第19話

 跳ね起きると膝に濡れタオルが落ちた。意識を失っていたことに思い当たり周囲を見渡すとここは隣家、照山家のリビングで、俺はソファーに寝かされている。

「おはよう、いい朝ね」

 真後ろ、ソファーの縁に朝露キラキが座っているのを腰をねじって見つけた。

 窓の外は白く明るい。時計の針は七時。おじさんの家が一晩で制圧されたのだろうか。それとも町が、地球が。

 それにしては妙だ。拘束されていないどころか、首には星型のネックレスがかかっている。赤仮面スーツを取り上げられてすらいない。

 口に出して説明を求める前に朝露キラキは半眼で片眉を持ち上げて鼻を鳴らした。

「ま、一時休戦ってやつね。浄鬼源もとりあえずあんたに預けておくから、安心していいわ。それから!」

 ずいっと人差し指を突きつけられ、反射的に逃げ出そうと体が反応したが、あちこち筋肉やら筋やらが痛んで動けなかった。睡眠不足以外で体がこうした不調を訴えるのはこの七年なかったことだ。

「私たちはあれが全力じゃないからあの程度だって侮るんじゃないわよ」

 真の実力とどれほど開きがあるかはわからない。ともかく、俺はその手前であしらわれた。

「俺負けたんだな」

 心を力に変えるヒーロースーツ同士で敗れたということは気持ちの強さで負けたということだ。即ち、俺がモミジを想う気持ちよりも彼らが宇宙の平和を想う気持ちが強かったことになる。

「私たち全天平和維持機構は全ての浄鬼源は正義の心で働く時に最も力を発揮すると考えてるから。自分の都合しかないあんたに元々勝ち目はなかったの。そうじゃないっていう説もあるけど。それに今回のあんたの場合についてはその辺とも関係ない。あんた、今までよっぽどしょうもないことばっかりやってたんでしょ? 一度に大量に分泌されるココロゲンに慣れてなかったから、体がオーバーヒートしたってわけ」

 何を言っているかわからないでいると、疑問を感じ取ったらしい朝露キラキは腰に手を当て呆れ気味に息を吐いた。

「あんた本当になんにも知らないんだ。いいわ、教えたげる。浄鬼源を装着する為には起動キーが必要なの。あんたの右上顎に刺さってるのがそう。インプラント型の起動キー。あんたのは、少し機能追加されてるみたいだけど」

 言われ、舌先で犬歯をなぞる。そういう役割があったとは。追加された機能というのは平和の乱れを察知する機能だろうか。自爆しないことはもうわかっている。

「起動キーは浄鬼源の装着に不可欠な鍵であると同時に、体内にココロゲンっていう物質を流すわけ。そのココロゲンが心の力を増幅して浄鬼源に伝えるっていう仕組み。体が強くなるのはオマケみたいなものね。私のはほら、アクセサリ型」

 言って髪をかき上げ左耳に下がる耳飾りを見せる。薔薇がモチーフの金細工だ。

「イヤリングは校則違反なんだぞ」

「あんただってペンダントしてるじゃない。とにかくあんたの体には今までにもココロゲンが巡ってたわけだけど、本気出してなかったせいで肝心の増幅はろくに経験してなかったのに急に私たちと張り合ったりなんかしたせいで無理が出たってこと。だから安心なさい。別にあんたの気持ちが軽かったってわけじゃないから」

「なんだ、もしかして慰めてくれてるのか。お前、いい奴だな」

「何言ってんの。ばかばかしい」

 ほっとすると同時に頭がようやく回り始めた。何がどうして休戦なんてことになったのか知らないが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 ここにいるのは宇宙人だ。今まで触れることのできなかった情報の宝庫。今ならおじさんの目はなく、ヒーロースーツについてあれこれ教えてくれたことを考えると口止めされていない可能性は高い。

「おい、頼む」

 肩を掴んで顔を近づける。この場におじさんがいないとはいえここは彼の家だ。あまり大きな声では話せない。どう事情が変わろうと俺が真実を知ることをおじさんは喜ばないことは変わらないのだから。

