第26話

 床に落ちた星型。赤仮面スーツの変形であるペンダントへ手を伸ばす。伸ばそうとして、膝から崩れ落ちて顔面を床にぶつけた。痛い。ペンダントは掴み損ねて床を滑ってどこかへ行った。

 首を持ち上げて確認する。すぐそこに絶仮面が倒れている。ばったりと仰向けで動かない。

 凶器は刃渡り百二十三センチの俺。決め手は黒球を飛び越えてぶつけた力場での一撃。

 おじさんを庇いつつ絶仮面に渾身の攻撃を与える。

「どうだモミジ、俺は両方立てたぞ」

 飛んでくる攻撃の向こう側にいる敵を叩く為、手元の力場を飛び越えさせた。といっても具体的にはどうやったかよくわからない。もう一度同じことをやれと言われても無理だ。

 絶仮面の特性によってココロゲンがなんとかで、とにかくもう赤仮面に変身できなくなってしまったがもうどうでもいい。

「赤仮面の特性も力場の遠隔展開も、初めて見た。あんなことできるんだ。見事なもんね」

 声のした方を見るとキラキとブンブンがいた。満身創痍の哀れな姿で、それ以上急げないのだろう、ふらふらしながら近づいてくる。ブンブンの腕にはモミジが抱えられていた。

「おいコラ、誰の許可取ってそいつに触ってんだコラ」

「僕はそんな許可君にも出した憶えはないけどねえ」

 おじさんも無事だ。こちらは視界にいないので声だけで確認する。

「なに言ってんですか父親でもないくせに」

「うわあ、酷い。さっきは必要だって言ってくれたのに」

「異常状況下でしたから、発言に法的な責任性はありません」

 へたり込んだまま首を動かす気力もないので顔も見ないままおじさんと言い合う。恐らく向こうも同じような状況だろう。

「大体、俺に赤仮面スーツくれたってことは全部認めてるってことでしょうが」

 でなければ〝他の星に生まれた誰かを愛していること〟なんて着用条件の赤仮面スーツを渡さないはずだ。

「手段は選ばなかったからね。今となってはなんということをしてしまったのか。反省しない日はないよ」

「俺のこと汚染兵器みたいに言わんでください」

「あんたのことじゃないでしょ」

 キラキの手を借りて起き上がるが、へとへとで立っているのも辛く結局は座り込んだ。代わりに、俺の横にモミジが座らせられる。

 まだ意識が戻っていない。口元の血は乾き輝きを失っていた。胸の動きに規則正しい上下を見つけてほっとする。

「十二年前の戦いのあと、戦場は壊滅し何も残らなかったなんて嘘の報告をしたんだから。本当ならこの子は宇宙政府に保護されるはずだったのに」

「宇宙政府を信用しないわけじゃないけど、サラサさんの子供は僕が育てようと思ったんだ。でも今言ってるのはタカシくんのことだ。こんなジェットコースターにも乗れないような子に娘を任せる気はない」

「すぐ伸びますって。なあ?」

「なんで私に聞くのよ」

 騒いだせいかモミジが目を覚ました。呑気に目をこすり、周囲を見回して驚いている。

「……あ、赤仮面」

 ブンブンに助け起こされているおじさんはまだスーツを着たままだ。妄想はまだ保護されている。しかしそれもここで終わりにしたい。

「タカくんが赤仮面やっつけたの?」

「そうじゃない、実は俺が――」

 打ち明けようとすると、意外な所で音が聞こえた。絶仮面が立ち上がろうとしている。会心の攻撃で、手応えはあったのに。

「嘘だろ……?」

 ヒーロースーツで戦えるのは今やおじさんしかいない。そのおじさんはもちろん、誰にも戦う力は残されていない。もう無理だ。

「うおをああっ!」

 自分でも意味不明な叫び声を上げ、力の入らなかった体で絶仮面へ向かって駆け出した。

 勝算なんかない。飛びかかった瞬間にたまたま誤作動を起こし、本来着用者当人でしか操作できない着脱のスイッチを動作させることができたら。そんな奇跡を願ったわけでもない。ただ必死だった。

