第18話
夜は更けたものの深夜には遠くまだ明かりが残っている家もまばらにある。それでも夜間営業の店舗がほとんどないおかげで町の空は暗く、宙を舞う赤色を隠すには充分だった。
強い犬歯の疼きを受けて赤仮面に変身したもののその後原因を特定できず、電信柱を飛び移りながら町内を見回り続けている。疼きは小さく続いていた。
普段なら直感的に現場を特定できるはずが今回に限ってはそういった不思議も起こらないうえに、おじさんが不在なので司令室から通信もない。まったくのお手上げで当て所もなくさまよっているという現状だ。
それで何が解決するわけでもないにしてもこのまま何事もなく朝が来てくれたらとつい願ってしまう。明日は日曜だ。モミジとデートのやり直しに出かけて、今度こそ一緒に夕陽を眺められたら。
そう都合よくいくようであれば、そもそも俺の人生はこんなことになってはいなかった。
最初、鏡かと思った。同じように電信柱に立つ赤スーツ。違いは表面の形状とマフラーと体格。昼間に見た奴が、ゆったりとした直立でこちらを見ている。明らかに先に気づかれていた。奇襲を仕掛けてこなかったのは当然だ。見た目通りのヒーローならば。
向こうがヒーローならこちらもそうだというところを示せば和解できる。そう願い、とっさに備えた構えを解いて両腕を振り上げた。ヒーローにポーズは欠かせない。おじさんの趣味だけでなくそれが宇宙の常識だと信じよう。
ところが、上げた腕を振り回して片足になったところで急に飛びかかられた。寸でのところでかわして宙へ逃げる。
「なにしやがる、ヒーローに名乗らせないつもりか!」
「黙れ」
怒りに満ちた声で凄まれ、着地で曲がったばかりの背筋が反射的に伸びる。男の声だ。
「貴様がヒーローの何を語るか。片腹痛い」
何が逆鱗だったのかはわからないが激昂させてしまったようだ。どう弁解すべきか迷っているうちに向こうが動き始めた。素早く反応して更に距離を取りながら見たもの、それは確かにヒーローポーズだった。
「盗んだ仮面でヒーロー気取り」
さほど大きな声が出ているわけでもないが妙にはっきりと鼓膜を叩く。声に脅かされた大気が揺れ、スーツを越して震えが伝わった。気圧されている。
「騙る名が持つ重さも知らぬ厚顔不遜の劣弱贋者。散り際覚えぬ愚者ならば切って落とすは正義の鉄槌。下しに来たり、薔薇仮面!」
口上が済めば一瞬だった。一瞬で眼前へと迫り拳が脇腹に食い込む。その部分がなくなったと錯覚する痛みに気を取られ、足が地面を離れ宙へ押し出されたこともわからなかった。全身に脂汗が吹き出る。
(こいつ……!)
空中で姿勢を整えたのもつかの間、今度は背中に一撃を受け落下する。敵がどこにいて、攻撃が具体的になんであるか把握することもできない。
驚異的に速く圧倒的に強い。まるで雷を相手にしているかのようだ。いや、違う。
(こいつ本物だ!)
本物のヒーロー、本物の赤だ。
攻撃を受けた勢いそのままで落下激突すれば路面がえぐれてしまう。反り返った体を戻し、手足を柔らかく伸ばして着地し衝撃を分散した。思惑通り路面は無事だったが、ほっと息を吐くことはできなかった。
呼吸ができない。肺に空気が入ってこない。呼吸困難だ。胸を叩いて上半身を揺することでどうにか内蔵が本来の機能を思い出した。湿った夜の空気を一杯に吸い込み、咳き込むと奥からこみ上げてくるものを喉に感じる。胃液の酸味が舌を焼き鉄錆の味が混じる。
「無様だな、偽者」
悠然とこちらを見下ろす姿が霞んだ。鉄の味に満たされた口の中から溢れた血がマスクを通じて表へ流れ出る。ほんの二度接触しただけでこの有様では侮られるのも当たり前だ。
「それ以上醜態を晒すな。降伏するがいい」
優しい申し出なのだろう。このヒーローに相談すれば厄介な犬歯から解放され自由になることもできるかもしれない。爆死の恐怖に晒されることのない平和な日常に還ることができるかもしれない。でも――。
「おススメは嬉しいけどよ、俺にも守るものがあるんだ」
掌で地面を突き離して起き上がる勢いを殺さず宙へ跳ぶ。いくら夜中で表に人目がないとはいえこんな住宅地で戦っては騒ぎになる。人家のない山間部へ移動しなければ。