「頼む、俺に教えてくれ――」

 モミジが心配なことなくこの町で暮らしていける方法があればいい。例えば血の色を変える穏便な方法があれば完璧だ。

「朝露さんに何を教わりたいの? こんな朝早くに私の家で」

 声を聞きはっとして朝露の肩の向こう、廊下に立っているモミジを見つけた。憤怒の形相でこっちを見ている。

「タカくんはソファからゆっくり離れてこっちに来て。朝露さんは帰らないでそこにいてね。大切な話があるから」

 手招きをしながら一転笑顔を見せてはいるが、有無を言わさない迫力がある。宇宙の戦士さえこくこく頷き従わされるほどだ。

「誤解するなって、今のはただ――」

「黙って」

 腕を引っ張られ部屋まで連行される。乱暴にドアを閉じるのを見て、まずは成り行きに身を任せようと消極的になった。恐い。

「あーダメだ、自己嫌悪」

 いちゃついているとまた誤解されたようなのでてっきり責められるものとばかり思っていたら、モミジは手で顔を覆って固まった。かといって怒りがないわけではないようで語気は荒い。

「こういうのはホントにダメ。一応聞くけど、うちのリビングに朝露さんと二人でいたのにはちゃんとした理由があるんだよね? うんって言って。じゃないと私朝露さんに何かしそう」

「ああ、当然ちゃんとした理由がある。ていうかお前どこから聞いてた?」

「なんにも聞いてないよ二人がいるの見て頭真っ白になっちゃったんだもん!」

「ご、ごめんなさい」

 怒鳴られて萎縮する。余計な口を挟まなければよかった。 モミジがこれほど怒っているのを見るのは初めてかもしれない。苛立ってかきむしるせいで寝起きの乾いた髪がぼさぼさに乱れている。

「謝らないでいいよ何か理由があったんでしょだから仕方がないことだけどどうしても我慢できないの。私が入っていけない話でタカくんが他の女の子と一緒にいるのが許せない。しかもどうして朝露さんなの? 敵だと思ってたのに、ほんとはなんなのとか聞いても答えてくれないよねタカくん」

 疑問はそれとなく質問して俺が返答しなければ極力触れない。モミジはいつもそういう風に過ごしてきた。今はその分別を失うほど興奮し切っている。

「何も言ってくれないの? 言ってよ、〝俺を信じろ〟って」

 言えるわけがなかった。俺の中にモミジが信じるに足るものがあるのかどうか、自分でもわからずにいるのに。

「言ってよ、そうでないと私」

 振り上げた手の指が伸びるのを見て顎を引いて瞼を閉じる。が、いつまで待っても平手は降ってこなかった。

「なんで抵抗しないの。いくら運動音痴だからって、避けるとか防ぐとかすればいいでしょ」

 今度も何も言い返せない。どんな言葉を用意しようと発想を変えた自己弁護に過ぎないような気がした。黙って殴られようとしたのも罰を受けそれで許された気になる為の勝手な自己満足で、実態としては手を下させることで辛い思いをさせるだけということはモミジの顔を見ればわかる。

 モミジが傷つくからということを正当な理由に掲げて、結局は自分が悪く見られるのが嫌なだけじゃないのか。一緒にいたいとか夕日を見たいとか、自分が楽しいことばかりしているくせに、守っているなんて胸を張るのはおこがましくはないか。

