第21話

 どれくらい時間が経ったのか。地面に涙を吸い尽くされ鼻水を拭った手で顔が土にまみれた時、周りを見ると薔薇仮面の二人は遠くに離れていた。目も当てられないほどみっともなかったというよりは、気を遣ってくれたと思いたい。

 逆におじさんがそばでじっと俺を見ていたのはその責任を感じたからのように思えた。

 一度くらい、こうして思い切り泣きたかった。しかし隣人という環境が涙の落ちる音をモミジの耳へ届けてしまう。だからずっとできなかった。しかしもう充分だ。

 気合を入れる為、自分で自分の頬を張る。ぴしゃんと耳に響く音が辺りへ響いた。

 演習場の有無を推測の材料にするまでもなく、今後も戦いは続く。なぜならまだモミジはまるで救われていないのだから。嘆いて、己のことにかまけてはいられない。

「おじさん。この先何回でも言いますけど、俺はモミジの為に頑張ります。おじさんも同じ気持ちだって思っていいんですよね」

「無論だよ。その為にも君にはもっと強くなってもらいたい」

 五則から解き放たれた以上、赤仮面のこれからの活動はこれまでと変わっていくのだろう。何が来ようとモミジの為なら全てが覚悟の上だ。

「やりますよ。その先にモミジの平和があるんなら」

「ああ、そのつもりで励みたまえ。ここはその為の訓練場、そして相手は全天平和維持機構期待の新鋭、薔薇仮面コンビだ」

 首を向けると手持ち無沙汰にしていた薔薇仮面の二人はスーツを身につけ赤と緑の仁王立ちでこちらを見ていた。

 彼らの戦う宇宙の悪がいつかこの惑星へ手を伸ばすことがあるかもしれない。それも、そう遠くない日のように思えて漠然とした不安が胸に湧く。

「いいね、想いで心を滾らせるんだ。そうすれば赤仮面は無敵になれる。君ならできると信じるよ」

 おじさんの声を聞きながらペンダントの赤い星を額に当てる。

 勇気付けられるまでもない。どこにあるかわからない壁がどれほど高かったとして、この一歩を止めることはできない。


「そうね、なかなか頑張ったんじゃない」

 結跏趺坐に足を組み、目を閉じたままキラキが言う。声音に優しさなど温かみはまるっきり篭っていない冷徹そのものだ。

 小休止に入ってすぐイメージトレーニングを始めた二人の横で立ち上がることさえできずへばっているのでは皮肉をまともに受けて誇ることもできなかった。

(なんにも、できなかった……くそったれ)

 乱れた呼吸で悪態を途切れ途切れにされ、こめかみを流れていく血流を耳に聞く。もしかしなくとも俺は改造人間としては体力がない方に違いない。

 薔薇仮面とは一人ずつ戦ったが、どちらにも手も足も出なかった。

 花弁には一切攻撃が通じず、終始押され通しで一矢報いることさえできず、茨には蔓で動きをコントロールされ近づくことすらできなかった。昨晩の彼らが全力を出していなかったというのは本当のことだったようだ。息すら乱れていないので今回が全力かどうかもまた怪しい。

「がんばってる……と思う」

 スーツを脱いだブンブンは元のように挙動不審な動きに戻っている。キラキと同じように座っていても背中は卑屈に丸まり時折上半身が落ち着きなく揺れる。精神統一で平常心を得ることが目的でないから問題はないにしても、これではまるで座禅には見えない。

 助けを求める声を思い浮かべ、自意識に正義を呼び覚ます訓練。おじさんに強いられて何度か試みたことはあるものの効果を実感したことはない。それでも彼らが真面目にやっているからには意味のあることなのだろう。

「ま、正規とモグリのヒーローじゃこのくらいの差はあって当然って話よ」

「お前らはいつからこんなことやってんだ」

 ようやく深く吸えるようになった息を意識して長く吐き、辺りを見渡す。おじさんの姿はない。宇宙の秘密を聞くなら今がチャンスだ。

「研修生時代も含めたら五年ね」

 まだ何も口止めはされていないと見えて、キラキの返事は淀みなかった。

「研修生?」

「あんたは直接引継ぎで入ってるから知らないのも無理ないけど、一般の宇宙ヒーローは全天平和維持機構の制圧管区内でスカウトと応募してきた中から選出されるの。その選考段階が研修生。私たちは十歳で応募して入った。今こうしてる間にも何千っていう候補生がヒーロー目指して己を磨いてるわけ」