「守るもの? それは宇宙と比して劣らぬものか」
地面を跳ねて加速を得るまで持たずに追いつかれ、横腹を蹴られ激痛で全身が縮んだ。防御を固める隙もない。また続けて背中に痛みを感じると同時、意識が薄れて狭まる視界に木枝が踊った。偶然山中に墜落したのは幸いだが、この場所が勝算を生むわけでもない。ぶちのめされるのに周囲を気にする必要がなくなっただけだ。
「まだ見苦しく抵抗を続けるつもりか」
木々をなぎ倒し山肌に大きな溝ができていた。向こうには町の明かりが見えていて、仁王立ちが立ち塞がる。まるで消耗した様子はなく、俺の方は立ち上がるにも膝に手を添えなければならないほど酷い有様だ。震えがきているのはダメージのせいばかりでないのも情けない。
敵は強力だ。知恵や工夫でどうにかできるレベルを超えている。これだけ不利な状況では説得など望むべくもない。隣家の宇宙人に改造され従わされているだけ。そう釈明して赦しを乞う他ないように思える。しかしそうした場合、赤仮面スーツは確実に取り上げられてしまうだろう。奴が言った盗んだ仮面というのがこのスーツのことならおじさんは盗人だったらしい。
「大人しくそれをこっちへ渡せ。そうすればこれ以上危害は加えないでやろう」
案の定の要求に苦笑する。
「嫌だ」
はっきりと拒絶したことで驚いたようだ。初めて主導権がこちらに傾いたことを意識しながら深く息を吐き出す。昼間奴を見て以来、失っていた平静がようやく戻ってきつつあった。
「俺がぼうっとしてただけなんだろうけどよ、お前らみたいに別の宇宙人がやって来るなんて考えもしなかった」
なあモミジ。お前は俺が大変な目に遭うくらいなら今の状況が続いてもいいと言ったけど、そういうのももう限界らしい。今までと変わらずのほほんってのは、悔しいけど無理らしい。
「この先何かあった時、このスーツがないと乗り越えられないかもしれない。だからこいつは返さない。わかったか、本物」
小ばかにするように鼻が鳴るのを聞く。波打ったマスクの下でどんな表情をしているかはわからないが、体からほんの少し力が抜けたのが見て取れた。
「貴様、自分が今身に付けている物がどういう代物か、さてはまるでわかっていないな」
黙って頷くとまた鼻で笑われた。
「それは宇宙に点在する未確認文明の遺産の一つだ。いつ誰が何の目的で作ったのかは明らかになっていない。我ら全天平和維持機構の管理の下宇宙の平和を守る為運用されている。貴様が纏うそれの名は赤色彗星の浄鬼源。十二年前から行方のわからなくなっていた宇宙ヒーロー赤仮面のヒーロースーツだ」
なにやら込み入った話になってきた。これまで渇望していた情報だが、いつ襲われるかわからないこの相手からでは落ち着いて聞くこともできない。
「宇宙の平和はほんの一部分、薄氷の上に成り立っていると言っていい。我々宇宙ヒーローが手を繋いで輪を作り、少しずつ影響下を広げているような状態だ。どこか一つ突破されれば全て水泡に帰す可能性がある。その浄鬼源が宇宙へ還ればその分戦線を強化することができる。どうだ、ことの重大さがわかったか」
話を聞いている間に呼吸は落ち着き痛みも引いた。背筋を伸ばし本物の宇宙ヒーロー、薔薇仮面を睨み据える。
「ああ、ようくわかった。こいつは絶対に返せない。そんなに危険な宇宙で、この町を守るにはこのスーツがあった方がいいだろ?」
「……この町? 貴様、それだけの力を手にしていながらこの小さな集落だけを守るつもりでいるのか。なんだそれは、ふざけるのも大概にしろ」
「俺の目的は平和でも正義でもねえよ。今はあいつの妄想を守って、あいつがこの町で暮らしていられるようにすることだ」
おじさんが赤仮面スーツを盗んだのなら逮捕されるのが筋だ。そうなればモミジもどうなるかわからない。モミジも宇宙へ連れて行かれる? それだけは絶対に避けなくてはならない。つまり、倒す必要があるわけだ。
「ありがとよ、薔薇仮面。お前のおかげで色々わかった。覚悟も決まった。次は俺が強くなるのに付き合ってくれ。もうマイナーなご当地ヒーローじゃいられなさそうなんでな。お前を倒すのが、新しいヒーロー生活の第一歩ってことでよろしく」
