第11話 城マニアとの遭遇(改)

「さあ、お嬢様!」


「………」


「さあっ!!」


「………」


「さあっ!!!」


 アレクは鞭を持ったまま、じり、と一歩後ろへ下がる。

 しかしそれに合わせるように、床にひれ伏したレナスもまた、ほふく前進のようにこちらに近づいた。

 一歩。

 また一歩。

 いくら下がってもレナスとの距離は開かない。

 じわりと、額に汗が滲んだ。

 直後。


「さああああっ!!!!」


 突如襲い掛かるようにしてレナスが迫ってきたので、アレクは驚いて無意識のうちに腕を引いた。

 その瞬間、アレクの手に握られた鞭が大きくしなる。


 ――パシィン!!


 何かが裂けるような激しい音がしたかと思った瞬間、目の前でレナスが崩れ落ちた。

 ああ、やってしまったと思いながらアレクが視線を落とすと、レナスは床の上でピクピク痙攣しながら笑っていた。


「ふ、ふふ……」


 とても満悦した様子で、涙を流しながら。

 その様子を見る限り、どうやら相当効いたようだ。

 アレクはそれを数秒間見つめたのち、とりあえず「すまん」とだけ言い置いてそそくさと部屋を出た。



  ◆◆◆



 それからアレクは気持ちを改め、金策について考えを巡らせるため、しばらく城内をぶらぶらすることにした。

 城の回廊を渡り、塔を上り、また降りて、庭へ出る。そして庭を一周したのち地下室へ降り、また地上へ戻ってくる。


 しかしそうしているうち、アレクはやがて城門の外へ出てきてしまっていることに気が付いた。

 見渡せば、周囲はすっかり青い森。

 空を見上げれば抜けるような青空に白い鳥の群れが駆けており、後ろを振り返れば峡谷の山々を背にしてエクトリス城の尖塔が見える。しかしその輪郭はすっかり小さくなっていた。

 どうやら城から離れたところまで来てしまったようだ。


 まだ土地勘のない場所である。

 城から歩いて十分程度の距離とはいえ、盗賊や猛獣が潜んでいる可能性もあるし、あまり一人でうろうろしない方がいいだろう。

 そう思ってアレクはすぐさま城の方へ戻っていこうとしたのだが、三分ほど歩いた頃、ふと何者かの気配を感じ、木の陰へと身を潜める。


 ……もしかして誰かいるのだろうか。

 しかしこの辺りは険しい渓谷地帯だ。辺りに集落はなかったし、街道も近くにないから、物資を運ぶ馬車の類もあまり通らないはずなのだ。

 それなのに一体、誰がいるというのだろう。

 もしかしてフラヴィが情報収集から帰ってきたのだろうか?

 そう考えかけたのち、アレクは即座に否定する。

 フラヴィは有能な隠密だ。きっと移動するのにも、もっとうまく気配を隠すだろう。

 だとしたらあとはレナスとマリエルくらいだが、レナスは恐らく現在行動不能だし、マリエルも確か城内の清掃をしていたはずだ。

 だとしたら……一体誰がいるというのだろう?


