第4話 男装令嬢、誕生(改)
「ドレスシャツに紺のフロックコート、紺のズボンに灰色のベスト。タイはクラヴァットとリボンタイ。どちらがお好みか分からなったので二種類用意させていただきました。私の個人的な好みで言えば、やはりリボンタイが可愛らしいのではないかと思います」
「………」
「それから靴。ロングにするかショートにするかは非常に迷うところではありますが、やはりロングブーツの方が曲線美が見えてよいのではないでしょうか」
なんというか、さっきよりレナスの口調が流暢なのは気のせいだろうか。
しかしにこやかに話す彼は、アレクシアに突っ込む隙を与えない。
「あとは靴下でしょうか。無地のものは素っ気ないので、チェックの柄が入ったものを選ばせていただきました。こちらが赤と紺のもの、こちらが緑とグレーのものですね。あ……それと下着ですが」
そこで一瞬アレクシアは顔をしかめる。
「さすがにそちらは女性用で大丈夫だと思います。ただ胸の膨らみが気になるようでしたらこちらに革の胴着を用意しております。これをシャツの下に着込むといいでしょう。ちなみに私の見立てですと……」
レナスはそこで言葉を切ると、なぜかアレクシアの身体をまじまじと見つめた。
「一枚で大丈夫でしょう。あんまりないみたいなので、それくらいなら十分隠せるはずですよ」
それくらいならとはどういう意味だ、と思いつつアレクシアは突っ込まない。
突っ込んだら突っ込んだで、さらに失礼な言葉が返ってくるような気がしたからだ。
「とまあ、説明はこれくらいにしておきましょうか。では実際に着てみてください」
「………」
「どうかされました、お嬢様?」
「………あなたは、ただ女を男装させるのが趣味の変態なんじゃないだろうか」
「ああ、男装した女性は素晴らしいですよね。倒錯的なエロスを感じます」
清々しいほどの笑顔であっさり頷く美男子。
その顔面を殴ろうかどうかアレクシアは一瞬本気で迷ったが、そこはギリギリ理性が勝る。
「そもそもどうして男装なのか、できればもう一度説明してもらえないかな」
「かしこまりました」
宿の粗末な椅子に腰かけ、レナスは人差し指を立てる。
「我らがパラキア帝国は古くから封建制の国家です。皇帝陛下の権力は絶対で、それを守護する十二騎士、それ以下の貴族たちの権力もまた揺らぐことがありません。権威や伝統を第一とする典型的な権力社会です」
アレクシアは頷く。
権力第一である国家の現状については、身に染みて知っている。
「考えてみてください。そんな権力社会で、お嬢様はたった一人で家を盛り立てようとしている。しかも没落貴族の令嬢で、誰の庇護もなく。これは一体、周りからはどう見えるでしょうか」
「可哀想、かな」
アレクシアの答えに、レナスは大きく首を横に振る。
「いいえ。残念ながら世間からは無様と映ります」
「なるほど」
パラキア帝国の絶対的な権力主義というのは、男尊女卑的な価値観も含んでいる。
悔しくとも、それは事実だ。
「そんな世の中だからこそ、お嬢様のように美しく聡明な方ですら哀れに地に伏し、餓死寸前の情けない状態で湖畔に倒れることになってしまうわけです。嘆かわしいものですね」
レナスの言葉を聞き、アレクシアは「ん?」と首を傾げる。
「さっきから思ってたんだが……君は私に敬意を示すわりに、ときどき小馬鹿にしてくるな。それは一体何なんだ?」
アレクシアは先ほどから抱いていた疑問を思い切ってぶつけてみることにした。
この執事、態度はうやうやしいくせに、アレクシアの懐事情や女性らしからぬ外見に対しては、ややからかう傾向が見られる気がしていたのだ。
「ああ、これは愛情表現でございます。わたくし、敬愛する方にちょっと暴言を吐いて自尊心をくすぐるのが大好きでございまして」
