第13話
夕飯時、我が家の食卓には普段より多くの皿が並んだ。何かの記念日とかいうことはない。モミジの分だ。おじさんが旅行だとかで留守になっているので独りになるのならと母が招いていた。明日が土曜で学校が休みなのも好都合だった。
専用の湯のみと茶碗が残っているほどモミジがこの家で暮らした記憶はまだ新しい。モミジも勝手を知り尽くしているので台所に立ち母を手伝う動きも非常にスムーズだ。
「娘を置いて旅行とは、いい気なもんだ」
「土地持ちは羨ましいねえ」
父と祖父は既にアルコールに手をつけている。祖父の言葉には毒があるが、父は単に酒の相手をしてもらえずに寂しがっているだけのようだ。
おじさんは働いていないので照山家の財政は不動産が支えている。宇宙の錬金術ではなく駅前に駐車場がちゃんとある。特別裕福というほどではないが暮らしに不自由しないだけの収入はあるらしい。
もっとも、我が家も現役で働いているのは父だけだ。タクシーの運転手だった祖父はもう定年で、祖母と母は忙しい時期に近隣の農家を手伝うくらいで仕事は持っていない。
「旅行って言ってたけど、女じゃないのかね」
祖母が居間の座布団へ腰を下ろしながら唐突に言った。
「あれももうずっと独りもんだし、そろそろそういう話があってもいいんじゃないかと思うんだけどね。モミジちゃんももう大きくなったし、ねえ?」
おじさんの用事は大学時代の友人に会うということだが、真実はどうかわからない。俺とは違う理由で祖母は疑っているようだ。
もしそうだった場合、モミジの反応よりもその新しい母親が宇宙人かどうかが気になる。もし宇宙人でないなら余計に話が複雑になって大変だ。どうかモミジやおじさんと同じ母星の人であってほしい。
「おふくろ、子供が聞いているんだから」
父が気を遣ってそんなことを言った。俺は新聞のテレビ欄に集中していて大人の話は聞こえていない振りをする。
父がそんなことを言うのは、単に子供には難しい話だからだけではなく特殊な事情があるからに思える。モミジの出生については、宇宙人ということを差し引いてもおかしなところがあるからだ。
モミジも俺も、モミジの母親を見たことがない。産んですぐに亡くなったからだと聞かされていたが写真すら無いのは不自然だ。モミジは元いた地球人はどこか別の所で暮らしていると思っている(どういう進歩を辿るのか模倣するには観察が必要な為)ので、代わりにもぐり込ませる宇宙人がいなかったのだと解釈しているが、俺は納得できる推測を見つけていない。
とにかく不自然な点はあるものの、何しろ人の死にまつわることなので触れるのもためらわれ、今まで話題にしようとしなかった。モミジがうちの子のように暮らしていたのもあって母親がいないこと自体に疑問を感じなかったのもある。
モミジの母親についてわかることは、モミジと同じ髪の色をしていたであろうということだけだ。だからこそモミジも自分の髪を大切にしている。
「いないんならいないであんた世話してやんないか。役場にだっているんだろ手頃なのが」
「そういう話はたまにするけど、久士くんその気ないみたいだよ」
俺とモミジがそうであるように父とおじさんもまた幼馴染という関係にある。同じ年に生まれ大学進学でおじさんがこの町を離れるまでという長い時間を一緒に過ごした。
隣人が宇宙人という常識外を理解する上で一番混乱するのはそこだ。この辺りは古くからこの土地に住んでいる家ばかりで、八十八家と照山家も例外ではない。宇宙人が紛れ込んでいるのは一体いつからなのか。少なくともおじさんは宇宙人だが、父がそのことに気がついている様子はない。
おじさんは上京してしばらくすると音信不通になり、両親が立て続けに亡くなっても帰らなかったそうだ。そのせいで親類の不興を買い疎遠になっていると町の老人連中が噂しているのを聞いたことがある。その時期が怪しい。早ければ大学生時代に、本物のおじさんは宇宙人と入れ替わられたのではないか。最初はそう考えた。
その場合納得できないのは、父の存在だ。 両親の死を見取りもせず葬儀を取り仕切るどころか参加もせず、更には現在働いてもいないおじさんが他人から悪く言われることはとても多いが、父だけはおじさんととても仲が良い。どちらかの家で二人酒を飲んでは盛り上がるのが毎週のことだ。二人の間には確かな友情があり、共に青春を過ごしたのは見ていればわかる。それを疑うことはできない。おじさんがもし〝照山久士〟でないなら父にはわかるはずだ。
