第12話 酒豪の男色家?

 次の日、アレクとレナスは朝一番に城を出発した。

 峡谷の麓まで下り、麓の小さな町で馬車を捕まえると、そのまま一気に街道を上ってバルタールへ。

 その道のりは思ったよりも長く、ようやくバルタールに到着した頃にはすっかり夕方になっていた。


 さすがは街道沿いだけあって、バルタールは賑やかな街だ。

 通りには様々な種類の店が軒を連ね、あちこちで商人たちが往来の人々を捕まえている。

 出店や露天商も多くあり、通りを歩く人々とも相まって、そこかしこで人混みができていた。


「どこも賑わっているようだね」


「ええ、とりあえず近くの店に入りましょうか」


 そうして二人は一番近くにあった酒場の扉をくぐった。

 酒場の中もまた外の通りと同じくらい混み合っている。まだ夕方にも関わらず、テーブル席はほとんど酔っ払いたちで埋まっている様子だったので、アレクたちはわずかに空いていたカウンター席に掛けることにした。


「黒酒の水割りでお願いします」


 カウンター越しに店主にレナスが注文をしたので、アレクも同じように注文をする。


「私はストレートで」


「はいよ」


 しかしそうして注文をした直後、レナスがアレクの横顔を凝視した。


「さすがは我が主でございます。四十度の酒をストレートで飲むとは」


「いけない?」


「いえ、いよいよ本当に中年男性のようだと思っただけでございます」


「どつくぞ」


「はい、ご存分に」


「……やっぱりやめておく」


 そんな問答をしているうちに、店主が酒の入ったグラスを二つ持ってきた。

 アレクはそれを引っ掴むと、一気に喉に流し込んだ。


「はあ、うまい」


 その様子を、珍しくレナスが恐ろしげな顔で見つめていた。


「なあ店主」


 軽く口元を拭ったのち、アレクは店主を呼び止めた。


「はいよ、旦那」


「ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいかな」


「ええ、どうぞ」


 人の好さそうな大柄の店主は笑顔で頷いた。


「今バルタールである噂が流れていると聞いた。その噂について詳しく教えてほしいんだ」


「噂、でごぜえますか」


 すると店主はあご髭をこすり、考えるような仕草をする。


「ここは街道の街バルタールでごぜえやす。日々流れてくる噂の数もたいていの町の比じゃございやせん。一体どんな噂についてお探しで?」


「ええと……」


 確かにこれだけ大きな街ならば、日々多くの噂が飛び交っているはずだろう。

 アレクはエスティードの言葉を思い出し、そのまま話してみることにした。


「男……に関するものだ」


「男?」


「ああ。なにぶん人から聞いた話だから私も曖昧なんだが……どうやら男前についての噂でね。関係ありそうな噂があったら何でもいいから教えてくれないか」


 しかしそう言ったとき、なぜか店主が好奇の目でじろりとアレクを見る。

 なんだろう、視線が痛い。


「男前の奴?」


「え、ああ……」


「なるほど。男前の噂が聞きたいとは、旦那は男色家でらっしゃいやしたか」


「………は?」


 アレクは一瞬固まった。

 そしてそののち勢いよく手を前に張り出し、全力で否定する。


「ち……違う、それは断じて違う!!」


「どおりで男前の従者さんを連れてることで……」


「違うんだ店主!!」


「ええ、そうなんですよ。うちの坊ちゃんときたら私だけでは飽き足らず――」


「や、ややこしいから貴様は口を開くな!!」


 大きく深呼吸をしたのち、アレクはその場を仕切り直す。


「と……とにかくだ、店主」


「はいはい、旦那」


 やけに笑顔な店主に関しては、もうこの際突っ込まないでおこうと決める。


「とにかく……な、何か、そういった感じの……噂は、聞かなかったか」


「男前の?」


「だからそうだと言ってるだろうが!!」


 拳を握り、アレクは声を上げた。


「そうですなあ、男前の話っつったら……今一番騒がれてるのは、男前と評判の看板俳優ロッズが女優の一人と駆け落ちした話ですかねえ」


「……それは多分違うと思う」


 再び息を整えながら、アレクは首を横に振る。


「でしたら他には……男前と評判の旅芸人ジョナスンが実は農場の駄目息子だった話とか、男前と評判のオス猫がこの街全部のメス猫を孕ませた話とか、男前と評判のバイロス男爵が浮気の腹いせで妻に玉を切られた話とか……そんなもんですかねえ」


