第三章 金策

第10話 歪んだ愛情(改)

 翌日。

 朝食の席についたアレクは、ただひたすら珈琲だけを口に運んでいた。

 なんというか、何も食べる気になれないのだ。


「おやおや、アレク様は手伝って差し上げないと朝食も食べられないのですか?」


 斜め後ろで控えているレナスがアレクの様子に気付き、テーブルの傍でしゃがみ込む。

 そして嬉々とした様子で目玉焼きを切り分け、フォークで刺してアレクの口元へと運んできた。


「では僭越ながらわたくしが食べさせて差し上げましょう。はい、あーんしてください、あーん」


「……これ以上気分を悪くさせないでほしい、頼むから」


 アレクはレナスの手からフォークを奪い取り、自分で目玉焼きを口に運ぶ。

 そしてちらりと、厨房へ続く扉の方を見る。


「それで、あの女性は誰なんだ」


 アレクの朝食が進まない原因。

 それはずばり、厨房へ続く扉の向こうからじっとこちらを見つめている女性である。

 その女性とは昨日風呂を覗いていたあの女性であり、そして今もアレクのことをいようなほど熱烈な視線で見つめている女性のことだ。


「彼女はメイドです」


「……メイド?」


「ええ。私だけでこの城を維持するのは不可能ですから、今日から雇いました」


「雇いましたって……」


 ならなぜ先にそう言っておいてくれないのか、と思う。


「名前はマリエル。二十八歳独身。好きなものは美青年です」


「……へえ」


「趣味は美青年に蹴られることで、特技は美青年の気配を察知すること。生きがいは美青年の尻を追いかけることで、将来の夢は美青年の奴隷になることだそうです」


「…………もういい、分かった」


 アレクは途中で気分が悪くなり、レナスの説明を止めた。


「つまりあれなのか、私は――」


「美青年だと思われているようです」


「……ああ、そう」


「女性まで悩殺するとは流石でございますね、我が主」


 がっくりと、アレクは首をうなだれた。

 そして仕方なく朝食を食べようとして、皿に目を落とす。

 綺麗に焼かれた目玉焼きに豚のソテー、彩りのいいサラダに季節のフルーツ、薄切りにされたバゲット。

 栄養的にもバランスの良さそうな朝食だが、そういえばこれは――。


「これ……誰が作ったんだ」


「もちろんマリエルですよ。うちにコックはいませんし、メイドも彼女一人しかしないのですから当然ではありませんか」


 それを聞いた途端、食欲がすうと減退していく。

 厨房の扉の方を見ると、まだマリエルがこちらを熱烈に見つめていた。



  ◆◆◆



 朝食という名の試練を終えたアレクは、どっとため息をつきながら執務室へと入っていった。

 ちなみにこの部屋、執務室とは名ばかりのがらんどうの空間である。

 辛うじて机が一つと椅子が二脚置かれているが、今のところ室内にあるのはそれだけだ。


「いらっしゃいましたか」


 先に執務室に来ていたレナスが言い、椅子から立ち上がった。

 そしてうやうやしく頭を下げたのち、アレクのために椅子を引いてくれる。


「あれから気分はましになりましたか?」


「……頼むからその話題を掘り返さないでくれ」


「まだ気分が悪いようでしたら、わたくしが膝枕をして差し上げますが」


「やめろ、何の嫌がらせだ」


 レナスの戯言をかわし、アレクは机の上に目を落とした。

 机の上には何か資料が広げられている。

 エクトリス城周辺地域の資源埋蔵量、そのうちの導石の割合、純度別の導石の取引価格――。

 なんだろうか、これは。


「これは?」


「ああ、城周辺の資源について調べていたのですよ」


「城周辺の資源……」


 アレクは以前レナスと共に計画したことについて思い出す。

 第一の目的は活動拠点の獲得。

 そして第二の目的は資金調達だ。


「なるほど。確かにこの辺りに資源が埋蔵されていたなら、それを売るだけでまとまった金になるね」


「と、思ったのですけれどね」


 期待を込めて尋ねたアレクに、レナスが肩をすくめる。


「昨今、資源として価値があるのはもっぱら導石です。導力を生成するのに必要な鉱石ですね。導力技術が発達してからというもの、導石は常に高い価格で取引されています。ですが……この数値」


