第9話 覗き魔(改)
「どうやら彼らは出て行く準備ができたようだ」
「ええ、そのようですね」
アレクとレナスが見つめる中、野盗たちは一時間程度で荷物をまとめた。
準備のできた者から順に大広間に集まり、それから正面扉の方へと向かっていく。
そうして最後に頭目の男が現れたとき、彼はなぜか脱力した様子でアレクに近づいてきた。
「なああんた、一つ聞いていいか」
「え……ああ」
一体何だろうかと思いながら、アレクは頷く。
「あんた、どうしてわざわざこんな辺鄙な城が欲しいんだ。お貴族様ならもっとご立派な城が欲しいと思うもんじゃねえのか」
なるほど、確かに彼の疑問はもっともだ。
はたから見れば、もっと条件のいい城はいくらでもあるのだろう。
しかしアレクにとってはそうではなかった。
「いや、どうしてもこの城でなければいけなかった」
「どうしてだ」
「それは私がアレクシス・ローゼンバーグだからだ。家を再興させるためはどうしても我がローゼンバーグ家の城を取り戻したかった」
アレクが言い終えると、男は呆然とした様子でアレクを見つめた。
そして数秒間沈黙したのち、やがて感激した様子でこちらに一歩近づいた。
「まさか……ここで会えるとは! あんたがあの最強の騎士のご子息とはなあ!」
「え……?」
思わぬ言葉にアレクは面食らう。
彼は今、最強の騎士と言ったのだろうか。
「俺、エルドレッド様のファンだったんだよ! いやあ、嬉しいなあ!」
「ファ、ファン……?」
「ああ! 俺たちはみんな元々傭兵なんだが、エルドレッド様に憧れて傭兵になった奴が多いんだ! あの人はいつでも最強で、かっこよくて、憧れだった!」
「そうなのか……?」
「いやあ、あの人の息子ならあんたも強くて当然だな! あっはっは!」
確かに父エルドレッドの名声が高かった頃、彼は多くの者から英雄と呼ばれていた。
頭が良く、風貌も堂々たるもので、しかも剣の腕も相当のものだったから、老若男女問わず国中で人気があったのだ。
ただあの陰謀以来、その評判は完全に逆転してしまった。
だから今でもかつての栄光を忘れず、彼のことをこのように称えてくれる人を見ると、なんだか嬉しく思ってしまう。
「ありがとう……父のことを褒めてもらえるのは、悪い気がしない」
「そうだ、あんた! 頼みがある! 俺たちのことを召し抱えないか?」
予想外の提案に、アレクは目をしばたたかせた。
「今は野盗風情だが、元は傭兵だ。きっと役に立てる」
正直、アレクにとっては有難い提案だ。
見方を増やして足元を固めなければいけない現状で、三十の兵がただで手に入るというのなら欲しいに決まっている。
けれど彼らを懐に入れてしまったら、五十の兵がいるというさっきのハッタリは嘘だとばれてしまうし、そもそも今は三十の兵を召し抱えられるだけの財力がない。
「……申し出はとても嬉しいんだが、すまない」
思案ののち、やがてアレクは頭を下げた。
「今はまだ、新しい兵を抱える余裕がないんだ」
「そうなのか」
すると男はがっかりしながらも、納得してくれた。
「じゃあいつか俺らの力が必要になったときは呼んでくれよな」
「ああ、必ず」
「俺の名はラスター。これから帝国北方のゼーレンって地方を目指す。用があったときにはその辺りで名前を尋ねてみてくれ」
「分かった。覚えておこう」
そうして二人は握手を交わした。
野盗たちが完全に城からいなくなったのは、夜空に星が瞬き始めた頃だった。
アレクたちは城が空になったのを確認すると、まずは城の現状を把握しようと、内部を隅々まで見て回ることにした。
しかしそうして分かったのは、野盗たちが城をかなり適当に使っていたという事実である。
廊下や階段などあちこちに埃が積もっていたし、使われていない部屋などは特にひどい有様だ。壁に穴が開いていたり柱が折れたりしているのも、平気でそのままになっている。
これでは、普通に使えるようにするのはかなりの時間がかかりそうだ。
「とにかく、今は使う場所だけ清掃しましょう」
あらかた見回りを終えたのち、レナスがそう提案した。
その提案にアレクとフラヴィも頷いた。これはとても一日や二日でどうにかできるものではない。
「そうだね。食堂と大浴場は必須として……あとはそれぞれが使う部屋を各自整えることにしようか」
「そんなら俺は西塔の上の部屋を借りるぜ。高い場所が好きだからな」
西の方角を指差し、フラヴィが言う。
「私は二階の角の部屋を使います。アレク様は?」
「二階の中央の部屋を使うよ。あそこは見晴らしがいいから異変がすぐに察知できそうだ」
