第7話

 塾帰りの学生を狙った恐喝を一件片付けたあと、スーツを脱いで商店通りを歩く。赤仮面スーツは唾や汗など内側からの液体を抵抗なく外側へ押し出してくれるが、直接汗を吸うシャツが湿るのは防ぎようがない。本当なら家に着いてから変身を解くのが楽ではあるものの、ぐしょ濡れの姿を見られると不自然に想われてしまうので服を乾かす為に少し離れた所から歩いて帰るようにしていた。

 午後九時を過ぎ商店はどこも明かりを消し静まり返っている。田舎だからこそ通りは暗く、十二歳が一人でふらつくには無用心な時間だろう。

 夜の静寂を自分以外の足音が邪魔した。通りの向こうから誰かが歩いてくる。転校生、朝露キラキだ。

「こんばんは。いい夜ね」

 夜道にクラスメイトがいたことに驚きはないらしく、ごく自然に挨拶をされた。上体をやや傾がせ、肩から流れた髪を後ろへ払う。昼間とまったく変わらない上品な仕草だ。

「何やってんだお前、こんな時間に」

「町を見て回っていたの。早く馴染みたいから。でも深夜徘徊を問題視するなら、それは貴方も同じじゃない?」

 まったく言う通りだが、この辺りは俺にとって昔から親しんでいる庭のような所で、万が一何かあったとしても俺は改造人間で赤仮面スーツがある。条件は同じじゃない。そうはいっても説明できない理由もあるので口篭もるしかなかった。

 そして、朝露の方にはまだ言いたいことがあるようだった。

「大体私がこんな時間に一人歩きしているのは、放課後にあなたが付き合ってくれなかったからじゃない」

 言いがかりには少しも嫌味がなく、つかつかと近づいて俺のすぐ目の前に立った。ただ話をする距離としてはいやに近い。見上げる顔から息の届く位置で、目も顔も逸らすこともできず金縛りにあったかのように動けない。胸の下で組んだ腕が大きな膨らみを強調して、そっちはもう顔が触れている。

「今なら、時間あるのかしら?」

 表情に悪戯の色が窺えなくとも反応を見て楽しんでいるのはわかる。でなければこんな時間に町案内を頼むなんて非常識でしかない。

 当然断るべく口を開くつもりだった。だがその前に、商店通りの石畳を蹴って誰かが近づいてくるのに気がついた。

「タカくん!」

 モミジだ。走り込んできたモミジが俺の肩を掴んで転校生から引き離した。襲われている、或いは逮捕されようとしているとでも勘違いしたかのような血相だが、この暗がりで見かけて走って来たにしては妙に息が乱れていた。なぜかジャージを着ていることを考えればジョギングでもしていたのだろうか。

「こんばんは、照山さん」

 突然の乱入にも転校生は動じない。

「こ、こんばんは」

 身じろぎしながらモミジも挨拶に応える。宇宙人への恐れから逃げたがっているのは伝わってきたが、それでも俺の前からどくつもりはないようだった。守っているつもりなのだろう。反乱分子を取り締まりに来た公安から。