「最後の話、私はちょっと興味がありますねえ」


「……レナス、黙れ」


 しばしアレクは考え込む。

 しかし、どれもあのエスティードの言っていたものとは関係がなさそうにアレクには思えた。

 やっぱり……からかわれただけだったのかもしれない。

 大きくため息をつき、アレクは立ち上がろうとした。


「ありがとう店主。他の者にも聞いてみるよ」


「ああ、ちょっと待ってくだせえ旦那」


 しかしそのとき、店主が何かを思い出したように言った。


「どうした」


「いえ、男色家の旦那には関係ねえかもしれやせんが」


「……だから男色家じゃない」


 否定するが、店主は聞いていない様子だ。


「まだ伯爵夫人に関する話がありやした。浮気性のファリアン伯爵夫人の話でね、つい最近夫に浮気がばれて塔に幽閉されたらしいんですが」


「伯爵夫人?」


「ええ。なんとその伯爵夫人、夫が帝都に召されたのをいいことにまた愛人を募集してるらしいんでさあ。けど今も塔からは出られないから、危険を冒して塔を登って会いに来てくれた美男子には多額の謝礼を支払う、とか言ってるらしいですぜ」


「………なんだって?」


 多額の謝礼、という言葉にアレクは反応する。

 あんたは男前だから条件をクリアできるとかなんとかエスティードは言っていたはずだ。

 だとすると、これが彼の言っていた噂なのではないだろうか。


「ただし塔の中は常に兵士に見張られていて、普通は近づけねえんです。だから夫人に近づくには、塔を外側から登らなきゃなんねえ」


「ふむ……」


 なるほど、危険を冒すからこそ報酬も高いということだろう。


「店主、礼を言うよ。どうやらその噂で間違いなさそうだ」


「お役に立てたなら良かったです」


 レナスから代金を受け取りながら、店主が清々しいまでの笑顔を浮かべる。


「金のためとはいえ女を抱くのは辛いでしょうが、頑張ってくだせえ!」


「………」


 アレクはその言葉を真顔で聞いたのち、がくりと床に膝をついた。


「だから男色家じゃないと言ってるだろうがああああああああーーーーっ!!」



 ◆◆◆



「……はあ、疲れた」


「良かったですねえ、噂のことが聞けて」


「そのせいで男色家にされたけどな」


「おや、実際そうではございませんか、お嬢様は女性なんですから」


「……言っておくが、性的対象が男性である女性のことを男色家とは言わないからな」


 アレクはため息をつき、宿の簡素な椅子に背を預けた。

 あれから外に出るともう辺りはすっかり暗くなっていたので、今日はそのままバルタールに泊まることになった。

 無駄に金を使わせたくないアレクは歩いてでも帰ると言ったのだが、レナスが『お嬢様を夜更けに歩かせるわけにはいかない』などと主張したのである。


「けれど……これで次の問題が浮上したね」


 アレクは店主の話を思い出して唸った。


「そうですね。塔を外側から登るというのはかなりの根性が要りそうです」


「そっちじゃない」


 すかさずアレクは突っ込む。


「伯爵夫人の話だよ。多額の報酬というのは確かにすごく魅力的だけれど……さすがに愛人になるというのは、私には厳しい」


「おや、お嬢様。まさかやらないとおっしゃるおつもりですか?」


「え?」


「やらないとおっしゃるおつもりですか?」


 レナスはにっこり笑い、有無を言わさぬ様子で繰り返す。


「いや……やらないけど。だってどう考えても無理だろう。私は女なんだよ」


「無理?」


 レナスが笑ったまま眉を吊り上げる。


「無理ではありません。大丈夫でございます」


「ああ、もしかして君がやるのかレナス」


 希望的観測を口にすると、レナスがぎょっとした顔になった。


「やりませんよ。私は固く閉じた蕾のような乙女を自分でこじ開けるのが趣味なのです。初めから開ききった花などに興味はございません」


「………ああそう」


 今のは聞かなければ良かったとアレクは心底思った。


「ならこの話はやめよう。もっと他の方法を考えるべきだ」


 そうして現実逃避気味にそう言ったときだった。

 レナスが座ったまま、勢いよくこちらに身体を傾けた。

 耳元でドンと大きな音がする。

 気付けばレナスがアレクの背後の壁に手を付き、すぐ近くでこちらを見つめていた。


 ……顔が近い。

 吐息がかかる。

 アレクは状況が理解できず、レナスから顔をそむけた。


「お嬢様」


「……なんだ」


「こういった手管を覚えれば、お嬢様でも大丈夫でございます」


「………は?」


「夫人を抱かずに一晩乗り切る方法、共に考えましょう」


 しばらく呆然としたまま、アレクは目の前の白い顔を凝視していた。 

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