 五年前に十歳なら今十五で高校生の歳だから大人っぽく見えるのは当たり前だった。ほっとした。宇宙では十二歳でもブンブンくらいの体格が普通だったなら落ち込んでしまう。

「ちょっと待て、引継ぎってなんだ? 俺は何も引き継いでないぞ」

 新しい話が聞けるのは結構なことだが、こう一度に出てきては混乱する。

 キラキは目を開き後ろ手に体勢を崩して嫌味にため息をついた。

「ちょっとブンブン、あんたの大好きな赤仮面様がこんなこと言っちゃってるけどどうなのよ」

 一方ブンブンの方は恥ずかしげもなく涙を流しながら声を震わせていた。前髪越しに恨みがましい目で見られ何も言わないので気色が悪い。

「こいつ、赤仮面のファンだからさ」

 キラキの説明にああと頷く。そういえばフィギュアを持っていた。それももうモミジの物だが。

「なんだ、俺のファンなのか?」

「お前じゃないぃ……」

 ブンブンはおいおいと泣きながら地面に顔を伏せた。

「なんだそりゃ、俺以外に赤仮面がいるってのかよ」

「あんたね、浄鬼源は遺産だって言ったでしょ? 赤色彗星の浄鬼源も受け継がれてて、今はあんたが持ってるってだけ。赤仮面はあんたで六十代の歴史ある古参ヒーローなんだからね」

「それじゃあ俺の前はつまり――」

 このペンダントをくれたのはおじさんだ。俺は他に宇宙との繋がりを持たない。

「そう。あんたが司令って呼んでる人が五十九代赤仮面。訓練なしで赤色彗星の浄鬼源を使いこなした、引退後十二年で早くも伝説の宇宙ヒーローよ」

 驚きを隠すこともできず、ぽかんと口を開けて聞いてしまった。おじさんもかつて俺と同じことをしていたという。

 呆気に取られて逆に落ち着いた思考の中で霧が晴れていく。おじさんが大学生の間戻らなかった理由。解答、宇宙に行っていたから。この場合帰っていたと言うべきか。

「特に赤色彗星みたいな原始種の後任には前任者の意向が強く反映されるの。私は古い慣習だと思うけど、今回のあんたのことに関しても、先代の非公式な直接指名を全天平和維持機構も認めたってわけ」

「お前ら俺を盗人呼ばわりしてなかったか?」

 言うとキラキは誤魔化すように引き攣った顔で笑った。

「悪かったわね。誤解だった。先代の引退後全天平和維持機構に回収されなかった赤色彗星の浄鬼源の情報を掴んだから、私たちは自分たちの判断で回収に来たんだけどね。この町に来て観察してみて、やっぱりあんたは赤仮面として不適格だと思ったから奪えるようなら持って帰ろうと思ったわけ」

 学校でいらないと言われたことを思い出した。それが結論だったのだろう。それまでの親密な態度も俺というより赤仮面に近づこうとしていただけとすれば色々納得できる。

「なんで俺のことがわかったんだ?」

 問うと、心底うんざりした様子で深く深く息を吐き出した。

「あんたの赤仮面としての活動がさ、この辺りの宇宙に放映されてんのよ。テレビ番組みたいにね」

「はぁ? なんだそれ」

 首を突き出して疑うと、横でブンブンが頷く。

「録画……見る?」

「いや見たいとか言ってるわけじゃねえよ! ていうかなんなんだよそれ! 勝手に俺をオンエアするなって!」

「言っとくけどヒーローに肖像権なんかないのよ? グッズの商標権もね」

 どう考えてもおじさんの仕業だ。口上やらポーズやらにこだわっていたのは単に先輩としての教育だけではなく、番組としての体面があるからなのだろう。

 今までしてきたことを思い出すと顔から火が出そうだ。本物の宇宙ヒーローを知っている宇宙の視聴者からすればとてつもなく不出来に見えたに違いない。見られていると知っていたらヒーローごっこなんて一度だってやらなかった。電波は通さないということなのでこの地下空間なら盗撮の心配はないだろうが。