 レナスは資料の一部分を指差す。


「駄目ですね。この峡谷に導石埋蔵量はほとんどないに等しい。これではとても期待できそうにありません」


「なるほど……それなら別の方法を考えるしかないか」


「ええ。私も考えてみますが、アレク様の方でも何か思いつきましたらお話しください」


「分かった」


 簡潔な話し合いを済ませると、アレクは椅子から立ち上がった。

 けれど執務室から出ようとしたとき、ふとアレクはあることを思い出し、レナスの方を振り返る。


「……そうだ、レナス」


「はい、なんでしょうか」


「ずっと、聞かなければいけないと思っていたことがある」


「私に恋人がいるかどうかですか?」


「………は?」


「それでしたらご安心ください。私は独身ですし、現在ステディな相手もおりません。ご要望とあれば、どんなアブノーマルな命令でも受け入れてみせますよ」


 アレクは眉間にしわを刻み、ふうと息を吐く。


「………聞きたいのは、君の出費のことだ」


「出費?」


「ああ。君は私と主従の契約を結んでからというもの、結構な出費をしているだろう。私の洋服に、移動代、フラヴィやマリエルに対する報酬など……全てを合わせれば馬鹿にならない額のはずだ」


 それはレナスと行動を共にして以来、ずっと気になっていたことだった。

 成功報酬ということで契約を結んだ二人だったが、これではあまりにレナスの負担が大きすぎると思っていたのだ。


「だから頼む、これ以上無駄に金を使わないでくれ。私はこんなに高級な服でなくて構わないし、食事ももっと質素なもので構わない」


「ふむ」


 するとレナスは気の抜けた返事をする。


「もしかしてお嬢様は……私に気を遣っておられるのですか?」


「まあ、そういうことになるだろうね」


 奇妙な男とはいえ、気を遣うのは当然だ。

 なにしろ彼の出費のほとんどがアレクのためのものなのだから。

 

「でしたら気など遣う必要はございません」


 レナスはそう言うと、一歩一歩アレクの方へと近づいてきた。

 そしてそのまま彼女の耳元に口を寄せる。


「あなたはわたくしの大事な大事なお嬢様。お嬢様に安物の服など着せられませんし、栄養のない食事など与えられません」


 甘ったるい響きだ。

 まるで大事な宝物を愛でるかのような、恋人に愛を囁くような――奇妙な愛おしさを含んだ声である。


「お嬢様は何も気にせず、ただわたくしに命令し、わたくしをこき使えばよろしいのですよ」


 その言葉をアレクはしかめっ面で聞いていた。

 この執事と共に過ごすようになってから、すでに二週間近く。

 けれどそれだけの期間を経ても、彼のことは一向に分からない。

 アレクのことを敬っているのか、蔑んでいるのか。

 大事にしたいのか、邪険にしたいのか。

 信頼したいのか、切り捨てたいのか。

 そのためこちらもどう対応すべきなのか、いまいちよく分からないのだ。


「……まあいい」


 しかしやがてアレクは諦めるように言った。

 どうせ一朝一夕で分かることでないのだから、徐々に理解すればいいだけの話だ。


「それでも一応、約束はさせてくれ。まとまった資金が手に入った暁には、まず君に今までの報酬を支払うと」


「もしかして、お嬢様は貢がれるのがお嫌いなのですか?」


「さあ、それは考えたことがないから分からないけど、少なくとも筋は通しておきたい性分だよ」


「ふむ……」


 しゅんとしながら、レナスは胸の前で両手の人差し指をつんつんさせる。


「なんだか少し寂しゅうございますね」


「どうして?」


「だって、わたくしは好きな相手にじゃぶじゃぶ貢ぐのが好きな性質でございますから」


「ふうん――え?」


 突然の告白に、アレクシアは顔をしかめる。


「金を使えば使っただけその方のためになる。そう思えば自らもまた満たされ、えも言われぬ幸福感を得られるのでございます」


「な、なんだかものすごいカミングアウトが来たな……」


「ですからお嬢様に対しても、お嬢様のためになればと思って金を使って参りました。けれどそれがお嬢様の重荷になっていたなんて……」


「今更だけど、本当にややこしい性格をしてるな君は……」


「ですから、お嬢様!」


 そのとき突然がしりと肩を掴まれ、アレクシアはびくりとする。


「な、なんだいきなり」


「金が受け取れないのであれば、どうかそれ以外の方法でわたくしの心を満たしてくださいませ!」


「は?」


 それ以外の方法とは一体何か、アレクが尋ねようとしたときだった。

 突如としてレナスはアレクに何かを握らせたかと思うと、次の瞬間、彼はなぜか床にひれ伏した。


「さあ、どうか! その鞭でわたくしを痛めつけてくださいませ!!」

「………鞭?」


 何のことを言っているのか。

 そう思いながらアレクはふと手元に目を落とす。

 するとそこにはさっきレナスが握らせてきた何か――革でできた頑丈そうな鞭があった。

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