「朝露さん、タカ……八十八くんに、何か用?」

「用なんて、たまたま偶然会っただけよ。すぐに貴方が来たからいくらも一緒にいたわけじゃないわ。もう行くから、それじゃ、おやすみなさい」

そう言って立ち去る時、残した笑みが意味ありげに思えたのは考え過ぎだろうか。何か違和感を感じる。

「さて」

 呼吸も落ち着いたモミジが振り返った。電信柱に設置された瀕死の蛍光灯の下でもわかるほどモミジの顔は赤らんでいる。

「タカくんは何してるの? こんな……時間に」

顔色はそのままに、体温とは別の熱が一気に冷めて目が座った。身長差以上に高い所から見下ろされている気になって腰が引ける。

 ヒーロー活動を終えて家に帰る途中。爆死に繋がるのでそんなことはもちろん言えない。朝露と会ったのはたまたま。これをどう納得してもらうかが問題だ。

 悩んでいると、突然モミジが笑顔になっておどけた声を出した。

「なんちゃってー! 言ったでしょ。私、タカくん信じてるって」

 これはこれで胸の痛む結果になった。

「すっごい色々聞きたいけど、駄目なんだよね?」

 すぐに笑顔は震え、わずかに引きつりを感じた。危ない。話題を変えなければ。

「それよりモミジはなにやってんだこんな時間に、そんなカッコで」

「私はその……ちょっと今日食べ過ぎたから走っとこうかなって思って」

 至福庵で摂取した過剰なカロリーを消費する目的らしい。俺が知らない習慣を持っていたのかと不安になっていたのでほっとした。

「ねえ、帰らないの?」

「あ、ああ。帰ろう」

 通学路でもある通り慣れた道。普段と違うように感じるのは時間が違うせいだけではなさそうだ。顔を見るとモミジはにっこりと微笑み返してくれる。それが努力してのものと知りながら、俺はそれに見惚れる資格があるのだろうか。

「夜外に出るなら俺に声かければよかったんだ。一人なんて無用心だろ」

「だって食べ過ぎなんて、恥ずかしいじゃない」

「量はともかく、確かに至福庵スペシャルのカロリーは凄そうだ」

「蜂蜜バニラに小豆。う~、あんなにおいしかったのに今は呪わしいよ」

「せっかく普段はおじさんに合わせて菜食生活なのにな。そういやこないだ鍋山が――」

 沈黙すればぎこちなくなってしまいそうで、多少会話の流れに無理があっても思いつくまま無理矢理話し続けた。不自然を感じたとしてもモミジは何も言わない。なぜなら俺を信じているからだ。自分の立場を危うくしてまでモミジを助けようとしているヒーロー。そんな風に思われているのだから。

 つまりは、追求されないのをいいことに好きなように騙したままでいる俺、という図式が成り立つわけだ。誰に聞くまでもなく最低に決まっている。

「あのさ、もし話せることがあったら話してね。私が知りたいっていうより、タカくん悩んでるみたいだから。聞けることがあったら聞いてあげたいし」

 家の前に着くと、遠慮がちに言ってモミジは小さく手を振りながら中に入っていった。あまつさえ心配までさせているという体たらくだ。ヒーローなどであるはずがない。

 ため息をつきながら自分の家に入る。夜の出動から帰り、こんな時間にどこへ行っていたのか母に追求されなかったのは今日に限ってのことで、いつもなら夜散歩していることになっている。今日に関してはおそらく表でモミジと話している声が聞こえたからだろう。こっそり抜け出して会っていたと思われているのかもしれない。

 元々母が育てたのだから、母にとってモミジは息子の恋人という以前に家族のような感覚でいる。ほんの何年か前まではこの家で一緒に暮らしていて、今でも一緒に食事をするくらいならしょっちゅうだ。

 しかしいくら仲を認められているとはいえ夜も更けての外出となれば褒められたことではない。咎められないよう足音を忍ばせて廊下を進み自分の部屋に戻った。

 畳の上に寝転がって考える。

 朝露キラキに対するあの動揺は一体なんなのか。今も彼女の顔を思い浮かべると尻の辺りがむずむずと落ち着かない。最も単純な回答なら〝恋〟ということになるのだろうが、そんなことはあるはずがなかった。俺がモミジを想う気持ちは揺るぎないもので、そこに付け入る隙はない。俺はそんな不埒な男じゃあない。

 なら一体この焦燥を伴うモヤモヤはなんなのか。

 畳の上を転げ回って悶えていると、閉め忘れた障子の間で廊下から父が不思議なものを見る目でこちらを見下ろしていた。目が合ってしばらくすると、こほんと咳払いをして「思春期か」と呟く声が閉じられた障子の向こうに隠れた。

 ああそうだ思春期だ。俺は父の一言にすがることにした。それがどういうもので現在の俺に当てはまるかどうかはさて置いて細かいことはもう考えたくもない。

 思い込むことで振り切ることもできず、頭の片隅に朝露をちらつかせたまま風呂に入って汗を流した。明日にはさっぱり落ち着いていることを期待してさっさと寝てしまおうと、普段なら一応は向かう勉強机に見向きもせず布団に潜り込み頭を抱える。その内に右の犬歯が痛んだのも今だけは喜ぶことができた。

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