第5話 取り戻すということ(改)

 湖の対岸にそびえる大きな白い屋敷。

 宵が深まるとそれはより一層白さを増し、辺りに訪れている宵闇と美しいコントラストを成していた。

 ドレアン伯爵邸。

 今日の昼、アレクシアを追い返した伯爵の屋敷である。


 新しい従者を連れ、アレクシアは再びそこへやって来ていた。

 しかし彼女が昼間と違うのは、従者を連れていることだけではない。

 すっかり短くなった髪、男物の洋服など――彼女自身の外見もまた、見まがうほどの変貌を遂げていた。

 そう、すっかり女性には見えないほどに。


「……失礼、こちらかな、ドレアン伯爵の屋敷というのは」


 カツリカツリと長靴の音を響かせながら、アレクシアは屋敷の門へと近づき、そこに立っている門衛に声を掛けた。

 すると、警護をしていた門衛がたちまち背筋をぴんと伸ばす。

 一方は金髪の青年貴族。

 そしてもう一方はその後ろに控える長身の従者。

 並んでいるだけで妙な威圧感のある二人の主従の姿に、門衛は威圧された様子だった。


「はい、こちらがドレアン伯爵邸でございます!」


 その門衛の顔をアレクシアはまじまじと見つめる。

 恐縮した様子で答える門衛は、よく見ると昼間アレクシアから謁見料をふんだくった門衛張本人だった。

 どうやらまだ交代の時間にはなっていなかったようだ。


「そうか、それは良かった。ところで伯爵に謁見するには謁見料が必要だという噂を聞いたんだが、それは本当かな?」


 仁王立ちをし、腕を組んで、睨みつけながら、門衛に圧を掛けるようにしてアレクシアは尋ねた。

 ふんだくれるものならふんだくってみろとでも言うようなその態度に、門衛はさらに縮み上がり、ぶんぶんと首を横に振った。


「え……? い、いいえ、滅相もございません!」


「……ほう」


 やはり、とアレクシアは思った。

 昼間のアレクシアは見るからに貧しそうな修道女だった。

 そして今の彼女は貴族の青年に扮した堂々たる姿である。

 今のアレクシアから取らないということは、恐らく相手を見て、社会的立場の弱そうな相手からのみ騙し取っているということだろう。

 なんとも許しがたい悪行である。


「……それは、おかしな話だな」


 にこりと微笑んだのち、アレクシアは後ろへ腕を引いた。

 そして怒りを込めて一発、思い切り振り抜く。

 いきなり顔を殴られて、門衛は後ろへ吹っ飛んだ。


「うわ……っ!!」


 門衛は痛そうに声を上げるが、アレクシアは動じない。


「い、いきなり何を……!」


「今日の昼間、修道女から謁見料として金をだまし取っただろう。銀貨三枚、今すぐ耳を揃えてきっちり返せ」


「な……っ」


「あの修道女は私の妹だ」


 痛そうに頬をさすっていた門衛は、その瞬間動きを止めた。

 やがて固まったその顔には、冷や汗のような浮かび始める。


「アレクシアと言って可愛い妹なんだが、今は訳あって修道院に預けてある。その妹がここで門衛に金をふんだくられたと、さっき泣きついてきたんだ」


 もちろん作り話だが、信憑性は高いだろう。

 貴族が娘を修道院に預けるのはよくある話だし、なにしろアレクシアは昼間の修道女と顔がそっくりなのだ。


「あのときの銀貨三枚、持っているんだろう?」


 ないとは言わせない、という様子でアレクシアは微笑んだ。

 じっと、威圧するように。


「もし出さないのであれば、こちらにも考えがある」


「す、すいませんでしたあ……っ!!」


 やがて門衛は低く頭を下げ、懐から銀貨三枚を取り出して、降参するように頭の上に掲げた。

 アレクシアはそれを素早く奪い取り、もう一度彼を睨みつけた。


「……妹だけじゃない。他の者にも同じようなことしたら、そのときはただではおかない。心しておけ」


 そうして身体を翻し、屋敷の前から去っていく。

 カツリカツリと、長靴の音が辺りの静寂に響いていた。



◆◆◆



 宿に戻ったのち、アレクシアは出窓の縁に腰を掛け、取り戻した銀貨をじっと見つめていた。

 なんだか奇妙な気分だった。

 今までアレクシアは、踏みにじられ馬鹿にされても黙って耐えてきた。それが唯一の方法だと思っていたから。

 だが、どうやらそうではなかったらしい。


「お疲れ様でした。さすがはお嬢様、素晴らしい手際でございましたね」


 じっと黙って銀貨を見つめているアレクシアに、レナスが声を掛ける。

 しかしアレクシアは俯いたまま、ぼんやりと口を開いた。


「……この方法でいいんだろうか」


 奪う側に立つということ――それは彼女が思っていた以上に容易いものだった。

 元々、侯爵家の跡取りとして人の上に立つよう教育された身である。

 他人に命じることや堂々と振る舞うことに抵抗はない。

 ただ……これが本当に正しいことなのかどうか、アレクシアにはまだ確信が持てない。


「どういうことですか?」


「いくら目的のためとはいえ、これでは悪党だ」


「悪党、でございますか」


「ああ。もちろん悪いのは向こうだろうけど、こちらも相手を騙し、脅しているという点は同じではないのかな」


 権威や暴力で相手を威圧して、弱者から何かを奪い取る。

 それは今までアレクシア自身がされてきたことだ。