 ここまで来て邪魔はさせない。その想いだけで走る進路にブンブンとキラキが立ち塞がった。激突して阻まれる。

「ばか、死に急がないの」

「離せ! つーかお前も手伝え! このままじゃ悪の勝ちになっちまうぞ!」

「もう終わってる! 周りを見なさいよ」

 今まで周りに目が向いていなかったが、ここ広間は赤仮面秘密司令室に似ていて周囲にはぼんやりと光るランプが幾つも浮かんでいた。モニターらしいそれらに夕焼けが映っている。外の、喝采町の景色だ。見慣れた赤い空にはぽつぽつと更に赤い人影が無数にあった。

『お待たせしました赤仮面! 宇宙ヒーロー二百二十五名現着です。既にその艦のコントロールはこちらにあります』

 居並ぶ宇宙のヒーローたち。誰もが赤く、俺よりでかい。おそらくブンブンと同じようにおじさんに憧れたヒーローたちなのだろう。

「ああ、宇宙は今日も正義に溢れている」

 うっかりだろう。漏らした声を聞いてモミジが眉を顰める。

「え、パパ……? 赤仮面が、パパ?」

 きっかけはうっかりでもどうせすぐに話すつもりだった事実だ。

 それよりも疑問なのは絶仮面の反応だ。黙って立ち尽くしている。船を奪われ包囲されたからといって、それで大人しくなるほど諦めがいいとは思えない。何しろ十二年の執念だ。

「これほどの数であれば、我が恨みと見合う」

 言ったと同時、急に絶仮面スーツがしぼんでその場に落ちた。あとには渦巻状のバッジだけが残される。隔世黒点の浄鬼源がこれに違いなかった。

 混乱した。星喰いと呼ばれる宇宙人が、中身がいない。全員が唖然とする中おじさんだけが状況を把握しているようだった。

「おかしいと思ったんだ。あの時、スーツは確かに敵反応を感知してたんだけど、僕は何も見つけられなかった。怨念じゃあわからないはずだ」

「怨念がスーツを着てたってことですか?」

「浄鬼源は心をエネルギーにする。だったら不思議な話ではないよ。或いは特定の誰かではなく、六万の魂そのものだったのかもしれないね。隔世黒点は何百年も前に奪われたって話だったけど、ここにも見当たらないしやっぱり星喰いも起動キーを作れなかったみたいだから、これはこれまでの常識では語れない。やれやれ、分厚い報告書を上げなくちゃならないな」

 誰かが長く長く息を吐く音が聞こえた。しかし俺は、胸騒ぎに鳥肌を立てる。

 絶仮面の最期の言葉はなんだったのか。怨念の存在だというなら一体なぜ急にいなくなったのか。より追い詰められただけで、恨みが晴れるような場面ではなかったはずだ。

『赤仮面、残念な報せがあります。貴方がたを救えない』

 外のヒーローからの声。押し潰した声に滲む感情は沈痛だ。

「どういうことだい」

『その船の中で巨大なエネルギーが活性を高めています。敵は圧縮銀河のエネルギーを持ち込んでいたようです。船のシステムから切り離されていてこちらから干渉することもできない』

