第25話 かつての思い出

『無事に終わったらまた話そう、友よ』

 エスティードの言葉を思い出し、その響きのくすぐったさにアレクは思わず笑ってしまう。


「……ふふ」


「楽しそうでございますね」


 しかしすぐ近くにいたレナスに聞きとがめられ、アレクはすぐに笑みを消した。


「あ、いや、すまない。こんなときに」


「いいのですよ。ろくに友達のいなかったお嬢様に初めてお友達ができたのですから」


「……君にだけは言われたくないな」


 そうして言い合いながらアレクとレナスはときおり二手に分かれつつ、紙を貼る作業に奔走した。

 そして全て貼り終えると、一階の各部屋から椅子や机をかき集め、正面階段前に簡易的なバリケードを作れば準備は完了だ。

 エスティードによるこの策がはまれば、敵は全てこの正面階段前に集まるだろうから、そこをアレクたちが一気に叩けばいいというわけである。


「……これで準備は完了だ。ここに敵が集中すれば確実に叩ける」


「ですがここに集中してきたところで、大勢を相手に旗を奪うのは大変なことだと思いますが」


「それについては作戦があるんだ」


 自信を込めてアレクは言った。


「私はね、旗を持ってやって来るのはイーザーだと確信しているんだよ」


「ほう?」


「彼の猪突猛進ぶりは他の追随を許さない。しかも彼は生真面目で、その上あの剛腕ぶりだ」


「確かにイーザー様の剣の腕前については聞き及んだことがありますね」


「ああ。よっぽどのことがなければ、最初から先頭を切っていたイーザーが順当に旗を持って戻って来るはずだ。今日はアルタイルも参加していないし」


「ですがそれが作戦とどう関係があるのでしょう。イーザー様のような優れた武芸者が先頭切って来たらまずいのでは?」


「いや」


 アレクはきっぱり否定した。

 むしろイーザーが先頭に来るからこそ、アレクには勝てる見込みがあるのだ。


「むしろイーザー相手であれば私は絶対に後れを取らない。断言する」


「なぜ?」


「幼馴染である彼の弱点は把握しているから。まあ、本当はあまりこの弱点を突きたくはないのだけどね……」


 アレクは苦笑した。

 そう――あの弱点を突くのはあまりにもイーザーが可哀想なのだ。

 とはいえ実際に苦戦したら、迷いなく使わせてもらうつもりだが。


「なるほど」


「そこでレナス。もし私の推測通りイーザーが旗を持って現れたら、まず彼を助けてやってくれないか」


 イーザーを助ける、という言葉にレナスは首を傾げる。


「どういうことです?」


「恐らく彼は周りを大勢の者たちに囲まれていると思うんだ。その状態では私も一騎打ちを仕掛けられない。だから彼自由な状態にし、私が近づけるようにしてほしいんだよ」


「そういうことなら、かしこまりました」


 納得した様子でレナスは頷く。


「アレク様とイーザー様の一騎打ちの形にできるよう、私は外側から他の者たちを狙うことにいたしましょう」


「ああ、よろしく頼む」


「もし旗を持っているのがイーザー様でなかった場合はどうします?」


「その場合も変わらない。最終的に旗手と私の一騎打ちにしてくれれば、私がなんとかしよう」


 そうして簡単な打ち合わせを済ませると、アレクは階段の陰に潜み、深呼吸をした。

 それから首にかけていたゴーグルを着用し、階段の陰で片手剣を引き抜く。

 暗がりに白刃がきらめくと、階段の対岸でレナスもまたボウガンを構えた。


 なんとしても勝たなければ。

 アレクは剣の柄を握り締め、改めて気合を入れる。

 誰が先頭でやって来ようが、誰が旗を持ってやって来ようが同じことだ。最終的に旗を手にし、優勝を果たすのは自分でなければならない。

 全ては、ローゼンバーグ家の再興のために。



  ◆◆◆



 同時刻――ミゼット城三階。

 開始直後から先頭を守っていたイーザーとその屈強な手勢四人は、この最終局面に来て苦戦させられていた。


「くっ……! どこからでも湧いてくるな!」


 長大な両手剣で敵を薙ぎ払ったのち、イーザーは疲弊した様子で言う。

 頂上で旗を手にしてからというもの包囲する敵の数が明らかに増え、倒しても倒してもきりがない。


「イーザー様! イクス様の手勢がこちらへ向かっております!」


「なんだと……?」


 そんな状況の中に飛び込んできた凶報に、イーザーは頭を抱えたくなる思いだった。

 イクスは十二騎士の中でも『皇家の忠犬』と言われるアルバーナ家の貴公子で、誰よりも執念深い性格の持ち主だ。敵に回すと厄介なのは間違いない。


「くそっ……!!」


「ここはお任せください! イーザー様は旗を持って先に出口へ! 下階はここより敵も少ないはずです!」


「そうだな、すまない!」


 困難な状況の中、配下の機転でなんとか包囲を逃れ、イーザーは東階段の方へと向かっていった。




 しかしそうしてイーザーが東階段へとたどり着いたときである。


「……なんだこれは」


 彼はふと階段の前に貼られた注意書きに気付き、それをじっと凝視した。


『規程の変更により、この階段の使用を禁ずる。

なおこれを破られた者は違反とする故、各自留意されるべし』


 よく分からないが、この注意書きによると、どうやらこの階段はなぜか使用禁止となったらしい。


