第7話 隠密フラヴィ(改)

 ドレスを脱ぎ捨てた茶髪の少年。

 その周りには、脱ぎ捨てられたドレスの他に、長い金髪のカツラも転がっている。

 どうやら、さっきまでは服装とカツラと化粧で女性のように見せていただけだったようだ。

 それにしても巧みな変装である。

 まさか少年だったとは。


「アレク様、こちらは隠密のフラヴィです」


 驚愕の事態に、アレクはすぐに言葉を返すことができない。


「見ての通り、変装の達人でしてね。女性や子供、大男にも、様々な道具や化粧を使ってうまく化けられます」


「……そ、それはすごい能力だね」


 アレクは改めてフラヴィを見る。

 きっとこの変身能力があれば、情報収集などは容易になるのだろう。

 やがて落ち着きを取り戻したアレクは、フラヴィに手を差し出すことにした。


「フラヴィ、私はローゼンバーグ家の子息アレクシス。君は我々の協力者だそうだね。これからよろしく頼むよ」


 けれどフラヴィはなおも真っ赤な顔でこちらを睨み続けたまま、差し出した手を一向に握る気配がない。


「……くそ」


 やがて彼はこちらを睨みつけたまま、ぼそりと何か呟いた。


「何か言った?」


「……絶対、オレの方が」


 しかしその声はくぐもっていてよく聞こえない。


「あの、よく聞こえないんだが」


「……絶対、オレの方がかっこいい」


「は?」


「絶対、オレの方がかっこいいんだからなああああああああああああああ!!!!」


 雄叫びを上げ、フラヴィはそのまま部屋から走り去っていった。

 静かになった部屋の中、アレクは呆然と扉を見つめていた。


「わ……訳が分からない」


「彼には変なプライドがありましてね。自分より格好いい男性は認められないという信条があるようです」


「え? じゃあ私はもしかして――」


「格好いい男性として認められたようです。よかったですね」


 アレクは顔をしかめた。

 どう反応したらいいのか微妙なところである。


「まあ、そのいかつい体型からしてお嬢様はもう女性として頑張るのは少々厳しいのですし、この際男性として頑張っていけばいいのでは?」


「……なんだかもう、それでもいいような気がしてきた」


 ため息交じりにアレクは俯く。


「実際、この姿になってから女だと疑われたことが一度もないし。それに私自身、以前の修道服よりこちらの方が似合っていると思うし」


「おや、すっかり受け入れてくださっているのですね」


「どうせ、今更男になったところで失うものも特にないしね……」


 自虐のようにアレクは言う。

 今まで彼女は家の再興と復讐のことばかりを考えて生きてきたから、普通の女性が憧れるような恋愛とか結婚とかそういうものにもあまり興味がなかった。

 いや、興味がないというよりは、はなから縁のないものと思って諦めていると言った方が正しいかもしれないが。


「大丈夫です、お嬢様にはわたくしがおります」


 そんなアレクを慰めるように、レナスがぽんと肩に手を置いた。


「……え?」


「以前も申し上げた通り、わたくしにはお嬢様のガタイの良さも、しとやかさの欠片もない振る舞いも、全て問題なしでございます」


「………」


「いえ、むしろどちらかというと好みの部類ですね。たとえ世界中の全ての男性がお嬢様のことを拒否しても、わたくしだけはお嬢様のことを愛して差し上げますから、その点に関してはご安心ください」


「……その前提で話してる時点で君が一番失礼だけどな」


 肩に乗ったレナスの手を、アレクはぱしりと払いのけた。


「まあ、とにかくフラヴィのことは放っておきましょう。どうせ今日は顔合わせだけのつもりでしたから」


「ああ」


「ところで、アレク様」


 一歩下がり、レナスが床に膝をつく。


「私が今日エクトリス城の話をし、あなたをフラヴィに会わせたのは他でもありません。実はあなたに一つお願いがあるのです」


 そう言って彼はなにやら丸めた紙を頭上に掲げた。

 アレクが取って広げてみると、どうやらそれは城の地図のようだった。


「アレク様。ぜひ、自ら城を取り戻してはいただけないでしょうか」


 意図を掴みかねて、アレクは首を傾げる。

 するとレナスは真剣な眼差しで、こちらを見つめ返してきた。

 どこか挑戦的なその瞳は、まるで手腕を示してみろとでも言っているようだった。


「……というのは?」


「私はこれ以上、何の助言もいたしません。ですから……地図と、私と、フラヴィ。この三つをお好きなように使って、自力で城を取り戻していただきたいのです」


 なるほど、そういうことか。

 全く周到な男である。

 アレクはまだ彼を信用していないが、それは彼にとっても同じことらしい。どうやらここでアレクの主たる資質を試すつもりのようだ。

 だが、それならこちらも挑発に乗ってやるまでである。


「分かった。作戦は全て、私に任せてくれればいい」




 ……とは言ったものの、具体的な策がすぐに出てくるわけでもない。

 湯浴みを済ませたアレクはレナスから貰った地図を見つめ、レナスが用意してくれた個室のベッドの上で唸っていた。

 レナスによると、エクトリス城に巣食っている野盗の数はおよそ三十。

 対してこちらはアレク、レナス、フラヴィの三人のみ。

 味方に対し、敵の数は十倍だ。


 レナスやフラヴィの能力は分からないが、それでもアレク自身は武術の研鑽を積んでいるし、ローゼンバーグ家が没落する以前には次期当主として人を動かすための教育も受けている。