少しの間のあと、薔薇仮面はわなわなと震え始めた。少しだけ緩んでいたその体に怒りで力みが加わっていくのを見て改めて身構える。第一歩。これを踏み外せば先はない。崖下へ直下だ。
「盗人が、勘違いも甚だしい。貴様が何を背負っているのかは知らん。だが個人的な感情で動く者はヒーローでもなんでもない。宇宙正義はそんなものは認めはしない!」
「ああそう、だからなんだ? 宇宙人の考えは俺に何の影響も与えない」
憤怒を受け流し、大きく腕を振ってポーズを取る。俺よりも赤仮面について詳しい相手に今更名乗る意味はないので、これは挑発だ。
技術と経験を活かし効率的に攻められては勝ち目が無い。見たこともない道具を使われでもすればあっさり捕まってしまうだろう。力と力の勝負に持ち込み、その間にどうにかして赤仮面スーツの力を引き出す。それ以外に成す術は無い。その為には徹底的に怒らせて、俺をいたぶらずにはいられないようになってもらわなくては。その為の挑発だ。
「批判・苦情は上等覚悟。私利と私欲の赤仮面。俺が偽者だってんなら、ご自慢の正義で潰してみやがれ! それができるくらいお前は強くて正しいんだろ、ええ? 宇宙ヒーロー!」
吠えると、薔薇仮面を中心に風が吹いた。足元の草や立ち並ぶ木々の枝葉が揺れる。いや、風ではなく衝撃波だ。徐々に強まり枝は折れ幹は斜めに傾ぎ表皮がひび割れていく。
「鳥・肌立ったあ!」
薔薇仮面が叫んで真上に突き出した両手を合わせると、腕が大きく膨らんで歪な円錐形を成した。突撃槍の如く鋭くうねる。
「いいだろう! 望む通り本物の宇宙ヒーローの力、嫌というほど思い知らせてくれる! この一撃にて貴様の心を折り浄鬼源を回収する。そのあとは無い!」
挑発が効果的過ぎたかもしれない。薔薇仮面が用意しているのは恐らく最大の攻撃だ。じわじわと痛めつけられる中で勝機を見つけようとしていた予定が狂った。一撃必殺を選ばれてしまっては学習する隙がない。
鋭利な尖りを生み出したのがスーツの力ならば俺にも同じことができるかもしれない。が、いくら同じように腕を上げてみても何も起こらなかった。
「馬鹿め! これは赤仮面に無い力だ。赤仮面を含む原祖の浄鬼源を超えることを目標に開発された新生の浄鬼源に付加された力だ! 現代宇宙技術の結晶だ! 存分に味わうがいい!」
周囲に放たれていた衝撃波が後方へ収束したかと思うと薔薇仮面が突進してきた。地面を蹴った様子はなかったので衝撃波を推進力にしたらしい。
間近に見る円錐はドリル状に回転していて、とっさに前へ出した手が弾かれて胸へ直撃を受けた。爪先を沈めた地面がえぐれて押し流される。凄まじい突進力にまったく抵抗できていない。
歯を食いしばって痛みを堪えながら驚くべきことに気がついた。蹴飛ばされただけで意識が飛びそうになっていたはずが、今はこの強力な攻撃にもどうにか耐えている。
そしてもう一つ恐るべきことに気がついた。
ただでさえ町外れの山の中、このままにしていてはすぐに町の外へ押し出されてしまう。赤仮面スーツを着ている以上そうなれば爆死だ。額の星を回せばスーツを脱ぐこともできるが、今この状況でスーツの力を手放せば胴に大穴が開く。打つ手が無い。
「くそ! くそぉ死にたくねえ!」
張り付けにされた状態でもがいても足が地面に届かない。こんな時まで厄介な身長が邪魔になった。
『スーツの反作用を使うんだ』
突然の通信に思わず声を出しそうになった。司令室からの連絡、もちろんおじさんの声だ。
「あんた今までどこに――」
『今はその攻撃に対抗することに神経の全てを注ぎたまえ。方法は教える』
おじさんの声はにわかに興奮してはいたが、急いではいない。
『浄鬼源が強烈な負荷に耐えられるわけは、攻撃に対して自動的に反発力を生み出して威力を相殺しているからだ。その仕組みは練習次第で自在に操ることができる』
薔薇仮面が発していた衝撃波を思い出す。あれもそうだったのだろう。