「みんながっかり」

 余計なことを言うブンブンを睨むと涙目になってキラキの後ろに隠れた。慣れているらしくキラキはさしたる反応を見せない。

「全天平和維持機構があんたを黙認して、隠してたのが謎だわ。少しでも事情を教えてくれてたら、私たちも独断で動くことなんかなかったのに」

 キラキはふてくされている。秘密主義の上司に悩まされることに地球と宇宙の区別はないようだ。

「その辺の回答をあんたに期待しても無理でしょうね。ほんとに呆れるくらい、なんにも知らないんだから……そろそろ休憩終わり! 続きやるわよ」

 二人はさっと立ち上がるとブンブンはベルトから、キラキは胸元から取り外して薔薇の花型を額に当てた。バッジが広がって全身を包み変身が完了する。ブンブンの背筋も伸びた。二重人格というか役者というか、変身すると人が変わるようだ。

「さあ! 始めるぞ赤仮面。」

「いやもうちょっと話を聞かせてくれよ」

「甘えてるんじゃないの。あんたを訓練して鍛えることは全天平和維持機構からの正式な任務だから私たち所属の宇宙ヒーローは従う義務があるわけ。あんたもね」

「独断で動いてここまで来た癖に、何が義務だ」

「つべこべうるさいなあ! だからペナルティとしてこれが私たちの新しい任務になったんでしょうが! 新人の育成ほど面倒な仕事はないのに!」

 キラキ改め茨の薔薇仮面の手首から蔓が踊り、剥き出しの腕に絡んだ。制止の声を上げる間もなく高く放り上げられる。

「問答無用かよ! まだ聞きたいことがあるってのに――」

 このまま墜落すればただでは済まない。

 仕方なく、ペンダントを額に当て赤仮面スーツを装着した。これで着地の衝撃に耐えることができる。安心する間もなく、今度は花弁の薔薇仮面が飛び上がってきた。固めた両腕に一撃を受け更に上空へと追いやられる。

「貴様も宇宙ヒーローの端くれならば強くあるのが責と知れ! 世を憂い正義に燃ゆる心が貴様にも、無いはずはないだろう赤仮面ならば!」

「んなこと言っても、好きでやってんじゃねえっての」

 勢いを失い自然落下を始めた中で短く息を吐く。

 強くなりたいと思わないわけでも、疲れてまいっているわけでもない。だが二人に従い義務を全うし、宇宙ヒーローとして完成してしまえばどう考えても宇宙へ行かされる。それは困る。

「本末転倒、だよなあ」

 モミジを守る為に強くなり、結果モミジのそばにいられなくなる。

「平和の為に戦うことこそヒーローの本分だ!」

 自由自在に空中を飛び回る花弁の薔薇仮面の突撃を、横へ向けた掌の先に力場を作って横っ飛びにかわす。建て付けの悪い戸を力任せに開くイメージだ。この妙な力も少しずつコツを掴みつつある。

 うまくいって油断したところへ、折り返してきた花弁の薔薇仮面の手刀に襲われた。袈裟切りに鎖骨を打たれ呼吸が止まる。

「浄鬼源の反作用力は本来防御の為の自動的な機能。それを能動的に扱うということは、その間防御を疎かにするということだ。配分には気を配れ」

 伸ばした手で空中を掴もうとするが、自分で生み出した力場に弾かれて無意味な乱回転を繰り返す。そのまま制御を手に入れられず地面に激突した。激痛が全身を突き抜け、深くめり込んだ地面から抜け出せずにもがく。

「原初浄鬼源の頂点、無限白天に届くと聞き及ぶ赤色彗星がこの程度か」

 腕を掴まれ助け起こしてくれたかと思うと、引っこ抜くようにして宙へ飛ばされた。衝突のダメージから抜け切らない中三半規管を置き去りにされ一瞬意識が遠のき着地してからも数歩ふらついた。