 だから出す指示さえ間違わなければ三人でも城を取り戻すこと自体は難しくないはず。


 だから問題があるとすれば、城を取り戻した後のことだろう。

 三人で城を奪うのが可能でも、三人で城を守ることは難しい。

 もし上手く城を奪えても、こちらが三人だということが敵に知られればその時点ですぐに城を取り返されてしまう。


 重要なのは、どうすれば二度と手出ししたくないと思わせるかだ。

 自分たちを恐れさせ、ひれ伏させる方法。

 そんなうまい方法があればいいのだが――。

 アレクはため息をつき、父の形見である金時計を握り締める。


「父様……」


 あなたなら、一体どうしただろう。

 誰より強かった、あなたなら。


 ――そう思ったときだった。

 ふいに頭の中にかつての父の言葉が蘇る。


『支配者たる者、常に堂々としていろ。少しでも自信のない様子を見せれば、すぐに侮られる』


 アレクははっと顔を上げた。

 取るべき方法が見えたような気がした。



  ◆◆◆



 三日後。


 冷気がつんと肌を刺す。

 すでに日の暮れかけた峡谷には、張りつめたような静けさが満ちていた。

 リアーヌ地方の峡谷地帯――その守りとしてそびえる堅固なエクトリス城前には、二人の主従が立っている。

 一方は氷のように鋭い瞳の青年貴族。

 もう一方は、涼しい顔で付き従う黒髪の従者。


「これが……エクトリス城」


 地上から城のてっぺんを見上げ、アレクは嘆息した。


「おや残念、西向きでしたか。となると朝はジメジメして夕方は西日がきつそうですね。やっぱり今日は中だけ見て帰ります?」


「物件選びみたいなノリで言うな」


「ふふふ、私たちまるで新居を選ぶ新婚夫婦みたいですね」


「……それ以上言うと地中に埋めるぞ」


 堅固で巨大な石の城塞。

 城門の両脇には恐ろしい顔をしたガーゴイルの像が座し、城壁の上には尖った黒い鉄柵が並んでいる。

 四つの尖塔はまっすぐ天に伸び、それらに囲まれた城は堂々たる風格でそこに建っていた。

 かつてのローゼンバーグ家の繁栄を思わせる、厳めしく壮大な城である。


「決心はつきましたか?」


「ああ」


 アレクは深呼吸をすると、エクトリス城の城門へと近づいていった。

 そしてわずかに開けられた鉄製の城門の隙間から、城の敷地内へと身体を滑り込ませていく。


「フラヴィはとても有能な隠密のようだね」


 称賛するようにアレクは言った。

 この城門の隙間はフラヴィのお蔭だ。

 エクトリス城の城門を事前に城門を開けておいてくれと頼んでおいたら、この通りである。


「ええ、鏡の向こうの自分に愛を囁くという奇行さえしなければとても有能でいい子ですよ」


「……今のは聞かなかったことにしよう」


 城門をくぐると、やがて分厚い正面扉が現れた。

 アレクはその扉を前に押し、ゆっくりと開いていく。


 ギイイイ――。


 錆び付いた扉の中へと一歩足を踏み込むと、古城特有の暗さと埃っぽさがアレクたちを包み込む。

 城の玄関には誰もいない。

 ただ荒れ果てたホールが広がり、古びた彫像や花瓶の破片、破れた絨毯に導力の切れた導力灯など――あらゆるガラクタが散らばっているだけだ。

 あまりの退廃ぶりに、アレクは思わず顔をしかめた。

 野盗たちがはびこっていた期間は八年。

 こうなってしまうのも道理であるが、かつてのローゼンバーグ家の栄華を思うと悔しい思いがする。

 しかしそんな思いも今は堪えつつ、やがて玄関を抜けて長い回廊へ。

 そして回廊を抜けると、大広間へと続いていると思われる大きな扉が目の前に現れた。


「恐らくこの先だ」


 アレクは後ろを振り返り、小声でレナスに言った。


「フラヴィの準備は?」


アレクが聞くと、通信機を耳に当てたレナスが答える。


「問題ありません。今日こそあんたを俺のかっこよさに跪かせてやるぜ、と言っています」


「……そう。君は?」


「私はいつでも構いません。わたくし、主の命令に従って動く犬ですから。後方からの支援ならばお任せください」


「頼むよ」


「アレク様の方こそ、よろしいですか?」


 暗闇の中に、レナスの黒い瞳が光る。

 それをじっと見つめながら、アレクは頷いた。


「ああ。支配者としての器を――ここで見せるよ」

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