってしまうのだろう。
「三角関係って言うのはな、全員がそれぞれに関心があるから成立するんだ。つまり、お前に隙があるってことだよ」
「隙、ねえ」
視線を前に投げ出して、ボール避けのネットの向こうでバレーボールの試合中の女子陣を見る。モミジは壁際にちょこんと座り込んで大人しくしていた。
何しろけがに繋がりやすいので体育の時間モミジは目立たないようにしている。加えて成績がもう一つなので周囲の評価としては才色兼備とはいかないが、鍋山のやっているランキングでモミジが首位を獲得するのは当然の結果だ。これは断じて贔屓目ではない。
一方俺は背が低く目立った長所もなく友達もろくにいない。そんな誰もが首を傾げるカップルで、俺が振られるならまだしもモミジが捨てられようとして見えたのではクラスメイト諸氏の反応も頷ける。常識的に、俺が余所見など許されるはずがない。
わあっと、観戦中の女子たちから歓声が上がった。原因は朝露だ。試合中基本的に逃げ腰な女子たちの中で機敏に動き一人で攻守共に試合を支配している。
笛が鳴り、得点が入ったタイミングで片方のコートから一人選手が離脱した。委員長だ。どうやら足をひねるかどうかしたらしく歩き方が不自然だ。
欠けた人数の代わりに指名されたのは委員長に肩を貸してコート外へ運んだモミジだった。おどおどしながらコートへ入り、いつものようにボールから逃げ惑う。と思っていた。
ボールを待ち前傾で腰を落とした姿はそれらしく様になっている。真剣な光を放つ瞳には相手コートに立つ朝露が映っているはずだ。
そうして再開された試合では更なる歓声が縦続いた。
トスを受けて相手コートに打ち込む朝露とそれを返すモミジ。バレー部と見まごうような洗練された動きが一対、試合を白熱させていく。
これには俺も驚かされた。運動だけでなく、モミジがこれほど積極的になるのは初めてかもしれない。実力を発揮できない都合を除いてもモミジにここまでの運動神経があるとは思えなかった。朝露のほうもそうだが、これでまたモミジの評価は上がることだろう。
「八十八くん」
不意に降りかかった声のした方へ首を向けると委員長がいた。後ろに控えた十数人に及ぶ女子は一様に険しい顔をしている。なにやら不穏な空気だ。
「ちょっと話いいかな? ごめんね。みんなが八十八くんに聞きたいことがあるって言うから」
その言葉と気を遣っての笑みから、けっして委員長が子分を引き連れてきたわけではないと確信できた。むしろ逆になだめて暴走させない為に代表として来てくれたのだろう。改めて見れば後ろに控えた面々は殺気立ってこっちを見ている。俺への殺意一点集中だ。
「八十八、浮気してんだろ」
むき出しの想いに見合う単刀直入な発言だ。
鍋山の忠告やクラスメイトの嫉妬に続くはた迷惑な勘違いだが、反論を戸惑うほど女子連中の怒りは激しく、瞳に宿った敵意はもう憎悪に近い。
「どうなんだ」
「いや、その……」
「ごめんみんな、ちょっと一旦落ち着こ――あうっ」
間に入ろうとした委員長が弾き飛ばされた。
心配というより和平の使者として助けてもらう為に立ち上がった時には遅く、女子連中に取り囲まれてしまった。
顔を見上げれば緊張した首が慎重差で痛むので一歩二歩と下がる。するとその分だけ詰め寄られるのですぐ壁に貼り付けにされた。
「あんたさっきからずっと朝露のこと見てたろ。そんなに大きいのがいいのか?」
朝露の身体的特徴は体操服を大きく膨らませるだけでなく動く度にダイナミックに揺れ弾んでいる。確かにほとんどの男子は視線をそこへ運んでいるようだった。
「あんだけ動かれちゃ目がいくのが本能ってもんだろ。自分にできないからって僻むんじゃないっての。大体お前らが気に入らないのは照山が浮気されることじゃなくって、八十八が照山から朝露に乗り換えることで朝露の地位が上がることだろうが。委員長にくだらない芝居までさせやがって」
そう言えば委員長は試合中に足を挫いていたはずだった。モミジに肩を借りていた時にはひょこひょこ歩いていたはずが、今は平気そうにしている。試合を抜け出し、モミジの注意を逸らす狙いだったのだろう。モミジが試合に出ている今、俺のことを気にかける人間はいない。
「他人の足引っ張ったって自分の価値が上がるわけでもねえのに――」
口を挟んだ鍋山は容赦なく蹴りつけられ元々丸い体を更に丸めて動かなくなった。
「で、どうなんだ」
鍋山から生命力が失われると女子連中が舞い戻ってきた。死体を平らげたハゲタカのようだ。暴力による発散によりいくらか気が晴れたということもないようでまだ目がギラギラと危険に光っている。真上に近い位置に顔があるせいで丸見えの鼻の穴を面白がる余裕が無い。それほどの凄みだ。
「お、俺は浮気なんかしてねえよ! 今だってモミジ見てたんだよ」
「本当か」
「本当だよそれより早く女子側のコートに戻れよ」
「気にしなくても。誰もこっちなんか見てない」
確かに男子側は試合すら止めて女子側のコートに魅入っている。例外は俺と屍と化した鍋山だけだ。
都合よく、と言っていいだろうか。犬歯が疼き始めた。この場を離れ赤仮面に変身して町内に発生した事件を解決しなくてはならない。
思い切って囲いを飛び出し鍋山に駆け寄る。瀕死のクラスメイトは授業を抜け出すなら丁度いい口実だ。
「こいつ保健室連れて行くから、誰かに聞かれたらそう言っといてくれ。そういやお前も……ああ、演技だったんだっけか」