『君は今すぐそれを身に付けなければならない。自分の背中や足元に力場を作り出して支えにするんだ。心配いらない。イメージすればできる。思い出してほしい。君にそのスーツの使い方について教えたことがあったかい?』
着脱のやり方は自力で見つけた。おじさんから聞いたことと言えば犬歯が爆発する条件の他に口上を含めヒーローらしく振る舞うよう指示されたくらいだ。それらを守り、生き残る為に考え行動し続けて今日がある。
手足を伸ばし、帆が風を受け止めるように身体を広げる。足の裏から背中から、ロケット噴射の勢いで爆発しているイメージ。
手応えはすぐ。前だけでなく後ろからも同時に圧迫され痛みが増した。
「ハッ! 多少心得があったようだな! だがその程度でこの薔薇仮面をどうにかできると思うか! なめるな!」
「うるせえお前のことなんて知らねえよ! けど――」
右足を後ろへ引くとそこにあるはずのない足場を感じた。景色が過ぎていく速度がほんの少しだけ緩やかになっていることを意識しながら、思い切り力を込めて踏ん張る。
「力比べはまだやってねえだろうが!」
掌を合わせて円錐を下からかち上げる。軌道が逸れた薔薇仮面は宙へと舞い上がった。円錐が元の腕の形に戻るのを正面に見届け、後転する勢いを力場で殺そうとしたがうまくいかず何もない所に激突すること数度、ようやく止まることができた。
『よし、力場の生成は掴んだな。まずは第一段階クリアだ』
離れた所に着地した薔薇仮面とまた向かい合う。最初に対峙した時と違いおじさんの指導が加わったことで今はほんの少しだけ心に余裕が生まれている。
「言っておく。勝てると思っているから挑んでくるんだろうが、それは無い。ありえないことだ」
平静を装っていても肩で息をしていることは気付かれているだろう。あばらも痛む。一方的に攻撃を受けている時間が長過ぎた。とんだハンディキャップだ。
「なんだ、宇宙ヒーローって奴はお喋りで戦うのか?」
苦もなく動かせるのは口くらいのものだ。
「減らず口を叩くな。貴様を八つ裂きにすることで証明してくれる」
一瞬で間が詰まり、まるで知っているかのように痛む所へ薔薇仮面の蹴りが食い込んだ。木々をなぎ倒して飛ばされ倒れる。力場どころか着地姿勢を取ることもできなかった。
甘かった。多少スーツを使いこなせるようになったからといって、勝てるわけがない。相手は宇宙ヒーローだ。俺に手こずっていて宇宙を守れるはずがない。
『いいかいタカシくん。ここは絶対に負けるわけにはいかない。わかっているね?』
「気持ちじゃ、どうにもならない」
能天気な通信を聞き自分の口からこぼれ出た弱音の力の無さに自嘲する。わけもわからないまま、こんなところで一人無様に死ぬのだろうか。
それでも通信の声は暢気に落ち着いていた。
『やれやれ、弱気になっているね? 私は君の適応力を大きく評価している。家の隣に宇宙人が住んでいることを知り、身体を改造され理不尽を強いられても君は見事に順応した。なかなかできることじゃない。君はそれを誇っていい』
何も教えてもらえなかったからそうするしかなかっただけだ。俺が生きる為に、モミジと生きる為に。その為に辿ったこの道は途中の何もかもが必然だった。
「どうした。もう戦う力は残っていないか」
ゆっくりした足取りで薔薇仮面が近づいてくる。弄ばれるのは望んだ展開だ。だが勝機は欠片も見えない。突撃を弾いた時には全身に湧いていた力ももう失せている。
『君は今も自分の判断力で対応しているじゃないか。媚びず、逃げず、よく戦いを選んだ』
「でも今から八つ裂きになるらしいんで」
『忘れてはいけないよ。相手のスーツは現代の宇宙技術によって一から開発されたものだ。古代宇宙の遺産として現存するスーツを参考にしてね。君が着ている赤色彗星の浄鬼源、赤仮面スーツもお手本の一つだよ。そして現代の宇宙技術は、浄鬼源開発に関して古代にまだ追いていない。わかるね? 君が着ているスーツの方が優秀ということだ』
性能で勝っていると言われても気休めにもならない。敗因が自分自身にあることを確認させられて惨めな気分になるだけだった。
