第14話
将来的に責任は取るつもりで居るので別に早いとかいうことはない。しかし俺たちはまだ中学生なわけで。いつまでこのままと焦れてはいてもいきなりそうなるのも急過ぎる気がする。
怖気づき始めた自分を充分に自覚しながらチャイムを押す。一応風呂には入ってきた。
普段なら宿題に取りかかるか寝るかして犬歯が疼くのを待っているような時間帯だ。今日はおじさんが留守なので、予想通り犬歯の疼きがおじさんの意思によるなら今晩は出動が無い可能性が高い。
反応を待ってしばらく玄関で悶々とする。しかし一向に動く気配がない。何かあったのかと恐る恐る戸を開くと、廊下の奥でばたばたと足音が聞こえた。
「タカくん開けちゃ駄目! 捕まえて!」
慌てるモミジの前を、赤茶色の仔犬が跳ねるようにして走ってやってきた。が、仔犬は開いた戸から外へ行こうとはせずに俺の足元できゃんきゃん吠えながらはしゃぎ始めた。マーキングでもしようというのか、体をサンダル履きの足にこすり付けている。
「うひひ、くすぐったいなあもう」
それにしてもどこかで見たような子犬だ。
「モミジお前これまさか、小学校から引き取ったのか?」
少し驚いた顔で、モミジは驚く。
「え、よく知ってるね。赤仮面が出たって聞いたから夕飯前に行ってきたんだけどさ――そうだノリ先生今度結婚するんだって。今度お祝い行こうね。それでね、赤仮面が助けたっていう仔犬の預り先に困ってたから、じゃあ私がと思って。ほらどこかの飼い犬かもしれないから、見つかるまでね」
「へえ、あの先生が遂にか。いや待て、預かるって言うけどお前本当は飼い主捜す気ないだろ。母さんとかに言えば知り合いに当たってもらえるのになんで黙ってるんだ」
「えへへー」
能天気に笑っている。最早開き直る気もないらしい。
家に呼ばれたのもこれが理由だったらしい。勝手に期待しておいて落ち込む情けない自分が悲しい。
「犬飼うの、諦めてなかったんだな」
去年だったか動物映画を見た時にそう言って聞かなかった時期があり、俺が頑張ってどうにか思い留まらせた。つもりでいた。
「ねー、庭もあるしパパも家にいるから、いいでしょ?」
「いいでしょってなあ、前も言ったけど噛まれたらどうするんだよ」
血が出てそれを見られたらおしまいだ。だからこそ前回猛反対もした。
「噛まないようにちゃんとしつけたらいいでしょ」
「既に今俺が噛まれてるんだがイタイタイ」
モミジは慌てて、足の指に懸命に喰らいつく仔犬を抱き上げた。
「甘噛み、甘噛みだから! ねっ、ほら血も出てないしイタタ」
仔犬はモミジの手にも喰らいつかんとしている。空気の読めない犬だ。
「あ、甘噛みだもん」
涙目が痛みのせいでないのは俺も噛まれたのでわかっている。しかしリスクを増やすわけにはいかない。
「なあモミジ。俺はお前と一緒にいたいんだよ。その為にお前の正体は絶対に知られちゃいけないんだ。わかるだろ?」
「うん……わかるよ」
しょんぼりしているモミジを見ていると体の内側にぎりぎり締め付けられるような痛みを感じた。俺が一緒にいたいのはこんな顔のモミジじゃない。
頭を抱えながら唸る。俺はモミジを守っている、そのはずなのにこの罪悪感はなんなのか。
「ああ! わかったよ、飼ったらいいだろ」
観念して降参するとモミジは飛び上がって喜んだ。
「ほんと? わあい、タカくんて簡単」
「ん?」
「ううん、なんでもない。やったあ。よかったねー、うちにいられるんだよー」
仔犬に話しかけ笑顔を見せる。この宇宙人は自分の置かれた立場をまるでわかっていない。妄想の中で生きているのだからそれはそうなのだが。
「タカくん、一緒にこの子の名前考えようね」
「わかった。でもそれよりこのことおじさんに話してないんだろ? 反対されないとは思うけど。反対するとしたらじいちゃんかな。生き物の命がどうとかそういうこと言いそうだ」
周到にも餌やペット用のミルクなどさしあたって必要な物は既に準備してあった。どうやら俺に話すのはまず周囲に打ち明ける前に味方を増やしたかったからのようだ。
