第二章 拠点奪還
第6話 執事の計画(改)
レナスと主従の契約を交わした翌日、アレクは深夜にそっと修道院を抜け出した。
そして大きな荷物を抱えてレナスの滞在している宿へ戻って来ると、レナスは顔を赤らめて嬉しそうにこう言った。
「よくぞいらっしゃいました。わたくし深夜に男装した女性を部屋に迎え入れるのは初めてのことで、ただいま少々興奮しております」
「奇遇だな。私も深夜に君のような頭のおかしい執事の部屋に入るのは初めてだ」
「おや、では互いに初体験というわけですね」
そう言うとレナスはその場でひれ伏し、アレクのつま先に顔を寄せた。
「ふふふ、怖がらなくても大丈夫ですよ。わたくし、主には忠実な犬でございますから。勝手に早まったりはいたしません」
「そうか。じゃあ三回まわってわんと鳴いてみろ」
実際に命じればさすがに躊躇いを見せるだろうか――そう思ってアレクが試しに命令してみると、予想に反してレナスは嬉しそうにくるくる三回まわり、再び床にひれ伏しあざとく「わん!」と鳴いた。
なんだろうか、この妙な敗北感は。
「……どうして私の方が怪我した気分になるんだろう」
「ふふ、ご満足いただけましたか?」
「疑問なんだが、君には矜持というものがないのか?」
「矜持で飯は食えませんから」
「なるほど現実的だ。見直した」
「まあわたくしの場合は単に趣味でございますが」
「………前言は撤回だ」
それから一つ大きなため息をついたのち、部屋の中へ入ろうとする。
しかし床にひれ伏したままのレナスが邪魔で入れない。
「どうでもいいけど、そこをどいてくれないかな。そうされてると部屋に入れない」
「ああ、それなら蹴っていただいて構いません。さあどうぞご存分に」
アレクは顎に手を当て、少々考える。
蹴ったら恐らくこの男は喜ぶのだろう。
この変態を喜ばせてしまうのかと思うと、蹴ることはなんだか躊躇われた。
「おや、無視するのですか? 蹴らないのですか?」
「………」
「ふふふ、どいて欲しければ思いきり蹴ればよいのですよ。それともお優しいアレク様にはできませんか?」
どうやら彼にはこちらが無視をすれば煽ってくるという習性があるようだ。
それはそれでなんだか無性に腹立たしい。
「まあいくら普通の方より筋肉が豊富であろうとも、今までは清らかな修道女だった方。きっとどうしていいか分からないのでしょう。そんなところもお可愛らしいのですが――んがっ!?」
そうしてレナスが言い終わるかどうかの瞬間、アレクは容赦なくレナスの顎を蹴り上げ、レナスは部屋の向こう側へと吹っ飛んでいた。
「……今後についての話し合いを始めたい。そんなところで寝ていないでさっさと席についてくれ」
「はあっ、はあっ……! す、素晴らしいまでの冷静さ……それでこそ、私の見込んだお嬢様でございます……っ!!」
顔を上げ、鼻血を拭っているレナスの顔は清々しいほど歓喜に満ちている。
やはりやめておけばよかったとアレクは後悔した。
部屋に入り、奥のテーブルにつくと、すぐにレナスが茶の用意をしてくれた。
アレクは彼の淹れた茶をすすりながら、「変態だが気遣いは細やかなんだな」と妙に感心してしまった。
「では、今後の方針を確認しておきましょう。まず、アレク様の目的は?」
「私の目的は三つある」
「お聞かせください」
「一つ目は騎士侯爵の地位を取り戻すこと。二つ目は陰謀の首謀者を突き止めること。三つ目はその首謀者に仇討ちをすることだ」
「なるほど。ではその三つを果たすのに必要なのは何だとお思いです?」
「権力じゃないかな」
レナスの問いに、アレクはそう答えた。
権力が得られなければ騎士侯爵の地位は取り戻せないし、権力がなければ真実に辿り着くこともできない。そして権力がなければ黒幕に近づくことすらできず、仇討ちも果たすことができない。
つまり全ての目的に共通して必要なのが権力なのだ。
「ええ、権力は必須でしょう。ですがいきなり権力を得るなどと言って難しいのも確かです。まずは地道に足元を固めなければなりません。初対面の相手にいきなり服を脱げと言っても脱いでもらえないのと一緒ですね」
「普通はそんなこと言わないけどな」
「ところでお嬢様は、服とは着るものだと思いますか? それとも脱ぐものだと思いますか?」
「……話を続けよう」
有無を言わせぬ勢いでアレクは言う。
するとレナスはふふ、と笑ったのち、こんな申し出をした。
「今後についてなのですが、わたくしから提案がございます」
「というのは?」
「まず以下の三つを手に入れるのです。すなわち活動拠点、資金、階級の三つを」
三本の指を立て、レナスは説明する。
「活動拠点は今のところこの安宿くらいで、資金も全くない。階級もただの平民。これでは行動しようにも無理があります」
「そうだね」
アレクは頷いた。
レナスというこの執事、言動は奇怪だが戦略は至極まともなようだ。
「ならまず得るべきは、活動拠点もしくは資金かな。活動拠点はできればローゼンバーグ家が所有していた城や屋敷を取り戻したいところだが……さすがに難しいのだろうね」
家を再興するという目的のために動くのならローゼンバーグ家の城を拠点にするのが最もいいように思えるが、現実的な問題としてそれはかなり厳しい気がする。
しかしアレクがそう思っていたとき、レナスがふふ、と得意げに笑った。