「何か言ってよ」

 重い空気の中ドアがノックされた。モミジが返事をすると薄く開いておじさんが顔を覗かせる。それ以上入ってこようとはしないからにはこちらの状況を把握しているらしい。

「二人ともおはよう。モミジ、もう会ったと思うけどちょっとお客さんが来てるから今日の朝食は二人分多めに作ってくれないかな」

 声は遠慮がちに引きつっていて、顔つきにも弱気が表れ気遅れしているのがわかる。そうなるのも頷けるほどモミジはあからさまにふてくされていた。

「大したものできないから。お客さんが来るなら前もって教えてくれないと困る。……それで、誰なの」

 少し落ち着いたがまだ怒りは冷めていない。人見知りが吹き飛んでいる。普段なら弱気弱腰はモミジの常態だ。

「一人はモミジも知っているだろう? 同じクラスになったと聞いてるよ」

「朝露さんがどうしてここにいて、どんな関係なのか聞いてるの」

「と、遠い親戚だよ……ね?」

 おじさんがちらちらと俺の方を見るせいで俺までモミジに不審の目を向けられた。大きなため息ははっきりと言葉で責められるよりも深く胸に突き刺さる。

「そう、わかった。タカくんも食べてくの?」

「いや俺は帰る」

 扉の隙間から腕がにゅっと伸びてきておじさんに肩を掴まれた。

「食べていけばいいじゃないか!」

 急な大声で、切羽詰った凄まじい剣幕をしている。こんなに必死なおじさんは見たことがない。

「でもうちで母さんが用意してると思うんで無駄になるし」

「電話しておこう。余った分は僕が昼に頂こう」

 言っていることが滅茶苦茶だ。

「せっかく親戚が来てるのに邪魔しちゃ悪いですよ」

「君とは家族同然の付き合いじゃないか」

「それって俺とモミジのこと認めるってことですか?」

「調子に乗るんじゃない」

「さようならおじさん。楽しい朝食をどうぞ」

「まあちょっと来なさい」

 引きずられるようにして移動して隣の書斎へ連れ込まれた。ドアが閉まると、今にも泣き出しそうな顔で掌を合わせ拝まれる。

「頼むから意地悪しないでくれ。一人にされちゃ気まずいんだ」

「正義の味方が二人もいるでしょ」

「あの二人がいるから気まずいんじゃないか。わかるだろ」

「自業自得でしょ。大体なんスか親戚って。あれじゃモミジ詳しく聞いてきますよ。親戚が訪ねて来ただけじゃ全然宇宙っぽくないですって」

 突然訪ねてきた親戚の素性について知ろうとすることは一般的な地球人として自然な行動だ。モミジに許された自由の範疇に納まる。急に同い年の親戚が現われたことをどう説明する気でいるのか。おじさんに考えがあるとは思えない。

 何よりまずいのは、親戚というフレーズが母親との繋がりを期待させることだ。うちの母を自分の母親と思い込んでいた小さい頃と今は違う。特殊な立場を考慮しなくともモミジが本当の母親について知りたいと思うのは当たり前のことだ。

 そこへ親戚、とは。

「最悪の回答ですよ。第一さっきの感じじゃまるで俺が言わせたみたいに思われるじゃないですか、なんてことするんですかまったく」

「……やっぱり、怒ってるんだね。嘘をついていたこと」

 赤仮面五則。的外れでムカッとくるくらい、どうでもいいことだった。

 でたらめだったからといって今更幻滅するほどおじさんを誠実と信頼してはいない。五則がなければ赤仮面スーツを自由にしたかったと思ったこともない。睡眠の邪魔をされたくはなかった、それくらいのものだ。まさか盗品だとは思わなかったが。

「とにかく」

 前置きすると、しょげかえっていたおじさんが顔を上げた。都合の良い返事を期待しているかもしれない顔に、決定的な言葉をぶつける。

「もう、潮時なんじゃないですかね」

 ヒーローごっこも、騙し続けるのも。

 おじさんは黙り込んだ。苦い表情の中に宇宙の事情が垣間見える。モミジを地球で平和に暮らさせたかったというのはつまり、彼がいた宇宙では平和に暮らせない現実があるんじゃないだろうか。薔薇仮面も宇宙の平和は危うい状態にあると言っていた。

 今までのように流されて推測を繰り返すだけでは妄想が積み重なるばかりで前には進めない。ならば、知るしかない。

「おじさん、俺これからはちゃんとモミジの為になることをするよ」

 書斎を出ても背中に声はかからなかった。何が正しいのかはわからなくても、今の状態が間違っていることは俺にもわかる。俺よりも大人で色々と詳しいおじさんなら、正解を見出すこともきっとできるはずだ。

「モミジ」

「入ってこないで」

 ドアの前に立ち呼びかける。返ってきた声は少し固い。

「別に怒ってるからじゃなくて着替えてるの。髪もぼさぼさだし、さっきみっともなかったし。私あんなこと言える立場じゃないのはわかってるけどどうしても我慢できなかったごめん私――」

「俺を信じろ」

 遮って、少し大きな声を出した。これだけは絶対に伝えなければいけないことだった。

「今日が終われば明日が来ることより俺を信じろ。昇った太陽が沈まないなら俺に言え、地平線の向こうに叩き落してやる。沈んだままなら俺に言え、引っ掴んで引きずり出してやる」

 守る。おこがましいと言われないだけの決意が今ならある。それだけが俺の中で唯一信じられることだ。これだけを誇りにしよう。

「お前の明日は俺が作る」

 スーツで取り繕って演じさせられるだけの偽ヒーローはもうおしまいだ。

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