立ち上がろうと膝を起こし周囲に手を這わせ頼りになるあてを探る。よろめいた先に、冷たく硬い感触を見つけた。指先の冷たさと真逆、どうにか俺を勝たせようと若干熱を帯びた通信は続く。
『言っていなかったが、スーツは心をエネルギーに換えて力を発揮する。君が心を強く持てばスーツはその分だけ――』
声は途中で意識の外へいきわからなくなった。指先に触れたのは金属のフェンスだ。高圧電流の太い電線を何本も支える鉄塔を囲んだねずみ色の金網。鉄塔は家の表から遠く万歳岳の中腹に見える物で、喝采町ではなく隣の祝杯町の区域にあたる。
つまり、ここは隣町だ。
「終わりにするぞ偽者!」
薔薇仮面が蹴り足を構え衝撃波を推進力に飛びかかってきた。
「うるさい静かにしてろ」
飛びかかってきたつま先を掴んで地面に叩きつけ、沈黙した薔薇仮面の後頭部から鉄塔へと視線を戻す。何度見ても見知った鉄塔に間違いない。逆に、こんな物は喝采町周辺には他に無い。
『ああ、えーとだな』
通信はやはり気まずいらしく固い声になっていた。
赤仮面五則。赤仮面の活動範囲は喝采町内に限る。町外に出れば直ちに爆死。ここがそうだ。ところが俺は爆死していない。
『対象が宇宙人ということで、今までより広範囲での戦闘になることを見越して予め犬歯の爆発条件から〝喝采町外に出た場合〟を外しておいたんだ。だが他の条件は今も生きているからくれぐれも勝手な行動は――』
「もういいです。嘘だったんでしょ」
突きつけると、おじさんは黙った。何もかも止まった静寂の中ため息が漏れた。
薄々感じてはいた。おじさんに俺を爆破する意思はない。なぜなら、俺が死ねばモミジが悲しむからだ。だからおじさんにはできない。
だが、そこには気が付かない振りを続けていたからこそ、俺は用意されたルールの中で暮らすことができた。宇宙人に騙されている手先として。
「ぬう……何が起きた――うわぁっ!」
立ち上がりかけた薔薇仮面の首を掴んで空高く投げ飛ばす。これ以上山林を破壊するのは忍びなく、もし鉄塔が破損すれば周辺への影響は洒落にならない。
「おのれ、力を隠していたか」
薔薇仮面が空中で静止して体勢を立て直した。今までに到達したこともない高さ。星か雲くらいしか見上げることのない、俺も慣れない極端な角度を見上げて指差し大きく吸い込んだ息を一気に吐き出して叫ぶ。。
「てめえ! 責任取ってもらうからな!」
妄想の中で生きているのはモミジだけでなく俺も同じだった。おじさんの言うことを聞いていればいつかなんとかなるという安易な妄想。そう思い込まざるを得ない材料を与えられたわけでもその必然性があったわけでもないのに、自分でそれを選んでいた。探れば、ごねれば、どうなるかわからないから。怠惰と疎んじられたとしてもそれでモミジと一緒にいられるならそれでよかった。
「お前は俺の生活を壊した! 後ろ指刺されようと俺が望んでいた平和だ!」
「後ろ指は当たり前だ、盗人が開き直るな!」
「お前が現われたおかげで俺は真実を追究しないといけなくなったんだぞ!」
『まさに私が恐れていた事態だ。実にまずい』
薔薇仮面との言い合いに通信が混ざる。この声の主だけが真実との接点で、犬歯によって命を盾に取られていたからこそ今まで諾々と従ってきた。だが今や赤仮面五則は破れ、矛盾が鼻先にぶら下がりしらばっくれることもできない。
「俺の人生を脱線させた責任、必ず償わせてやる」
奴にはそれができる。俺の求める沢山の真実を知っているはずだ。おじさんにとって都合の悪いことも何もかも。
「何のことだかわからんが、逆恨みも甚だしい。私は盗まれた浄鬼源がなければここへ来ることもなかった。正義の出現を咎める道理はどこにも無い」
薔薇仮面の言う通り全て必然の流れだ。ならば迷うことはない、突き進む。ぶつかる壁は額で砕く。
『色々と釈明しなければならないから後で話そう。その為にもここは絶対に勝つんだ』
随分と勝手なことを言っているような気がするが、おじさんの言うことはひとまず俺の都合とも重なった。これだけ敵意を向けてくる相手に主導権を渡すわけにはいかない。