「やはり私は有能な執事なようです」
「……何だいきなり」
「ローゼンバーグ家がかつて所有していた城を取り戻すことは可能ですよ」
「なんだって?」
思わぬ言葉に、アレクはわずかに腰を浮かせる。
「ああ、そんなに焦らないで。早すぎる男はモテませんよ、お嬢様」
「……色々と突っ込みたいが、この際気にしないでおこう。で、どうやってローゼンバーグ家の城を取り戻すんだ」
「いいですかアレク様、ローゼンバーグ家はもともと天下に聞こえた騎士侯爵。城の数は一つや二つではありません」
「それは知っているけれど……」
領地に大きな城を持ち、帝都にも立派な屋敷が一つ。
領地の要所には警備のための城塞が設けられ、それ以外にも別荘など小さい城が各地にある。
確かに全てを合わせれば大変な数にはなるだろう。
だが没落した際、領地や城は全て皇帝陛下に取り上げられてしまったのだ。
迂闊に手を出せば処罰を受けることになってしまう。
「そんなものに手を出せば、処罰を受けることになるはずだ」
「それは分かっています。ですから狙うのは飽くまで、陛下さえも放棄した城ですよ」
「陛下さえも放棄した城?」
「ええ。リアーヌ地方の山脈側、険しい峡谷の手前にそびえるエクトリス城。聞いたことはありませんか?」
「ある。辺境の城だったから、あまり重視はされていなかったはずだけど」
「そうです。そのせいでローゼンバーグ家の没落後、すぐに野盗どもの根城になってしまった。それにより没収の対象にもならなかったそうです」
「なるほど」
レナスの意図を理解したアレクは、大きく頷いた。
「つまりその野盗どもを追い払いさえすればエクトリス城は手に入る、と」
「その通り」
満足げに微笑んだのち、レナスは突然何かを懐から取り出した。
手に収まるほどの金の箱に金の輪が付いており、その輪の中で透明の球体が回っているあれは――もしかして導力器だろうか。
導力器というのは導力革命以降の産物で、鉱石から生み出した導力というエネルギーで動く機械のことである。
今では通信機器や乗り物など様々な用途に使われているというが、残念なことにアレクはここ八年ほど馴染みがない。
なにしろ裕福な者しか手に入れることのできない代物だからだ。
しかしレナスはなぜ、突然そんなものを取り出したのだろうか。
「導力器とはえらく高価なものを持っているね」
「これでございますか? ちょっとした通信機ですよ」
返事をしながらレナスは導力器のツマミをいじっている。
そののち調整が終わると、なにやら一人で喋り始めた。
「……ああ、着きましたか。こちらもいいですよ。今、宿の二階にいます」
「ちょっと待って、一体誰と話をしてるんだ?」
「言ってませんでしたっけ。今から私たちの協力者がここに来ます」
「は?」
唐突な言葉にアレクは目を見開く。
協力者がいるなんて、そんなこと一言も聞いていない。
「そこで一つ約束していただきたいのですが、アレク様は飽くまで男性として振る舞っていただけませんか?」
「いやちょっと待って、その前に説明してくれ。協力者っていうのは一体――」
「いくら協力者とはいえ、真実を知る者は少ない方がいいですからね。ちょうど今は男性の格好をしていますし、よろしくお願いいたします」
「いやだから、まずは説明を――」
さらにアレクが問い詰めようとしたときだった。
突然部屋の扉が開いたかと思うと、カツリカツリとヒールの音が聞こえてくる。
アレクがはっと顔を上げると、視界に入ったのはつばの広い帽子を目深に被った婦人の姿だった。
大人の女性のようだが……これが協力者だろうか?。
着ているのは簡易なドレスだが、見たところ中流以上の階級の人のようだし、もしかしたら貴族なのではないだろうか。
貴族の協力者がいるとなると、一気に事が進めやすくなるのだが――。
「全く、無茶言いやがるぜ」
しかしその婦人から発せられた声を聞いた瞬間、アレクは驚いて腰を抜かしそうになった。
一体何だろうか、今のやんちゃな声は。
「レナスの旦那よお、あんたエクトリスからここまでの距離知ってるか? 言っとくが一日って距離じゃねえぞ」
「あはは、それはすみませんね」
アレクを放置し、レナスはなにやら婦人と笑っている。
「で、そっちが例のご主人様ってやつか」
「ええ、アレクシス・ローゼンバーグ様です。ご挨拶を」
「分かった――」
レナスとの会話を終えた婦人が身体をこちらへ向ける。
アレクは思わず身構えたのだが、婦人はなぜか近くまで来ることなく途中でぴたりと足を止めてしまう。
「――おい、ウソだろ」
やがて婦人から発せられたのは、怪訝そうな声。
「ふざけんなよ。おい」
それから婦人はなぜか苛々した様子で胸元に手を当てた。
「聞いてねえぞ……こんなの!」
そしてとうとう爆発した様子で言い捨て――そのまま、ドレスを豪快に脱ぎ去った。
あまりの展開にアレクは仰天する。
「こんな……こんな奴だとは、一言も聞いてねえぞ!!」
そしてドレスを脱ぎ捨てた婦人の姿を見た瞬間、さらに仰天した。
びしりとこちらに指を突きつけ、顔を真っ赤にして叫ぶその姿。
それは間違いなく、アレクより年下の少年だったのである。
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