さも嬉しそうな顔でレナスは言う。
予想外な答えに困惑し、アレクシアは思わず額に手を当てた。
「……いよいよ君のことが分からなくなってきたな。マゾヒストかと思ってたが実はサディストなのか?」
「さて、どちらでしょう。今から試してみます?」
そう言いながらレナスは自らのズボンのベルトに手を掛ける。
「おいやめろ、何をする気か知らないが下半身はさすがにアウトだぞ」
「かしこまりました、では上半身で」
「そういう問題じゃない。服は脱ぐな」
「ふふ、ただの脅しですからご安心を。わたくし他人の服を脱がせるのは大好きですが、自ら脱ぐのはあまり好きではありませんので」
「……ああそう。心の底からどうでもいい情報をありがとう」
改めて、本当にとんでもない変態と手を組んでしまったものだ。
アレクシアは大きくため息をついた。
「……とにかく、話を戻そう」
「かしこまりました。没落貴族の令嬢は無様に見えるといいましたが、これが没落貴族の貴公子ならどうでしょう」
促され、アレクシアは想像してみる。
復讐心を抱えた没落貴族の貴公子。
その怒りは深く、凄まじい。
「危険因子……じゃないかな。支配体制に盾突くかもしれない厄介な存在」
「その通り。危険因子であり、無視できない存在となります。それは裏を返せば、畏れられるということでもある」
「畏れられる、か」
「もちろん、お嬢様が今やっているように、哀れな令嬢を演じて周囲の同情を集めるという方法もあります。ですがこちらは実行する人間を選びます。そしてお嬢様の場合、その方法は全く適さないでしょう」
「なぜ?」
「理由は簡単です。その氷のような美しさゆえですよ。あなたは少し、女性にしては鋭すぎます」
「だから同情を買うには向かないと?」
「それだけではありません。その美しさはむしろ、人々を跪かせるのに利用できる」
レナスはアレクシアの方へ手を伸ばし、彼女の頬に触れようとした。
しかしその直前にアレクシアは身を引き、レナスの手を避ける。
ああ、とレナスは残念そうに声を漏らした。
「人というのは特殊な人間に弱いもの。例えば運動能力に優れた戦士、素晴らしい頭脳を持った学者、圧倒的な歌唱力を持った歌姫――等々、他を圧倒する何かを持つ人間の前にしては、誰もがひれ伏さずにはいられない」
「他人を圧倒できる何かなど、私にあっただろうか」
「そうですね、お嬢様の場合ですと、完璧なまでの美しさ、私をゴミのように見下ろす厳しい瞳、中年男性と見紛うほどの堂々たる雰囲気、何があっても動じない冷静な性格……などでしょうか」
「称賛と誹謗が混ざってるぞ」
「きっとあなたが男装すれば完璧な貴公子になれる。そうすれば権力など、簡単に取り戻すことができる」
「……それは買いかぶりな気がするな」
アレクシアはため息をつきながら、部屋の隅に立て掛けてあった姿見を覗き込んだ。
青く鋭い瞳に、肩からこぼれる金色の髪。
すらりと通った鼻筋に、薄く色づいた唇。
父エルドレッドに似てはっきりした目鼻立ちで、その顔立ちは普通の女性に比べていくぶん厳しい。
だがそれだけだ。
少し異質ではあるかもしれないが、圧倒的な何かがあるというわけではない。
「まあ私がどうこう言うより、実際に試した方が早いでしょう。さあ浴場で埃を落として着替えてみてください」
「けれど――」
「おや、もしかしてお嬢様はお一人でご入浴できないのでしょうか。でしたらわたくしが何から何まで手伝って差し上げますが」
両手を出し、わきわきと指を動かしながらレナスは言う。
アレクシアはそれを無視したのち、渡された服を胸に抱いて一人で廊下に出た。
◆◆◆
しかし約一時間後――鏡に映った自分の姿を見てアレクシアは息を呑んだ。
紺の上下に身を包み、凛と佇むその姿。