『もう一度言う。赤仮面スーツ、というより全てのヒーロースーツは使い手の心を糧としてエネルギーを生み出す。向こうの薔薇仮面も仕組みは同じだ。全ては感情の動きや気持ちの高ぶり次第。だから心を強く持つんだ。それがなければそのスーツはただの丈夫なタイツに成り下がる』
「要は気力次第ってことですか」
『そう理解してくれて差し支えない』
「貴様、誰かと連絡を取っているな?」
つい要らない返事をしてしまい、見抜かれてしまった。
「スーツが行方不明になったのは十二年前。貴様では若すぎる。実行犯が別にいるはずだ。伝えるがいい! 仲間がどれだけいようと必ずまとめて始末してやる」
おじさんだけが連行されるならいっそそれでも構わない。だが実際その後不都合が生じるのは目に見えている。スーツ無しでまた現われるかもしれない宇宙人の影に怯えて暮らすのもごめんだ。それに、ここまでしてしまったからには俺もただでは済まないだろう。やはりここは、勝たなければならない。
「てめえに譲れねえ使命があるのはわかった。けど俺も負けられねえ。ヒーローの強さは使命の重さじゃなく、使命に対する想いの強さで決まる。違うか?」
『そういうことだ。流石、飲み込みが早い』
通信に合わせ薔薇仮面が頷いて肯定する。
「私は……いや、我ら全天平和維持機構は宇宙を背負っている。貴様の命もまとめて背負っている。使命の重さが強い心を育てるのだ。命も何も懸っていない貴様では底が知れようというもの。偽物が本物に敵うものか」
「いいや、絶対負けねえ。もし負けたら俺の気持ちなんてその程度だったってことになっちまうだろ? 命ならそこに懸けてんだ」
「我が正義を凌ぐとぬかすか。それがただの自惚れに過ぎないことを思い知るがいい!」
「うるせえな、てめえさっきからヒーローって割にセリフが悪役地味てるんだよ」
「ほざけ!」
飛び上がると薔薇仮面も迎え撃つ姿勢を取った。ありったけの力を込める拳が熱い。これをぶつけたら一体どうなるのか、想像もつかない。
が、接触する前に何かが足を引っ張って上昇が止まった。薔薇仮面を中心に置いた夜空から生い茂る木々へと景色が急転し地面へと引き戻される。力場を利用して空中を掴んで抗おうとしたが、作り出した反発力の壁に激突して痛い思いをしただけだった。
「くそったれ、うまくできねえ!」
墜落して更にもう一度ぶつけた顔をさすりながら足首を見ると蔓のような物が絡み付いていた。跳躍の急上昇中に捕まったのだから、それが自然物であるはずはない。棘のついた蔓は手首ほどの太さもあり、植物としては育ち過ぎだ。
「なんだ、新手かよ」
足の向こう横たわる蔓の先に細身の仁王立ちを見つけた。問題の蔓が手元へ繋がっている。
初めて赤以外、緑色をしたスーツだ。半裸と言っていいだろうか。ヘソや太腿とあちこち露出してはいるがゴムに似た素材や鼻から上を覆ったマスクの形状、薔薇仮面と同じマフラーにヒーロースーツの雰囲気が窺える。間違いない。こいつは薔薇仮面の仲間だ。
思い当たることがもう一つ。マスクから垂れ闇に溶ける黒の長髪と、普通の布地ならはちきれているのではないかと危ぶむほどに膨らんだ胸部。どちらにも見覚えはある。
「なるほどな。近くで俺を観察してたってわけか。それにしちゃ正体現すのが早いんじゃねえか? ええ、転校生!」
おかしな扮装に身を包んだ朝露キラキに向かって怒鳴りつけると、薄い唇はマスクの下で笑って見せた。間違いなく、自己紹介で見たあの笑みだ。
「この星は浄鬼源の力がなくとも現地機関にて治安の維持が可能と判断したうえで行動している。意見も疑問も取り合うつもりはない」
クラスメイトに受け入れられ、モミジと比肩するほどに人気を得ていた転校生。今その口から発せられる響きは恐ろしく冷たい。まったくの別人のようだ。育ちの良いお嬢様然とした雰囲気は演技によるものだったらしい。好意を寄せるクラスの男子が知ればショックを受けるだろう。
色々とスッキリする夜だ。転校生を見た時に感じた胸のモヤモヤは、本能でこの時を予感していたに違いない。そうに違いない。
「まったく女って奴は……そりゃいいとして二対一ってのはヒーローらしくないんじゃねえか。それが宇宙のやり方だってんなら、俺は構わねえけどよ」