SFでよくあるような記憶を操る機械があって、父のことは騙しているのかもしれない。父の記憶も友情も作られたもの。宇宙の技術ならそういうことができてもよさそうだ。だがそれなら同じことを俺にしない理由がわからない。俺に秘密を明かしたままでいる必要はなかったはずだ。
「どうしたのタカくん、難しい顔して」
声をかけられて物思いから引き戻された。モミジは脇へ置いたおひつから炊きたての白米をよそっている。台所は土間で一般的な現代住宅よりも居間と距離があるとはいえ、きっと父たちの話は聞こえていただろうにそうとは感じさせない風に振舞っている。
モミジにしてもおじさんの再婚話は嬉しくないはずだ。思春期と子供がごく普通に抱く感情だけでなく、家の中に自分とは違う生き物が増えることになるのだから。
それにしてもモミジはエプロンがよく似合う。幼な妻と呼ぶにはいくらなんでも若すぎるが、甲斐甲斐しく立ち働く姿は実に様になっていてなかなかできたものだ。朝目を覚ましてこの姿を前にすれば、自分が天国にいるものと錯覚するに違いない。また本当にそうであったとしても悔いは無いだろう。のんびり見とれていられないのがつくづく残念だ。
「おじさん明日帰ってくるんだろ?」
「うん。昼頃にはって言ってた」
今日の夕方出かけ明日昼戻るのでは旧交を温めるにはいささか寂しい滞在時間ではないだろうか。行き先がどこかは知らないが、無職で時間はあるだろうに。
土砂崩れから助けた男が町長で、それをきっかけに役場が情報を集めようとしているのはおじさんに伝えてある。「それは困ったことになった」という言葉とは裏腹におじさんはとても嬉しそうで、その後出かけたということだから、完全に何か企んでいる。俺にとってはろくでもないことのはずだ。
一体どういうつもりなのか。悩みの種は増えるばかりで最早どれについて悩むべきかで悩まなくてはならない。
悩みと言えば朝露のこともある。あれだけ絡んできたというのに放課後モミジと対峙した時の態度はさっぱりだった。もちろんそれでいいにしてもモヤモヤしてすっきりしない。一体どういうつもりだったのか。
考え込んでいるといきなり、モミジにほっぺたを掴まれ左右へ引っ張られた。
「あにをふる」
「ご飯食べようよ。それどころじゃない? 私も作ったのに」
食卓には珍しく洋食、エビフライがある。以前、モミジが作った献立を食べ指摘されるまで気付かず機嫌を損ねたことがあったので、今度は普段母が作らないわかりやすいメニューを選んだようだ。
言わせてもらえばモミジは母の料理を手本にしているので味付けがまったく変わらない。気付けと言うほうが無茶だ。
「いや、食べるさもちろん」
山盛りに盛られた茶碗を受け取り、家族が集った食卓の輪に入る。八十八家五人とモミジ。一人増えたというよりこれで勢ぞろいと感じるところに八十八家とモミジとの距離感が窺える。ただし宇宙人という問題がある為モミジ自身が打ち解けているわけではなく、一方的な面はある。
「そうだ。忘れないうちに渡しておこう」
父が席を立ち、数枚のプリントを手に戻ってきた。プリントは画像が大写しになっていて食卓の上をモミジへと渡る。
「これが話したやつだよ」
「あ、ありがとう……ございます」
画像はどうやら監視カメラの記録のようだった。画質は荒く砂嵐の中のようで細かい部分が乱れてはいるが見知っているのでそれが何かすぐにわかった。知っているどころか、そこに写っているのは俺、赤仮面だ。担いだ人間を下ろしているとなると病院の夜間受付口に違いない。
「あそこカメラついてたのか!」
つい声が出て視線を集めてしまった。これはまずい。
「なんだ、イタズラした憶えでもあるのか」
祖父が歯の抜けた口でひゃひゃっと笑う。
「防犯で録画までしてるなんて、この辺じゃ珍しいなと思って」
「新しい病院だからな」
モミジの手元でパラパラとめくるのを眼球の動きだけで盗み見る。今はライバルか敵同士と思われているが、赤仮面とは無関係と思われたいので興味は隠してこっそりだ。
見直してみてもやはり町長を届けた病院の夜間受付口だ。放課後父がモミジに電話してきたことと繋げて考えれば、話を聞いたモミジが参考資料として欲しがったのだろう。
(まいったなこりゃ……)