「……いや、だがこんなのは聞いてないぞ」


 もしかしたら誰かの策略かもしれない。

 真正直から行って勝つことができないと踏んで、惰弱な策に嵌めようとしている悪党がいるのかもしれない。

 そう思うと乗せられるのは悔しい。が――。


「ぐ、うう……もしこれが本物の注意書きだったらどうするんだ」


 もしこれが本物だったら、この階段を下って旗を無事に持ち帰ったところで失格となる。

 優勝は取り消しとなり、自分は規程を破った者として白い目で見られるだろう。

 しかも階段のすぐそばには遠視機がある。

 もし規程を破っていないと主張したところで、言い逃れはまずできまい。

 思案ののち、イーザーはくるりと踵を返した。

 そして再び剣を振るいながら、自分の兵の方へと戻っていった。


「……おい、こちらは駄目だ! こちらの階段は使えないぞ!!」


 イーザーが触れ回った途端、ざわざわと兵たちが色めき立っていく。


『階段が使えないというのは本当か』


『騎士であるイーザー様が言っているのだから本当じゃないか』


『だったら別の階段から行くしかないぞ』


 そうした声の一つ一つが次の瞬間から噂となり、みなが東と西の両階段を避けて中央階段へと集中していった。

 それが軍師の策略であるとも知らず。



  ◆◆◆



 正面階段下からは、大勢の者たちがひしめき合う音が聞こえていた。

 しかしその振動はまだ遠く、こちらへ降りてくる者はない。


 アレクは集中し、耳を澄ます。

 聞こえてくるのは大勢の足音が同時に動いているような音。

 恐らく誰かが旗を取り、それを周りの者が奪うべく包囲して、団子状態で進んでいるのだろう。

 しかしその音は、まだ近くには迫っていないようだ。


 今のうちに少し休んでおこうと、アレクは背を壁にもたれさせ、息を吐いた。

 階段の上り下りやバリケード用の物資の運搬ですでに身体は温まっているし、五感の調子も悪くない。

 使い慣れた剣は手に馴染んでおり、準備は万端だ。

 これならいつ敵が来ても対応できるだろう。


「……勝つためでないのなら、何のために戦うのか」


 アレクがそうして戦いの時を静かに待っていたときである。

 ふとレナスが呟いたのが聞こえ、アレクは驚きながら階段の下に隠れている彼の方を見た。


「なんだ……いきなり」


「いえ。剣の稽古の際、幼いアレク様がそんなことを言っていたのを思い出しまして」


「え……?」


 意外な言葉にアレクは目をしばたたかせた。

 そういえば幼少の頃の自分の話をレナスから聞かされたのは、これが初めてのような気がする。

 ただ残念ながら、アレクは幼い自分が言ったそんな一言を覚えてはいなかった。


「私は、そんなことを言っていた?」


「ええ。言っておりました。私はそんなあなたを見て、なんと勇ましいご令嬢がいるものだろうと思ったのです」


 レナスにしては、なんだか随分と抑揚のない声だ。

 しかしいつものふざけた色がない分、なんだか少し真実めいて聞こえるような気がした。


「でも一体……どうしたんだ、突然」


「別に。大した意味はございません」


 アレクから視線を外し、レナスはそっと黒鉄のボウガンを撫でる。

 その仕草もなんだかいつもの彼らしくはなく、アレクは奇妙な感覚にとらわれる。


「ねえアレク様」


 レナスがボウガンから目を離し、再びアレクの方を見る。


「なに?」


「あなたはかつて、執事として仕えていた私を覚えていないんですよね」


 レナスの問いに、アレクは首を縦に振った。


「ああ。私の周りは大勢の侍女で固められていたし、男の使用人と接する機会はなかったから」


 そう、実はアレクはかつて執事としてローゼンバーグ家に仕えていたというレナスのことを覚えていなかった。覚えているのはただ、あの陰謀の際に自分を助けてくれたことだけなのだ。

 しかしそれも仕方のないことだった。

 なにしろローゼンバーグ家の城には数百人もの使用人がおり、アレク自身はその中でも近しい数人としか話をしたことがなかったのだから。


「そうですか……」


 レナスの瞳が鋭く光る。

 それと同時に彼の瞳に宿る闇が濃くなったような気がして、アレクは思わず息を呑んだ。


「……私はね、よく覚えていますよ。遠くから見ていたあなたのことも、ローゼンバーグ家の城のことも、そして――あなたのご両親と兄君のことも」


 普通なら、単に昔のことを懐かしんでいるのだろうと思うところだ。

 しかし今の彼からはもっと真剣な何かが感じられて、その感覚にアレクは心がざわめくのを感じた。

 彼は一体、どうして突然こんなことを話し始めたのだろう。


「ねえ、レナス」


 今までも、彼に関しては気になることがたくさんあった。

 どうしてただの没落貴族でしかないアレクにわざわざ手を貸そうと思ったのかとか、アレクが騎士に戻ったのちに一体何を望むのかとか。

 そろそろ、こちらも彼についてちゃんと知らなければいけないのかもしれない。


「よければ今度きちんと話してくれないかな。今までの君のことについて――」


 しかし、アレクが言いかけたそのときだった。

 周囲が静寂から一転――嵐のような轟音に包まれた。

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