不敵に見せながら内心気が気ではなかった。
二対一などとんでもない、絶対に無理だ。なんとしても避けなくてはならない。その為には怒らせてでもヒーローとしての意地を刺激する。これしかない。
「私たち花弁と茨、情熱華の浄鬼源は二身一体。組んで非難の謂れもないが一騎当千の赤仮面が数を見て怯むとは、らしくないのはそちらの方だ」
「なんだ、お前ら半人前か」
「まがい物が知った風な口を利くな」
先に現れた方の薔薇仮面が空から降りてきた。並んだところを見てみると確かに二人は薔薇の花弁と茨の特徴を持っている。赤色で波打った花びら、緑色で歪に尖ったトゲ。二身一体、二人合わせて薔薇仮面というのも頷ける。
足首に巻きついたツタはそのままに立ち上がり呼吸を落ち着ける。頭の中で状況を整理しようと思ったが、混乱するほどには状況がわかっていない。宇宙からヒーローがやって来て、転校生もその一味だった。スーツを奪われない為には奴らに勝たなくてはならない。要点はそれだけだ。
『宇宙ヒーローの強さを決定付けるのはスーツと心の力。君は片方で圧倒的優位に立っている。それほど強力なスーツの力を引き出せずにいたのは君が必要性を感じなかったからだ。この町で起こる事件程度では心が滾らなくても無理はない。しかし今度は違う。わかるね?』
ここで敗れスーツを取り上げられたら。隣家が空き家になったら。七年間付き合った妄想と決別したら。モミジがいなくなったら。
『心に力を込めるんだ。そうすれば君は、赤仮面は無敵になれる』
気がつけば体に力が満ちていた。二人の薔薇仮面をねじ伏せる。そんなイメージも今なら少しだけ現実味を持っていた。
「いいぜ、かかってこいよお二人さん。俺が、赤仮面がまとめて片付けてやる。お前らは本当に正義の味方になんだろうから良心は痛むけど、悪く思わないでくれよ」
足を前後に開いて挑発的に手首を返すと進み出て来ようとした花弁の薔薇仮面の肩を掴み、茨の薔薇仮面、朝露の方が前に立った。こちらは多少冷静なようだ。
おじさんがそう指示したようにやはりそれが宇宙の常識なのだろう、茨の薔薇仮面はポーズを決めて口上を始めた。
「背に負う業の重みを比べ力勝負が望みとあらば、まずは茨を払って見せよ。茨の棘の薔薇仮面。全力で持って相手を務める」
望んだ流れと喜んで踏み込んだ足は、ところが膝を伸ばして前へ飛ぶことができず、更には腰が落ちた。酷い倦怠感に襲われて体に力が入らない。
『今調べがついた。茨の薔薇仮面は相手の心の力を吸い取る特殊能力を持っている。すぐに足の蔓を解くんだ、手遅れになる』
しゃがみ込んだままで聞こえる声をわずらわしく思っていると蔓が全身に巻き付いた。手足の動きを封じられ地面に押さえつけられる。手も足も出ない張り付けの上、ここから何かしようという気力が湧いて来ない。
俺は、何かを頑張ろうとしていたはずだ。
『まったく、これではアンチヒーロースーツと呼んだ方が適切だ。厄介な相手だ。だが問題はないだろう。結局は君の心次第、そこに違いはないからね』
冷静な通信をただ聞き流す。近づく足音が止まると声が降ってきた。気遣いに溢れた優しい、クラスメイトの声だ。
「あなたは一体何の為に戦っているの? 観察していたからあなたがすっごく頑張っていたのは知っているわ。でもそれが何になるの? あなたが望んだことじゃあないでしょう? あなたはただ巻き込まれただけなんだから」
町の平和を守って二年。赤仮面として戦ってきたのは横暴な上司と睡眠不足だけだったようにも思う。どちらもヒーローという立場を捨て去れば開放される苦しみだ。ああいや、モミジが大事だから続けてきたんだっけか。
『汚い企みだ。君にとって大切な物を思い浮かべさせて、スーツが心を力に変換する端から吸収するという寸法らしい。嘆かわしい。これが現代のヒーローとはね』
目の前からも通信も声はぼんやりと聞こえる。焦りも凄みもない。ついさっきまで殴り合いをしていたことが嘘のように心が穏やかだ。じわり感じる疲労も手伝い、このまま眠ってしまいたくなった。