犬だけ置いていくわけにもいかないので手ごろな大きさのダンボールにタオルを敷き詰めそこへ仔犬を入れ八十八家に戻ると、両親は驚いたがすんなり受け入れてくれた。元々、いくら仲が良いとはいえ隣の事情だ。口を出すようなことでもない。平日昼間は学校でおじさんは世捨て人なので食事の世話などで頼ることになるであろう母に予め協力を頼んでおいた。
予想通り祖父から生命の何たるかを説かれきちんと世話をするようにという小言で説教は締めくくられた。
部屋に運び込んだダンボールから脱出を図ろうとする仔犬を見ながらゆっくり息を吐き出す。
「お前、頼むからモミジのことは噛まないでくれよ。おじさんならいくら噛んでくれてもいいから」
風呂場の脱衣所の方から賑やかな声が聞こえるのはモミジと母だ。たまには、と一緒に入っている。先日の膝のけがが見咎められはしないかと心配だが、耐水性の絆創膏を選んだので気をつければ大丈夫だろう。母もここのところ夜になると視力が落ちると言っていた。それはそれで気になるが。
明日は土曜で学校が休みだ。ならばやりたいことがある。
さっきは残念ながら進展なく終わったが、今後モミジとの仲を深めていきたいと思っている。中身のないただ周りから認識されるばかりの恋人でいるのはもう嫌だ。その為には、なによりまず二人で出かけなければ。
なにしろこの間まで小学生だったので、どこかへ出かけるとなると保護者がついてくる為学校以外に二人で行動したことがない。おじさんは特について来たがる。留守の今がチャンスだ。犬は祖父か祖母にでも預けてしまえ。早速生命への責任と怒られそうだが構いはしない。
問題はどこへ行くかだ。恋人とどこで過ごすべきかなんて知識は持たない。映画館、駄目だ絶対寝る。ボウリング、力加減が難しい。カラオケ、いきなり難易度が高い。
机に向かい案をノートに書き出してはみたが、まとまらなかった。考えれば考えるほどに自分はなんとつまらない男だろうという自己嫌悪に追い込まれる。かといって自分にできるところから探しても何も見つかりそうにない。
仕方ないので助けを求めることにした。
『なんだ珍しいなお前から電話なんて』
電話口で、鍋山は何か食べているらしくもごもごと音がする。
「あのさあ、明日モミジを誘ってデートに行こうと思うんだがどうしたらいい」
『なんだよ自慢かよ好きにしろよ』
「どうしたらいいかわかんねえから困ってんだろ。助けろ」
身を縮め壁際でこそこそと話していると通りかかった父に不審なものを見る眼で見られた。父はまた「思春期か」と呟いてそそくさと立ち去っていく。
『ははあん、なるほど。大人の階段アバンチュールってか』
「具体的なことは何も考えてねえよ。お前よく情報誌読んでるだろ。遊び場詳しいだろ。教えろよ」
『そうだなあ。ここ最近お前面白いから教えてもいいかな。その前に場所以前の問題だろって思うけどな。お前らの場合お互いを知るとかそういうことじゃないし、主導権はどう見ても照山にあるんだから――』
脱衣所の戸が開く音が聞こえたので受話器を戻し素早く自分の部屋に戻った。鍋山が何を言っていたかはもう憶えていない。ここ一番で役に立たない奴だ。あてにしたのが間違いだった。
部屋でダンボールに噛り付きずっと仔犬と遊んでいた振りをしながら近づく足音を聞く。
「タカくん、かあ……おばさまがお風呂入れって」
振り返るとパジャマ姿のモミジがいた。シンプルな柄だが可愛い。さすがだ。髪は水気で余計に艶を増し数歩置いた間合いでも薫ってくる。うちにある変哲のないシャンプーを使っていてもモミジならこれだけ違う。
「わかった。じゃあこいつ見といてくれよ」
名残を惜しむのも我慢して入れ替わりに脱衣所へ移動する。風呂場を覗いてさっきまでここにモミジが裸でと働く想像力は危険なのでやめておこう。そこには同時に母も出現してしまいそうだ。
さっと体を洗って湯船に肩まで沈めると心が落ち着いてきた。今なら冷静に自分を見つめることもできそうだ。
確かに問題は色々ある。あるが、一番の問題は俺が心のどこかで今の生活に満足していることだろう。地球人と宇宙人とヒーローの三重生活にはもう慣れ、睡眠不足にさえ目を瞑ればどうにかなっている。改造してもらったおかげで体も丈夫で病気一つない。
そもそも問題を解決したいと言ってもモミジが安心して暮らし続けられる地球社会というのが無謀だ。おじさんが本当に地球を征服するしかないように思える。