鍋山が芝居と見抜いたことを忘れて口をついて出た。、これではまるで嫌味を言っているようだ。
委員長は苦い顔をした。
「ごめんね、八十八くんを困らせたいわけじゃなかったんだけど」
「いいよ。委員長が気遣って動いてくれてるのはわかってるから」
「あの、私手伝おうか?」
鍋山はフォローのしようがない肥満体型なので背負って歩くのは重労働になる。ただしそれは改造人間でなければの話だ。
「いいって。それより俺がいないこと気にしたらモミジに説明しといてくれ。ちょっと何か言えば、勝手に納得するからさ」
視線は女子コートが独占しているものの、一応大変そうな振りをしながら移動を始めた。
こういうことがなくても、体育の時間は運動神経の悪い振りをしていなくてはならない。普通に体を動かせば簡単に人間の限界を超えた動きをしてしまう以上、どこまでが不自然でないかはよくわからないので極度に抑えることにしている。これが大変神経を使うのでぎくしゃくしてしまい、とてもいい具合に運動音痴として見られていた。
わざと息を荒くしながら体育館を出るといつの間にか雨はやんで水溜りに太陽光が反射していた。水溜りの水面は落ち着いて随分なるらしく、底にきめ細かい泥の層を作り出している。水気をたっぷり含んだ空気を鳥の声が騒がせていて心安らぐ風景だ。が、犬歯は疼いている。町のどこかに平和の乱れがあるということで、あまりのんびりもしていられない。
「うう、よくも見殺しにしやがったな」
意識を取り戻した鍋山の恨み言が耳元でくすぐったい。
「何言ってんだ。こうして保健室に連れて行こうとしてるじゃないか。危なかったな。あのままだとお前死んでたかもしれないぞ。つまり俺は命の恩人だ。」
「その前に助けろよ、止めに入れよ。このことは忘れないからな。いざと言う時にお前を見捨ててやるからな」
背中から降りた鍋山はぶつぶつ呟きながら自力で保健室へと歩いていった。女子連中の殺傷力は肉厚の装甲を貫き致命傷を与えるには到らなかったようだ。
唯一の友人に何かフォローをしておいた方がいいに決まってはいるが、爆死したくないのと面倒くさいのとで事件解決を優先することにする。
校舎の陰に入り赤仮面に変身して地面を蹴る。
空中に飛び出してすぐ騒ぎに気がついた。小さな子供が数人、大雨で増水した川べりにへばりついている。子供たちの視線の先には水面でもがき流されていく仔犬。
あれだ。
川へ飛び込むと水かさが予想以上で頭まで完全に浸かってしまった。どういう仕組みになっているのか、赤仮面スーツは水中でも呼吸が可能なので支障はない。水が濁っていても視界は良好だ。
先回りした所で流れてきた子犬が掌に収まった。腕を突き上げれば手は水面へ出るので、そのままゆっくりと川の端まで歩いてブロックの崖を上って川を出る。
騒いでいた子供たちは派手な赤色の登場に唖然として固まっていたが、濡れた子犬を差し出すとはしゃいだ声で感謝を述べた。
脇に小学校があり、校庭にたくさんの同じ年頃の子供が見える。どうやら体育の時間に抜け出したらしい。俺と同じだ。
「お前ら何やってんだー」
ジャージ姿の大人がこちらへ向かって走ってくる。教師だ。この春まで俺もこの小学校に通っていたので見覚えもある。この不良どもへの説教は口うるさいことで評判の彼に任せ、ここらで退散することにした。子犬のこれからの運命が多少気にかかるが犬歯はもう疼いていない。宇宙正義はこれ以上の関わりを求めてはいないようだ。それに早く戻らなければ授業が俺にも授業がある。
素早く移動して校内へ滑り込む際に校庭の時計が目に入った。授業終了までには充分な余裕がある。現場が近かったおかげだ。
ペンダントに変形した赤仮面スーツを胸元へ入れ体育館へ戻ろうとすると、玄関口から声が聞こえて足が止まった。モミジの声だ。
「ねえ……何が目的なの?」
声色は焦り苛立っていていつもとは違い、まるで別人のようだった。こうなると、なんとなく対峙している人物も想像がつく。
「そんなこと急に言われても、なんのことかわからないわ」
相手が朝露とわかり壁に張り付いて耳を澄ます。話はまだ始まったばかりで、他には誰もいないようだ。玄関まで出てきて聞かれたくない話をしているということになる。
止めたほうがいいのはわかっていても思い切り盗み聞きの格好を取ってしまって今更入って行きづらい。ここへ飛び込んでいくからには、モミジをなだめるのは俺だ。その勇気が無い。
「とぼけないで。タカくん――八十八くんに近づく目的はなんなの?」
「興味があるのよ。好きだからなんて言ったら、大げさになるかしら? 私としてはどちらでもいいのだけれど」
何を考えているのか知らないがその返事はまずい。俺は一人顔を覆った。
「ふざけないで!」
声の調子が一気に跳ね上がった。秘密の会話をしていることも意識から消し飛んでいることだろう。
「ねえ、なんでタカくんなの? 男子なら他にもいっぱいいるじゃない。私にはタカくんしかいないのに! なんであんたが!」
女子が二人自分の為に争っている。そのことで浮かれていられるわけもないが、モミジが俺を取られまいと必死になっていることを喜ぶこともできなかった。
私にはタカくんしかいない。その言葉に、俺は裏を感じてしまった。
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