 だからこそ、それを今度は自分が誰かにやるというのがひどい矛盾に思えてしまったのである。


「当然、それはそうでしょう」


 するとアレクシアの問いかけに、レナスは呆れたように肩をすくめた。


「男性のふりをし、貴族のふりをして騙したのですから。けれどそれが一体何だと言うのです。まさかあの門衛が哀れだとでもおっしゃるつもりですか?」


「それは……違う。ただ、これからもこういう方法を取るのであれば、罪のない人をも傷つけることになるかもしれないと思っただけだ」


「はあ……」


 レナスは明らかなため息をついた。

 そしてつかつかとこちらへ歩み寄ってきたかと思うと、アレクシアの目の前で立ち止まり、彼女の顔をじっと覗き込む。


「もしかしてお嬢様は、悪党にはなりたくないとおっしゃるのですか?」


「それは……もちろん」


「でしたらもっと現実を直視した方がよろしいでしょう」


 そのまま至近距離でレナスはにっこりと微笑んだ。

 しかしその甘ったるい笑みは、却ってなんともいえない不気味さを生んでいた。


「……どういう意味だ」


「あなたは国家的反逆者の娘です。そんなあなたが騎士の位を取り戻すのに、生半可な方法など通用しません」


「……それは」


 アレクシアは言葉を詰まらせる。

 乱暴な言い方だが、確かにレナスの言うことは的を射ている。


「納得できないのなら、これまでの八年間を思い出してみてください。何の役にも立たない正義感とやらを掲げて、あなたがどれほどの時を無駄にしたのか」


 レナスが瞳に強い力を込めて言う。

 その瞬間、アレクシアは今度こそ言葉を失った。

 確かに今まで得られたものなど何一つなかった。

 すでに十四の頃から四年間、伝手のある貴族の元で頭を下げたが、誰一人として取ってはくれず、ただひたすらに時間を無駄にしただけだったのだ。


「いいですか。もう一度言います。生半可な方法など通用しません。あなたは……大反逆者の娘なのです。それをよく自覚してください」


 アレクシアの頭の中に、にわかにあの日の光景が蘇る。

 赤々と燃え上がる炎の柱。

 その中に呑み込まれていく人々。

 あの光景を見たときからアレクシアは、家のためなら何でもしようと心に決めたはずだった。


「……分かった」


 やがてアレクシアは頷いた。

 目的のためならなりふり構わない、というわけでは決してない。

 重要なのは心の有り様。

 たとえ悪党になろうとも、心さえ闇に堕ちなければきっと真の悪人になることはないと思ったのだ。


「では、男装し、私を執事として使う決心がつきましたか?」


「ああ」


 決意と共に、アレクシアは頷く。


「では改めて、お嬢様に今後のことをお聞きしましょう。お嬢様はこれからどうするおつもりですか?」


 すうと息を吸い込み、アレクシアは宣言した。


「今後は兄の名であるアレクシス・ローゼンバーグを名乗り、ローゼンバーグ家を再興するため力を尽くす。そのためにまずは修道院から出ようと思う。だから君も私のことを『お嬢様』ではなく、アレクと呼んでくれ」


 幸いにして、ローゼンバーグ家の子供たちの消息を詳しく知っている者はほとんどいない。

 妹のアレクシアが死に、兄のアレクシスが生き残ったと偽ったところで、不思議に思う者はまずいないだろう。


「かしこまりました」


「ところでレナス、私も改めて君に聞いておきたいことがある」


「なんでしょうか」


「君は成功報酬でいいと言っていたね。ならば私が騎士となった暁に君は何を望むつもりなのか、聞いてもいいだろうか」


 確認のつもりでアレクシアは尋ねた。

 騎士を目指すアレクシアに彼が望むもの。

 それは恐らく権力か、金か、もしくはそれ以外の何らかの特権か――。


 しかしアレクシアがそう思っていたとき、レナスはあまりにも予想外なことを口にした。


「……私が欲しいのはたった一つだけ」


「それは?」


「それはお嬢様が無事に十二騎士となった暁に――私の言うことを何でも一つだけ聞いてくださることです」


 二つの黒い瞳が奇妙な色を湛えて光る。

 その瞬間、アレクシアは背中にぞくりと悪寒が走るのを感じた。

 何でも一つ望みを聞いてほしいと――彼は今、そう言ったのだろうか。


「……そんなことで構わないのか? 金でも、権力でもなく?」


「ええ、構いません。金でも、権力でもなく……そんなことで」


 レナスはあっさりとそう繰り返す。

 その迷いのなさに、アレクシアは無意識に一歩後ずさっていた。


 そういえばこの男、最初に見たときもいやに影が濃いと思ったものだ。

 そしてその第一印象通り、今も心のどこかに闇の気配を感じる。

 ただ、その闇の深さが簡単には窺い知れない。

 だって、一体何を考えているというのか。

 騎士となった暁に、言うことを何でも一つだけ聞いてくれなどと。

 彼が何を望むのかも分からないし、どういう意図があってそんなことを言ったのかも意味不明である。


 簡単に心を許せば、こちらが呑み込まれてしまいそうだ。

 これからもこの男のことは十分に気を付けようと、アレクシアは改めて気を引き締めた。

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