「……ほう、人がいるな」


 そうしてアレクが一人、考えを巡らせていたときだった。

 やがて奥の茂みが動いたかと思うと、こちらに声を掛けてくるものがあった。

 アレクが驚いて顔を上げると、そこには一人の青年の姿があった。


「もしや、あんたがこの城の主か? 俺はエスティード。少しこの辺歩かせてもらっているぞ、城主」


 絹糸のような白銀の長髪は緩やかに波打ち、紺碧のローブを纏ったその格好はまるで学者のような風貌だ。

 面長の顔には穏やかな表情が浮かべられており、どこか奇妙なまでの風格がある。

 やけに老成しているというのだろうか。歳は恐らくアレクと同じくらいなのだろうが、理知的な印象が強くまるで老人のような落ち着きが感じられた。

 なんというか――レナスとはまた違った意味で非常に印象的な人物だ。


 一体、この青年は何者なのだろう。

 落ち着き払った様子からして平民階級ではなさそうだが、貴族というほどきらびやかな印象でもない。

 どちらかというと僧侶とか学者とか、そういった雰囲気だ。

 しかし僧侶や学者が一体こんな場所に何の用があるというのだろう。


「おい、俺を怪しんでいるのか? 言っておくが、俺は別に隠密なんかではないぞ」


 アレクが何も言わないでいると、エスティードと名乗る青年が尋ねた。


「いや……隠密だとは思っていない」


「ふむ、そうなのか」


「ああ、隠密ならもう少しうまく気配を隠すだろうから」


「ははは。悪かったな、気配丸出しで」


 アレクの率直な言葉を、エスティードは気に留めた様子もなくからっと笑った。

 なんだか、本当によく分からない人物である。


「それで……あなたは誰だ。どうしてこんなところを歩いている。そもそもなぜ、私のことを城主だと思ったんだ」


「おいおい、一気に聞かれても答えられんぞ」


 彼は呆れたように肩をすくめた。


「先ほども名乗ったが、俺はエスティード。ここを歩いているのはただの散歩。あんたのことを城主だと思ったのは、城にそう書かれているからだ」


「………は?」


 城にそう書かれている、とは一体どういう意味だろう。

 訳が分からずアレクは首を傾げるが、エスティードはいたって真面目な様子でエクトリス城を指差していた。


「俺は城が好きでね。城を見ればだいたいのことは分かる。そこの城主がどんな奴なのかとか、今は状態なのかとか」


「はあ……」


「疑ってるようだな。まあ、大体の奴はそういう反応をする」


 それはそうだろうと、アレクは内心突っ込んだ。


「けどあんたのことだって、城主だってこと以外に分かることがたくさんあるぞ。望むなら言い当ててみせようか」


 冗談めいた様子でエスティードは言うが、こちらを見る緑の瞳は真っ直ぐだ。

 その様子に興味を惹かれ、気づけばアレクは頷いていた。


「言い当てられるというのなら、やってみてくれ」


「そう来なくては」


 満足そうに頷くと、エスティードは再びじっと城を見つめた。

 そして数秒ののち、すらすらと語り出す。


「ふむふむ……あんたが城主になったのはつい最近だ。ほんの一週間以内だろう。味方は少なく、城にはあんたの他に十人もいない。城の中はそこそこ荒廃していて――今のあんたはとにかく金がないようだな」


 彼の口から出てくる言葉。

 それらは全てが真実で、あまりの衝撃にアレクはすうと血の気が引くのを感じていた。


「とまあ、こんなところか。だいたい当たっているだろ?」


「……なぜ分かった」


「さっきも言ったが、見れば分かるのさ」


 アレクは言葉を失った。

 あまりにも奇妙だ――こちらの状態が全て見透かされているなど。


「そうだ、よければ金がないあんたにいい助言をやろう」


 しかしそんなアレクの様子も気にせず、エスティードは次なる話題を持ち出す。


「実は今、街道沿いの街バルタールがとある噂で持ちきりになってる」


 そう言うと彼は、城とは逆の方向――麓のさらに先を指差した。


「……噂?」


「ああ。その噂を聞けば金が得られるかもしれんぞ。あんたはなかなか男前だし、条件はクリアできるんじゃないか」


「何の話だ……?」


 彼が何を言っているのか、アレクにはさっぱり分からない。

 突然噂話を持ち出してくるのも謎だし、それにアレクが男前なことが金と一体どう関係してくるというのだろう。

 怪訝に思ったアレクはさらに彼を追及しようと思ったが、そのときにはもう彼はローブのフードを被り、帰る準備を始めていた。


「それじゃ、俺は帰るとしよう」


「ちょ……ちょっと待ってくれ、まだ話が聞きたい!」


「残念だが、あまり遅くなると帰れなくなるのでな。またいずれ話そうではないか」


「いずれって――」


「いずれはいずれだ。あんたが目的のために前進するのであれば、また会うこともあるだろう。そのときはもっと話ができるといいな」


「はあ……?」


 アレクは彼を追いかけるかどうか迷った。

 しかしすでに城からは少し離れたところまで来てしまっているし、彼が何者なのかも分からない以上、無暗に深追いするのは得策ではないだろう。

 しばらく呆然としたまま、アレクは奇妙な青年の後ろ姿を見送っていた。




「ふむ、街道沿いの街バルタールですか……」


 城へ帰ってくると、アレクはすぐにレナスの元を訪れ、先ほどの青年のことを話して聞かせた。

 ちなみにレナスはアレクが戻ってきた頃にはすっかり復活した様子になっており、ニコニコしながら「もう一撃お願いします」などと言ってきた。

 もちろんアレクは無視したが。


 そして今、彼はショコラに角砂糖を六つ入れ、たっぷりと生クリームを絞り、その上さらに蜂蜜とシナモンをかけた地獄のように甘そうな飲み物を口に運んでいる。

 普通に考えて罰ゲームでも飲みたくないレベルだと思うが、なぜあんなものを飲んでいるのかは全くもって理解不能である。

 まあ、面倒臭いので突っ込んだりはしないが。


「そこに資金を得るためのヒントになる噂が流れていると?」


「ああ」


「怪しいですね。話自体ももちろんですが、その男の得体が知れません。いきなり近づきお嬢様に声をかけるなどと、完全に不審者ではありませんか」


 アレクは黙ってレナスを見つめた。

 一体それをどの口が言うのだろうか。


「そんなに見つめてどうしました? もしや私に見惚れ――」


「怪しいのは百も承知だ。けれどこちらに何の手がかりがないのも確かだろう?」


 レナスの言葉を無視し、アレクは問いかける。

 資金を得る手立て。それについて今日一日かけて考えてみたが、アレクにはまだ何の考えも浮かんでいない。

 そしてそれはレナスも同じようだった。


「あの男の策略という可能性も考えたけれど、何の財産も持たない私を嵌めて彼に得があるとも思えないんだ」


「ふむ……」


 しばらく考え込んでいたレナスもやがて納得し、こう言った。


「……かしこまりました。では明日向かいましょう。バルタールへ」

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