第26話 イーザーの弱点

 アレクははっと息を呑み、その場にしゃがみ込んだ。

 そして剣を構えたまま、バリケードにしてある机の下に隠れる。


 そのまま数秒。

 足音と鎧のがちゃがちゃいう音が上階から聞こえてきたと思った次の瞬間、それがドドドドという地響きに変わる。

 明らかな大軍勢だ。

 その振動にアレクはごくりと唾を呑み、全神経を集中させて目の前の状況を見つめた。


そして――。


 大地を揺るがすような轟音と共に飛び込んでくる、慌ただしい光景。

 雪崩れるように階段を降りてくる軍勢。

 折り重なるようにがちゃがちゃと音を立てる無数の鎧。

 その中で旗を掴むように伸ばされる腕の数々と――堂々と掲げられた旗。

 烈しい濁流のような流れの中には間違いなく、人の身長ほどの長い柄に、金の刺繍のついた赤い旗が掲げられていた。

 そしてそれを持っているのは、やはり――。


「……イーザー!」


 予想が当たったことに笑いを漏らしながら、バリケードの内側で、アレクは小さく呟いた。

 その直後だった。

 突如、視界を切り裂くようにビュッと黒い矢が飛ぶ。

 それが大軍勢の中の一人を貫いたかと思うと、直後、大きな悲鳴が上がった。


「うわああああああああっ!?」


 その悲鳴を皮切りにして、空気は張りつめたものへと変わっていった。


「な……何だ!?」


「うわっ、これはどうなってる!!」


 階段を降りてきた軍勢が、ようやく仕掛けられた罠に気付く。

 彼らの視界に入るのは、積み上げられた椅子と机。

 そして――潜む何かの気配。


 しかし気付いたところでもう遅い。

 アレクは剣を振り上げ、物陰から現れ出た。

 そしてイーザーの周りを囲む敵の一人を、一太刀に斬りつける。

 斬りつけるといっても飽くまで鎧の上からなので、強い衝撃がある以外、人体にはほとんど影響がない。


 敵は多いが、バリケードのお蔭で軍勢の道筋は自然と絞られ、進んでくる者全てがまっすぐ正面からへ向かってくる形になるので、切り捨てるのは容易かった。

 一人。

 もう一人。

 そして三人目に斬りかかると同時に横から別の敵が現れて一瞬焦るが、その直後にはアレクの真横を黒い矢が飛んだかと思うと、その敵は倒れていた。

 レナスの援護だ。


 それにしても、彼も本当に腕がいい。

 次の矢をつがえているレナスをちらりと見ながら、アレクは思った。

 ボウガンの矢は短いが、まともに当たれば致命傷になる。

 だからレナスは貫通させないようターゲットの身体の外側ぎりぎりを狙い、致命傷にはならないものの確実に足止めできる程度の傷にしているようだ。

 そうして狙う技術というのは、恐らく相当なものだと思う。


 私も集中しようと思いながら、アレクはさらに前進した。

 やがて中心にいるイーザーに近づき、手を伸ばせば旗に届くほどの距離になる。

 当のイーザーはというと、旗を奪おうとする者たちの手から旗を守って戦っているため、すっかり防戦一方だった。

 今なら旗を取れるかもしれない。

 次の瞬間、アレクは一足飛びにイーザーの目の前まで出て行くと、不意打ちのように彼の分厚い鎧めがけて剣を打ち下ろした。


「……ぐっ!!」


 すると予想外の攻撃だったのか、わずかにイーザーが体勢を崩す。

 しかし旗の柄へ触れる寸前、旗は彼女の手から離れてしまった。

 イーザーが慌てて旗を自分の側へと引き寄せ、アレクの身体を突き飛ばしたのだ。

 アレクはイーザーを見上げ、その瞬間、彼と目が合った。


「え……お、お前……っ!?」


 一瞬、イーザーはぎょっとした顔になる。

 こうして近づくまで、彼はアレクのことに気付いていなかったようだ。


「なぜお前がここに……!!」


 しかしアレクは答えない。

 彼が狼狽えている今こそ最大の好機、逃すわけにはいかないのだ。


 アレクはレナスに目配せをし、次の攻撃を指示した。

 標的はイーザーその人。

 とはいえアレクに彼を傷つける意思はない。 

 レナスにはぎりぎり身体に当たらない程度にしてくれと指示してある。

 そして指示通り、レナスの黒い矢が飛んだ。

 鎧の隙間を掠めそうになった切っ先に、イーザーが度胆を抜かれた様子で言った。


「うわっ……! なんだこれはっ!!」


 怯んだイーザーの隙を見て、アレクは旗の柄を掴んだ。

 そしてそれを引き寄せることに成功する。


「……っ、おい、待て!! 待てよ……っ!!」


