第9話
翌朝、朝のホームルームで起立の号令に取り残され、疲れが残っていると思い知らされた。体の方はいつでも絶好調だが、頭の芯がふやけていて気がつくとぼうっとしてしまう。
夜中の内に振り出した雨は未だ止まず、大粒の雨が教室の窓ガラスを濡らしている。ぶつかって飛散する雫は幾らか窓にへばりついて残り、まとまりとなって下へ落ちる間に雨粒に叩かれてまた飛散する。天候という大きな流れに変化が起きない限りはいつまでも続いていく不毛な繰り返し。その様に見入っていた。
もたもたと遅れて着席しながらのため息を隣のモミジに見つかった。瞳に心配と申し訳なさが窺えるのを確認して良心が痛む。父親と一緒になってふざけた遊びをしているだけと知ったら嫌われるに違いない。
いつか真実を打ち明ける時が来るのだろうか。目指す目標にそれも含まれているはずが、なんだか気が重い。
「少し、いいかしら」
俺の気分を落ち込ませる要因の最新版が静かに近づいてきた。相変わらずのおっとりとした微笑みの下にどんな考えが潜んでいるのか。平和なはずのこの喝采町でどうして俺ばかりこう大変な事態に見舞われるのだろう。前世で神に反逆したというなら納得だ。
「昨晩はどうも」
ただ偶然会っただけで何が「どうも」なのか。横からちらちらと飛んでくる刺々しい視線に警戒を置きながら。緊張を育てる。
「なんだ? 昨日の夜何かあったのか」
噂話のネタを聞きつけ出っ腹を揺らし鍋山がやって来た。クラスメイトたちまで聞き耳を立てている。転校生への関心は続いているらしい。
「別に何もないんだけど、昨日の夜八十八くんにちょっと会ったから」
「お、密会?」
「ううん、そういうんじゃあないけど」
否定しながら頬を赤らめればそう思われるのも無理はなく、完全に誤った受け取り方をしたらしい鍋山がニヤニヤ笑いで俺を見る。
「言っとくけど、その場にモミジもいたんだからな。何も恥じ入ることはない」
さっと視線がモミジに集まり、モミジは机の下に隠れた。俺のことを庇ってくれる余裕はなさそうだ。
「ちょっといいか」
鍋山に腕を掴まれて廊下へ連れ出された。顔つきからして何やら深刻だが、モミジと朝露が気になって教室から注意を外せない。
「お前さ、朝露のこと気になってんのか?」
「馬鹿言え、俺はモミジを見てんだ」
「十二年も一緒にいて今更見るも何もないだろ」
「んなことねえよ」
長く過ごした時間のせいでただいるだけで胸がときめくようなことはない。だがそれは慣れであって、けっして飽きているわけではない。大体俺はまだモミジのことを知らなさ過ぎる。例えばどこの星にルーツを持っているかだとか。
「確かに照山はかわいいもんな。あんまり直視させてくれないからなかなか周知されなかったけど。みんな段々慣れてきてるから校内女子ランキングでも今月一位だ」
「おいなんだそりゃ、あいつを変な目で見るな」
ランキングは初耳だがモミジの人気ぶりは知っている。
いくら俺の身長が低く上にあるモミジの下駄箱の中を覗けなくとも時々ラブレターが届いていることは登校時の様子から気付いている。おじさんから聞かされることには学校の男子から電話がかかってくることもあるらしい。
トイレと着替えや選択体育を覗けばほとんど一緒にいるのだから俺のことも周囲に認識されているはずだ。だからこそ嫉妬を買っているというのもある。にも係らずそういうことが起きるのは「あんなのなら俺の方が」という目で見られているということだ。
おじさんはその場で切ってしまうので電話を取り次ぐことさえせず、妄想の都合上モミジが相手にすることはないので心配はしていない。しかしそれはそれとして腹が立つ。ランキングの存在も勿論面白くない。
「突然登場した朝露が対抗勢力として充分な実力を持っていたことで新生したての王朝も早速揺らいでいるわけだ。下馬評では五分。朝露支持層の大半は照山派から分離した巨乳党と俺は見るね」