「てめえらは俺を鍛えたいのか殺したいのかどっちだ? 手加減ってものを知らねえのか!」

 反作用力を他へ集中させている時に攻撃を受けたらただでは済まないのはもう体験的に理解した。昨晩鉄塔で花弁の薔薇仮面をあしらえた時も、それが影響したのだろう。しかしこう高速でやられてはとても対応できず、ビギナー向けの訓練とは思えない。

「浄鬼源を装着していることを考慮すればヒーロー候補生の練習内容と比べ度を越しているとは思わん。候補生が中途脱落する理由は当人の精神の弱さと結び付かないものがほとんどだ。死者も珍しくはない。貴様は自分が恵まれていることを理解し、更に励むんだな」

 赤仮面が特別だということは再三聞かされた。だからといってそれで宇宙へ連れて行かれたのではたまらない。俺が苦労をするのもスーツが必要なのもこの町にモミジといたいからだ。

「そうだ。お前のと交換すればいいだろ。これをお前に渡すから、そっちのを俺にくれ」

 閃きをそのまま口にしたあと、ブンブンが直立から更に動きを止めるのを見て失言に気がついた。花弁の後ろで茨が顔を覆って嘆いている。

「貴様に、マフラーが現れない疑問がたった今解けた。歴々のヒーローたちの想いを記憶する浄鬼源は貴様を認めないからだ。この俺も、認めはしない! 絶対にだ!」

 突き上げた両腕が変形し、俺には無いマフラーが衝撃波でたなびく。錐状への形成が前見た時よりも速く、一瞬でこちら側へ倒れた。

「勇気吸い込んで正義を食いしばれ! 正真正銘花弁の薔薇仮面の全力だ! 全力で今から貴様をヒーローとして叩き直してやる。耐えられなければ貴様の命もここまでだ」

 言うだけの迫力に漲り空気が、地面が揺れた。昨晩見た時とは随分様子が違い、今度のこれは耐えられそうもない。悪寒が肌を粟立て本能が拒絶している。

 これは絶対に避けなければ。しかしかわすべく先に地面を蹴れば空中で狙い撃ちにされる。力場を利用して翻弄するほどの技術はない。力場を作ることで防御力が落ちている部位に攻撃を受ければそれこそ終りだ。そもそも成功するかさえ怪しい。

「ヒーローを思い知れ!」

 迷う間に巨大に膨らんだ槍が爆発的な勢いを乗せ眼前に迫る一瞬、一か八か交差した腕が緑の蔓に絡め取られるのを細目に見た。

「馬鹿、やり過ぎ」

 空中に浮かんだ茨の薔薇仮面によってひょいとすくい上げられた真下を、凄まじい攻撃力が通り過ぎる。突進は轟音を伴いあとには無残にえぐれた地面が広がる。ぞっとして血の気が引いた。

 激しい土煙の中停止した花弁の薔薇仮面はこちらを振り返り、覆面に悲しみが映るほど寂しげな動作で俯いた。

「浄鬼源は揺るぎない正義の下支えの上で責任と栄誉によって使用されなければならない。目指す先に貴様のような奴がいるのなら、ヒーロー候補生達の血と汗は、想いと命はどうなる」

 収縮した花弁の薔薇仮面スーツはバッジへ戻りベルトに装着され、バックルへと成りを変えた。

 仮面が外れた顔はやはり、酷く落胆している。伸び放題の髪でほとんど顎しか見えなくともそう感じられた。

「帰る」

「えっ、ちょっと。待ちなさいよ!」

 放り捨てられるように蔓から解放され、同じくスーツを脱いで地面へ降り立ったキラキがブンブンを追いかけていく。壁際に現れた倉庫へ二人が入っていくのを見ながら、かける声を見つけられずに焦った。

 強くなりたいとは思うが、宇宙ヒーローとして完成するわけにはいかない。だから、仕方がない。

 にも関わらずこの胸焼けを起こしたような気分の悪さはなんなのか。

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