 すぐにイーザーは気が付くが、その頃にはもうすっかりアレクが旗を掴んでいた。


「すまない、イーザー」


 アレクはわずかに謝罪の言葉を残すと、一目散に駆け出した。

 自ら築いたバリケードを越え、その中で呻いている男たちを越えて、一気にミゼット城の正面扉へと。

 そしてとうとう扉の表面に手が触れた――が、その瞬間、突如ものすごい勢いで肩を掴まれる。


「お前……っ、こんな所で何やってるんだ! なんでお前がここにいる!?」


 振り返るとそこには鋭い視線でこちらを見つめるイーザーがいた。


「答えている暇はない!!」


 アレクはイーザーを押しのけ、突き飛ばそうとする。

 だがその直後、またすぐにイーザーが旗とアレクの肩を掴んだ。


「はあっ……!? 意味が分からん! ちゃんと説明しろ!!」


「なら言うが、私がここにいるのは家のためだ!!」


 そう言いながらアレクはイーザーの背後を見る。

 一騎打ちの状況を維持できるよう、レナスが奮闘しているレナスの姿が見えた。

 しかし敵は数十人、一人でこれ以上抑えられる時間は限られているはずだ。


「なぜだ!?」


「私はどうしても優勝しなければならないからだ!! 分かったらその手を離せ、イーザー!!」


「それはできない!! 俺もジスカール家のため、勝つ使命があるんだ!!」


「なら……こうするまで!!」


 剣を振り上げ、アレクは旗を持つイーザーの腕へと振り下ろした。

 手甲を着けているから彼が傷を負うことはないだろうが、衝撃を与えることで旗から手を放すことはあり得るはず――。

 そう思ったのだが。


「くっ……甘い!!」


 刃の切っ先を手甲で受けとめ、イーザーはそのまま腕力で剣をはじき返した。


「ふはは、甘いぞ! お前の力では俺を倒すことはできん!! さあ、分かったらそこをどいてもらおうか!!」


 意気を取り戻したイーザーがこちらへ手を伸ばし、アレクの後ろにある正面扉へと手を掛けた。

 そして彼は旗を持ったまま扉を開こうとする。


 まずい、このままイーザーが外へ出てしまえば、優勝は彼のものとなってしまう。

 アレクはぎりりと奥歯を噛んだ。

 ここまで来て負けるわけにはいかない。

 どうあっても、優勝し皇帝陛下に願いを聞いてもらうのは自分でなければならないのだ。


「こうなったら……」


 仕方がない。

 切り札である対イーザー用の秘策。

 アレクとしてはなるべく使いたくなかったのだが、そうもいかないようだ。


「レナス! 最後にこちらに一撃頼む!」


 決意した瞬間、アレクはレナスの方を見た。

 そして素早く支持を出す。


「今、でございますか?」


「ああ、頼む!」


「気まぐれな方ですね……では最後に一発いきますよ!」


 周りの戦士たちの猛攻を避けながら、レナスは矢をつがえる。

 そして次の瞬間――黒い矢がイーザーの目の前を飛んだ。


 その一瞬、イーザーがわずかに怯む。

 動きの止まったイーザーの肩を掴み、アレクは思い切り彼の懐へ飛び込んだ。

 そしてイーザーの肩を抱き、彼の耳元へと唇を寄せ――。


「イーザー……悪いな」


「…………え?」


 ――そのまま一思いに、彼の耳たぶを口に含んだ。


「え……っ………ああっ……!?」


 たちまちイーザーがびくりと震えたかと思うと、焦ったような、それでいてどこか艶めいたような声を出した。


「な、なな、ななな何を……っ!?」


 そのまま彼は真っ赤な顔で腰から砕け、さっきまでしっかり握っていた旗からも手を放して、へなへなと床へ崩れ落ちてしまう。


 そう――イーザーの弱点。

 それはずばり、耳である。

 どうやら普通の人より敏感らしく、ちょっと触られただけで変な声を出すし、舐めたら一瞬で腰が砕けてしまうのだ。

 ちなみにこれは兄と三人で遊んでいた幼い頃、悪ふざけで兄と共にイーザーをくすぐり倒していたときに偶然発見してしまったものである。


「君の弱点が変わってなくてよかった」


「ちょ、ちょっと、ま……まま、待て、アレク……ッ!!」


 イーザーは真っ赤な顔のままこちらに手を伸ばすが、身体はまだ床に崩れたままだ。

 そんな彼を振り返り、謝罪のように小さく頭を下げると、アレクは一気に扉を開いた。

 真っ白な光が扉の隙間から差し込んだ。

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