体が温まり、その時には最前線で働かされるんだろうなという冗談のようなことを考える余裕まで出てきた。が、さて上がって脱衣所へ出ようというところで寒気に襲われた。
この時期に湯冷めでもない。鍋山に電話で相談する前に考えあぐねたデートプランの走り書きを机の上に広げたままでいるのを思い出した。
脱衣所を飛び出しかかとを上げて居間を走り抜け部屋へ駆けつける。仔犬と遊んでいたモミジはこちらを振り向き、すぐにそれ以上の素早さで向こうを向いた。
「ひゃあ! タカくんなんで服着てないの!」
「うわあ、すまん! ええっとうわあどうしよう俺」
ろくに体を拭きもしないで出てきてしまった。ともかく机の上のノートをどうにかしたいが、このまま部屋に入ってモミジに近付くのも忍びない。中腰で尻を突き出し弱っていると、居間から出てきた父がタオルと着替えを投げて寄越した。
「思春期じゃ済まない。これは思春期じゃ済まないぞタカシ。どうした、しっかりしろ」
「違うって誤解だから! おじさんには黙っといてください」
タオルを腰に巻きつけ父に釈明しながらちらりと机を見る。そこに開いて置いてあったはずのノートがなぜか閉じてあった。ああ、もう急ぐ必要はないらしい。
すごすごと脱衣所まで引き返しきちんと着替えを済ませてから、再び戻った部屋の入口に正座した。
「あの、モミジさん。つかぬ事をお伺いしますが、もしやそちらの机の上のノートをご覧になったでしょうか?」
「えっとほら……この子の名前考えてくれてたんだと思ってその、ごめん」
「いや、別にいいんだ」
モミジの方もぎこちなく、沈黙が気まずい。合わせた膝の上で弄ばれる仔犬がきゃんきゃんと抗議の声を上げている。
「どこか……出かけるの?」
モミジの問いに拍子抜けした。それはそうだ。ノートには、行き先をメモしていただけで、「モミジとデートするなら」などと表題をつけていたわけではない。思うところは伝わってはいないことになる。ほっとしたが、それならばいよいよ自分の口で伝えなければならない。いけ、勇気出せ。
「ああ、あのさ、明日さ。どっか出かけないか? その、二人でさ」
「うん……この子の世話するのに色々必要な物があるから買い物したいんだけど、付き合ってくれたら嬉しいな」
「ああ、もちろんいいぞ。あ! いやそうじゃなくてだな」
間違うところだった。俺の希望は単にモミジと出かけることじゃあない。ここで妥協してしまったら目的と違う、今までと同じものを手にすることになる。
「そうじゃなくて、だな」
気持ちがあっても声が出なかった。口がぱくぱくと動くだけで終わる。だらしない喉だ。俺のせいじゃない。
「で……で……」
モミジは俺の唇をじっと見て、自分の唇を触って動きを確かめ発音を探っているようだった。開放された仔犬が俺の膝に喰らいつこうとして擦れる鼻先がこそばゆい。
「でえと?」
回答しながら小首を傾げる。それで俺が頷くと、少しずつ顔が赤くなっていきおもむろに仔犬をむんずと掴むとダンボールを抱えて立ち上がった。さっと廊下に出たところで、こちらに向かって深々と頭を下げる。
「明日はよろしくお願いします」
とたとたと軽い足音が遠ざかって聞こえなくなってから全身の力を抜いて畳の上に広がった。急に逃げようとするので断られるのかと思い、その一瞬でとても疲れた。俺が素直に言えないように、モミジも素直に受けられないらしい。
ともかく明日の予定が立った。犬の飼育用品を飼う目的はあるが大事なのは用事じゃあない。二人で出かけることにそれ以上の意味を見出せなければどこで何をしようと進展はしないだろう。
おじさんが不在とはいえいつ犬歯が疼きだすか油断できないのでさっさと布団を敷いて横になった。できるだけ睡眠時間を多くとって最高のコンディションで出かけなければならない。寝不足でせっかくのデートが台無しになればモミジにも申し訳ない。
今から眠れば夜中に起こされるとしても充分だ。だから明日はきっと最高の一日で、きっと転機の日になる。これほど高揚感で胸を一杯にして眠りにつくのは思い出す限り初めてのことだった。
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