「かしこまりました。ではまず各々の部屋を清掃しましょう。終わったら食堂に集合ということで」
「分かった」
そうしてそれぞれに部屋を決めると、各自清掃のために散っていった。
◆◆◆
「ふう……」
もうもうと白い湯気が立ちこめ、辺りには硫黄の匂いが充満している。
窮屈な男物の服を脱ぎ去ったアレクは、浴槽の中で身体を伸ばし、大きく深呼吸をして、その空気を存分に楽しんだ。
大理石の湯舟の中で身体を伸ばすと、全身がほぐれてまさに極楽の気分だ。
あれから自室の清掃を終えたアレクは、食堂でレナスたちと合流したのち、食堂の清掃とこの大浴場の清掃をすることになった。
しかし他の場所に比べ、大浴場の清掃はそれほど大変ではなかった。
どうやら野盗たちも使っていたようで、それほど汚れも溜まっていなかったし、湯を汲み上げる機構も丹念に手入れがしてあって、簡単な清掃を済ませるとすぐに湯を張ることができたのだ。
ちなみにエクトリス城周辺の峡谷地帯は知る人ぞ知る温泉地帯である。
パラキア帝国では普通城に大浴場などないのだが、エクトリス城には特別に大浴場が設けられていた。
「……ふふ」
湯を掬い上げ、もう一方の腕に纏わせる。
とてもいい気分だ。
最近は窮屈な男物の服ばかり着ていたし、随分久しぶりに年相応の女子らしい楽しみを経験しているような気がする。
そういえば男装にも思ったより早く慣れてしまったな、とアレクは思った。
最初に聞いたときは冗談じゃないと思ったが、やってみると驚くほどしっくりくる自分がいた。
もしかしたら父の教育のせいなのかもしれない。
父エルドレッドは常に支配者たれと教えてきた。
大勢の人間の前に立つときの心構え、敵と交渉するときの話の運び方、社交界においての振る舞い、皇帝の臣下としての義務など――様々な教育をされたものだった。
今考えれば、あれらは娘ではなく息子に対する教育だったのだろう。
アレクはふと、兄のことを思い出す。
アレクには兄がいた。
けれど兄アレクシスは母に似て病弱だったため、彼の代わりに娘であるアレクシアが父からの厳しい教育を受けることになったのだ。
恐らく――本来ならば息子が受けるべきだった教育を。
その経緯がなければきっと今の彼女はいなかっただろうし、あの教育をしてくれた父に感謝しなくてはと、アレクは改めて思った。
存分に湯を堪能したアレクは、そろそろ上がろうと身体を浮かせかけた。
しかし上半身を湯舟から出そうとしたそのとき、ふと何者かの気配に気付く。
「………?」
なんだか、誰かがじっとこっちを見ているかのようだ。
この感じからすると恐らく、脱衣所の方から。
だとすると、今出て行くのはまずいだろう。
いや、だが一体誰がわざわざ覗くというのだろうか。
逃げ遅れた野盗の誰かか。
それとは別の侵入者か。
まさか、隠密少年フラヴィか。
もしくは――あの変態執事か。
一番可能性が高そうなのはあの執事だが、もしそうだとしたら本当に最悪だ。
まあ、この気配が誰のものであれ、今は気配が消えるのを待つしかないだろう。
そう思ってアレクはしばらく浴槽の中で待つことにした。
「………」
……が、気配はなかなか消える様子がない。
いや――むしろこれは近づいているのではないだろうか。その証拠に、やがて少しずつ鼻息のようなものが聞こえ始める。
「……はあっ、はあっ」
荒い鼻息。
そしてその中に滲む――抑えきれない興奮の色。
「は……はあっ、はあっ……若君、お美しい若君ぃ……」
なんだか、ちょっとまずそうな雰囲気だ。
明らかに声はこちらに近づいているし、もしかしたら結構傍にいるんじゃないだろうか。
アレクは気味悪く思いながらも、思い切って声の方を振り返ってみることにした。
――そのときだった。
「あ……ああっ、あああ……わ、若君が、若君がこっちを見てらっしゃるうぅ……っ!!」
ばっちり目が合ってしまう。
今にも涎を垂らさんばかりの勢いで、熱烈にこちらを凝視している見知らぬ黒髪の女性と。
その瞬間、アレクは恐怖に顔をひきつらせ、近くにあった桶を掴んで女性に全力で投げつけていた。
「はあああああああああああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
桶は見事に直撃する。
すると女性は狂喜の悲鳴を上げながら、しばらく恍惚とした様子で悶え狂っていた。
この世の恐ろしいものの片鱗を見たと、アレクは心の底から思った。
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