とりあえず、成り行きを見守るしかなさそうだ。今ここで奪い取って抹消したところで家族の前で俺の立場が悪くなるだけで意味がない。赤仮面として活動を続けていく以上、いつかは周知されるとわかっていた。今がその時なのかもしれない。
「うーん……ぼんやりしてる」
モミジの言う通り画像は荒く明かりが足りないので赤色も目立たない。タイツのおかげでこれといった特徴が無く正体を知らなければ人影以上にはわからないかもしれない。
「でも赤仮面だ。絶対間違いない」
「へえ、これが尾松さんが言ってた奴かい」
「うん。間違いないよ」
モミジの力強い一言で場の意見は完全に決定されてしまった。そこそこに知名度が上がっていたせいもあるのだろう。
「あら、ホント小さいのね。タカシと同じくらいじゃないかね」
母の言葉にひやりとする。致命的な特徴を忘れていた。成人男性である町長との対比で大体の身長は見当がついてしまう。
モミジがハッとした様子で顔を上げて俺を見た。とうとう勘付いたのだろうか。思わず首がすくむ。
「違うからね。私タカくんのこと小さいなんて思ってないからね」
勘違いだった。しかし心は楽にならず弁解に抉られる。コンプレックス丸出しと思われているのも悲しいが、実際そうなのがまた悲しい。
そして小さくないはずがないので、疑われていないことを喜ぶ元気は湧いてこなかった。
食事中に行儀が悪いということで祖父に叱られてモミジはプリントを脇へ置き箸を取った。宇宙人もヒーローも関係のない日常が始まり少し安心する。当たり前だができればこの問題に家族を巻き込みたくはない。
「それで、赤仮面てのは一体なんなんだい」
「あ、う……」
「親切な助っ人、ってことになるのかなあ」
食べながら、やはり話題は赤仮面から離れなかった。一番詳しいはずのモミジはしどろもどろで説明にならないので、代わりに父が知ることを語った。
「役場にも相談があるけど、この人物を見たって人が結構いるんだよ。かあさんが言った尾松さんとかね。n町長の件があるまで僕も半信半疑だったんだが。画像の他にもここまで揃うとなるとねえ」
画像を受け取ったおかえしに、モミジは赤仮面の資料を出していた。目撃証言や出現時間と場所の記録。要するにモミジのホームページの内容だ。父はそれを元に役場でも赤仮面の調査を行うという方針を明らかにして俺をげんなりさせた。勘弁してくれ。
「車とか簡単に持ち上げて、風のように――」
赤仮面談義は花咲き、次第に熱を帯びたモミジは活き活きと弾む声で話している。無法者の肩を持てば立場を危うくすることも忘れ楽しそうだ。赤仮面という存在に希望があるからだが、宇宙人政府がひっくり返ることへの期待というよりももっと手近な理由があるように思える。
出現地点を割り出して赤仮面と直接会い、保護してもらうつもりでいるのではないだろうか。頼りなくレジスタンスだかなんだかわからない俺を頼るよりもそうした方が遥かに賢い。けれど俺は、モミジが赤仮面のことを楽しそうに話しているのを見る度に悲しくなってしまう。赤仮面に助けてもらうつもりでいるのなら俺はいらない。
いつかモミジの理想が実現する時、感謝されるのは俺でありたいと思っている。赤仮面には負けたくない。そういう意味でモミジが推測する俺と赤仮面の関係は正解だ。
「タカくんどうかした? もしかして今何か受信してる?」
小声で、様子がおかしいと心配してくれているのだろうが、何を言っているのか呆れておかしくなり笑った。モミジの存在以上に難解な事件なんて、俺には無い。
「いや。えーと。味わってただけだ」
たまたまだが、モミジ手製のエビフライを食べているところだったので言って見ると俯いて何かもごもご言い始めた。よく聞こえないので耳を近づける。
「あのね、えっと……あとでうちに来てほしいんだけど」
家が隣でいくら気軽な付き合いとはいえ、こんな夜更けに遊びに行くことはそうそうない。それに忘れてはいけないのが、おじさんが留守にしていることだ。俺が行くともみじと二人っきりになる。もしかすると、そうだとすると。
朝露が刺激になったのだろうか。しかしこの状況で誘いをかけるとは大胆過ぎやしないか。でも俺たちももういい加減に。なあ、そうだろ。
悩みも何も吹き飛んだ。年相応の甘酸っぱいの青春と言うのも、やはり難題だ。
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