それはまるでかつての権力者、エルドレッド・ローゼンバーグを彷彿とさせるような姿だったのだ。
そこに立っているだけで堂々たる存在感があり、思わず周囲を威圧してしまうかのような、そんな異様な美しさが漂っている。
少なくとも、これでもう無力な娘に見えることはないだろう。
「ああ……っ! これは私の予想以上でございます!」
アレクシアの後ろで姿見を覗き込みながら、レナスはうっとりと声を上げる。
「ぐっと存在感が増し、より威圧的になられましたね……! この姿で蹴られたらたまりません……色々な意味で」
なにやらぶつぶつ言いながら、レナスは恍惚とした様子で床に崩れ落ちている。
しかしアレクシアにはまだ、気にかかっていることがあった。
後ろで一つに束ねられている髪。
これのせいでわずかに違和感が残っているのだ。
「まだ中途半端な気がする。髪のせいかな」
「お嬢様……まさか髪を切るとおっしゃるおつもりですか?」
慌ててレナスは立ち上がり、焦ったように言う。
「その方がそれらしく見えると思って」
「それはそうですが……いくら筋骨隆々な肉体をされていてもお嬢様は女性です。女性は髪を切るのに抵抗を覚えるものでしょう?」
「本当に一言余計だな君は……」
アレクシアは呆れ、額に手を当てる。
「とにかく切るよ。君の言う通り、これは効果的な方法な気がするから」
最初は半信半疑だったが、実際にやってみてアレクシアの心境は変わっていた。
レナスの言う通り、確かに男装することによって新たな可能性が見えてくるような気がしたのだ。
「そんな……」
名残惜しそうにしているレナスを横目に、アレクシアは懐から取り出した護身用のナイフを髪に押し当てた。
ざり、と髪の束が切れる音がした。
「これでよし」
軽く頭を振り、肩に散った金髪を落とした。
それから改めて鏡を覗くと――そこには凛々しい青年の姿が映っている。
「おお、これはこれで素晴らしい……! やはりお嬢様はどのような姿をしていてもお美しゅうございますね。このお姿であれば、もう誰もお嬢様を没落貴族と侮ることはないでしょう」
鏡の中のアレクシアを見て、レナスも感服したように呟いた。
「ああ」
アレクシアも改めて自分の姿を見つめた。
短くなった髪。
それにより鋭敏さを増した雰囲気。
その姿にどこか神秘的と言うか、ある種の俗世離れした空気が漂っている。
彼女自身が持っていた凛々しさや賢さが強調されて、より近づきがたい印象になったとでもいうのだろうか。
まさにさっきレナスが言った「氷のような美しさ」という言葉を体現するような容貌になっていた。
これならば誰も簡単に彼女を貶めるような真似はできないだろう。
それにしても、男の格好も奇妙なほどしっくりきている。
今までずっと修道院のドレスは似合っていないと思っていたが、どうやら彼女には女性的な格好より男性的な格好の方が似合うようだ。
「だが、本当にこれでぼったくられた謁見料が取り返せるのかな」
「心配ご無用です。あなたはその格好で一言返せと命じるだけでいい」
着替えののち、レナスは男装の効果を試してみようと提案してきた。
具体的にはアレクシアが昼間、伯爵家の門衛からぼったくられた謁見料を取り返すというもので、そんなことができるならとアレクシアも二つ返事で了承したのである。
「とにかく実際に試してみましょう」
「分かった。ああ、そうだ」
「どうしました」
「ついでにあの門衛を一発殴っておきたいんだが、構わないだろうか」
「もちろん。ついでに私のことも殴っていただけると嬉しいのですが」
「いや、それは遠慮しておく」
切なそうな顔をするレナスを無視し、アレクシアは部屋を出た。
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