「いやモミジだってそれなりに……ってだから! そんな目でモミジを見るな」
「無理言うな。思春期のリビドーは甘くないって」
「大体なんでお前がそんな詳しく知ってんだ。あっそうか、そのランキング主催してるのお前だろ? すぐに中止しろ。性を売り物にした下卑た発想の産物だ」
「まあいいから聞けよ。問題なのはお前がその二人を独占してるってことだ」
「はあ、何言ってんだお前」
独占も何も、モミジにしたって俺のものになっているわけではない。おじさんも含め乗り越えなければならない様々な問題が残っている。
馬鹿なことを言っていると呆れていると、教室からモミジが出てきた。なにやら目を輝かせている。
「どうしたモミジ、転校生に泣かされたか」
「そんなことないよ、それより……王朝がどうとかいう話してなかった?」
どうやら鍋山との話が聞こえていたらしかった。目の輝きはそれが原因か。
「なになに、鍋山くんもレジスタンスなの?」
耳元での声は弾んでいて、声を潜める注意が足りない。この誤解は危険だ。発覚の危険と共に期待が高過ぎる。
「違う、こいつがお前を妙なランキングに組み込んでそれを変な風に呼んでいただけだ」
「あ……それ、聞いたことある」
尻つぼみに声を小さくしながら陰気に目を伏せる。やはりそういう風な持て囃されかたは不本意なようだ。
「よし来た、俺に任せとけ」
モミジの肩を叩いてから鍋山に向き直る。
「いいか、今すぐそのランキングからモミジを外せ。さもないとお前がバッグに入れているチョコ保存用の保冷材を湯たんぽと取り替えるぞ」
脅迫すると鍋山は全身の肉をぷるぷる震わせた。血色と肉付きが良過ぎるせいで怯えているのか疾患からの痙攣か見分けがつかない。
「やめてくれ。お前はなんというおぞましい発想の持ち主なんだ……チキショウ、照山の握手会で一儲けとか色々計画練ってたのに」
「どっちがおぞましい発想だ。モミジを金儲けの道具にするな」
鍋山が渋々取り出した用紙は『校内美少女ランキング参加辞退表明書』と題してある。思ったよりもきちんとした形で執り行われていたようだ。
「ほら照山、これに名前書いて辞退にチェックとなんかテキトーに理由も添えてくれ。書いたらあとは教頭に提出してくれたら受理されるから」
「おいおい、職員もグルかよ」
「グッズ販売は版権とかあるから生徒だけじゃちょっとな。最初はアドバイスを求めてただけだったんだけど段々実権が移りつつあるところだ。参ったよ」
「この学校どうなってんだ」
呆れていると、経由して受け渡した用紙へ目を落とすモミジが固まっていた。
「どうした?」
「ねえ、タカくんは誰に投票するの?」
「そういや俺一度もそんなの投票したことないんだが」
「お前が誰に投票するかなんて聞くまでもないことだろ? 今回から照山が辞退なら、もう機会ないだろ。それとも、朝露にでも入れるか? 男子生徒全員の意見が反映されたほうが価値があるからな。運営側としては歓迎する」
鍋山のニヤニヤ笑いはモミジへ向いた。逆にモミジの顔は緊張する。
「一時間目体育だけど、のんびりしてて大丈夫?」
教室から委員長が出てきた。言いながら手のナップサックを揺する。体操服入れだ。体育の着替えは男子は教室、女子は体育館の更衣室を使うことになっている。
そうだったと思い出し入れ替わりに教室に入ろうとすると、鍋山に呼び止められた。
「お前、体育出るつもりなのか? 休んだ方がいいと思うけどな」
「なんでだよ」
「言ったろ、照山と朝露の両方を独占してるのは問題だって」
妙なことを言うものだと首を傾げながら無視して教室に入る。窓の外で雨はまだ止まない。雲が去り陽が覗くのを待って、もう随分になる気がする。
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