 星喰いの名の由来。盗んだ銀河がこの船の中にある。そんなものが爆発すればとんでもないことになるのは俺でもわかった。

『百光年レベルの破壊が起こるでしょう。いつ爆発するかわからない危うい状態にある以上救出には迎えません。我々はこの場を放棄します』

 言い終えるとすぐに宇宙ヒーローたちは散っていく。何しろ百光年逃げなければならないので大急ぎだ。

「おい、どういうことだよ。待てよ!」

 ヒーローが見捨てた。ヒーローに見捨てられた。二百二十五人一人残らず。

「ふざけんな! なんでそんな簡単に諦めるんだよ。お前らヒーローだろ?」

「ヒーローだからよ。迷ってる暇なんかないの。敵は無数で宇宙は広いんだから」

 キラキはこの状況を受け入れているのか冷静だった。とても真似できない。

「だからこれは、俺たちのことは見捨てても仕方無いって言うのかよ!」

 すがる想いの問いかけに誰も答えない。ヒーローたちが呆然としてしまっている。

「ねえ、おじさん。そのエネルギーがある所に行ってさっきのカプセルとかで包んだらいいんじゃないですか?」

「無駄だよ。ダイナマイトに虫取り網を被せても意味はない」

 打つ手が無いからこそ絶仮面は満足して消えたのだろう。この船におびき寄せた時点で復讐は完了していた、そういうことだったのかもしれない。

「じゃあ、もう……」

 静まり返る中、モミジだけが落ち着かずにきょろきょろと視線をあちこちへやる。

「ねえ、どうなるの? パ――赤仮面、タカくん」

 星ごと全て無くなる。こんな事実は伝えたくなかった。本当はもっといいニュースがあったんだ。こんなことさえなかったなら。

 膝を付き手を付き床を叩く。もう何もかもが無駄となれば、俺には謝ることしかできない。

「なあモミジ、俺結構頑張ったんだよ。お前が知らないとこで俺結構頑張ってたんだ。ワケわかんねえことばっかりだったけど、意味のないことだったかもしれないけど、俺頑張ってたんだ。お前の為にって思ったらどんな苦労もへっちゃらだった」

 嘘と毎夜毎夜の睡眠不足。それとモミジだけが俺の日常だった。

「うん、タカくんは頑張ったよ」

 優しい声で抱き起こされた。肩と背中で腕が震えている。それでも間近にある顔は笑おうと懸命だ。

「とっても頑張ってくれたよ」

「でも俺、お前を守れなかった」

「タカくんはばかだね」

 顔が近づいて、離れた。驚いて自分の唇に触れると、モミジの白い血が指につく。

「私はちゃんと幸せだよ」

 ああ、やっぱり。俺はこんな最期は嫌だ。モミジともっと色んな所へ行って色んなものを見て、あって当然の日常を続けたい。

 胸の中で消えかけていた想いが息を吹き返した。死にたくない、死なせたくない。

「おい宇宙正義! 俺はまだ――諦めてないぞ!」

 突然何かが飛んできて、モミジを庇って出した掌に収まった。衝突の痛みより驚きが先行する。これは赤い星のペンダント、赤仮面スーツだ。使ってくれと語りかけられた気がした。

「君の心に反応したのか?」

「原動力に引き寄せられてって、そんなことが……しかもココロゲンなしで、力――いや心ずくで?」

「やってみるしかねえよなあ!」

 足元が揺れ始めた。爆発するぞと脅しをかけられているかのようだ。急がなければならない。

「お前ら、借りるぞ」

 ブンブンからバックルを、キラキからブローチとイヤリングを奪う。おじさんは手を出す前にスーツを脱いでわかった顔で赤い腕輪を差し出していた。

「ヒーロー史上、〝重ね着〟に成功した例は数えるほどしかない。しかも四つとは、前代未聞だよ。でも君ならあり得ないことをやれるかもしれない。君は初めて赤色彗星の特性を引き出した史上最強の赤仮面だ」

「四つも着る気ないですよ。俺が暑がりなのは知ってるでしょ。モミジ!」

 おじさんの腕輪と、薔薇のブローチとイヤリングをモミジへ投げる。

「悪い、手伝ってくれ」

「え……うん!」

 快く頷いたモミジは腕輪に手を通し、ブローチを胸へつけた。イヤリングを持った手が戸惑う。

「こういうの持ってないから、付け方よくわかんない」

「じゃあ俺に任せろ」

 横を向かせたモミジの耳にイヤリングをつけるのは、こんな時でも照れくさい。

「わあ、凄いプレゼント」

「貸すだけだからね! 無事助かったら返してもらうから!」

「え……わ、わかってるってば」

 外野から離れてモミジと手を繋ぐ。

「さあ、お二人に取って初めての共同作業です」

 こんな時にふざけているモミジの余裕に感心しながら少し笑った。

 俺の生活の中心はモミジだ。それはどこであろうとどんな時であろうと変わりない。

「毎年夏休みの宿題分担してやってるだろ。それに大掃除も」

「えー、でもそれ言ったらケーキ入刀だって……やっぱり、いいや」

「なんだよ言いかけたことは言えよ」

「ま、また今度だよ。それより早く終わらせて帰ろ。私お腹空いちゃったから」

「俺も」

「タカくん何食べたい?」

「そうだな……それじゃあ――」

 考えてみれば、モミジの前で全力を出すのは初めてのことだった。どうか、これを最後にできますように。

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