「ね? この惑星の平和なら私たち全天平和維持機構で守るから。何も心配しないで、幸せになっていいんだよ」
なんの心配もない生活。まさに夢のようだ。妄想という嘘で覆う必要もないまっとうな暮らし。当たり前に起きて当たり前に学校へ行き当たり前に――。
それでいいはずがない。
指の届いた所を掴み、縮めた体を伸ばす勢いで蔓を引きちぎる。ぶちぶちと繊維を引き裂く感触があった。
戒めを破り動くようになった体を回転させて残りをねじ切り自由を取り戻すと無残に落ちた蔓は巻尺が巻き取られるようにして茨の薔薇仮面の手首の辺りに消える。
「まったく、どういう仕組みしてんだ。宇宙のテクノロジーって奴はよ」
悪態を聞いた茨の薔薇仮面は突き出た胸の下で腕を組んで斜めに体勢を崩した。片足に体重を乗せ、人差し指が苛立たしげに上腕を弾く。
「奪い取られるより早く強く心に力を漲らせることで私の〝吸魂鞭〟を事実上無効化したってわけ? まともに戦うのは初めてのくせに、生意気」
声からは優しさが消え苛立ちで荒れている。転校生もヒーローも、安い演技は剥げた。
「それとも、流石赤仮面というべき? ねえ」
首を動かし一瞥された花弁の薔薇仮面がそっぽを向く。因縁を予感する一瞬、引っ込んでいた蔓が再び伸び脈打つように跳ね回って周りを取り囲むと一斉に踊りかかってきた。
蔓それ自体がエネルギーを吸い取る以上弾いても防げたとは言い切れない。手当たり次第引きちぎっても数が多い上にすぐに再生するのではとても対応できなかった。
「まどろっこしい、これがヒーローの戦い方かよ!」
『同感だ』
「あんたは諦めるだけでいい。一番楽な方法で辛い生活とサヨナラさせてあげようってんだから、感謝するのね。心も絞りつくして後悔しないで済むようにしたげる」
成す術もなくあっという間に再び全身を絡め取られた。心が充足しているおかげか脱力感はないが、無理矢理手足を動かして引きちぎってもすぐさま新たな蔓が迫る。
「まだ抵抗するつもり? 辛いだけだからさっさと諦めな」
「俺は楽をしたいんじゃねえよ! お前らの好きにさせたら駄目になっちまうものがあって、それが俺の守りたいものの全てなんだ!」
七年前、モミジの血の色を見たせいでおかしな歯を埋め込まれ爆破するぞと脅された。しかし当時五歳の俺に〝死〟の概念はなく、脅しは利かなかった。
俺が秘密を守り通した理由は死にたくなかったからではなくて、正体が広まることでモミジがいなくなるのが嫌だったからだ。昔から今になってもずっと、何も変わらない。
「その為の苦労だったらとっくに覚悟は決まってるんだ。俺の人生なんか惜しかねえ」
「ああそう。でもこっちにも意地があんのよ。その執着心、カスも残さず吸い尽くしてやるわ」
「しつっけえんだよ! うらぁっ――!」
気合の声を発すると、周囲に衝撃波が発生して蔓が軒並み弾き飛んだ。
足を伸ばして腕を振り、もう一度決意のヒーローポーズ。
「避けて通れぬこの道塞ぐ意地がどれほど頑ななれど、叩いて砕いて往かねばならぬ! てめえらの正義も理屈も邪魔をするなら足の下! 踏みつけてやるぜイバラ道! 無尽不屈のこの魂吸い尽くせると思うなよ!」
今直面しているこの出来事をあとで振り返って節目として見られるようにしなければ。崖っぷちのままでは転落して、戻れない場所を見上げてため息をつくことになってしまう。
「モミジ、絶対守るからな」
負けられない。改めて意識すると全身が熱くなった。息が乱れ手足から感覚が失せ始める。一歩ずつ茨の薔薇仮面に近づくごとに痛みまで遠くなっていった。朧気な意識には楽しいことばかりが思い浮かぶ。
二人を捕まえて、宇宙の話を聞き出せばきっと待ち望んだ情報が得られるはずだ。何の心配もなく、モミジとこの町で暮らしていく為に役立つ情報が。
「こいつらやっつけたら、持ちやすい大きさにちぎって宇宙へ投げ返してやる。だからモミジ、安心して――」
何もかも閉ざされる直前、仮面を外した朝露キラキの呆れ顔が見えた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます